二章:心 34
「まず……私の≪同一性≫を如何様な物と認識している?」
拳骨を俺の頭にしてから数分経って、数無さんは厳かに話の口火を切った。
「そうですね……」
数無さんの真剣な態度に、少し考えるようにしてから俺は答えた。
「さっぱり分かりません」
「挑発と取って問題ないかな?」
「……すいません」
いまいち、シリアスな雰囲気に乗れない俺だった。
当然のようにもう一発、拳骨が落ちて来たのは言うまでもない。
「ん、うん!」
わざとらしく大きく咳払いをし、数無さんは仕切り直しにもう一度同じ質問をした。
「私の≪同一性≫を如何様な物と認識している?」
一字一句間違えずに。
もう少しその能力を他の所に使ってもらえないだろうか。周りへの気配りとか、演技とか。
使ってる能力は全然違うけどね。
「別に冗談を言ってるわけじゃないですよ。≪同一性≫は数無さんの性格ぐらいにしか思っていませんよ。それ以外には何とも認識していません」
「……そうですか」
わずかばかり残念そうにしてから、数無さんはすぐ淡白な表情に戻った。
「真実に漸近した回答を頂けると予測していたが……期待はずれか」
「何度も言いますけど、人を過大評価しすぎなんですよ、数無さんは。俺は飽くまで普通のティーンエイジャーです」
「ふん、そうか」
不機嫌そうに言うと背を向けて、背後にある椅子に腰かけた。
「まぁ、告白すると言った以上、全て明白にしよう。認識していないのなら、微細に説明しなければならないか。とは言っても、単純な事実だが」
「別に深入りするつもりはないですから、そんなに詳しく話さなくても構いませんよ。認識力は低いですから」
「そう卑下するな。それとも器量が狭いのか?」
「別にそんなつもりはないですよ……。それに狭いのは度量だと思いますけど?初めて聞きましたよ、器量が狭いなんて。どんな状態ですか……」
「いちいち煩瑣な奴だな」
「煩瑣なんて言葉を知る前に、度量という言葉を知ってください。
「それに単純な話だ。全て聞くがいいさ」
「あなたは聞いてほしくないんですか?それとも聞いてほしいんですか?」
「別にどちらでも……」
フンと鼻息を経て、数無さんはそっぽを向く。
「じゃあ、帰らせてもらいます。聞きたくないですし」
数無さんの許しも貰ったことだし、帰ることにしよう。
毎度のことながら、数無さんが何をしたいのか測りかねるし、もう少し見計らってからでもいいだろう。
それに、小説の方も全く進んでないし、早いうちに書き始めないと間に合わない。
理不尽なこの人に言い訳は通用しないしね。
原因がこの人なだけにさ。
俺が背を向けて部屋を去ろうとすると、数無さんがいつの間にか立ち上がり、俺の肩をがっちりと掴んでいた。
さっき座ったばかりなのにもう立つなんて、本当にこの人が何をしたいのかさっぱりだ。もう少し一貫性がほしい。
ここの住人はそんな人ばっかりだけど。
「私は別にどちらでもいいんだぞ?」
「だったら話さないでください」
「あぁ、離さない」
「…………。帰りたいんですけど」
「帰りたいなら仕方ないな。離すなと懇願された以上、私共々密着して帰宅せねばな」
「勝手に脳内で誤植しないでください」
「何のことやらな」
「離してください」
「あぁ、話してやる」
「…………」
「…………」
「わざとですか?」
「小説家の技とです」
…………駄目だ。
この人に日本語は通じない。
どう言い方を変えたって無駄だ。小説家の技というか、子供じみたへ理屈で返されるに違いない。
ついでに言っておけば、こんな中途半端に手腕を発揮されても、ただ数無さんの正体が疑わしくなるだけだ。
「ちなみに某芸人風だ」
しかもなんでこの人は素直に肥筑方言と言えないのだろうか。
第一、古すぎる。
混乱が混乱しすぎて混乱する事この上ない混乱具合だ。
「はぁ」
俺は一度ため息をこれ見よがしに吐いてから、数無さんの手を払うように強めに振り返ると、数無さんの脇を抜けて畳に腰をおろした。
