二章:心 14
そんな会話をそれから一時間ぐらい続けながら、比較的平穏に時間が流れた。
途中、数無さんが酒盛りをしようと言い出したが、幸いなことにも、俺は未成年で部屋に酒がなかったので、中止になった。
今のところ、俺が未成年ということもあって、数無さんが酒を飲んでいるところを一度も見たことがない。俺の見立てでは、数無さんは酒に強いように見せかけているだけで、実は弱いんじゃないんだろうか、と思っている。しかも、かなりの酒乱。
そんなこと、どうでもいいんだけどね。絡まれなければさ。
かくもあれ、さすがに一時間もぶっ続けで話しつづければ、話のネタが尽きる。
なので自然と、静かになった。空気が重くなったというわけではなく、和んでいるだけ。
あぁ、なんだか熱い緑茶と炬燵が恋しくなるような雰囲気だ。この島にいる限り、使うことはないだろうし、そう思うと尚一層、恋しくなってくる。
やっぱりまだ、未練残ってるのかなぁ、俺。もう一ヶ月も経つというのに。
忘れようと思っているうちは、忘れられないって言うし、放っておこう。
「って、私完全に話を逸らされてますっ!」
せっかくいい感じに和んでいたというのに、突然气作さんが声を高くした。
気分を切り替えるにはちょうどよかったけど。
「こころさん!早く小説を私に渡してください!」
「何でわざわざ蒸しっかえすかねぇ……」
数無さんは心底面倒くさそうに頭をボリボリと掻き、少し思い溜息をはいた。
「分かったよ、部屋にあるからとっとと行くぞ、羽譚」
軽い掛け声と共に、数無さんは腰を上げた。それに連なるようにして、气作さんも立ち下がる。
ここでようやく、俺の部屋にいつも通りの静寂の時間がやってくるのか。
現在の時刻は三時を少し回ったくらい。
何かを始めるには中途半端な時間だし、今日はもう部屋ででのんびりと過ごそう。数無さんから有給を賜っている上に、何かしなければならないような身分でもない。
そうだ、今日はこれから明日の朝までぐっすりと寝ていよう。疲れているし。
「何いつまで座ってんだよ、早く行くぞ」
「…………はい」
まぁ……連れて行かれることぐらい、分かってたけどね。
夢を見るくらい、いいじゃないか。疲れているのは本当なんだから。
仕方無しに数無さん、气作さんに続くようにして、俺も部屋を出る。今度はしっかりと鍵をして、俺は部屋を離れた。
美作の部屋の前を通り過ぎ、軋む階段を降りて、最近ようやく陽炎のたたなくなったアスファルトの地面を抜けて、数無さんの部屋に到着。所要時間にして僅か一分足らず。
近い距離。
近すぎる距離。
こんな近い距離に、長い間人が住んでいなかった俺にとって、なかなか抜けない不思議な感覚に襲われる。言葉にしがたい、感覚だった。でもまぁ、悪い感覚じゃないからいいんだけどね。
数無さんの部屋はついさっきと何の代わりも無い、ほんの少し雑然とした和室のままだった。
いや、変わってるはずなんてないんだけどね、半日も経ってないんだから。
俺が部屋に入ったときには、すでに数無さんは机に座って、原稿を探していた。
原稿の管理は数無さん自ら行っている。
別に俺に小説の内容を隠しているからとか、そういうもっともらしい理由ではなく、数無さん自身が何処に原稿があるか把握してないと、数無さんに鬱憤が溜まるからである。それに数無さんが知っていないと、俺が家にいるとき、小説がかけなくなるという理由もある。
俺が働き始めた頃、原稿も俺が管理していたので、溜まった鬱憤を俺に対して発散させられたり、夜中に突然起こされたこともあった。そんな経緯を経て、今のように数無さんが管理するようになったのだ。
まぁ、数無さんらしいと言えばらしいのだけどね。
「あっれ……、どこやったっけ……?」
自分で片付けときながら、分からなくなるのも数無さんらしかった。
俺は呆れながら数無さんに近づくと、数無さんの後ろから指を差しながらある場所を指摘した。
「引き出しの上から二番目か、パソコンの下か、布団の下ですよ」
「てめ、何で知ってんだよ!勝手に片付けたな!」
…………痛い。
裏拳が飛んできた。
素直に避けず、顔面に喰らう。
数無さんがちゃんと片付けをしても、結局俺はストレスを解消する道具になってしまうらしい。
鼻梁が物凄く熱を持っていた。鼻血が出ているかもしれない。
鼻血が出ているか否かよりも先に、次の攻撃を喰らわないよう弁明しなければならなかった。
「……いつも、数無さんが置いてるところを言っただけですよ」
何処の誰が片付けようと思って、パソコンの下なんかに入れるか。そんなの数無さんだけだ。
「そうならそうと、先に言えって。思わず殴っちまったじゃないか。殴った方も痛いんだぜ?」
「はぁ……すいません」
痛い鼻を擦りながら、被害者である俺が頭を下げていた。
殴られた方がもっと痛いんだ。しかも、鼻だぞ、鼻。筋肉がない人間の急所の一つだぞ?むしろそっちが謝れよ!
