一章:人間失敗 06
俺は、もう有栖ちゃんから目を逸らしてしまって、青猫さんの方を向いているのだけど、このまま無反応だと心配になってくる。青猫さんは何も言わないから、大丈夫なんだろうけどさ。
「さぁ、どうする?茶でも飲むか?よく考えればまだ、ちゃんと持て成しもしていなかったな。私はコーヒー派なのだが、お前は何を飲む?とはいっても此処にあるのは、麦茶かコーヒーか牛乳だけなんだがな」
麦茶で、と答えようとしたが、それ以前に口が勝手に突っ込んでいた。
普段はこんな風に、知識欲が理性を上回るなんてことはないのだが、予想外の事態の連続に判断力が鈍っていたのだろう。
「有栖ちゃんは放置ですか?」
「有栖ちゃん、ね。お前がちゃん付けで人を呼ぶと違和感を感じるのは、旧知の仲が故だろうね。しかしながら、疑問に答えず、しかも全く関係のない質問を変えすのはいただけないな。そんなことをネチネチ言っても仕方ないから、互いに流してお前の質問に答えてやろう。だから、お前も麦茶か、ミルクか、コーヒーか、さっさと選べ」
ちゃん付けすることについては、青猫さんがそう思うのも無理はないのだが、ここ2年で俺も変わったんだ。いまではちゃん付けも結構多用していたりする。笑いの種にされたら敵わないから喋らないが。
そんな下らないやり取りの中でも有栖ちゃんは、眼を細め、口を曲げたまま、俺の立ち退いた虚空を眺め、無反応なままだった。
この光景は流石に異常性に満ち溢れてたね。
青猫さんの手前、そんなことは言わなかったけどさ。
コーヒーだと長居しそうだし、ミルクを飲む柄でもないので、俺は麦茶を頼むことにした。
でも、青猫さんはコーヒーを飲むのだから、合わせておくべきだったかと無駄なことを思案して、俺は時間を潰す。
もっと考えるべきなのは有栖ちゃんのことなのだけど、それは何を考えたって憶測の域を出ないことだ。さわって調べるわけにもいかないし、ここはやはり説明好きの青猫さんが戻ってくるのを待つしかない。
とにかく、青猫さん。何でも良いから早く戻って来てください。
微動だにしない有栖ちゃんの隣に座り続けているのは、それなりに辛いです。そう考えた数十秒後に青猫さんは麦茶入りのコップ片手にやって来るのだから、世の中と言うものは巧く出来ている。
俺の前にまだ結露していないガラスコップを部屋の中央に陣取る小型の四角いテーブルにおくと、対面するように反対側に座った。
青猫さんが何も持って来ていないところを見ると、コーヒーを沸かしているのだろう。この時期にホットコーヒーを飲むとは、到底思えないし一度沸かしてから冷まし、アイスコーヒーにするのか?それにしてはガスコンロの音も聞こえないし、青猫さんは結局何も飲まないつもりらしい。猫みたいに気まぐれだ。
青猫さんはこういうことに疎いので気付かないかもしれないが、相手が何も飲んでいないと、非常に飲みづらい。
俺だけかもしれないけどね。
そんなことは我関せず、と言った具合に頼んでもいない説明を青猫さんは始めた。
「まず、ありすの現状だ。こいつは今、眠っているだけだ。何かの隱語とか、ものの例え等ではなく、正真正銘に寝ているんだ。これにはちゃんとした理由がある。単に時間だからだ。ありすは一定時間経つと寝るように躾ている。いや、躾というのは語弊が生まれるな。これは規則正しく生活することがこの上ないありすにとっての《快楽》なんだ。そう催眠術に近い方法で教え込んだ。だから何を差しおいてでも睡眠に入る。ちょうど今みたいにな。何でそんなことをするのか、理由はお前にとっては簡単だろうが誤解を生まないためにためにも、しっかりと言葉にしておこう。それはな、目先の《快楽》に溺れ、休むことなく動き続けて衰弱死しないために、だ。それほどにこいつは死と隣り合わせに生きてる。それを理解した上で接しろよ。これは嘆願でも忠告でも無く一方的な命令だ。ん?話が逸れたな。そもそも私は何を説明していたんだったかな?あぁ、ありすのことだな。しかしながら、話して良いことは全部話してしまったわけなんだが、これ以上に私が説明すべきことがあるか?」
それは暗に、俺にもう何も聞くなと言っているようにしか、解釈できなかった。それ以外に理解の方向性が見当たらない。
俺としては現状が理解できただけでも満足だ。むしろ、過不足無いベストさ。
生い立ちとか、同情を誘うようなことを言われた日には吐き気がする。そんなことを言って、俺に一体何を求めていると、怒号を飛ばしそうになる。
実際そんなことを言う勇気なんて、俺には無いけどね。
そういう俺の感情を知っいるからこそ、青猫さんは説明しなかったのかもしれない。
それは俺の都合の良い取り方であって本当は、ありすの事を思いやっての事かも知れないし、ただ単に最後の命令を回りくどく言いたかっただけなのかもしれない。
一方的な会話が一段落つき、この無駄に暑い島の気候の中、クーラーもつけずにいる所為か、はたまた精神的なものが起因かは知らないが、喉がかわいてきた。青猫さんがいるので飲みづらいが、麦茶を飲ませてもらおう。どちらかと言えば俺は欲求には忠実な方だしね。
言わずもがな、あれだけ長いセリフを喋ったのだから、青猫さんも喉が渇くのは至極自然なことだ。青猫さんは立ち上がり、俺のものになるはずだった麦茶を掴むと腰に手を当てて飲み干した。
実に心地よい飲みっぷりだ。とられた俺の方も心地よくなる飲みっぷり。
「さぁ、とっと近所回りに行くぞ」
それだけ言うと、青猫さんは颯爽と白衣を翻し、外へ出ていった。
このときもまたポケットに手をつっこんでいた所為で、また靴が履きづらそうだったのは、愛嬌ではなく癖なんだろうね、きっと。
しかも、泣きっ面に蜂、弱り目に祟り目と言った具合にバランスを崩し、ドアに倒れかかって肩をぶつける始末。
なんというか、はっきり言って良いか迷うがあえて結論づけるとしたら、青猫さんは不幸にも先天的なドジなのかもしれない。
可愛らしいことに。本人のことを考えるなら可哀想か。
そんな中でも有栖ちゃんは眠ったまま起きることはなかった。しょうがないから置いて行くことにしよう。
未練なんて欠片もないんだけどね。
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