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夏影
作:椎堂 真砂



二章:心 43


「書く人が、いない?」
 間抜けにも俺は鸚鵡返しにそう言ってしまった。
 でもそれほどに、俺の中で数無さんの言っていることは難解な言葉と認識されているということだ。
 こうして難解と理解できる程度に俺は冷静だし、数無さんの言葉も不可解ではない。
 俺の理解力がすこし足りず、数無さんの言葉も少し足りないだけ。
 それだけのこと。
 ただの言葉遊びの言い訳みたいな話だけどさ。
 ダイレクトに言ってしまえば、俺達二人がコミュニケーション能力不足という話でもある。
「いない」
 数無さんは俺の言葉をリピートしただけの質問に念を押すようにそう繰り返すだけだった。
 鸚鵡返しの質問には暗黙的に説明を更に要求するという意味も込められているということを知らないのだろうか、この人は。
 やはり、コミュニケーション不足。
 俺も人のこと言えないけどね。
 友達少ないさ、どーせ。
「出来れば更に説明をお願いしたいんですが」
 仕方ないので暗黙的な物を表に出すことにした。
「小説を、書く、人が、いない、って意味」
 …………。
 俺は日本語の理解力が足りていないと数無さんに思われているのだろうか?
 コミュニケーション能力不足なのは数無さんだけの気がする。
 そうであってほしい。
「小説を書く人がいないって、いるじゃないですか」
「…………君?」
「違います。あなたです。数無さんです。あなたの職業はなんですか……」
「えぬ、いー、いー、てぃー」
「…………好きなだけこの犯罪の起きなさそうな島で自宅を警備していてください。でも間違いなくあなたは小説家です」
 コミカルな会話はこれ程スムーズに行くのに普通の会話はうまく行かないのだろう?
 ワザとやっているとしか思えない。
 絶対ワザとそんなキャラクターを演じているに違いない。
 どうでもいいけどね、この際。
「もう一度言います。あなたは小説家です。小説家は小説を書く人です。ならあなたは小説を書く人です。故に小説を書く人はいます」
 数学の証明らしく言ってみた。
「…………」
 返ってきたのは沈黙と『WHY?』みたいな表情だった。
 この人は日本語が理解できているのだろうか?
 分かりやすくとはいかないが、少なくとも理解可能な範囲で話しているつもりの俺としては悲しい限り。
 悲しい事が悲しすぎて悲しい事この上ない悲しさだ。
 今回は上手く使えた気がする。
「私が、書けるのは、ファンタジー、だけ」
 俺に、そして数無さん自身に確認するように、数無さんは途切れ途切れにそう言った。
 そんな数無さんに俺も確かめるように言葉を選びながら喋る。
「数無さん――今の《同一性》の数無さんが全部書く必要はないじゃないですか。その為の、他の《同一性》でしょう?」
 数無さんが自分自身で言ったことだ。
 『人格があるからジャンルを分担しているんじゃない。ジャンルを分担するために人格を作ったんだ』
 集約するなら、そんなこと。
 『ジャンルを分担するために作った人格』だというのに、それを使わないなんて意味のない話だ。
 天才が才能を使わないようなもの。
 鬼才が普通になろうとするようなもの。
 歪な話だ。
 まったくもって解せない話だ。
 そんな可笑しな話も、数無さんの言葉で理解可能になるのだろうか?
「だから、いない」
 正直、こんな繰り返ししかしない数無さんに期待はできないんだけどね。
 でも再三言ってきた通り、俺の勘やら予想やらは外れるためにあるらしい。
「他の、人格なんて、いない」
 明確な回答。
「呼んでも、答えない」
 分かりやすい答え。
「人格が、変わらない」
 単純な話だ。
「他の、人格が、いなく、なっちゃった」
 推し図れる出来事だ。
 兆しのようなものは確かにあった。
 ただ、俺が気付けなかっただけ。
 俺が不甲斐ないばかりに分からなかっただけ。
 俺が数無さんの異変に気付いていれば何かが変わった、なんて自分を過大評価するつもりは更々ないが、やはり不甲斐ないことに違いない。
「ごめん」
 数無さんは謝った。
 気付けなかった俺に謝った。
「説明、下手な、私が、残って、ごめん」
 回避しようのなかった訳ではないんだろう。
 それでも俺は何の被害も被っていない。
 ただ数無さんの《同一性》の一つと会話を試みようとしていただけだ。
 楽しくもない。
 悲しくもない。
 ただの退屈な日常の一片を過ごしていただけだ。
 謝られる筋合いなんか、微塵もない。
「ごめん」
 それでも数無さんは謝った。
 淡白だった顔に笑顔を浮かべて、眠たげだった瞳に涙を浮かべて、謝罪らしくない謝罪をする。
 無意味で無意義で無駄で無用の謝罪をする。
 まるで別れの言葉のような。
 まるでお礼の言葉のような。
 倒錯的な謝罪を、俺にする。
 そして――


「私、私達、もう、小説、書けないや」


 泣き笑いを浮かべたまま、数無さんは糸の切れた人形のように倒れた。












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