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夏影
作:椎堂 真砂



二章:心 36


「何してるんですか、そんなところで」
「……お前には色々あって速さが足りない」
「中途半端にしか知らないなら言わないで下さいよ」
 アパートの廊下に寝そべったまま、气作さんはそんな憎まれ口を叩いた。
 と言うわけで、招かれざる客と認識して扉を閉ざす。
「待てや、コラ……」
「ひぃっ!?」
 气作さんはホラー映画さながらにドアに手を挟んだ。なので俺もホラー映画さながらに、わざとらしく悲鳴をあげてみた。
「昨日の夜からずっと扉を叩いていたのに……六時間以上も無視しやがりましたね……」 六時間前と言えば真夜中だ。
 そんな時間に訪ねてきて、反応してもらおうなんてどんな神経してるんだ、この人は。
 自己中心的で図々しいにも程がある。
 まぁ、小説書いてたから気付いてたけどね。
「とりあえず中に入ってください」
 六時間も無視ったことに罪悪感を感じたので、今日は素直に气作さんを部屋へと招く。
「もうたてましぇん……」
 そんな風に言うので本当に蹴り飛ばしてやろうかと思ったが、顔まで突っ伏して手を上に伸ばしている姿があまりに哀れだったので、普通に手を掴んで引っ張り込む。
 錆びたろうかの上を引きずってしまったし、いつも着ているトレードマークらしきスーツは汚れてしまっただろう。下手をしたら破れたかもしれない。
 どうでも良いけどね。
 俺の服じゃないしさ。
 人形同然の气作さんを部屋の真ん中に捨て置き、見た限りかなり衰弱しているようだったので水を準備。ついでに汚れた身体やらを拭くために濡れタオルも。
 それを气作さんが寝返りをうっても倒れず、手が届くギリギリの位置にセット。そして俺はもう一度台所へ。
 あの様子だとある程度回復すれば食料を要求するだろうし、食べやすいお粥を作り始める。数無さんが熱でも出したときに面倒を見るのも職務内容の一つなので一応習得したが、まさか先に气作さんに振る舞うことになるとは思いもしなかった。
 役に立ったし別に良いけどね。
 不本意だが結果オーライってことで。
 炊飯器なんて高性能な家電製品は存在しないので、土鍋でついでに俺の分のブランチを用意しながら气作さんの元へ。
 气作さんは起きていないらしいので、とりあえず起こすことにした。
「おーい、气作さーん」
 气作さんの側に座り、气作さんを仰向けにすると頬を軽く叩きながら呼び掛けてみたが、反応が一切ない。
「おーい、イッキー!イックゥィー!」
 少し叩く力を強くし、呼び声を大きくしてみたがやはり無反応。
「早く起きないと犯しますよー?」
「…………」
 恥ずかしさを忍んで、反応しそうな言葉を選んでみたが反応無し。
 微かに眉が動いた気がしたが、反射活動だろう。
 と言うわけで、右を確認。左も確認。あと前後を確認。忘れずに上も。
「よし」
 俺は声を一つあげて気合いをいれてから、气作さんに手をかける。
 そして――
「せーの」
 气作さんをひっくり返した。
「こうしておけばその内起きるだろ」
「って、待て待て待て待てぃっ!ウェィィイトォッ!」
 その内と言わずすぐに起きた。
 や、分かってたけどね。
 ひっくり返したとき、やけにやりやすかったしさ。
「ちょっとちょっとちょっと!そっこまでやっておいてフェイントですか!?こんな離島にきてついに气作羽譚散る、的な展開が起きるかと思ってかなり焦りつつも若干嬉しい、みたいなことを考えた私の気持ちはどうなるんですかっ!?て言うか、逆玉は?逆玉要素は何処へっ!?」
「とりあえず气作さんの本音とか打算とか、そういった諸々の内容は聞き流しますから、そのマシンガントークを止めてください」
「あ、はい……」
 气作さんは急にしおらしくなると、近くにおいてあった水をイッキ飲みにし、濡れタオルで顔を拭った。
「それで、一体全体何があってあんな所でのたれ死んでたんですか?あなたの部屋は隣なんですからたどり着けないどころか、行きすぎちゃってますよ?」
「それが聞いてくださいよっ!酷い話なんですっ!」
 气作さんは水を飲んだ事で少し復活したらしく、拳を握り鼻息荒く事のあらましを語り始めた。
 本当に尋常ではない回復力の持ち主だ。
 それでもいつもより覇気は感じられなかったが。
「私は昨日、ちょっとばかし所用でとあるお家に招かれていたわけですよ」
「所用?」
「まぁ、社会人になると色々あるんですよ」
 气作さんは目に見えて分かるようにはぐらかし、話を続ける。
「そして疲れ果てて帰って来た夜、事件が起こりました。なんと残虐非道にも――」
「あ、ちょっと待ってください。お粥がそろそろ出来ますから」
「なっ――うぐっ!」
 実際はお粥が出来るまでまだ大分かかるだろうが、气作さんの息が荒くなってきたので会話を切る。
 普段なら文句の一つも飛んできそうだったが、食べ物がかかっているだけに空腹の气作さんは何も言ってこない。
 人間、欲求に従う素直さは大事だ。
 あと学習もね。
 气作さんに言った通り、お粥の様子を見に台所へ。ただ、气作さんから丸見えの台所で何もしていないと不自然なので野菜炒めを作りにかかる。
