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夏影
作:椎堂 真砂



二章:心 38


 部屋を出て三歩で气作さんの部屋前へ。
 靴を穿く際に転けそうになったり、敷居につまずいて転けそうになったりと、途中、様々な困難に見舞われたがなんとか無事到着。
 ドアの前に立ち、自分の腰の辺りまで膝を折って屈む。
 气作さん曰く、鍵穴が潰されているとのことなので、実物はどんなものか見てみる。
「ん?」
 思わず声に出てしまった。
 俺が見る限り、不思議なことに鍵穴がつまっているような様子はない。痕跡さえも。
 となると气作さんの狂言か、はたまた今朝の内に誰かが直したかのどちらかだ。
 气作さんは真夜中に俺の部屋をノックしていた時間から逆算するに、气作さんが自室に戻ってきたのは相当夜遅く。ならば、暗い所為で入れられないと勘違いした、という推測も出来ない事はないが、それはいくらなんでも無いだろう。
 气作さんも流石にそこまでドジではない、と思いたい。
 ……後々、气作さんにつまっているかを確認したか聞いてみよう。
 そんな確率の低いような推測はおいといて、他の可能性を考える。
 まず、狂言説。
 气作さんは時折不可解な行動をとるが、流石に自分の身体をあそこまで衰弱するまで狂言を続けるとは思いづらい。
 次に、修理説。
 ドアの錆具合から考えると全部取り替えたとは、とても言えない。だからと言って詰まっているものを除く、という修理は割りと時間がかかるだろうし、一朝一夕でやってのけたとは考えにくい。
 第一、直す人間がいない。
 管理人はいないし。
 もう二ヶ月も管理してないなら管理人ではない気がする。会ったときには管理人から放浪者にクラスチェンジを薦めよう。
 今はいない人間の話は忘れよう。
 それならば、この問題の結論は……。
「俺にとってこの問題は迷宮入りかつどうでもいいことだ」
 鍵穴が直っているなら入れるしね。
 素人が推理の真似事をしても仕様がないのだ。
「…………おハロー」
「ん?おわっと!」
「……おwhat?」
「いや、それは絶対に無理矢理だろ、美作……」
 いつものように存在感を極めて希薄にして、美作が立っていた。
 いつも通りの真っ黒いレザー生地の衣装と、肌触りの良さそうな服が作れるのではないかと錯覚させる黒髪。
 いつも通りでないことと言えば、向こうから積極的に話しかけてきたことくらいだ。
 くらい、とは言っても初めてのことなんだけどね。
「お前、偽者かっ!?」
「…………」
「うがっ!」
 無言で脛を蹴られた。
 彼の猛者でも泣く急所なのだ。俺がないても問題ないよな……。
 泣かないけどね。
 俺は弁慶の我慢強さに勝利した。
「ところで美作、何か用か?」
「…………鍵」
 美作がぽつりと言葉を漏らす。
「鍵、直した」
 唐突な的はずれな報告に、俺は思わず美作に聞き返した。
「直したって……何を?」
「鍵」
「美作がか?」
 美作は何も言わずに首肯する。
「どうやって?」
「……交換して」
 美作は断片的にそんなことを言い、自分の部屋の方を指す。同時に首もそちらへ。
 俺も一緒に美作の白く長い指の先に視点を合わせて目を凝らす。
 遠くにあるので判別しづらいが、美作の部屋のドアノブの位置にはポッカリと穴が空いており、本来あるはずのドアノブは姿を消している。
「わざわざ自分のを外してまで取り替えたのか?」
 再び美作は頷く。
「えっと……何故?」
「…………外した奴は今……解体して直してる途中……」
 美作は俺の質問に返答すること無く、气作さんのドアノブの在処を教えてくれた。
 正直、どうでもいい。
「詰まっているのは多分……鍵の破片……。」
 美作には珍しく、というか普段から想像もつかないほど口数多い。
 そしてまだ、喋り続ける。
 続いたのはたった一言だけだったけどね。
「心当たり……無い?」
 ……………………あ。
「そんなのあるわけ無いじゃないかっ!そんな幼稚なことするわけないじゃないかっ!いくらなんでも俺を過小評価しすぎだ!」
「……………………そう」
 美作はこれでもかと言わんばかりにたっぷり間を置いてから、四度目の首を縦に振る簡素な反応。
「……それじゃ」
 美作はそれだけポツリと言うと踵を返し、自室へと引き返していった。
「……何だったんだ?」
 結局、美作は气作さんのドアノブについて報告しただけだった。
 それが用事だったのか?
 美作が言うには气作さんの部屋の鍵を直しているような口ぶりだったし、それをわざわざ中断してまでした美作の意図は分からない。