心の中でストレス発散。
かなりネガティブだった。自分でもビックリ。
俺は今日一日で、すっかり暴力に対して弱くなっていた。
脆弱が脆弱し過ぎて脆弱な事この上ない脆弱具合だ。
最近使ってなかったので、無理矢理使ってみた。……口癖として定着させるのは難しいらしい。
こういうことで挫折の多い俺だった。
「んー……あ、あったあった」
どうやら、数無さんは目的の原稿用紙を見つけたらしく、机に座って中身をめくりながら、最後の確認のように流し読みをしていた。
いつになく真剣な眼差しで集中しているの数無さんの横に控える形で、俺と气作さんは立つ。
口を出せるような空気などではないのは勿論のこと、声を出したところで数無さんには聞こえないだろう。
小説家かどうか疑った自分を馬鹿だと思わせるだけの集中力が、そこにある。
この人は間違いなく、小説家だ。
そう思わせるだけの絶対的な集中力が、部屋の中に重圧をかけていた。重たい沈黙。
「うーん……」
原稿用紙を半ばまでめくった所で、数無さんはピタリと手を止めて、唸り声をあげた。
それだけで、空気が一気に弛緩する。身体中に巻かれた鎖が一気にほどかれたような感覚。牢獄から解放されたような爽快さだ。
実際に身体中に鎖を巻かれたり、簡単な牢獄に閉じ込められたりしているだけに、洒落にならなかった。
とりあえず時計をみてみると、数無さんが原稿を読み始めてから、十分そこらしか経っていない。時間の密度の違いを肌で実感できた。
「なぁ、羽譚、ここなんだけどさぁ……まぁ、とりあえず読んでくれ」
「わかりました」
气作さんは、数無さんから原稿用紙の束を渡す。どうやら、气作さんに意見を求めるらしい。
こんな人でも、猿山の軍曹と称されるぐらいには専門家なのだ。意見を求めても何の不思議も無い。
これから専門的な話が始まるようだし、俺は退散するべきか。原稿の在処を伝えただけで、俺の役目は十分だろう。
气作さんが原稿を読み始めてしまう前に、その旨を伝えようと思い、声をかけようとした。が、先に气作さんは原稿を読み始めてしまった。
パラパラと、气作さんは原稿用紙をめくっていく。まるで、原稿用紙の間に挟まっているものを探すかのような早さで、次々とめくっていく。
数無さんも自分が書いた作品と言うこと差し引きしても、かなりページをめくるのが速い人だったが、そんなのまったく比にならない速さで、次々とページをめくっていく。
ペラペラペラペラ。
紙が出す擦過音のオノマトペに句読点を入れる余地がないぐらいの速さ。
そんな事を考えている内に、400文字詰めの原稿用紙約300枚を、時間にしてわずか1分強で読み終えてしまった。
速読能力。
数無さんや有栖ちゃんとは勿論、比肩しえないけれど、气作さんも十分すぎるほどに、常軌を逸していた。
流石に、異常、というほどではないけれど。
数無さん達と、气作さんの間には明確に線引きがあるのは、よく分かったけど。
何でこの島にはこんなにも、歪な人間が多いのだろう?
有栖ありす。
数無こころ。
气作羽譚。
『本邸』出身であることを考慮するなら、古雅峰青猫も含んで差し障りはないだろう。
そして、類友の話を引きずるなら、俺も、か。
異常という、類。
異常者を集める異常者。
滅茶苦茶嫌な特殊体質だなぁ……俺。
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