二章:心 04
数無さんが見えなくなるまで見送ってから、暑くなる前に早々に退散しようと踵を返し、西を向く。
そういえば、俺は一体この場所に何をしに来たのだっただろうか?
朝起きて、部屋を出て、理由もなくこんなところにくる程、俺は物好きではないはずだ。何らかの理由があったはず。
はて、何だっただろうか……。
自分の記憶力のなさに絶望しかけたところで、数無さんとはまた別の、特徴のない女性らしい声をかけられた。
「おはよ。こんな時間に珍しいね」
顔だけを向けて軽く声をかけられた方向である右を向くと、純粋無垢に笑う女性。
いかにも日本人女性らしい顔つきで、若干短めの髪は日に焼けた所為か、ほんの少し茶色い。そのくせ肌は青白いので、髪の色は日焼けではなく地毛かもしれない。
体型は日本人らしく手足が若干短くて、小柄。
水色のキャミソールにデニム生地の短パンと夏らしい服装だったが、何分肌が白いため少しにあっていない感じがする。ファッションセンスが俺にはないから、とやかく言えないけどね。
こんな人を俺はこの島に来て一度も出会ったことはない。親しげに話しかけられるなんてもってのほかだ。離島なだけあって、というと偏見なのかもしれないが、この島には年配の方が多い。
同年代の人間といえば、瞬間的に思いつくのは美作と左ぐらいのものだった。
さすがにまだ、この島に来て一ヶ月ばかり。出会ったことがない人がいても不思議ではないが、同年代の人であれば目立つため、若干違和感を感じた。
違和感だけでなく、他にも不思議な感覚に包まれたが、正体が定かではなかったので放置しておこう。考えたところで感覚的なものは分かりづらいし。
とりあえず、俺は当たり障りのないように、軽く会釈をし、同年代の相手に堅苦しくなりすぎないように、どうも、とだけ軽く言っておいた。
友人にしたいのならばもう少しフランクにすれべきかもしれないが、生憎それは下澄左と美作真逆二人で間に合っている。少なくともここではね。明確な友人の定義なんて知らないけどさ。
「何か今日は冷たいね。いつもと違う感じ」
「冷たくはないだろう?むしろ暑いくらいだ」
「はは、面白いことを言うね」
面白いことを言ったつもりは一分たりともないのだが、そこら辺を突っ込むと余計ややこしくなりそうだし、スルーすることにした。どうせ長く会話するつもりはないしね。
何度も言うが、俺は暑いのが大の苦手だしさ。こんな奴放っておいて、帰宅したいぐらいに。
と言うわけで、実行。
「じゃ、俺はこれで」
「ちょ、ちょちょちょ!ちょっと待ってよ!ウェイト!もう少し話をしてもいいんじゃないかな!どうせ急いでないでしょ!」
「いや、実を言うとこれから本土まで泳いで渡るんで、早めに出たいんだけど」
「いくら冗談でも無茶じゃないかな!?」
初対面なのになんと言うノリの良さだろうか。
僅かばかりデジャヴを感じたが、俺は一刻も早く家に帰り、涼みたかった。部屋にはクーラーはおろか、扇風機さえないけどね。
少しばかり気が引けたが、首を戻しそそくさと家に帰ることにした。
早い話が無視なんだけど。
当たり障りなく挨拶したのが無駄な気はしたが、これ以上無駄な会話を続けたくなかった。重ね重ね言うが、本当に暑いのは嫌いだからさ。
「うわ、無視は初パターンだよ、レアだ!放置プレイだよ!って、そんなこと喜んじゃまずいって、私!」
一人漫才ももちろん無視。
走って逃げると、暑いからという大義名分が損なわれてしまうので、俺は歩いて帰ることにした。実際のところは単純に話すのが面倒なだけなんだけどさ。
が、その本音を口に出すわけにもいかないので、こうして無視に走っているわけだ。
こっちのほうがよっぽど失礼な気がするけどね。
本音も建前も胸にしまったまま、俺は帰宅の途についた。
* * *
「で」
現在、午後九時。場所、俺の部屋。
相変わらず、気温が高かった。
「何で俺の部屋までついて来てんの?」
なぜか俺の部屋には俺以外にもう一人、闖入者がいた。
突然入ってきたというよりは、しつこくストーキングされた結果、いつの間にか進入されていたのだけど。
「いいじゃん、一度来てみたかったし」
