二章:心 47
「まぁ、冗談もほどほどにして、だ」
青猫さんは仕切り直しと言わんばかりに、咳払いをして腕を組んだ。
「実際、あり得ないことだな」
「何がです?」
「アルバイトのことさ」
少し話が前後した所為でわずかばかり混乱。
やはりコミュニケーション不足は否めないが、何とか返答した。
「別に不思議なことでもないじゃないですか。暇つぶしには丁度良いですよ」
「何を言っているんだ、貴様は」
青猫さんは大きな溜め息を吐く。
そうしていつもの説明口調とは違う、嫌味ったらしい語調で喋りだした。
「私が言っているのは、こころの方だ。この自意識過剰め」
絶対に誤解させようという言い回しをした張本人が何言いやがりますか、などと強気な発言が俺にできるはずもなく、粛粛と話を聞くばかりだ。
「こころは私の『患者』だ。何をするにせよ、私に報告し、許可を受けなければいけない」
「うけなければいけない、って……医者にそのレベルまで束縛できる権限は無いんじゃ?」
「ないな」
自信満々に断言した。
自信満々じゃない青猫さんも想像しがたいけどね。
青猫さんは饒舌に言葉を次いだ。
「だが、こころの場合、少し場合が特殊だ。貴様にも分かるだろう?こころの状態は特殊だということぐらい」
一応は分かっているつもりだ。
《同一性》による能力変化は自己暗示の類いとして、過去にも症例がある。
例えば、縛られるという虐待を受けて育った子供に《縄脱けの天才》という《同一性》が作られると言うように。
だが、数無さんの特殊な点はそこではない。
数無さんの《同一性》には、名前がない。
名前を当たり前にもっていては忘れがちだが、名前は個人を識別する上でかなりの重要な役割を持つ。
それはパソコンのデータ上の話ではなく、人が認識する上での話。
なのに、数無さんにはそれがない。
そこから考えれば、数無さんの特殊さは想像がつく。
つまり、根拠なく推測だけで話させてもらえば、おそらく数無さんは《同一性》同士を区別していない。
そういうことではないだろうか?
あの人は自分が多くの《同一性》を持ちながらも、自分が一つであると思っている。
それでは、意味がない。
そもそも《同一性》を作った意味がない。 殆ど感覚を共有していては、作ってもしょうがないのだ。
「特殊なだけに情報がない。故にこうしてデータをとろうとするのは至極自然なことだ。そうは思わないか?まぁ、貴様が同意しようがしまいが私には関係のないことだがな。これは会話の流れ上、慣例的に聞いただけだ。よもや自分が私に同意を求められるほど見識があるとは思っていまい?」
字面だけ見れば照れ隠しにも聞こえてくるから不思議だ。
真っ正面から言われた俺からしてみれば、これほど怖い文は無いけどね。
文章の裏に感情が隠されて無いしさ。
「でもやっぱり、それは数無さんが全て報告しなければならない理由にはなりませんよ。だって、それじゃあ……」
それから先の言葉は続けられなかった。
「おいおい、まさか可哀想、等と言うつもりじゃないだろうな?」
青猫さんは俺の背後で寝ている数無さんを一瞥し、俺に言った。
「それがなっているこの状況は言わば自業自得だ。幼少期に虐待されていたわけでもない。追い込まれていたわけでもない。普通に生活していたこいつが勝手に作り出しただけだ。一般と混同するな。迷惑だ。勿論一般患者が、だ」
「青猫さん、それって少なくとも医者の言うことじゃないですよね」
「あぁ、そうだな。だが、構わないさ」
青猫さんは俺に背を向けて流し目でそう言う。
何をしに来たかも告げずに青猫さんは立ち去ろうとしていた。
「こころが病気であることで誰も困らない。むしろ喜ばしいと思う人が大半だろう。なら必然治す必要もないと言うものだ。『患者』が居ても、『治療対象』がいないのでは何もしようがない」
数無さんは無表情に戻り、俺から目線をはずした。
「それにお前だって知っているだろう?」
数無さんは片手を軽く挙げて手を振りりながら歩き出す。
「私は『治さない医者』だ」
汚れのない白衣が風でふわりと舞った。
あまりにハマりすぎのその風体に、俺は口を挟む気さえおきない。
もともと言いたいような言葉なんて無いけどね。
「ああそうだ、貴様に一つ良いことを教えてやろう」
最初からそれが目的だったように、青猫さんはドアの向こうへ消える瞬間に淀みなく俺に告げた。
「こころ、起きてるぞ」
「へ?」
らしくもなく間抜けな声を漏らして振り替える。
皺も乱れも無い、一組の布団。
そこに横たわるのは一人の女性。
確りと目を見開いた小説家。
俺の背後で青猫さんが嫌らしい笑顔を浮かべているのが見なくても、手にとるように分かった。
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