二章:心 09
一作目、純文学小説『無題』。
二作目、空想時代小説『極』。
三作目、ファンタジー小説『OROVAN』。
四作目、ホラー小説『柩』。
五作目、詩集『人間』。
六作目、コメディー小説『イヤっ!』。
七作目、恋愛小説『空から落ちてきた話』。
八作目、SF小説『千界一窮』。
九作目、推理小説『世界に一つの』。
十作目、小説『 』。
これが小説家、数無こころがデビュー一年目にして書き下ろした、十冊の小説である。
見事なまでに違う方向性を持った、そして見事なまでに全てが全てベストセラーになった、内容に共通な部分なんて欠片もない十冊。
共通な部分を無理矢理絞り出すなら、総じて日本語で書かれているぐらいのものだ。その日本語だって、好む表現方法、段落の使い方、文脈、様々な点において違う。
まるで別人が書いたかのように。
まさに、奇才。
まさに、希才。
まさに――鬼才。
『多重人格な小説家』の肩書きは伊達や酔狂ではない。奇しくも、それは事実と全く相違が無いだけに、これ程数無さんに合う二つ名は他にはあるまい。
世の中はまったくもって上手く出来ているものだ。
俺が知っている小説家としての数無こころの知識は、この程度のこと。世間一般と同じか、それより少ないくらい。
数無さんがそれ以後、どんな小説を何冊出し、どれぐらいの収益をあげたなんか、もちろん知らない。数無さんがどんな受賞したかという経歴なんて、もっての他だ。
ただ、そんな俺がこれ以上に知識を絞り出すとしたら、それは十作目の小説『 』についてだろう。
数無こころデビュー十冊の中、もとい、数無こころ作品の中で最も多い冊数を売り上げた作品。
そして、最も異彩を放つ文学史に刻まれるであろう最高傑作。第一版が刷られてから早十年、未だに売り上げは衰えるところを知らない。
また、数無さんのデビュー一年目に出版された十冊の中で、唯一、別のメディアに移植されていない作品でもある。別のメディア化されづらい分野である詩集『人間』でさえ、朗読という形で別のメディアで表現されているというのに。
映画、ドラマ、アニメーション、漫画、有りとあらゆるメディアを席巻した数無作品にとって、こういう面からも特殊だった。
数無こころがその才能を遺憾なく発揮した傑作『 』。
たった四つのスペースを空けただけの題名に、たった一人の少女の話を書き綴っただけの、小説。
一体、数無さんは空けられた四つのスペースで、何を表現しようとしたのだろうか?
一体、数無さんは一人の少女の話で、何を形作ろうとしたのだろうか?
まぁ、世間がいくら評論を飛び交わせたところで、俺がいくら憶測を立てようとしたって、所詮、本当の事が分かるのは数無さん一人だけなのだ。あの人を一人と勘定してもよいのかは、俺には甚だ疑問だけどさ。
考えてもしかたないか。
俺はこれ以上考えても意味はないと結論づけ、そこで思考を一旦切った。
世間の評論が云々は別として、俺に数無さんの表現したかったことなんて分かるはずは無いんだけどね。小説自体読んでないしさ。
読んでもない小説について考えるなんて、本当に無理するな、俺。
さて、暇潰しも終わったところで、丁度海岸に到着。
数無さんの小説について考えるのはいい暇潰しになりそうだ。ネタに悩んだときに使うために、心の角に留めておこう。
どうせ一時間も経てば忘れるんだろうけどね。
海岸についた瞬間に、俺は堤防の上に目立つシルエットを見つけた。
少し大きめの声で呼んでみる。
「おーい」
風が強い所為で聞こえるかどうか分からなかったが、彼女は被った麦わら帽子を両手で押さえつつ、俺の方を振り向いてくれた。
もうすぐ秋だというのに、季節感を全く無視した麦わら帽子と白いリボンに白いワンピース。
元からなのか、それとも使っている内に劣化したのかは判別しづらい質の悪さをもった、白い髪。
そして、白い虹彩と黒い瞳孔。ぽつんと目の中心に浮いた黒い瞳孔は、文字通り目にあいた孔のようだ。
堤防まで近づくと、左が手を伸ばしてきた。登れということだろう。俺はその意図を汲み取って、手をつかんで堤防によじ登る。
左の隣に並ぶように立ち、会話を始めた。
「何やってんだ、左?」
「朝とは違ってフランクだね。もしかして、白い髪とか白い眼が大好きだったり?ツボにはまっちゃったり?」
「いや、まったく」
「酷っ!あまりにも酷っ!立ち直れないかも……」
「じゃ、座ったまま生きてれば……っと」
投げやりにそう言って、海を背にするようにして、堤防に座り込む。ズボンが少し汚れるかと思ったが、気にしないことにした。
「座ったまま生きれたら、楽かもね」
キシシと笑い、左は海を向くようにして座る。
海に落ちるのを恐れてか、左は座るとすぐに、ビーチサンダルを脱いで脇に置いた。
「楽かもしれないけど俺はしたくないね」
「どうして?楽とか好きそうじゃん?」
シッケイな。別に俺は楽なことが好きな訳じゃない。面倒なことが嫌いなだけだ。その逆が好きなんて、一言も言った覚えはない。屁理屈なんだけどね。
左が言ったのはイメージの問題で、事実とは必ずしも一致するとは限らない話な訳で……。
「別に、好きじゃないけどね。ところでさ、左」
脳内言い訳を一人でするのは恥ずかしかったので、俺は話題を転換することにした。
「お前さ、普段何してんの?」
「何って……君と話してるのが一番多いけど?」
「いや、俺と話してる以外でさ」
左は少し考え込むように首をかしげ、数秒間を開けた後、何もしてないかなー、と気の抜けるような回答を俺に寄越した。
はぐらかされたね、俺。
どうでも良いんだけどさ。
「でも、いきなりどうしたの?」
「特に理由はないよ。ちょっと訊きたかっただけ。単純な疑問。純然とした知識欲」
「ふーん。そこまで言葉を付け加えると、逆に怪しいよ?」
体を後ろに倒し、横に倒れるようにして、俺の顔を覗き込む左。やけにニヤニヤしたいやらしい笑顔を浮かべている。自然と距離をとるように、俺は後ろにのけぞった。
「理由はないよ、ホント。あったとしても何だっていいだろ?」
「そうでもないよ。理由って大切だよ、やっぱり」
そう言えば普段ならある程度引き下がる左だったが、今日は食い下がってきた。いつもと雰囲気が違う。何かあったのだろうか。
人間生きている以上、毎日何かあるんだろうけどね。
もしかして、カツラとカラーコンタクトをとった姿を見られたのを気にしているんだろうか?
