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夏影
作:椎堂 真砂



二章:心 20


 苦笑している左を捨ておいて、俺はそのまま階段へ向かう。左は俺の後ろで情けない声をあげながら、早足でついてきた。
 一週間前、俺が駆け登って以来、より一層軋む音が大きくなった階段を降り一階へ。左と二人して降りたら、本当に倒壊するのではないかと思わされた。
 管理人がこの島に帰ってきたら、是が非でもまず階段を直してもらおう。このままでは近い将来、絶対に怪我人がでる。
 階段を無事降りきり、数無さんの部屋に入室。
 すでにお好み焼きを作り始めているらしく、香ばしい匂いが鼻をくすぐった。
「どうも、おはようございます」
「何を言っている。こんにちは、だ。馬鹿者、もう十時だぞ?十時と言えば、こんにちはだ」
「はぁ……すいません、青猫さん。こんにちは」
「一体貴様は何度同じ過ちを繰り返せば気が済むんだ?私はこのやり取りにすでに飽き飽きしているんだぞ?まったく、お前という人間は学習能力が備わっていないな」
 どうでも良いことに対して、厳しく責め立てる青猫さんだった。普段からこうという訳じゃないのだが、今日は不機嫌らしい。
 よく見ると、髪はぼさつき、目付きが悪い。どうやら青猫さんは起き抜けのようだ。
 島で唯一の医者のクセして、朝の遅い青猫さんだった。
 専門が精神科とはいえ、ちゃんと医大を卒業し普通の医師免許ももっている。小中高校生時代からすでに、外国から大学入学を誘われていたとかなんとか。その辺り、さすが『本邸』出身者だ。
 だが、人並外れた青猫さんだって人間だ。食事もすれば、睡眠もとる。その間に怪我が起きたら対応しようがないのは、俺も重々承知している。
 だからまったく寝るなとは当然いえないが、病院を開業しているなら、せめてちゃんと機能させてほしい。診察時間が自由気ままでは流石にマズイだろう。
 無責任というか、マイペースすぎるというか。
 そんな青猫さんの隣には、異常に明るい笑みを顔に張り付けている、有栖ちゃんが座っていた。今日は狂ったように笑い声をあげることなく静かにしているのは、恐らくそれに《快楽》を見い出しているからだろう。
 青猫さんの努力の賜物だ。
 そして有栖ちゃんの隣には、有栖ちゃん以上に口をつぐんで正座している美作がいた。こちらは左と同じようにいつも通り、全身左とは真逆にあたる黒色の衣服に身を包んでいる。
 三人の向かい側には气作さんが、いつも来ているスーツを脱ぎ、数無さんのTシャツを着てお好み焼きを焼いている。气作さんはホットプレートから発されている熱を直に受けているのに加え、今日の真夏に逆行したかのような暑さで、かなりの量の汗をかいていた。
 部屋の主である数無さんは部屋の主らしく、上座に胡座をかいて堂々としていた。もっとも、目はとても暇そうに、頻りに頭を適当な場所にさまよわせている。
 ここに、玄関に立ったままの俺と左を加えて七人。この島における俺の知り合いが、ほぼ集合している。
 しかしながら、いくらなんでも七人は多すぎる。人口密度が半端ではない高さだ。
 ただでさえ暑いのに、その事実が俺の体感温度をさらに上げた。
 殆ど蒸し風呂状態。
 そんな中でも、美作や有栖ちゃんは平気な顔をしていた。有栖ちゃんは暑さを《不快》とする感情がないからなんだけどね。
 となると、有栖ちゃんが熱中症や脱水症状を引き起こさないか心配だ。恐らく、その辺の対策は青猫さんがちゃんと考えているんだろうが。
「早くお前ら座れって」
 数無さんがそう促す。
 座れるようなスペースはほとんど残されていなかったが、身を小さくして腰をおろす。左は俺の隣に肌がつきそうな距離で座る。
「はい、焼けましたよ」
 今日は何のハプニングもなく、一枚目が完成。气作さんは焼きあがったお好み焼きにソースをかける。鉄板についたソースが焼けて、甘い匂いが部屋一杯に広がった。
「さぁ、どうぞ。食べてください」
 言い終わるや否や、最初に箸を伸ばしたのは他でもない气作さんだった。それに続くようにして数無さんと有栖ちゃん、その次に美作と左が躊躇いがちに箸をつける。そしてみんなの箸が引いてから、最後に俺が食事を始めた。
 たいして空腹も感じていないし、とる量は少々。俺だけでなく、他のみんなも同じようなものだ。
「ちょっ!こころさん!それはいくら何でも取り過ぎです!」
「早いもん勝ちだっつーの!」
 それは数無さんと气作さんを除いての話だが。
 二人は奪い合うようにして、実際に奪い合いながら、お好み焼きを食べていく。
 そんなわけで、あっという間に一枚目は完食。ほとんど数無さんと气作さんとの二人で食べてしまった。
 これだけの人数が一枚のお好み焼きをつつくのだから、当たり前といえば当たり前なのだが、消費時間が制作時間よりも速い。
 量的配分は数無さんと气作さんが三分の一ずつ、残りの俺たちが残りの三分の一をつつくといった具合。そして時間配分は一枚辺り十分前後である。
 そんなペースが四枚目まで続いた。
 だが五枚目にもなってくると、气作さんも数無さんも流石にペースが落ちてくる。満腹の所為だろう、二人とも五枚目の半分を残して手をつけない。
