二章:心 25
「でも、あぐ、貴方の名前が、はぐ、明木っていうなんて、むぐ、知りませんでした、んぐ」
「食べるだけにして喋らないで下さい」
「選択肢ぐらい下さいよ」
差し向かいで座っているスーツ姿の气作さんは、早々にチャーハンを食べ終えてスプーンを置いた。
气作さんは俺が小説を書き始めて十分後くらいにはもう背後に居たらしく、かれこれ四十分ほど後ろから覗き見られていたらしい。
それから昼食の準備がてら、小説の方針をあれこれ尋ねられ、いろいろアドバイスなんかも貰ったりした。
意外に气作さんは面倒見が良いことが分かったが、正直、面白く書くわけにはいかない俺にとってはありがた迷惑というか、心苦しいことこの上ない。
そして現在食事中、細かい批判と揶揄の時間になっていた。
「苗字が明木だとは分かりましたけど、下の名前はなんていうんですか?」
「さぁ?忘れました」
「さぁ、って……。私小説って事は自分の名前じゃないですか。まさか、学校でも偽名使ってたんですか!?」
「えぇ、まぁ、そうですけど……」
実際は憶えてるけどね。
一番多く使ってた偽名だしさ。
青猫さんなんかには知られてないけど、知られたら忍び笑いされそうだ。あの人、俺の本名を知ってるから、偽名の由来がすぐに分かるだろうし。
「あなた、最低ですね」
「えぇ、まぁ、そうですね」
「あ、あれ?なんか今日やる気なくありません?いつもならもっと罵詈雑言を飛ばすじゃないですか」
「言われたかったんですか、罵詈雑言を」
俺は皿に残った最後の一口を口に運んで、飲み込みもしないまま二人分の食器を持って台所へ。气作さんなんか気にしていても仕方ないので、そのまま洗いにかかる。
气作さんはと言えば、手伝う気配もなく、ちゃぶ台に突っ伏していた。
女性だから家事をしろ、みたいな古式ゆかしいことをいうつもりはさらさらないが、少しぐらいできないと独り身としてはマズくないだろうか?
「そういえば、なんで今日はこっちで昼御飯を?いつもは数無さんのところで頑張るか、俺に作らせるじゃないですか」
「いやー、それは……」
語尾を濁し、顔を伏せたまま目を泳がせる气作さん。
どうやら、言いにくいことらしい。
「実を言うと……追い出されちゃいまして……」
「は?」
「だから!数無さんの部屋から!追い出されたんです!」
いきなり机を思い切り叩き、拳を突き上げながら气作さんが復活した。相当のストレスだったらしい。
それだけならいつも通り、騒がしいの一言で済んだんだが、今日はそれだけとはいかなかった。
「わきゃ!?」
バキッ、という爽快な音と共に机の脚が折れた。
いくら气作さんの力が強いとはいえ、成人女性が叩いたくらいで壊れるはずはないんだが……。机の足が腐っていたのかもしれない。
「いったー……!」
叩いた勢いそのままに、机に頭を打った气作さん。
不幸が重なる人だった。
「この腐れ机が!」
气作さんは頭を左手で抑えた体勢のまま、右手で傾いた机を思いっきり叩く。
いくら壊れてるとはいっても、そう何度も叩かないでほしいんだけど。
「いったー……!」
相当力を入れていたのか、右手をかかげてプラプラさせている。
ただのアホの人だった。
もしくはバチ。
そんな光景を背にして食器を洗っていた俺は、それを適当に切り上げ、乾燥棚に食器を移すことなく气作さんのもとに駆け寄る。
「あーあ、これは酷いですね」
「私としたことがぁ……」
「これはもう直らないですね」
「そんなに!?」
「買い直すまでどうしよ……」
「机のことかよ!どうせそんなことだろう思いましたけどね!」
お約束のやり取りをしてみた。
气作さんは乗れるくらいには大丈夫みたいだし、放っておこう。
言葉どおり、本当に問題なのはちゃぶ台のほうだ。執筆作業はおろか、食事でさえも危うい。
床に寝そべってしまえば何の問題もないのだが、それは人間として勘弁したい。行儀も悪いし。
この程度のことで数無さんが諦めてるくれるとは思えないが、どうしたものか。
「って、本気で気遣いの言葉もなく無視なんですね」
「あ、气作さん、机の修理代のことなんですけど……」
「いや、気遣いなんて無用です!私のことなんて無視しちゃってください!」
