二章:心 03
『事実は小説よりも奇なり』という言葉がある。
何時、何処で、誰が、どのような状況で、どのような経験をして、どのような事態を招き、何を思い、何を考え、何を導き出した結果生まれたのかは、まったく俺の知らないところではあるが、事実としてそういう慣用句があるのは、確かだ。
個人的には言葉の調子や口当たりも良いので、中々に好きなセンテンスではあるし、初めて言った人間はあらゆることを問わず尊敬に値する人物だというのは過言だろうが、文学的にも感覚的にも優れた人物であったのだろう。
実際会ったことどころか、名前はおろか、性別さえも知らないのだから、無責任なことこの上ないけどさ。歴史上の偉人に対する現代人の評価なんて、大抵のものはそんなものだろうとは思うけどね。
そんな『事実は小説よりも奇なり』というフレーズとはまったく関係ないことを無駄に述べてみたりしたが、トピックにあげているイデオム、『事実は小説よりも奇なり』、これについてよくよく考えれば、いや、揚げ足を取るかのように狡猾に意味を考えるならば、俺にとって、そんなことは当たり前な気がしないでもない。
そもそも、小説というものは、人間が空想し練り上げる物語のことだ。ここではノンフィクション小説はのぞいて考えてもらいたい。
人間が個人、あるいは少人数で作り上げていく以上、そこには一貫して何らかの統制の取れた設定というものが必要になってくる。
世界観にしろ、人間関係にしろ、そういった莫大なものを人間の脳という小さな器で決定していく以上、事実に存在しているリアルなものにはどうしても劣ることになる。いくら小説が奇をてらったところで、それさえも何らかの帰結がつくという統制を誰もが求める。
奇妙なことを、奇妙なタイミングで、奇妙に出し、何の解決の糸口さえもなく奇妙なまま終わる。これは確かに統制の取れていない奇妙なものなのだが、果たしてこれは小説と呼んでよいものなのだろうか。
誰とは言わないが、とある家庭教師がそんなものは文字の羅列、と在り来たりな言葉をもってして批判したことがあった。この批判について個人的に多少なりとも反論がないかといえば嘘になるが、俺は大部分のところこの意見に賛成している。反論しないのは面倒、だからじゃない。
それに比べ、事実というものは人間の及びつかない膨大な演算量から導き出されるような世界を、たった一言、“偶然”なんて短い文字列で運営している。
そんな乱数で満たされたような世界よりも奇妙なものを、人間は考え付くことが可能なのだろうか。少なくとも俺は無理だと思うけどね。
実際それをしている、事実を凌駕している演算を行い執筆された小説もあるんだろうけどさ。それを世の中の人は名作と言うんだろうし。
結局、俺が言いたいのは、統制を取ろうとして帰結を用意して作られた小説では、どう足掻いたところで現実を凌駕する奇妙さを、もっと言えば興奮や驚愕を見出すことは出来ないのではないのだろうか、ということだ。
別に小説を非難してるわけじゃないんだけど。最高値が現実のほうが高いだけではないか、というだけの話であって、総合的な量で見ていけば小説の方が量としては上だろうしね。現実と小説の両立は可能でもあるし。
延々と長ったらしくこんなことを俺は何故考えているのかといえば、暇潰しと現実逃避を一緒くたにしているだけなんだけどね。
俺は子供じみた、言葉を考え出した昔の誰かさんに対する、無駄な反感を燃料とした思考に終止符を打ち、部屋の真ん中で横たわっていた体を気だるげに起こした。
時計に目をやると、午前七時。