ためしに英語か何かで帰ると言おうかと思ったが、普通にわからないと返されそうで不毛と判断。
英語なんて話せないけどね。
「話、聞きますから、話してください」
「あぁ、喜んで」
ようやく意思の疎通が成功したところで、数無さんは席に戻る。
この人の言動はもはや、素直とかそういう問題の話ではなく、他人を意図的に揶揄しているようにしか思えない。
それに付き合うのも給料のうちか。
むしろ最近、それが主な業務になってきている気がする。
気のせい、だったらよかったんだけどね。
どうでもいいけどさ。
「以前、説明したと記憶があるが……私は人格によって、小説の種類を分担していると告白したな」
「えぇ、一応記憶には残っています」
本当に一応。
詳しくは覚えていない。
聞いて覚えていることと言えば、あの傍若無人な≪同一性≫がコメディーを、あの慇懃無礼な≪同一性≫が純文学を、あの奸佞邪智な≪同一性≫が推理を、あの薄志弱行な≪同一性≫が詩集を、それぞれ担っているということ。
あとは……あ、恋愛、時代、ホラーの担当がいないこと。
それくらいだ。
本当にそれしか覚えていない。
他にいろいろ説明されたのかもしれないが忘れた。たぶん覚えていたくなかったんだろうね、当時の俺は。
そうとでも思わないとまた、俺の海馬はスポンジ化しているという議論に行きついてしまう。これ以上自虐はしたくない。
面倒だしね。
「それなら、貴方は何を担当しているんですか?」
「私はSFだ。……意外か?」
「ウワー、全然性格ニ合ッテマセンヨー」
面倒なのでテンプレで返させてもらった。
「あぁ、その通りだ」
いつもなら、きつい一発が返ってくるところ。
でも、帰って来たのは、俺の心を見透かしたような、俺の心を理解したような、そんな澄ました顔と声。
いつになく真剣で、いつになくこの≪同一性≫の雰囲気に合った態度。
「私がSF小説を執筆し始めたのは、二者択一だったからだ。だから私はSF小説を選んだ。その選択は彼女を見る限り、正解だったみたいだったが」
「彼女?」
「あぁ、私の次に出来た、数無こころ最後の人格――推理小説担当の彼女だ」
この人は自分の≪同一性≫をまるで他人でも指すかのように三人称で言い表すので判断しがたい。
まるで中学生の訳した英文でも聞かされている気分だ。
そんなことはどうでもいい。毎度のことだ。
今疑問に思うべきことは――
「数無さん、お腹空きません?」
「『数無さん、叩いてください』と言ったのか?」
「……すいません」
ついいつもの癖で聞いてしまった。
これ以上やると本当に身を滅ぼす。
止めないけどね。
「最後の人格ってことは……えーっと、順番、覚えてるんですか?」
「勿論。私は記憶力には自信がある方だ。最も、記憶などしなくても、すぐに判別できてしまうが」
「できれば、教えてもらえませんか?」
「不要だが、いいだろう。とはいっても――」
数無さんは一つ思い悩むよう天を仰ぎ、顎をもむ。
「私の人格に、固有の呼称はない。故に、伝達は難儀だ」
「そうですか」
「それでも、説明するとなれば……」
数無さんは首をかしげ、首をポキリと鳴らし緊張感を消してから言う。
「数無こころが執筆した最初の九作の担当者、それが人格形成された順番だ」
一文で済んだ。
全然難儀じゃない。
順番を覚えてないから伝わってないけどさ。
帰ったら確認してみよう。部屋にまだあの紙が残っていればの話だが。
「さて、そろそろ本題を話題にしても問題ないかな?強ち、今までの雑談も的外れというわけでもなかったんだが、このままでは最後にいつまでたっても行きつかない」
「あ、はい」
いい加減話が逸れ過ぎた所為で、数無さんが痺れを切らしたかのように話を戻した。
「そもそも、人格がなぜジャンルによって分類したのだと思う?」
「そんなの、分かるはずないじゃないですか。俺は貴方ではありません」
「そこを推測し合うのが人間関係だと思うのだが。まぁ、構わない。回答を聞いていてはまた話が逸れる」
