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夏影
作:椎堂 真砂



二章:心 18


 お好み焼きを气作さんが焼いている途中、ひっくり返すのに失敗し、向側に座っている俺の顔面へとお好み焼きが飛んでくるというアクシデントがあったものの、それ以後はつつがなく、夕食は終った。
 气作さんの作ったお好み焼きは焼き加減がちょうどよく、味もよかったので、概ね成功を収めたといえるだろう。俺が損な役回りを演じる事で笑いも取れたしさ。
 ソース独特の甘ったるい臭いを感じながら食事の後片付けをし終わると同時に、数無さんは小説の推敲の続きを始めた。邪魔になってはいけないという事で、俺、美作、气作さんの三人は屋外へと出る。
 昼間の暑さとは打って変わり、海上で程よく冷えた空気が風に乗って島に流れ込み、気温は大分低くく涼しい。
 この島に来た一ヶ月前に比べると、随分過ごしやすくなった。来た当初は夜は蒸し暑く、とてもじゃないが寝つけなかった。
 そう考えると、常夏のようなこの島にも、ちゃんと季節が流れているんだな、と実感できる。まだ体感として秋とはいえないが、それでも夏が少しずつ終わり始めていた。
 感傷に浸るつもりはないんだけどね。
 むしろ暑いのが嫌いな俺にとって、涼しくなるのは喜ばしいことだしさ。
 俺に続いて数無さんの家を出た美作は、俺たちに一目もくれず、振り返ることなく早々に立ち去ってしまったので、玄関前には俺と气作さんにの二人だけが残された。
 气作さんは玄関をくぐると、後ろ手にドアを閉める。そのままどこかに行くことなく、玄関の前に立って遠くを眺めていた。
「气作さん」
 その姿が少し気になったので、声をかけてみる。
 特に話題はなかったため、素朴な疑問をぶつけてみた。
「今日はどこに泊まるんですか?」
 この島に宿泊施設はない。利用者が滅多に来ないのだから当たり前か。
 一番関係の深そうな数無さんの家から出た以上、他にあてがあるはずだ。さすがの气作さんもそこまで無策な人ではない。
「いや、困りましたね。何処に泊まりましょうか?」
「それは困りましたね。俺に聞かれてもどうしようもありません。頑張って泊めてくれる人を探すか、頑張って寝床を探して野宿してください」
「私を泊めてくれるっていうナイスな気概は無いんですかね!?」
 そんなことをすれば俺に危害が加えられかねない。誰から危害を加えられるかは敢えて伏せる。
 とにかく、俺には溺れるのを分かっていて他人を助けるために水に飛び込むような、素晴らしい自己犠牲の精神は存在しないのだ。
「まぁ、冗談ですが」
 今回は冗談だった。何度もいうが分かり辛いんだよな、气作さんの冗談って。
「私が泊まるのはあそこですよ」
 そう言って、数無さん宅の玄関から離れて指差す。その先にあったのは――
「俺の部屋じゃないですか!」
「あ、間違いました」
 そう言って、指をずらす。
 素で間違えたのかどうか、冗談なのか、俺には判別がつかなかった。
 气作さんが指差した先にあったのは、俺の部屋の隣。俺が来る前から空室で、今もなお誰もいない一室である。そして、俺の知る限りでは未だに一度も開かれたことの無い開かずの間でもある。
 この離島で部屋が埋まらないのは当たり前にしろ、一ヶ月もの間、何の管理も行われていないというのは変な話だ。管理人が居ないのだからしかたないのかもしれないが、誰かに頼むくらいはできる。仲が悪いらしい青猫さんは無理にしろ、数無さんや美作に任せるく程度なら、さほど手間はかかるまい。
 頼まれたほうは迷惑だろうけどね。
 そもそも、この島にアパートがあること自体、おかしな話なのである。
「あそこにいつも泊まらせてもらってるんですよ。なんと一週間で三万円!都会ではとても考えられません!格安です!」
 指差したまま、そういう气作さん。まるで不動産の売り込み文句のようだった。
 俺が思うに、離島にあるという立地と、食事なし、更には風呂トイレ共同ということを考えれば、三万円というのは適正価格。むしろ高いくらいだ。
 气作さんが安いと思っているなら、それはそれで幸せなのだから良いんだけどね。
 お金を支払うのは俺じゃないしさ。
 それに加えて、あの部屋は一ヶ月掃除されていないのである。掃除から始めないといけないということを考えると、明らかな損だろう。
「ところで气作さん、一つ質問しても良いですか?」
「唐突ですね……。別に良いですよ。社会人の余裕でバッチリ答えてあげます」
 質問を答えるのに、社会人であることがどう関係するのかは、社会人ではない俺には分からなかったが、構わず質問をする。
