二章:心 40
俺は一階に降りてすぐのところにある数無さんの部屋に断りなく入った。
俺が鍵を閉めてないので、すんなり扉は開く。俺の鍵はなくなってしまったし、数無さんの部屋の鍵が次に閉じられるのは当分先だろう。
「数無さーん」
玄関で靴を脱いでから、呼び掛けてみたが返事がない。
散歩にでも出ているのかと思ったが、愛用のスニーカーは玄関に出しっぱなしなので家の中にはいるはずだ。
数無さんなら裸足で出掛けたと言う可能性が無きにしもあらずだが、かなり熱されたアスファルトの上を歩き回るとはやっぱり考えずらいので却下。
それに家の中を見てから探しに行っても遅くはないだろう。
家以外にいる場所と言えば涼むためにいく防波堤沿いか、食料を求めて冬山商店に行ったかのどちらかだ。そんなに手間にはならないだろう。
単純な行動範囲なものだ。
俺も他人のこと言えないけどね。
「数無さーん?」
僕は再度呼び掛けながら、部屋の奥へ侵入する。
最近は俺も掃除が手抜き気味だったので細かいところに埃が溜まっているのが見てとれた。气作さんの部屋と比べれば天国みたいなものだが。
料理の後に軽くでも掃除しようと考えながら、部屋の奥へ顔だけ覗かせる。
結論から言えば、数無さんは探す余地なんて欠片もなくすぐ見つかった。
探す手間が省けてよかったが、少し様子がおかしい。
何も無い部屋の角に膝をかかえて座り込み、上目使いでこちらをじっと眺めている。
睨んでいるようなことはない。
ただ、観察するように興味津々な相貌で俺のことを眺めている。
実験モルモットの気分。
誠に残念なことながらそんなものになりたいと言う欲望は皆無なので、俺は数無さんに話しかける。
「数無さん?」
「ごめん」
謝罪。
文脈も何もあったものじゃない、単なる謝罪の単語。
意味は汲み取れない。
そもそも何かを伝えようと思っているのかさえ分からない。
思い悩んでいる内に数無さんは顔を膝の間に納め、小さく丸くなっていた。
防御力が上がっていそうな体勢だ。
そう思ったので横から数無さんの肩を軽くつついてみる。
すると、ゆっくり体が斜めに傾き、終いには転けた。
「…………えっと」
「痛い」
防御力は皆無だった。
「あの、数無さん?」
「痛い」
数無さんはもう一度、そう繰り返す。
それでも数無さんは丸くなった体勢を崩そうとはせず、動こうとしない。
倒したのは俺なので、仕方なく屈んで数無さんを引っ張りもとの体勢に戻す。
脱力している所為か、起こすのは一苦労だった。
こんなのは初パターン。
また別の《同一性》だろうか?
なので勝手が分からず、いつもなら聞かないようなことをわざわざ聞いてみる。
屈んだまま視線を合わそうとしたが、数無さんは相変わらず膝に頬を埋めたまま、視線を合わせるようなことはなかった。
「今からご飯を作りますけど、食べますか?」
俺の言葉を聞いて、数無さんは顔をあげる。
そしてしばらく考えるように間をおいて、
「食べる」
と、呟いた。
それだけ聞ければ十分だ。
俺の仕事内容は、数無さんの世話であり、数無さんがそれを望むなら、料理するまで。
それが必要十分。
俺は膝を元のように伸ばすと振り返りもせずに台所へ入っていく。
台所の位置だと数無さんの場所は視認できないので、何をするか分からない分少し心配だが、そう言っていてはいつまで経っても何もできないし、俺は考えるのを止めた。
どうせ杞憂だろうしさ。
最近はほんの少しレパートリーも増えたので作る選択肢は増えたが、相手が初めての《同一性》なだし、ここは今のところ外していない炒飯にすることにした。
冷蔵庫を開けてみると肉の類いは皆無だったので、竹輪で代用。ご飯も冷凍しておいたやつがある。
野菜は入れても食べてくれないので、今日は入れずに具は卵と竹輪のみ。
カップラーメンばりのスピードで作り上げて皿にもる。
因みにカップラーメンは五分の奴で作る時間には水を沸かす時間を含む。
別に言ってみたのはいいが、思ったより時間がかかってしまったという言い訳じゃない。
断じて違う。
「数無さーん、出来ましたよー」
二人分の皿を持って振り替える。
振り替えったら視線があった。
いつの間にやら数無さんは台所が見える位置まで居住まいを変え、俺をみていたらしい。単純に振り向いた瞬間に視線があっただけで、台所にある別の何かを見ていただけかも知れない。
でも、いつの間にか音もなく移動しているのは確かなことだ。
どうでも良いんだけどね、そんなことさ。
数無さんは視線があったのを確認するとゆっくり視線を落とし、終いにはもとの小さく丸くなった体勢に戻った。
これはどうでもよくない。
別に防御力は高くならないが、精神的にコミュニケーションしづらい。
拒否反応なんだろうか?
精神的防御力が向上しているらしい。
「数無さん、どうぞ」
そんなことは気にせず、俺は数無さんの前に炒飯をおいた。
顔を膝のなかに埋めている数無さんはそれに気付いていないのか、ピクリとも動こうとせず、食べようとしない。
「数無さん?」
怪訝に思い名前を呼んだが返事はない。
そこでようやく俺はスプーンやらコップやらを用意していないことに気付いた。
見ていないのだから、それが食べない理由にはならないだろうが、食べようと思っても食べられないのは事実だ。
俺は自分の分も数無さんの分の隣におき、台所に戻る。台所にある棚からスプーンとコップを出し、冷蔵庫からお茶を出すとすぐに数無さんの方を向いた。
振り返ると数無さんがイスラム教に目覚めていた。
もしくはヒンズー教とか。
「あの……数無さん?」
思わず、声をかけるのを戸惑う。
数無さんは出来立てで熱いはずの炒飯を素手で食べている。
「あぐ、んぐ……がう」
右手を上手に使って炒飯を集めて掬い、暑さを感じさせない緩慢な動きで口へ運び、殆ど咀嚼もせずに飲み込む。
そして一コマ目へ、みたいな事務的食事。
味わっている雰囲気など匂わせもしない。
作り甲斐がない相手この上なかった。
仕事だからちゃんと作るけどね。
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