二章:心 07
話に一段落ついたところで、美作に袖口を引っ張られた。美作はよく人を呼ぶときに、こういう行動をとる。
別に行為自体は可愛らしいから良いんだけど、やるんなら気配を消さずにやってほしい。怖いし。後、力の加減を忘れないでもらえると、尚ありがたい。
思いっきり引っ張られた俺は、一歩後ろに下がる形でよろめく。
若干、气作さんは驚いたような表情を見せたけど、なにか追求してくることはなかった。
「どした?」
「…………」
美作は軽く首を横に振る。そしてもう一度、先ほど以上の力で引っ張られた。
意思疎通をしたいなら、もう少し喋る回数を増やしてほしい。全く理解できないって訳じゃないけど、難解だ。誤解も生まれるしね。
さて、美作が何をしたいのだろうか?少し推測してみることにしてみよう。コミュニケーションはお互いの努力が必要なのだ。
主に努力してるのはいつも俺だけどさ。
美作だって完全な無言なわけじゃない。
どうしてもしたいことや、言わなければ伝わらないことはちゃんと言う。
つまり、美作は引っ張るだけで、事足りると思っているらしい。
どこの熟年夫婦だよ。
「そろそろ帰るか?」
美作は上下に一度、首を動かした。お、どうやら当たりらしい。
俺の洞察力もまだ捨てたものじゃないね。
半分、勘なんだけどさ。
「うわ、うわぁ、うわー!これが恋人距離なんですね!言葉なんて要らないんですね!以心伝心ってもう、相当なレベルじゃないですか!私の前でいちゃつくな。私も彼氏ほしぃー!」
一瞬混じった黒い本音は聞き流しておこう。今後のためにね。
俺だって人間である以上、肉体的にも精神的にも健康で居たいしさ。
「二人が帰るなら私もそろそろ、お仕事に行きますかね」
そう言って、气作さんはスーツの襟を正した。やはり観光に来た訳じゃなかったか。
それもそうか。言っちゃ悪いけど、この島に見に来るようなものなんて、一つもないしさ。
「あ、气作さん、一つ聞いときたいことがあったんですけど、いいですか?」
引っ張る美作を制し、行こうとした气作さんを引き留める。
「なんですか?社会人の余裕をもって、聞いてあげましょう」
「いえ、大したことじゃないんですけど……」
俺は語尾を濁らせた。
別にもったいぶらしてる訳じゃないんだけどね。
俺はそんなに演技派じゃないしさ。
「气作さんは煙草、吸いますか?」
「いえ、吸いませんけど?も、もしかして、煙草の臭いでもしますか!?」
焦ったようにスーツの袖を顔に近づけて、臭いのチェックを始める气作さん。これから仕事である以上、やはり気をつかうのだろう。仕事先の人は煙草嫌いなのだろうか?
別に俺が煙草をたしなむかどうかを聞いたのは、气作さんから煙草の臭いがした訳じゃない。臭いがするとしたらむしろ、俺の方だ。会う度に青猫さんに紫煙を吹き付けられているしさ。
もともと俺は、煙草の臭いを嗅ぎ分けられるほど、感覚が鋭い方じゃないしね。
「良かった、吸わないんですね」
「煙草が駄目って訳じゃないんですけど、やっぱり嫌いな人っているじゃないですか。そういうのでチャンス逃したくないですしね」
あえて何のチャンスかは聞かないでおこう。
「でも、何でそんなに安心してるんですか?も、もしや、私の体の心配でもしてくれてるんですか?」
「そんな事ある訳ないじゃないですか。そんな事するような人に見えますか?」
「………答えにくいですけど、見えません」
言いつつも、はっきり言う气作さん。
そう表裏ないと社会でさぞ苦労していることだろう。建前とか露骨に使いそうだしさ。
社会人じゃないから適当に言ってるんだけどね。
「そう見えないんだったら、やりませんよ。個性の範囲を無駄に広くしたくないですからね」
「社会人になったら、個性なんてなくなるんですから、今のうちに広げておいたらどうですか?お姉さんからの忠告です。結局、煙草を吸わないことの何がよかったんですか?」
「いえ、俺は煙草嫌いなんで、吸ってたら气作さんを海に蹴り落とそうかなぁーと」
「つ、突き落とす!?私、今日、着替え持ってきてないんですよ!?それに、私は泳げないんです!」
ものすごい必死だった。
肩を両手で捕まれ、前後にシェイク。
それはもう社会人の挙動ではなく、錯乱した子供のそれだった。
錯乱した子供はもっと酷いけどね。制御なんて利かないしさ。
「それを期に泳げるようになって、俺のストレスも解消。一石二鳥じゃないですか」
「いくら得があったって、そんなの誰もしませんよ!それにそんな状態で泳げるようになる訳ないじゃないですか!百害あって一利なしです!」
海に落ちるだけで百害もあったら堪ったものじゃない。ぜひ、列挙してほしいものだ。そんな子供じみた言い回しに対する挙げ足取りなんてしないけどね。これ以上からかうと、俺が海に突き落とされそうだしさ。气作さんにじゃなくて、そろそろ痺れを切らしてきた美作に、だ。
それにしても、一週間フェリーが来ないのに、着替えを持ってきてないとは。来るのが初めてなんだろうか?
