二章:心 24
翌日から、俺の意味も必要もない執筆活動が始まった。
とは言っても、実際に書き始めたわけじゃない。内容はおろか、ジャンルさえも決まっていないのに筆が取れるほど、俺は勇敢ではないのだ。
でも、とりあえずの目標は立っている。
面白くもなく、つまらなくもない、短い話を書くこと。
優先順位としては面白くないことが一番で、残りの二つは同率二位。
狙って面白いことを書くよりは簡単だろうが、狙って面白くないことを書いていると匂わせないのは難しい。が、俺はそれをしなければならないのだ。
面白い小説を書くことは家出の終了に直結しているし、真面目に書いて失敗したと感じさせるのがベスト。
残り二つはオマケみたいなもので、つまらなくないのは読まれて恥ずかしくないため、短いのは時間がないため。
いつまでも条件を考えていても終らないので、俺は内容の思案に入った。
思いつくジャンルを列挙すると……純文学、時代、ファンタジー、ホラー、詩、コメディー、恋愛、SF、ミステリ、くらいか。
数無さんの初期九作のジャンルを挙げただけだけどね。
ここからは消去法。
まず時代は却下。色々調べるのに時間がかかりすぎる。
詩、恋愛は上手く書けたら書けたで恥ずかしいし、失敗したらもう島にいれそうにないのでパス。
ミステリは正直、思いつくようなトリックがない。
ホラーはあまり他人が怖いこととか分からないし、辞めておこう。
コメディーは面白くないイコールつまらないみたいな偏見じみたものがあるので、中途半端なのが書きづらいのでなるべく手を出したくない。補欠案としておこう。
ファンタジーは……元からなかったことで。削除。
となると残りは純文学か。一番無難な案かもしれない。
私小説ならネタには困らないし、そう面白くもならないだろう。この年で私小説になるような経験をいくつかしているのが悲しくはあったが、気にしないでおくことにした。
『本邸』やら『別邸』、家族や俺自身の人間関係はぼかし、必要最低限の人間を出演させれば問題ないか。
なら、誰とのことを書こう?
俺を含めて出演人数が二人で済む人物が、考えるまでもなく二人ばかり思い浮かんだ。しかし、こればかりは避けなければならない二人だ。特に、内一人は。
如月文子と――『妹』。
『妹』は家族で、文子さんの話はオチがないし、アレは自虐ネタだ。
となると……誰かいただろうか?
ネタはあるが出せないようなものばかりだ。主に『本邸』及び『別邸』の所為で。
普通の友達がいない俺だった。
『本邸』の関係が及ばない範囲で私小説になる思い出、か。
となるとやはり、学校の話になるか。それならそう人間関係を気にする必要はない。
ジャンルは学園モノに変わってしまいそうだが、決められていたわけでもないし構わないだろう。
去年――文子さんによって、俺が今の性格にようやく統制が取れ始めた高校入学時期の話だ。
一年前だけど、懐かしい話。
思い出したのは多分、この前とどいた大量の原稿用紙の所為だ。
これは少し恥ずかしい、若気の至りで暴走しかけた、『俺』と『京』の短い短い思い出話。
* * *
彼女のことが俺の耳に届いたのは、四月から六月に起こったちょっとした失敗で、一年生にして生徒会長に祭り上げられたばかりの七月の初めだった。
ちなみに、期末テスト前日でもある。
どうでも良いんだけどね。
今から足掻いたってどうにもならないしさ。
テスト前日ということもあって誰もいない生徒会室から出ていくため、俺専用の椅子(教室にあるやつとまったく同じだが)を鞄を持って立ち上がった。少し時間にしては早いが、構わないだろう。
それとタイミングをピタリと会わせるようにして、引き戸がゆっくりと開き、一人の女性が入って来た。
「おや?」
顔を見るなり首をかしげられてしまった。
平均より少し上ぐらいの容姿だと自負している俺としては微妙に傷つく反応だ。
俺の顔はそんなに不思議な造形をしているのだろうか?