 そもそも、俺が部屋から出ていたのかも分からないのに。
 まぁ、あいつには分かっているのかもしれないけどね。
 意味不明なのもいつものことだしさ。
 考えても仕方ないだろう。
 俺には分かり様もないことだ。
 でもとりあえず、鍵も直っているらしいし、別に構わないか。
 俺は立ち上がると、確認の意味を込めてドアを引いた。
 俺の部屋と異なり、軽い手応えでドアノブは回り扉が開く。
 何というか、流石美作。
 ドアの整備まで完璧だ。
 というか、ドアノブを解体して直すってどんなハイスペックな奴なんだよ、美作。
 どうでも良いところでお前の不思議さ上がったぞ。
 そんな下らないことを考えながら气作さんの部屋を見て、硬直。
「きたねぇ……」
 思わず口から漏れるほどに。初めて数無さんの部屋を訪れたときと比較にならないほどに。
 まず空気からして埃っぽい。普通に呼吸しているだけでむせてしまいそうだ。それだけならまだしもよかったが、加えて腐ったものを混ぜ合わせたような異臭。鼻が痛い。
 あと菓子等のジャンクフード系の袋と、インスタント商品の空容器が山を作っている。数無さんのはまだ数えられる量だったが、この部屋のものは何個、というよりは何群って感じ。
 そして、その間を縫うようにして放られている女性誌等々の紙類。
 止めに長い間干していない所為か、黄ばんで寝転がりたくないような、万年床らしい布団。
 俺は思わず、扉を閉めた。
 耐えがたい。
 忍びがたい。
 あの光景は俺にとって毒過ぎる。今まで、俺の部屋に侵食してこなかったのを感謝したくなるほど。
 もうこの扉は二度と開きたくない。
 が、そういうわけには行かない。俺は部屋を開いた瞬間、とあるものを瞬間的に発見してしまった。
 自分の動体視力を呪うべきか誉めるべきかは分からないが、見つけてしまった以上、突入しなければ。
 不法侵入とか、そういうのは気にしない。あれが气作さんの部屋にある以上、气作さんが俺の部屋に一度不法侵入しているのは間違いないことなのだから。
「…………」
 それでも少しの間葛藤した後、ノブをつかんでドアを開く。
 開く同時に服の裾で口を覆う。
 時間を掛けたくないので土足で侵入。理由はそれだけでなく、異臭を放っている菓子袋を素足で踏みたくないというものもある。
 それでもなるべく部屋を汚さぬよう古い雑誌の上を転々と移動。帰りはこうは行かないだろうが、自業自得として許容してもら――
「おうっ!?」
 雑誌を上手く踏まなかった所為で、俺は盛大に転けた。空中で三回転しそうな程の勢いに感じたが、現実には重力やら空気抵抗などあるので半回転もせず尻餅をつく。
 尻餅をつく角度がおかしかった為か、腰が予想以上に痛む。
 が、こんなところで悠長に尻餅をついていることを周囲の環境への嫌悪が許さない。
 尻餅をついた地点に菓子袋がないのは不幸中の幸いだったが、転んだ拍子に何かつかんでしまったのは泣きっ面に蜂というやつだった。
 あまり見たいとは思わなかったが、一応確認のために目の前までもってくる。汚いものなら即刻放り投げよう。
「…………」
 气作さんの下着だった。
 もっと正確に言えばブラジャー。
 俺はそれを遠くへ放った。
 俺は無言で立ち上がり、再び裾を口につけて部屋の奥へと向かう。小さな部屋のその奥が果てなく遠くに思えてきた。
 気分は南極探険隊。
 もしくは雪山行軍。
 俺は一人かつ気温は高めなんだけどね。
 俺は懲りずにもう一度古雑誌の上を移動し始める。
 失敗は成功の母、というなら俺は転けないはずだ。俺にはトーマスさんがついて――
「ねぇ!?」
 俺はトーマスさんに見捨てられたらしい。
 反省点を活かしていないのだから当然と言えば当然なんだけど。
 そもそも反省なんかしてないしさ。
 俺は再び身体を起こし、今度は先ほどの反省を活かして普通に畳の上を歩くことにした。
 良く良く考えれば气作さんの部屋が今更多少汚れたところで大差ない。
 むしろ俺の靴裏の方が綺麗で掃除になっているくらいだ。
 俺はズカズカと無遠慮に部屋の奥へ押し入ると玄関から見て部屋の右奥、目的物の前までやってきた。
 苦労したかいがあったかなかったかと言われればあるのだけれど、差し引きの利益は本当に微々たるものだ。
 そんなこんなで元々俺のものであった、割りと高価な書き物机は無事、俺の手元に戻ってきた。












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