 あの様子なら容易く平らげるだろう。それが果たして身体的に良いことかは別として。
 でも間違えなく、俺の経済事情には悪いことだ。
 次の買い出しまでに食料が底をつくかもしれない。
 どうして俺のしようとしていることはままならないのだろうか。
 天邪鬼でもついてるのかもしれない。
 そんなことを考えている内に野菜炒めが先に完成。气作さんを空腹のまま待たせるのも悪くないが、騒がれては堪らないので箸と一緒に持っていく。
「お、待ってましたよ!」
「先に野菜炒め、食べていてください。お粥はもう少し時間がかかりそうですから」
「わっかりましたよ!」
 目を輝かせて返事したのを確認してから、床に置かれたままのコップとタオルを持って台所に戻る。
 せめて床ではなくテーブルに置いて欲しいものだ。おかげで床がコップに少し残っていた水で汚れてしまった。
 最初に置いたのは俺だけどね。
 台所に戻りお粥の様子を見てみると、程好い感じだったので蒸らしついでに冷ます。
 今のまま气作さんに出せば、熱くてひっくり返し、大惨事になりかねない。
「气作さん、もう少し待って下さいね」
「!?は、は、は、はいっ!」
「……どうかしたんですか?」
「何にもない!何にもない!まったく何にもない!」
 ほぼ間違えなく何かしでかした人のする反応を不思議に思いながら、鍋敷きを用意。
 鍋敷きに土鍋を乗せて、气作さんの元へ運ぶ。
 そこで俺は口をつぐまざるをえなかった。
「…………」
「あ、あの、これには日本海よりも深いわけがっ!」
「浅いですね。ところで气作さん」
「はひ!?」
「俺の作った野菜炒めは何処へ?」
「わ、私のお腹の中ですかね……?」
「…………」
「すいません。一つ残らず床の上です……」
 思わず口からため息が漏れた。
 この人、熱くなくてもひっくり返しやがった。
「どうしたんですか、一体?今までにない最大のポカじゃないですか」
 少なくとも、气作さんは食べ物を無駄にするような失敗は今まで一度もなかった。
 それが今日になっていきなりこれだ。驚かない方が無理というものだ。
「いやー、ちょっと……」
 气作さんはバツが悪そうに顔を伏せると、小さな声で白状し始めた。
「自分でもびっくりしてるんです。思いの外大丈夫だと思ってたんですけど、水を飲んだら安心しちゃって……。手が震えて物が上手く掴めないんです」
 たはは、と气作さんは申し訳なさそうに笑う。
 そんな气作さんの姿を見て、俺はもう一度ため息をついた。
「气作さん」
「……はい」
「そういうことはもっと早く言って欲しかったです。対策のしようもありますから」
「……はい」
 それに今回は俺が気付けなかったという落ち度もある。
 いくら气作さんが活力満ち溢れる女性だからといって、倒れるくらい衰弱していればこういうことくらい察せた筈だ。
「蓮華は使えますか?」
「いえ、ちょっと辛いかもしれません……」
「わかりました。ちょっと待ってて下さい」
 俺はダンボール机の上にお粥をのせて、ひっくり返された野菜炒めを乗せ直して台所に撤収した。
 流しに野菜炒めを皿ごと置き、すぐに踵を返して俺用に作っておいたお粥と蓮華を持って气作さんの元へ。
「吐き気はありますか?」
「ありません」
「食欲は?」
「一応あります。食べたいんですけど、体が自由に動かないんです」
 変だった。
 こういう場合、内側、特に消化器系は衰弱しやすいのだが、气作さんにはその気が見られない。
 何か特殊な衰弱の仕方をしたのだろうか?
 医者じゃない俺には分からない。
 あ、そういえば一階に医者がいた。精神科医だが、こういうことも見れたはずだ。
「それなら大丈夫だと思います。とりあえずこの後、ちゃんと青猫さんに見てもらってくださいね」
「はい……。でも、この後って何です?」
「俺が食べさせますから」
「……はい?」
「だから、俺が气作さんにお粥を食べさせてあげますから、回復したら自分で青猫さんに見てもらって下さい、と言ってるんです」
「うぇっ!?」
 气作さんは俺の提案に奇声をあげた。
 ナイスリアクション。
 じゃなくて、過剰反応にも程がある。他人に食べさせてもらうくらいで、声を張り上げないでほしい。うるさいしさ。
「それはもしかしてあの殿下の宝刀『口開けて。はい、あ〜ん。……顔赤らめないでよっ!こっちだって恥ずかしいんだからねっ!』ですかっ!?そうなんですかっ!?はっ!?まさか……ま、さ、かっ!?口移――ぐぇっへっ!」
「气作さん、馬鹿ですか?」
「疲れた口で頑張った必死の照れ隠しを一言で切り捨てないで下さい……」
「口開けて。はい、あ〜ん。……顔赤らめないでよっ!こっちだって恥ずかしいんだからねっ!」
「なんですと――っ!?」
 そんな風に气作さんをからかいながら、气作さんにお粥一杯を食べさせ終わった頃にはとっくに二時を回っていた。
 結局、食事はいつもの量に収まった。
 俺の昼食は抜きになったけどね。












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