 ちなみに、俺や左、美作などは三枚目で、有栖ちゃんや青猫さんは二枚目で、既に箸を置いている。
 全員が全員、もう食事を終えていた。
 それなのに、お好み焼きは半分残っている。
「おい、羽譚。残りは譲ってやるから食えよ」
「いえいえ、ここは目上であるこころさんに譲りますよ」
 大人気なく、意地を張り合っている小説家と編集者。
 本当に下らないことをしている二人だった。
 しばらくの間、そんな応酬が続き、散々揉めたあげく、最終的には――
「こころさん、ここはやっぱり男の子に任せるべきだと思うんです」
「あぁ、そうだな。ここには育ち盛りの少年がちょうど一人いるしな」
 俺に皺寄せがきた。
 前にも言ったが、俺は基本的に少食だ。育ち盛りであるのは確かだが、いくら何でも朝からお好み焼きをこれだけの量食べるのは難儀、というか正直無理。
 が、この二人に強要されてしまっては、俺はもう食べる他に残された道はない。
 電子レンジでもあれば昼食に残しておけるのだが、残念なことに俺の部屋はおろか、このボロアパートにはそんな家電製品はない。
 あと、掃除機もなかったりする。掃除は箒と雑巾が大活躍だ。
 俺は溜息をつき、覚悟を決めていざ箸を持ったとき、ふと自分の腕時計が視界に入った。
 十一時五十六分三十二秒。
 視界に入っただけでそれだけ読み取ったのだから、俺の視野内把握能力は結構なものじゃないだろうか、と自画自賛。
 ディジタル時計だから当たり前なんだけどね。
 そんなことはどうでもいい。もっと重要なことがある。
 上手くいけば、俺は満腹の胃に押し込めなくて済むかもしれない。
「气作さん、すっかり忘れてましたけど、船に乗らなくて良いんですか?もう時間になりますよ?」
 その一言で、气作さんは音が聞こえてきそうなくらいに固まった。見ているこっちまで硬直しそうだ。
 そして十秒ほどフリーズした後、气作さんは振り向いて、真後ろにある掛け時計を見た。
「もっと早く言え!」
 振り向いた時とは打って変わって、スムーズに、そして速いスピードで、そのまま回転。そのとき生じた遠心力を用いて、さっきまでお好み焼きを焼いていたヘラを投げてきた。
 不幸中の幸いなことに、气作さんの正確無比なコントロールのおかげで周りに被害になく、俺自身もヘラがプラスチック製のおかげで大して痛くなかった。
 だが、それは飽くまで不幸中の幸いなだけであって、不幸なことには違いないのだ。ヘラについたソースが顔についてべたつくし、左からは抑えることなく笑うし、災難であることに違いない。
 そして、災難は続く。
 痛みが引き、ソースを拭き終えると同時に、俺は气作さんに襟首を後ろから捕まれて、思いっきり引っ張られていた。
「荷物を持ってください!私より足が速いでしょう!?」
 どうやら俺は最後の最後まで、气作さんに文字通り引っ張り回されることになったらしい。憂鬱な事が憂鬱し過ぎて憂鬱なことこの上ない憂鬱具合だ。
 しかし气作さんは何故、俺にトランクを持たせて走らせるほどに焦っているのだろう?
 確かに船は今頃ついているだろうが、出港は一時間も後のことだ。丸々一時間も余裕があるのだから、歩いていっても十二分に間に合う。
 もしかしたら、俺のデジタル時計が遅れているのかもしれない。
 そう思って、数無さんの部屋にある掛け時計を俺は見る。そこには十二時五十分丁度を差して止まっている時計があった。
 なるほど、气作さんが急ぐのも無理ない。そのことを教えようと振り向いたときには、气作さんはすでに俺から手を放し、数無さんの部屋から大分遠ざかっていた。
 ちなみに、荷物は俺の脇に置かれたまま。
 これだけの大人数の前で名指しされたからには、俺が届ける他ない。
 ため息をつき、荷物を抱えて俺も外に出る。もちろん俺は走らない。歩いていても裕に間に合う。
 トランクケースの車輪を転がしながら、港へ向かう。トランクケースは意外に軽かった。おそらくあの宿泊していた部屋に、ほとんど置いてきたのだろう。もしくは数無さんの家に。
 俺の部屋の隣は、既に气作さんのセカンドハウスと貸していた。一週間泊まるだけで三万円も支払っているのなら、それは当然ともいっていい。
 何せ、このアパートの家賃は三万円なのだから。气作さんはあからさまにぼったくられていた。
 十分後、港に到着。
 Tシャツ姿の气作さんは、遠目にもすぐ見つけられた。人が少なかったのも原因ではあるが、それ以上に气作さんが行っている行為は、あまりにも目立ちすぎる。
「ですから!」
 乗船券売り場に座っている男性と、何やら口論をしていた。
 いや、口論というよりはむしろ、气作さんが一方的に怒鳴り付け、男性がそれを面倒臭そうにあしらっているので、クレームを言っているだけのようにも見てとれる。
 その光景に、ふと違和感を覚えた。
 二人に近づいてみると、气作さんの声がよく聞こえ、内容が把握できる。
「ですから何で、船が来ないんですか!?」
 辺りを見回してみる。
 来ているはずの船が、何処にも見当たらなかった。












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