じゃあ最初から聞くんじゃねぇよ、という言葉は胸に閉まっておくことにした。
「私が言ってきたことは、実を言うと、すべて逆のことだ」
「はい?」
意味がわからない。
「だから、私が言って来た、人格で執筆小説の種類を変えている、というのは語弊がある、と言っているんだ」
「変わってるじゃないですか!めちゃめちゃニュアンスが弱くなってますよ!」
「気にするな」
というか、まったく違うことを言われていながら、正確な回答が出来ていないと俺はずっと罵られてきたのか……。
それで、正解できるなんて、俺にどんな高スペックを期待していたんだ、数無さんは。というか、小説家なら小説家らしく、ウソもホントも言わない微妙なニュアンスではぐらかしておくとか出来なかったものだろうか。
俺が今までに受けていた屈辱、というほど傷ついていはいないが、今までの事を思い出しながらうなだれていると、数無さんが飄々と続けた。
「それに、意味を変えたつもりはない。たとえ意味をどう言っても、中身は変わらない。なぜなら――」
「バラはどこまでいってもバラだ、ですか?」
「む、よく知っていたな。あんな古い映画」
「別に、映画を見たわけじゃないですよ。偉人伝で少し見ただけです」
「なんだ、にわか知識か。所詮そんなものか」
「知ってただけで十分だと思ってください」
「中途半端に知られていた所為で、決め台詞が言えなかったんだ。普通起こるところだぞ?」
「左様ですか……」
俺は再度肩を落として項垂れながら、ため息を吐く。
「で、正確な回答ってやつは何なんですか?」
「あぁ、そうだな。いい加減引っ張りすぎたな」
「別にいいです。待ってなんていませんでしたから」
「そう言うな」
俺の皮肉に、数無さんは見下したような不敵な笑みを浮かべて答える。
「私は人格で分担していたんではない。分担するために人格を作ったんだ」
「あー、はいはい、そうですか」
俺は興味なさげに、数無さんをあしらった。
「な……に……?」
せっかく、驚愕の告白っぽく言った自分の秘密を、こうも適当にあしらわれたのが信じられないのか、数無さんは驚愕したように、目を見開く。
「感想は……それだけ、か?」
「えぇ、そうです。他には何もありません」
俺は、数無さんが絞り出したように出したその言葉に対し、冷たく即答した。自分でも分かるくらいに、無関心に。
「何度も言っているはずです。俺は数無さんをどうこうするつもりはありません。数無さんがどういう理由で人格をどうこうしたかなんて、俺には全く関係のないことです。だから、俺は何も言いません」
そして一言、付け加えるように、何も思うところはありません、と冷たく付け足した。
だって、馬鹿げている。
誰だって、そう思う。
何せこの人が言っていることはすなわち、自分の脳を自分の意思でいじくって、自分の中に自分を作り出した、そう言うことだ。
そんなことが可能なはずがない。
信じられるはずがない。
詳しい経緯を知らない以上、数無さんの言葉を信じる必要はない。
当たり前のことだ。
それに、数無さんの言っていることには、矛盾が多すぎる。
それなら、少し前のセリフを嘘と思うのが当然のことだ。でなければ、何か隠している。
そこまで探る気はないけどね。
そんな心境のまま、俺が無関心に数無さんを見ていると、数無さんの口がゆっくりと開かれた。
その口から紡がれた言葉は、怒りでも、悲しみでも、焦りでも、苛立ちでもなく、
「そうか。これで話したいことはすべてだ。帰っても構わないぞ」
すべてを見透かしたようで、何も見透かしていないような、会話の締めくくりだった。
そして、付け加えるように、ぽつりと呟いた。
「ただ、夕食は作って置いて帰ってくれ。餓死してしまうからな」
「……はい、わかりました」
「ありがとう。これからも頼むよ」
俺は当たり前のように返事をし、当たり前のようにチャーハンを作って、また明日と挨拶をしてから数無さんの部屋を後にした。 |