活動を開始するには、ちょうど良い時間だろう。
恐ろしく物がない、自分自身良くこれで生活が出来ているなと思うほどガランドウな部屋を出る。
昨日、二日分二十時間睡眠したので昨夜は徹夜して時間調整をしてみたりしたが、どうやら無駄な行動らしかった。普通に眠い。睡眠時間というものは算数的に加減算ができないようだ。
これでまたひとつ勉強になった。
知ってたけどね、そんなことは。
相変わらず物凄い音で軋む階段を下り、少し迷ってから海に向かって歩く。
小さな島なんだから、どっちへ進んでも海なんだけどね。
俺が言うところの海というのは東側、朝方から夕方にかけては南から北に風の吹きぬける防波堤の高い、海岸沿いの道のことだ。
さらに付け加えるなら、左と初めて会った場所。
むせ返るほどではないけど、濃い潮の香りの中、手を軽く揺らしながら、ゆっくりと歩を進める。
いつもは海に近いのに潮の香りは淡いのに、今日は特別濃い気がした。きっとこの時間帯特有のものなのだろう。
俺はこんな時間帯に海岸線に向かったことがなかったので、いつもの事で知らないんだけどさ。
気付けば風もない。
俺のイメージとしては、この場所は常に強い風が吹いていたのだが、今は髪をかき乱すどころか、髪の毛一本揺らす風さえも吹いていない。いわゆる、凪という時間帯にあたったのだろう。
そこら辺の知識はあまりないので、あくまで推測ないことなんだけどね。
間もなくして、海岸線沿いに着くと、思わぬ珍客に出くわした。いや、表れたのはこちらなのだから、珍客は俺なんだろう。
「よっ、こんな時間帯に珍しいな!多分初めてだろ?」
まるで僕の来訪を初めから予期していたかのように、気楽に数無さんが話しかけてきた。
洗いざらしたジーンズと、少しよれ気味の白いTシャツ。
いつもの、いや、数無さんのこの《人格》が着ていることが多いスタイル。
ジーンズが汚れるのも気にせず、海に背を向ける形で高い防波堤に座っていた数無さんは、よっと軽い掛け声とともに飛び降りると、そのまま俺の近くまで歩いてくる。
「昨日は寝坊で今日は早起きか。もうちょっと平均的に生きろよ」
「七時じゃ早起きにはならないと思いますよ。そもそも昨日寝すぎたんで、今日は一睡もしてませんけど」
「うわ、極端だな。馬鹿だろ」
「いきなり馬鹿とは失礼ですね」
「仕事をサボった理由を冗談で誤魔化そうとした奴ほど失礼じゃないけどな」
数無さんが快活に笑ったので、俺もつられて微笑もうかと思ったが、そんなキャラでもないないと思い、押し黙ることにした。
今朝の思考を思い出す。
『事実は小説よりも奇なり』。
小説家のこと人のほうが、小説よりよっぽど奇妙だ。
小説の多重人格障害と、事実の多重人格障害。どちらにしたって同じDID――乖離性同一性障害だろうが、その重さは歴然とした差がある。
空想で扱われているDIDでも分かる通り、この障害は好奇心で軽く扱われがちではあるが、現実のDIDは好奇の目に曝していいようなものではない。
多くのDID患者は過去に繰り返し心的外傷を受けた結果、自我崩壊を防ぐために発祥している。そんなものを軽々しく扱っていいはずがない。
そう知りつつも、昨日からかった俺は、実を言わなくても酷い人間なんだろうね。
今に始まったことじゃないけどさ。
俺の目の前で快活に笑っている数無さんは、一体どんな過去を持ち合わせているんだろうか?興味がないといえば嘘になる。興味があるといっても、それが的を射ているかどうかは甚だ疑問ではあるが。
そもそもこの《人格》は……この《同一性》は一体いつ発現したものなのだろうか?