一度も何も、今日初めて会った人間にそんなことを言われたら、俺には出会った人間全てを部屋に招かなければならないという理屈が発生しそうだ。
この部屋が俺の住処となってから踏み入れたことがあるのは、寡黙ながら、かいがいしく引越しの荷物運びをしてくれた美作と、部屋の主たる俺だけだったんだけど。一ヶ月の間この二人しか入ったことがないなんて、一種の異常性が感じられたが、異常だからって、俺の生活が狂うわけでも、問題がある訳でもないから構わないけどね。
むしろ、こんな風に意味もなく部屋に上がってこられた方がよっぽど生活が狂い、問題になる気がする。
苦手だな、こういう奴。
露骨に顔に出してもいいが、今さらそんなことしたところで、無視以上の効果は得られないだろう。
「それにしても何もないね。冷蔵庫に布団と机、洋服棚……うわ、家具らしいものが片手で数えられるなんて驚きだよ。私の部屋より少ないじゃん」
まったく失礼な。
余計なお世話である。布団は家具に含まれるのだろうか、元々あった台所にあるコンロは家具ではないのだろうか、などと、どうでもいいことまで考えを巡らせててしまったじゃないか。
これは自分の責任なんだけどさね
「話に聞くと、もうちょっと引越し荷物って多くなかったっけ?荷解きが大変そうとか言ってたし」
今更ながらだが、ようやく俺はここで初めて初対面でないことに気付いた。
それならば、家に来たがっていたことや引越しの荷解きについて知っているのも、多少納得がいく。
朝っぱらから二時間近くストーキングしてまで家に着たがっていた理由までは推し量りかねるけどさ。
そんなことより問題は、この女性と会話した記憶がないのが問題ことだ。
俺の海馬は、模型で出来ているのかもしれない。
いや、もしかしたら又聞きかもしれない。
美作でないだろう。あの無口な人間にはまず、これほど多くの情報を他人に伝えるようなこと、自主的にはしないだろうし。
有栖ちゃんも似たような理由で却下。
すると残るのは青猫さんか、数無さんか。
青猫さんは説明好きだし、数無さんもあの快活に喋る《人格》ならば問題なく噂を流布しそうだ。
とにもかくにも、こちらに何の記憶も判断材料もない以上、俺から何らかのアプローチをかけていくしかないだろう。
彼女が部屋に来るまでの物凄い遠回りした間、一人で喋っていたのと同様に、ここでも一人楽しげに話しているので、俺はその途切れ目を狙って、話しかけることにした。
因みに、無駄に二時間近く遠回りをして歩いていたのかといえば、言わずもがな、家を知られると面倒なことが増えそうだったからだ。
結局は家までやって来られてしまった訳だから、まったくの徒労だったんだけどね。
「ところで、失礼だけど……どちら様?」
下手に回りくどく、オブラートに包む必要性が感じられなかったので、ダイレクトに聞くことにした。
そんなことで崩れるような人間関係なんて捨ててしまえ、俺。
俺の言葉を聞いて彼女は一瞬、キョトンとした顔をしたが、すぐに破顔大笑、まったく無遠慮に腹を抱えて笑い始めた。
本当に失礼な奴だ。
「あはは!ずっと分かってると思ってたよ!ふふふ、何でも分かってそうな顔してるくせに、実を言うと結構間抜けなんだね!」
これは褒められたのだろうか、はたまた貶されたのだろうか。間違いなく貶されている気がする。
相手が誰だかは未だにわかっていない俺であったが、そんなことは関係なしに引っかかるものがあった。
そのうち地味な意趣返しでもしよう。
俺はさりげなく、でもないがネガティブなことを考えつつ、女性の言葉に耳を傾けることにした。
「やっぱり髪とか目って、一番印象に残りやすいところだから、そこ変えちゃうと、なかなか分かんないもんだね」
あぁ、とようやく気付いたが、俺の思考が名前に到達する前に、彼女自身が自らの口で答えを告げる。
「私の名前はサゲスミヒダリ、って言うんだよ。上下の『下』に、水が澄んでるって言うのに使う『澄』、左右の『左』で下澄左って読むんだ」
「……下澄左って誰だっけ?」
「ちょ、いくらなんでもそれは酷いんじゃないかな!?」
「ずっと素性を黙っていた左には言われたくないけどね」
「ぐぅぅ……」
別に酷いことを言ったのが復讐とか仕返しとかそういうわけじゃないんだけど。
決して地味な意趣返しとかでもない。 |