「買い物に行ったとき、小耳にはさんだんですけど……キヨカって誰のことですか?連呼しながら走ってたみたいですけど」
「え?キヨカ、ですか?」
 气作さんは少し驚いたように目を見開く。そして程なくして目を細め、嫌らしい笑顔を浮かべた。
「まったく……知らないんですかー?ホント、駄目駄目ですねー」
 气作さんはここぞとばかりに俺を見下している。とても社会人がする行動とは思えなかった。何というか……大人気ない。少なくとも、二十代半ばの女性が、十歳ぐらい年下の少年にやるような行動ではなかった。
「無知なマサカ君に教えてあげます」
 マサカ君?
 あぁ、俺のことか。
 そう言えばまだ訂正していなかった。
 今のうちに訂正しようかと思ったが、气作さんがあまりにも得意げだったので、口をはさめなかった。
「キヨカっていうのは、小説家『数無こころ』の本名ですよ」
「へぇ、そうだったんですか。全く知りませんでした。数無こころが数無さんの本名だと思ってましたよ」
「あっはっは、そんなわけ無いじゃないですかー!今時ペンネーム使っていない小説家なんて、ほとんどいませんよ?それに数無ですよ?そんな苗字があるわけ無いじゃないですか!」
 气作さんは更に声高に笑う。
 世の中に数無という苗字が存在しないかどうかなんて何の確証も無く、自分のほうがよっぽど珍しい苗字だというのに、まったく遠慮無しの笑い声だった。
 このままだと近所迷惑になりかねなかったので、無理やりその笑い声に新しい問いを重ねた。
「气作さん、数無さんの本名って、フルネームでなんていうんですか?」
「フルネームですか?シロシタキヨカっていうんです。城の下にある浄らかな花と書いて、城下浄花ですよ」
 ペンネームとは異なり、ごく一般的な名前だ。ともすれば、忘れてしまいそうなくらいに。
 名前なんて、そんなものなんだろうけどね。
「あ、でも、浄花って呼ばないほうが良いですよ。数無さん、そう呼ばれるのあんまり好きじゃないみたいですから」
 名前を知られるのは別に構わないみたいですけど――そう、气作さん付け加えた。
「これで質問は終わりですか、マサカ君」
「えぇ。答えてくれたお礼に、一つ良いことを教えてあげますよ、气作さん」
「殊勝な心がけですね。良いことってなんですか?男関係?」
「残念ながら違います」
 少し俺は迷ったように、間を開ける。
「俺の本名は美作真逆じゃありません。こんな珍しい名前がかぶるわけじゃないですか。駄目駄目ですね」
 俺はそれだけ言って、走って階段を駆け上がる。階段が本当に壊れそうで恐怖心を煽られたが、何とか登りきった。
 そこで俺はようやく、数無さんの部屋の前にまだいる气作さんのほうを向く。
「テメェ、何様のつもりじゃ、ボケェ!」
 尋常じゃなく怒っていた。一階と二階という高低差が無ければ、今にも飛び掛ってきそうな勢いである。
 このままだと階段から回りこまれ、何をされるか分かったものではない。俺は气作さんが階段を上がってくる前に、部屋へ戻ることにした。
 目線を外した俺に対し、气作さんは罵詈雑言を叩きつけているようだったが、今は無視。
 俺は急いで部屋の鍵を開けて、少し開けたドアの隙間から滑り込むように入室し、そのまま錠を閉めた。
 溜息。
 外からは气作さんが階段を駆け上がる音や、方言交じりの悪口が聞こえたが、气作さんはこの部屋には入って来れないので、俺はとりあえず安心した。肩の力を抜き、ドアにもたれかかる。その瞬間、体中に疲労を感じた。
 これでようやく、俺の一日が終わりを迎える。これから布団に入って眠るだけだ。天日干しにしてないので柔らかい布団ではなかったが、この疲労感では関係ないろう。
 布団を敷かなければならないと思いつつ、部屋を見回す。すると、ダンボール箱が目に付いた。そう言えば、宅配便が届いていたんだっけ。
 この荷物の所為で『摩訶不思議ワンダリングワンダー』という恥ずかしい過去の断片を明かされてしまった。そんな災禍をもたらした荷物には何が入っているのか気になる。大して時間はかからないだろうし、寝る前に確認しよう。
 数無さんの言ってあった通り、確かに堂々と上面に『摩訶不思議へ』と書いてあった。
 そんなことは気にせず、ダンボールを開く。先ず目に飛び込んできたのは、だいたい五十枚程の原稿用紙の束だった。
 暗くて見えづらかったので、手に取り上げてじっくりと見てみる。
 『嘆願書』。
 『京』。
 目に入ってきたのは、そんな文字。
 ……あの野郎、本当に送ってきやがった。
 内容を見ず、原稿用紙を乱暴にダンボールの中へと戻す。
 布団も敷かずに、俺はそのまま眠った。












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