どうでも良いんだけどね。
「私は仕事があるんですから、社会人として子供に付き合ってる暇なんてないんです」
先程言っていたことと、若干矛盾したことを吐きながら、立ち去ろうと足を動かし出した。
先ほどの襟を正したとき、逆にスーツの襟が曲がっているのは言わないでおこう。目印になりそうだしね。
「それじゃ、また。えーと……」
「まだ何かあるんですか?謝罪なら聞き入れてあげます」
「いえ、名前、何でしたっけ?」
「ばーか!死んじゃえ!」
度重なるからかいの所為か、適応機制で退行してしまった。相当なストレスだったんだろう。
气作さんは島の北側へと走り去ってしまった。
悪いことをしたかな。初対面の人も構わず、からかってしまうのは悪い癖だ。直す気はないけどね。面白いしさ。
こういうことをしているから、変な人間の知り合いが増える一方なんだろうか?どうでも良いけど。
「…………」
美作の睨みが相当な怖さに達してきたし、今日は帰ることにしよう。
無言で作り笑いを浮かべながら、美作と目を合わせる。
相変わらず、美作の瞳は黒くて澄んでいた。
「帰るか」
美作は頷いた。
今度こそ本当に帰ろう。
からかう相手もいないしね。俺は暑いの嫌いだしさ。
丁度、气作さんを追う形になるが俺は北に歩き出す。
美作は俺が歩き出したのを確認してから、横に並ぶようにして歩き出した。
そう言えば、こうして誰かを横にして外を歩くのはいつ以来だろうか。誰以来だろうか。何人目だろうか。
あ、この島に来る前のバイト先から文子さん宅へ連行されるとき以来か。
意外に近かった。
一年とか五年ぐらいを期待していたんだけど。そっちの方が謎めいていて、何となく良さげだしさ。
実際のところ、俺はそこまで謎めいていないらしい。残念至極。
不意に、手に温もりが加わった。
この暑いのに、美作が手を握ってきたのだ。
「…………」
やはり、いつものように何も言わず、真意の見えない美作。
一体何がしたいのか、よく分からないが、振り払う必要もなかったので、そのままにしておいた。
暑くて汗をかきそうだけどね。
あれ、もしかすると、俺と誰かが手を握ったのは初めてかも知れない。少なくとも俺の記憶の中では。
年齢一桁前半の頃なんて覚えてないしね。
それでなくても俺は、記憶力薄弱だしさ。
美作が手を握っていた真意は、考えている所為で遅くなっていた歩みを、必死に引っ張っているだけだった。
俺は当分の間、気付かないでいたけどね。
* * *
結局、倒壊寸前アンティークアパートに帰ってくるまで、手を引かれて帰ってきた。すっかりお互いに手の平を汗まみれにして、感触が悪くなっている。
俺はそんなこと、気にならないけどね。美作は知らないけどさ。
一歩前にいた美作が立ち止まったので、俺もあわせて立ち止まる。同時に手も離した。
手の平を風が撫で、汗を冷やして気持ちいい。
アパートまではまだ五、六メートル程ある。それなのに美作は止まった。
理由は簡単、アパートの前に変質者がいたからだ。
ダンダンダンとひたすらにノックをラッシュ。
煩いし、かなりの近所迷惑だ。
「ちょ、いつまで出てこないつもりですか!?狸寝入りも居留守も効きませんからね!テント張ってでも、待ちますからね!」
ちなみに、アパートの前の地面はアスファルトだ。テントを建てるために試行錯誤する姿を見てみたかったが、この調子だと夜までノックを続けそうだ。そんなんじゃおちおち夜も眠れない。
一日ぐらい眠らなくても良いけどね。
動く気配のない美作を置き去りに、迷惑者に近づいていく。
俺に全く気付く様子はなく、ひたすらノック。一心にノック。そんな叩きすぎると、ベニヤ合板の扉が壊れそうだ。そんなことはないだろうけど。
襟の歪んだ背中の後ろに立つ。
ここまで気付かないと本当にこの人の鈍さが心配だ。人のことは言えないんだけどさ。
とりあえず俺のすべき事は、大きく手を挙げて――
「わっ!」
「フギャ――――ッ!!」
大声と共に、手を降り下ろした。
气作さんが悲鳴を上げて、腰を抜かした。
予想以上のナイスリアクションだ。
アパートの前、もっと細かく言えば、数無さんの部屋の前にいたのは气作さんだった。
状況から察するに、数無さん担当の編集者か何かだろうか?詳しくは知らないけどね。
はぁ、どうやら气作さんと深く関わらなければならない予感がしてきた。
仮にも数無さんは俺の雇い主だしね。
ま、退屈しのぎに良さそうだけどさ。
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