「これはこれは生徒会長殿。今日という日に君に出会えたことを、私は私自身に感謝するよ」
「せめて感謝するなら、神仏辺りにしておけよ。どんな恐れ知らずだ。他人への思いやりを持て」
「酷い言われようだね。君がそこまでいうなら、私自身を仏に置換させてもらうよ」
「あえて、神は使わず、語呂が悪い方に走るのな」
「ちなみに仏はフランスのことだよ。トリコロール万歳、さ」
「…………」
「…………」
「…………」
「とりあえず、こんにちは、明木君」
「はいどうもこんにちは、向日さん」
挨拶に辿り着くまでがいつもながら長い向日さんだった。
フレームのない楕円形のレンズをした眼鏡を左手人差し指で直し、右手で長くて少し質の悪い黒髪をかきあげて格好を正すのを待ってから、俺は向日さんに話しかける。
向日さんはそういうことに拘る人なのだ。
補足、正した格好というのは腕を組んで、右手で顎を揉むようなポーズだ。よく漫画なんかに出てくる探偵がするアレ。
様になってないからムカつく。
様になっててもムカつくけどね。
「それで、生徒会室に何の用事だ?」
「ん?気になるのかい?君に気にかけてもらえるなんて、私は今、ようやく一人前の女性になった気分だよ」
「そんなこといっている時点で半人前な。忙しいから、漫才しに来たなら他を当たってくれ」
適当にあしらい、向日さんへ、いや、ドアへと近づく。
別に忙しいわけではなかったが、用事があったので早く帰りたかった。
「待ってくれ。君にわざわざ会いに来たんだから、聞くだけ聞いてくれ」
「お前、俺が部屋にいるの見て、インタロゲーションマーク浮かべまくってただろうが」
「インタロゲーションマーク?何だい、その今にも魔法が飛び出しそうな言葉は」
「疑問符のことだよ」
「あぁ、はてなマークのことか」
納得納得……、としきりに向日さんは頷いていた。
思えば感嘆符も知らないような人間が知るはずのない言葉だ。もう少し考えて喋ろう。
「で、私がそのイントロケージョンマークを浮かべてた理由だが……」
「それこそ呪文だな」
ふん、と鼻を一つ鳴らし、いつも通りの演技がかった口調で喋る向日さん。
「こんな時間から君が生徒会室から帰ろうとしているからさ」
「別にテスト前日だから構わないだろ。クラブもないし問題ない」
「むしろテスト前日だから、頭の良い君は帰るべきじゃないのだよ。それに君はいつもそんなことは関係なく、ずっとここに残ってるじゃないか。それこそ閉門まで」
「残っているのは生徒会の関係」
「うちの生徒会がそんなに忙しいはずないじゃないか」
失礼なことを言う向日さん。
事実なだけに返す言葉がない。
「まぁ、そんなことはどうでも良いとして、だ」
「あぁ、どうでも良いな。重要なのは何でお前が言うように、学校に残ってなくちゃならないんだよ」
すこし語気を強めて向日さんに言った。
そろそろ時間的に用事の時間が近づいている。別に少しばかり遅れるのは構わないが、向日さんとこれ以上はなしているよりは、面倒なことになりそうなので、時間をたっぷりと取りたいのだ。
そんな俺に一切物怖じや遠慮をせずに、ドアの前からどかずに道を開けなかった。
「率直に言おう。私に勉強を教えたまえ」
「却下」
「すいません。教えてください。……このままじゃ赤点なんだ」
いきなり腰が低くなる奴だった。
一貫しろよ、姿勢を。
「頼まれても嫌だ。お前、飲み込み悪いし、四人分くらい手間がかかるし」
それに、今さら勉強したところで向日さんの頭の悪さは改善しようがない。
「一人前どころか四人前にまで認められてしまったよ」
「あぁ、そうだ。お前は頑張れば、四人分のことができるから頑張れ」
「そうかい?それは照れるね……えへへ」
…………豚もおだてりゃ木に登る、と。
「ふん、そこまで太鼓判を押されてしまっては頑張るしかないな」
気持ち悪いくらいニヤニヤしながら、腕を組みなおして姿勢を更に崩した。
「で、何で忙しいのかな?」
「ん?あぁ、前にお前の妹さんから頼まれた件だ。借りもあるし、受けようと思ってる」
「ほう、とすると君は葵ちゃんと付き合ったりするのかな?」
「いや、いつお前の妹とそんな甘酸っぱい関係になったよ!?俺はお前を姉にしたかねぇ!」
「ならこの京花様が彼女になってやろう。ちなみに玉の輿に乗るのが目的だ」
「ごめん……さすがに無理」
「真面目に断られた……」
いつまでも話構えに進まない二人だった。
進めるような話はないけどね。
「んじゃ、そろそろ行くな」
「まぁ、そういうことなら通さざるをえまい。溜息を吐きながら仕方ないなぁ、といいつつも懇切丁寧に教えてくれることを期待していたんだが、諦めるとしよう」
退けてくれるまで待とうかと思ったが、相手が退ける前に押しのけることにした。
* * *
「ふぅ……」
ひとまず、ペンを置いた。
書き出しはこんなもので良いんだろうか?
「うーん、この段階じゃ何ともいえませんねー。数無さんの言うように、才能があるようにはとても思えません」
「へ?」
声が頭上からした。
とっさに見上げてみる。
「气作さん……不法侵入ですよ」
「お昼のご相伴に預かりに来ました」
人の話を聞いちゃいない。
いつものことだけどね。 |