二章:心 12
俺は改めて、文字がすし詰め状態のコピー用紙に目を落とす。
何の変哲もない、いや、変わっているところがありすぎるからこそ数無さんにとっては普通の、纏まりのない数々のジャンル。純文学、ファンタジー、推理、コメディー、ホラー、詩集、歴史、SF、恋愛……最近では漫画のノベライズなんかもある。チリヂリでバラバラの、関連性の低い分野の配置。同じ人間が書いたものとは思えない。
でも、少なくともこの数無さんの経歴表じみたものは多分、今表に出ている《同一性》一人で書いたんだろう。筆跡が全部似通っているし。が、いつもの数無さんとは明らかに異なる文字だった。
これを見て気付くこと、ねぇ……。気付くことと言えば、法則性が無いことくらいだ。俺が気付いてないだけかもしれないけどね。
「特に……気付くことはないですね」
苦々しく俺はそう言って、言い訳のように言葉を付け加える。
「こういう法則性を見つけるのって、苦手なんですよ」
「そうか……苦手だったか」
「すいません。ご期待に沿えなくて」
「そうか……若手だったか」
「…………。分かりづらいボケをしないで下さい」
普通分からねぇよ、『苦』と『若』が似てるなんて。
何で俺は数無さんの言葉遊びに解説をいれているんだろう……?
酷く残念そうに声を落としたような態度に、罪悪感を感じた俺がバカみたいじゃないか。
何で俺は数無さんの冗談に謝ったりしてしまったのだろう……?
「君への愛のメッセージがこめられてたんだけど、気づいてもらえなかったか……。僕の愛のメッセージに気づかないなんて、君を待っているのは暗い暗い、恐怖の歴史だよ?気をつけたほうが良い」
その台詞で、ほんの少しあった罪悪感が欠片も無くなった。
シリアスならシリアスに、コミカルならコミカルに、どちらか統一して喋って欲しいものだ。数無さんの精神が統一されていない所為なのだろうか?それは考え過ぎ、か。
「冗談は置いといて、気づいてもらえないんじゃ、一生懸命書いた意味が無いじゃないか。そう無下にしないで、もっとよく見てくれよ。せっかく一時間もかけて手書きしたんだから」
「手書きが嫌ならタイピングすればいいじゃないですか。パソコンがあるんですから」
「パソコンはあってもプリンターが無いだろう?タイピングしても無意味じゃないか」
なら買えばいいじゃないか、とは言わなかった。不毛だし。この島でプリンターを買おうと思うと、定期船で注文を出し、一週間後に商品がやってくることになる。それには面倒な手続きもあり、運搬費も加わって高くなるので、数無さんは買わないだろう。
手書きで済むなら手書きで済ます。数無さんはそういう人だ。
数無さんの努力を酌んで、俺はもう一度、コピー用紙に目を通す。
さっきと変わらない、見ているだけで酔ってしまいそうな文字行列。吐き気を抑えるようにして、俺は法則性を見つけるために、じっと見る。
もう少し整理整頓した書き方をしてくれれば、すぐ分かるかもしれないのに。俺に気を使ってほしいものだ。
俺の知っている暗号の解き方をあらかた試したところで、俺はもううんざりしていた。もうこれ以上、面倒なことはしたくない。放棄。
俺は目の休憩もかねて、一旦紙から眼を離して、頭を上げた。
途端、期待に満ちた数無さんと目が合う。
「どうだい?わかったかい?」
「すいません。もう少し待ってください」
「あぁ、ヒントまで出したんだから、ちゃんと解いてくれよ」
期待している目があまりにも輝いていたので、断るに断れず、思わず嘘を吐いてしまった。あんな風に待望されているとは思わなかった。
ここまで断りにくい状況に追いやれ荒れてしまったからには、適当に当たらずとも遠からずな所をねらって、適当な法則性をでっち上げるしかない。
それならそれで、数無さんの言うところの『ヒント』とやらを踏まえなければならない。
問題は俺はその『ヒント』に全く気づいていないのに、どうやってそれを踏まえるか、ということだ。
ヒント、ヒント、ヒント、ねぇ……。
あ、そういうことか。
俺は数無さんとの会話を反芻して、ようやく『ヒント』に気づいた。何と言うか、ほんと分かりづらい言い回しをする人だ。
「恋愛小説、ホラー小説……あと、時代小説がやけに少ないですね」
『僕の愛のメッセージに気づかないなんて、君を待っているのは暗い暗い、恐怖の歴史だよ?気をつけたほうが良い』、ね。
ヒントって言われなきゃ気付かないって、普通。無理矢理出せばそうなるのは仕方ないか。小説かとしての腕を遺憾なく発揮してもらいたかったんだが、唐突には無理らしい。
「そう、そこだ。その通りだ。僕の希望通りの答えをしてくれて嬉しい限り、重畳重畳。流石、『摩訶不思議』君だよ。」
まだ言うか。本当に厄介な人に知られてしまった。
今さら別の名前を自ら教えるのも変な話だし、別に噂じゃないけど七十五日も経てば忘れてくれるだろう。
「それで、恋愛とホラーと時代が少ないと、何かあるんですか?」
ジャンルが偏るのは、人間として自然で当然のことだ。好きなものもあれば、嫌いなものもある。何かが多くて、何かが少ない。不均衡であることが安定しているものだ。
……言っていることがありきたりだけどさ。
そんな、ありきたりな事に疑問を抱くのは、寧ろ可笑しい。そんな不自然なことを俺に気付けと言うなんて、まったく無体な人だ。