「払う気ないんですね。別にいいですけど」
元から期待しちゃいなかったしさ。
「その代わりといってはアレですけど、机の変わりになるものありません?」
「か、代わりですか?みかん箱ぐらいしか……」
「何でみかん限定なんですか。普通にダンボールって言いましょうよ」
ダンボールを机の代わりにって、俺は一時代前の苦学生かよ。
でもとりあえずながら、贅沢を言わなければどうにか食事や執筆活動ができることは判明。
ちゃんとした机が使えるかは明日辺り、美作や左に借りれるものはないか聞いてみよう。
だが、この傾いた机ではいくら何でも執筆作業は難しい。それこそダンボールのほうがマシ。執筆は明日に延期して、机を手に入れてから続きを書くことにしよう。
どうせ、二時間も三時間も連続してかけるほど、こと細かく憶えているわけではないし、今日は思い出すことに専念すればいいだけの話か。
「气作さん、退いてください。机、片しますから」
「あ、はい。すいません」
痛みなど垣間見せずにすぐに气作さん。
多少なりとも罪悪感はあるんだろう。その罪悪感で机が直せたらどれだけいいことか。
何にせよ、この破壊された机を部屋の真中にオブジェとして置いておくわけにもいかないので、隅のほうに持っていく。
「にしても綺麗に壊れましたね……」
「ですね……」
壊れた机のあった場所を見て二人してぼやく。机本体と折れた脚以外には木片一つないその場所。
ここまで綺麗に真っ二つになるとは、もう何者かに呪われてるとしか思えない。
オカルトなんて信じてないけどね。
「で、これからどうするんですか?執筆。作れ壊れちゃいましたけど」
「壊した本人に言われるとは思いもしなかったですよ。思慮深いお気遣いどうも」
「いえいえ、こちらこそ……えへへ」
別に褒めてないけど。ポジティブに取り過ぎだ。
この人もきっと、おだてれば木に登ったり、空を飛んだりするタイプの人だ。
どっちも諺じゃなく、囃言葉みたいなものだけどね。
「それにしても、あなたが私小説で、しかも学園モノですかー。意外と青春をエンジョイしてたんですね。全く想像できません」
「確かに他人よりは刺激的だった自覚はありますけど、たった一年です。そんなエンジョイしてませんよ」
エンジョイって……、もっとマシな日本語はなかったものだろうか。
「グダグダの三年より、刺激的な一年の方がいいって皆言いますけど?」
「それは無いものねだりって奴です。俺は刺激的な三年があのまま続くのは嫌でした」
「そういうものですか?」
「そういうものですよ」
气作さんは理解しがたそうに腕を組んで考え込んでしまった。
この適当なやり取りを真剣に悩むことが、俺には理解しがたいけどね。
气作さんに何時までもここで悩まれても困るので、今度は俺から質問することにする。
「じゃあ、气作さん。あなたはどうなんですか?」
「どう、って何がです?」
「青春ですよ、青春です。真っ青でしたか?」
「真っ青って聞かれるとなんだかヤですね……。トラウマばっかりみたいです」
いつもの調子でおどける气作さん。
「で、青春してました?」
「そんなの……灰色に決まってるじゃないですか!コンチクショー!」
そして、いつものように爆発する。
ワンパターンな人だった。いい加減飽きてくる。
「なーんて、言うと思いましたか?」
と思ったら、不敵な笑みをする气作さん。
「は?」
「嘗めてもらっては困るのだよ、この偽名製造機め!私は高校三年間、刺激的に送ってましたね!そしてグダグダの三年間なんて欲しいと思ったことなんてありませんね!」
自信があるときはとことん強気に。とことん無残な死に方をする雑魚キャラのような人だ。
「今回は特別です」
胸を張って、鼻を鳴らし、得意げに、气作さんは喋りだす。
「私の青春時代の話をしてあげようじゃありませんか」
「聞きたくありませんよ、別に」
「聞いてくださいよぉ」
「絶対美化されてますし」
「ありのままを話しますからぁ」
「昔の話で価値観が違いすぎます」
「ぞんな昔の話じゃねぇよ!」
終いには本気で怒り出す气作さん。格好がつかないのか、低い声で唸っている。
それでも話すのが气作さんなんだけどね。 |