二章:心 42
とりあえずの事ながら今日一日は数無さんの家にいることにした。
必然、泊まることになる。同じアパートの上に毎日来ている所為でそんな実感は毛頭ないのだが。
そして当然、一人暮らしの女性の家に布団が二組もあるはずがない。となれば俺は間違いなく、布団無しの睡眠となる。
干渉したことへの自業自得、か。
それぐらいなら、どうでも良いんだけどね。
气作さんの部屋で寝るよりか遥かにマシだ。下には下がいる。
そういえば气作さんはあれから捨ておいてしまったが、大丈夫だろうか?勿論、俺の部屋および物品への心配だ。
あんな人を心配するほど、俺は懷深くない。
心配するなら寧ろ、膝を抱えて目の前に座っている数無さんの方だ。
俺のことを引き留めて以来、一言も喋らないし、喋ろうともしない。
拒絶ともとれる反応。
引き留めた割にはあまりに無体な対応と言うものだ。
俺自身が数無さんと意思疎通を図ろうと努力しているかと言われれば、甚だ疑問を抱かざるをえないのだが。
「帰って良いですか?」
「だめ」
一応、返答はある。
即答だったことから考えて、別に呆けているわけではないようだ。
呆けてないからって、喋ってくれないと意味ないんだけどね、この状況。
そんな願いがちょうど届いたのか、たまたまそういうタイミングだったのか、と問われれば間違いなく後者なのだが、数無さんは漸く口を開いてくれた。
「昨日の、話……覚えてる?」
「どの話ですか?」
「私の、人格と、小説の、ジャンルの、話」
断片的な話し方。
それに加えて蚊の鳴くような声の所為で、聞き取りづらかったが何とか拾えた。
昨日の話。
数無さんの《同一性》と執筆の分担について。
『人格があるからジャンルを分担したんじゃない。分担するために人格を作ったんだ』だっけ?
一字一句正確と言うわけではないが、ニュアンスはそんな所だ。
覚えていたわけじゃない。
数無さんに言われれば忘れていた。
単純に思い出しただけだ。
でもここで忘れているなんて言ったら、また話が進まないので、覚えています、と言っておいた。
数無さんは錯覚と思わせるほど微かに怪訝そうな顔をしたが、数十秒間を空けて会話を再開した。
「その、ことに、ついて、説明が、ある」
俺は黙って頷き、数無さんの次の言葉を待つ。
「ごめん」
何度目かも分からない、意味も分からない謝罪。
「私、説明、下手」
単語文。助詞を補うまでもなく意味ぐらいは取れるが、印象はあまりよくない。
「説明下手なら変えれば良いじゃないですか、《同一性》を」
俺は当然の疑問を数無さんに問う。
数無さんは今まで何度も俺の前で自分の思うままに《同一性》を見せている。
変えれるなら変えればいい。
任せれるなら任せればいい。
得意な人に得意なことを、適材適所で。
ちょうど、小説のジャンルを分担みたいに。
その為につくった《同一性》なのだから。
「できない」
でも、数無さんは俺の考えとは全く異なる答えをしてきた。
「変われない」
数無さんはもう一度、俺の提案を否定した。
「それが、今日、話す、内容」
そう、数無さんはつけくわえた。
「と言うと?」
流石にそれだけでは意味が汲み取れず、俺は数無さんに聞き返す。
建設的な反応が帰ってくるとはとても思えなかったが、ここで聞き返しておかないと数分に渡る沈黙がやって来そうだった。
聞き返して仇になることも考えないでもなかったが、数無さんはちゃんとまごつきながらも話しだす。
「私、小説、書けない」
予想通りと言えば予想通りの反応。
数無さんの話した内容ではなく、いや、話した内容のことではあるが、そのものではなく、話の突飛さという点で。
「話の、作り方が、分からない」
「それはネタがない、という事ですか?」
俺の質問に数無さんは首を横に降って答えた。
俺はまるで柄にもなくカウンセラーにでもなったかのような気分だ。
青猫さんにそんなことを言ったら、思い上がるなと精神的攻撃を受けるのは必須なだけに、これは胸の内に秘めておこう。
「ネタは、ある。でも、書けない」
「どういう、意味ですか?」
「書き方が……分からない」
俺は思わず、言葉をつまらせてしまった。
今まで書けていたのに、書き方が分からない?
書き方が分からない、と言う言葉には文面通りに意味を取る以外に、上手く書けない、というニュアンスの取り方が出来る。
口下手なこの《同一性》が単純に紛らわしく言っただけかもしれない。
「スランプ、ですか?」
数無さんは再び首を横に振る。
身体で示されるはっきりとした否定。
「本当に、書けない」
一拍どころか十拍置いて、数無さんは言葉を次いだ。
「書く人が、いない」
はっきりと、声は小さいが滑舌よく、数無さんは明言した。
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