「僕にとって、いや、僕らにとって、とっても、大切なことだよ」
数無さんは軽佻浮薄な雰囲気を切り、真面目な顔をした。人格が変わったと錯覚させるほどに、一変する。でも、口調が変わっていないので、倒錯的な感じがする。
「僕がさっき説明した通り、僕は推理小説担当だ。それと同じように、僕らには一人に一つずつ、担っている小説分野がある。それぞれその《同一性》に合ったジャンルを、一人一人に担う。時々例外も有るけれど、概ねそんな説明で適当だ。さぁ、そこで問題を一つ」
どこぞの探偵よろしく、大仰な口振りで、俺に数無さんは問う。
「恋愛小説、時代小説、ホラー小説……この小説が少ないということはどうかな?」
それは、その小説に対応する人格がいない、という単純な答えを求めての質問ではないんだろう。
数無さんの求める答えを見つけるため、俺は数無さんとの会話を思い返す。
その《同一性》に合ったジャンルの小説を、その人が書く。とても当たり前の役割分担だ。
数無さんは一人に対して一分野、適材適所を一人の内で振り分けれる。小説を書くことにのみに限定してしまえば、数無さんは専門家が一つの体に集結した、万能家であるに間違いない。小説家の中で最高の才能とまでは言わないけど、超一流といって何の偽りも無いだろう。
専門家から見れば、節操が無いのかもしれないけどね。
天才。
奇怪なまでの天才。
異常に発達しすぎた天才、数無こころ。
そんな彼女が書けないジャンル――恋愛、時代、ホラーに、どれほどの意味があるのだろう。
数無さんの内にそれらの専門家がいないからといって、一体何の問題があって、それがどう大切なのか、それが数無さんの問うている内容の答えだ。
その問題は、何の根拠も無いけど、お金とか、周りの評価とか、そういう“普通”の問題ではない気がする。
これは根拠というよりは推測的な理由だけど、そんな問題、今さら俺に聞くはずは無い。それなら俺なんかより、青猫さんに相談するべきことだ。
藁にも縋る思いで、俺なんかに聞くはず無い。俺は藁どころか、数無さんを溺れさせる水のような奴だし。
あぁ、考えるのがいい加減、面倒になってきた。本当に、何で俺なんかにそんなこと聞くんだよ、数無さん。
面倒なことから逃げてきたっていうのに、また面倒なことだ。何でこんな厄介な星の下に生まれてきてしまったんだろうか、俺は。
俺は考えるのを止めて、そろそろでっち上げた適当な法則性を逃げ台詞に、会話を切り上げようとする。
と、唐突に、ドアがノックされた。
ドンドンドン、ドンドンドン、ドンドンドンドンドンドンドン。
応援されている気分になるノックだった。
応援より救援が欲しかったので、そう扱うことにしよう。
それにしてもあの人、ノック好きだな。
「すいません、誰か来たみたいです」
「誰か、じゃなくて羽譚君って君も分かっているんだろう?……まぁ、いいよ。今日のところはお開きで。質問の答えは宿題だ」
「すいません」
俺はもう一度謝って、立ち上がる。
文字のぎっしり詰め込まれたA4用紙は四つ折にして、ズボンに入れておいた。
玄関でノックラッシュしている人をあまり待たせすぎると、玄関を破壊されかねないので、少し小走りに玄関へと近づく。その足音が聞こえたのか、ノックはピタリと止んだ。
極端って言うか……社会人なら社会人らしく、もっと落ち着いてほしいものだ。
「どうしたんですか、いきな――」
「うおりゃっ!」
いきなり殴られた。いくら女の細腕とはいえ、勢いづいた体重ののった拳を、ノーガードで胸に受ければ、心臓に響く。普通に痛い、どころか、本気で痛い。本気と書いて痛いと読んじゃうくらいマジだ。というか、こんなパンチをベニヤ合板のドアは受けていたのか。結構硬いんだな、ベニヤ合板。硬派なその性格に、惚れてしまいそうだ。
と。
そこまで思考がトリップしたところで、正気を取り戻した。
「出会い頭に人を殴るなんて、喧嘩を売っているんですか?とても社会人とは思えません」
「え?あ……拳の先にいたあなたが悪いんです!」
ひでぇ。なんて責任転嫁の仕方だ。そんな責任の擦り付け方、見たことも聞いたこともない。
气作さんもさすがにそう思ったのか、言い直した。
「あんまり出て来るのが遅いから、もっと強くノックしようとしただけですよ。プライベートで見せる可愛い茶目っ気じゃないですか。怒らないで下さい。いきなり扉を開けたあなたにも、非はあるんですから」
そんな茶目っ気、海に沈めちまえ。
普通、ドアを本気で殴られたら怒る。
家主が玄関を開けるのに、許可が必要なのかよ。
……一回の台詞で三回も突っ込ませないでほしい。
それだけ言い、气作さんは僕を殴った手をようやく引っ込めて、玄関の外に立った。会話なんて殆どなかったのに、もうバテバテだ。もうこのまま布団に入って寝たい気分。
数無さんと气作さん、どちらか一方だけでも大変なのに、二人とも相手にしないといけないのか……。二人が一体どんな会話をするか興味はあるが、疲れそうで気が滅入る。
「いつまで私はここに立っていれば良いんですかね?」
「もうずっとそこに立っていてください。三年もいれば、悟りが開けるでしょうから」
「なんですとー!?」
まぁ、退屈しのぎにはいいんだけどね。
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