今まで隠していたバツの悪さ。その所為で距離感が掴みづらくなっているのかも知れない。
でも、あの後家で普通に会話してたし、きっと違うだろ。
どうでも良いけどね。
例えば距離感が掴めなくなっていたとしても、俺は何かを変えるつもり無いしさ。
「強いて言うなら、心配、かな?」
「心配?君らしくないね」
どれだけ失礼なんだよ。
否定できないのが痛いけど。
さらに、人のことを言えないのが痛いけど。
「いやさ、ふと、お前、将来どうすんのかなって」
「将来?」
「そ、将来。ここって高校無いだろ?だったら個人で勉強するにしたって限度があるし、家業を継いだりするのかなってさ」
左の将来について心配なのは本当のことだ。
言っちゃ悪いが、正直左の未来に明るいビジョンがあるようには、到底思えなかった。
左の家は、確か稲作をしている。それならば、この年でこの島にいる以上、継ぐと思うのが普通のことだ。
ふと聞きたくなったってのは嘘だけどね。
本当の所、理由は气作さんにある。
社会人、气作羽譚。
世間にはあまりにも多い人種だが、この島にはあまりに希少な存在。
すっかり忘れていた。忘れてしまえるだけの、時間が経った。どうやら俺はこの島にすっかり慣れて、いや、この島に毒されてしまったらしい。
「いや、家業は継がないよ。来年にはもう田んぼ止めて、お父さん、出稼ぎ行こうとしてるみたい。正直なところ、こんな島でやってても稼ぎ悪いだろうし」
「ま、そうだろうね」
俺はなるだけ無感動にそう返した。
切り返しにくい内容をポロリと漏らさないでほしい。
左のイメージじゃ、心配もしない冷酷無比なやつらしいが、俺だって人間である以上、そういうものに雰囲気の悪さを感じたりする。
俺は嫌な空気にならないよう、自然なテンポで二の句を継いだ。
「じゃあ、どうするんだ?学歴中卒じゃ、いい働き口は早々見つからないぜ?」
「うーん、そうだね……」
左は覗き込んだ体勢からようやく元に戻り、また首をかしげ、麦わら帽子を押さえていた手の片方を顎にあてながら、眼をつむって、眉間に皺を刻みつつ、長考に入ってしまった。
なるべく早く現実に帰ってきてほしかったが、もう一度問い詰めるのはせき立てているようで、あまり気が進まなかった。
「うーん……、そうだねー……」
もう一度、左は言う。
相当悩んでいるんだろう。
そこまで悩んでまで答えてもらうつもりはなかったんだが、ある程度時間がたってしまった以上、もういいと止めるタイミングを失ってしまった。
「うぅーん……、そうだぁーねぇー……」
更に一度、左は言う。
完全に遊んでいる。悩んでるふりして遊んでやがる。
このまま放って帰ってやろうか。それが良いかもしれない。と、思い始めたら、ようやく左は回答を出した。
何というか流石だ。雰囲気で引き際を完全に心得ている。
「うーん、やっぱりアレだね、永久就職」
「…………」
悩んで結局、それか。
最早、黙るしかなかった。
「憧れるよねー、やっぱり。人生一度はやってみたいよ」
「二度も、三度もしたいものだとは思わないだろうね、フツー」
「あはは、言葉の文だよ」
本当に大丈夫だろうか、この娘の人生。
この娘の人生は一体どこに向かっているんだろうか。
「ま、この際、結婚するのは突っ込まないとして、相手はどうするんだよ。社会に出ないとなかなか出会いなんて無いぜ?」
「最近、放置が多くないかな?まぁ、いいんだけど。……相手なんて見つかってるよ、とっくの昔にね」
「へぇ……」
自分から話題を切り出しておきながら、興味なさ気に反応する俺なんてお構い無しに、左は言葉を繋げる。
「不束者だけどよろしくね、ダーリン」
そう言って、満面の笑みを俺に向ける左。
屈託のない純粋な笑顔。それを横目で見ながら、俺は一言。
「海に落ちて頭を冷やせ、蜂蜜頭」
「うわわっ!」
左の背中を軽くポンと押し、バランスを崩させるのと同時に、俺はアスファルトの道路に飛び降りた。不意に背中を押された左はというと、何とかバランスを持ち直し、海に落ちずに済んだらしい。
落とす気なんて最初からなかったけどね。
本当に落ちられたら、罪悪感たっぷりだしさ。 |