初めから成長とともに固定化された《同一性》なのか、それとも何らかの心的外傷から逃げるために現れた、盾としての《同一性》なのか。
俺には分からないし、分かろうとも思わない。
このことは詮索する必要も、するべきでもないので、俺はここで思考を打ち切った。
自分の気持ちを切り替えるためと、昨日の話に発展しないために、俺はまったく別の話題を切り出す。
「あの、ジーンズ汚れてますよ?」
「いいんだよ、どうせ洗うんだし」
「洗ったら色落ちしません?」
「あたしはどっちかって言うと、色落ちしたジーンズのほうが好きなんだよ!」
強がりのようにそんなことを言ってから、数無さんはそっぽを向いた。そのまま俺に顔を向けなおすことなく、まだ低い位置にある太陽を眩しそうに見る。
目にも悪いし、眩しいならば無駄にそんなことをしなければいいのにと思ったが、僕はあくまで数無さんの仕事の助手であって、管理人ではないので注意することはしなかった。
目が悪くなるに任せて、どんどん悪化してしまえ。
俺は他人の才能について妬むような奴なのだ。
冗談だけどね。
数無さんが他方を向いている間、俺はやることがなくなり、手持ち無沙汰になったので、辺りを見回す。
左と遭遇するのは常にといっていいほど、この場所に限られていたので、何処かにいるのではないかと淡い期待を抱いたが、こんな朝早くにいるはずもなく、会話のきっかけ、およびからかう相手探しは失敗に終わった。
何か話題はないかと思っているうちに、自然と沈黙が起こる。
このところ会話をするたびに、沈黙に遭遇するが、これは俺の意思疎通能力不足なのだろうか?
それとも、周りの人間が意思疎通能力不足の多くの人間がいるのだろうか?
はたまた、会話の途中に沈黙があることは、世間一般では普通のことなのだろうか?
最後の選択肢は冗談にしても、こう度々沈黙があったりすると、意思疎通について真剣に悩むべきなのかと思ってくる。
実際は悩む振りをして、暇潰しのネタにするだけなんだろうけどね。
すぐに忘れるけどさ。
「お前は、何にも訊かないんだな」
「質問事態はそれなりにしてると思いますけど?」
「いや、どうでもいいことに対しての質問じゃなくてさ。もっと大事なこととか、さ」
「訊いてると思いますけど?訊かれないと思ったんならそれは俺が気付いていないだけか、必要ないと思ってるだけですよ」
「何つーか、他人に無頓着な奴だな」
それは昨日、彼女ではない別の《同一性》に言われたことと、同じこと。
数無さんと遭遇した時点である程度の覚悟は出来ていたけれど、やはりその話題は避けられないらしい。素直に面倒だと思う。俺は基本的、面倒なことが嫌いなのだ。暑いこと以上に。
面倒なことを無くしたくてここまで来た訳だしさ。
この手の病気、精神疾患というのは精神面で他人に知られたくないものだと思っていた俺は、自分から切り出さない限り数無さんから振られることはないかと思ったけれど、どうやらそれは偏見だったらしい。
数無さんが特別なだけかもしれないが、それは考慮すべきではない。特別かどうかは、もし別の二人以上のDID患者にでも遭遇したときにでも決めればいいことだ。
比較対象がない以上、これは無理な話。
「数無さんは」
俺はいろいろ考えつつも、そっぽを向いたままの数無さんに結局訊くことにした。
「俺に、何かを訊いてほしいんですか?」
「……別にそういうわけじゃないけど」
「そうですか。じゃあ、俺は何も訊きませんし、何も詮索しません」
そんな思わせぶりな答えしか返さないなら、思わせぶりなことを言わないでほしい。またひとつ、考えてしまいそうになる。
面倒なことを増やさないでほしい、なんて冷たいことを言うつもりはないけどね。
さて、そろそろ日も昇ってきて、気温が高くなってくるころだろう。
何かを話すにしろ、話さないにしろ、そろそろ引き際か。
基本的に俺は暑いのが嫌いだ。気温にしろ、料理にしろ、人柄にしろ、いろいろなことにおいてね。
「数無さん、そろそろ帰りませんか?今日も暑くなりそうですし」
「いや、今日は外をずっとぶらついてる。仕事は休みでいいよ。しかも有給休暇だ、有給。有給休暇もらえる高校生が世界にに何人いると思うよ。少ないぞ、かなり!つー訳で、じゃな!」
先ほどの若干混じっていたシリアスさはどこへやら、いつもより少し高めのテンションで背を向けたまま、手を軽く振りつつ、早足に去っていく。
颯爽としてるなぁ。
目をそらしてからその後一度も、数無さんは目を合わせることはなかった。 |