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夏影
作:椎堂 真砂



二章:心 01



   ●

 忘却してください。
 私は斯んな風に生きて来たのです。

   ●

 俺は小さな窓から入り込む鋭い朱い夕日を、顔面に直接受けて目を覚ました。いや、目を覚まされた、が正確か。
 己の思考が能動的だろうが受動的だろうが、間違っていようが正しかろうが、真だろうが偽だろうが、まったくもってどうでもよい事ではあるんだけどね。
「あー……、うー……」
 不明瞭な思考と視界と発言をしながら、俺は微睡みからの脱却を諮る。いや、諮らされた、が正確か。いやいや、諮る、で正確か。
 かくも日本語とは難しいものだ。日本語が難しいからと言って、突然、英語やらドイツ語やらフランス語やらアラビア語やらスワヒリ語を話始めるわけではないけどさ。
 美作真逆みまさかまさかから引っ越し祝いに、と貰った木製の暖かみのある茶色くて丸い掛け時計に目をやると、時計の針はとうに午後六時を三十分程オーバーランしていた。どうやら俺は二十時間睡眠をナチュラルに達成してしまったらしい。
 “若干”寝過ごしたか。大体十二時間程度。
 本来予定していた時間が、寝過ごした時間の長さよりも短いのだから滑稽だ。
さて、どうしたものだろう。
 どうしようもないのだけれど、どうするべきだろうかを模索する。
 答えがないと分かっているというのに、それでも俺は模索する。
 まったく俺と言う人は、滑稽な事が滑稽過ぎて滑稽な事この上ない滑稽具合を持ち合わせた性格らしい。
 とりあえず、訳の分からない事を考えて、誤魔化してみた。するんじゃなかったと後悔。
「はぁ……」
 ため息一つ、立ち上がる。
 無駄に過ごした時間をどうやって取り戻すかという、無駄な模索をやめる。無駄に有り余っている時間なのだから、無駄に過ごしたところで何ら問題ないと、いつものように結論付けて。
 いや、本当は不味いんだけどね。
 まったく、人間とは一ヶ月もあればここまで堕落できるとは思いもしなかった。
 この状態を進歩と喜ぶか退化と嘆く、あるいは進歩と嘆くか退化と喜ぶかは人次第、か。
 何だって良いんだけどね。
 俺としては何も思うところはないしさ。
 それにしても、一ヶ月ね、一ヶ月。
 ふとした考察。
 俺がこの島にやって来て早一ヶ月と三日、左と出会って丁度一ヶ月、家出を開始して五週間がもう経ったのか。
 感覚としてはやっと、だけど。この上なく密度高かったし。内容に意味なんてなかったけどね。
 割りと雑貨もそろって来た自分の部屋いえにいつまでも一人立っているわけにもいかず、俺はスニーカーを履いてベニヤ合板の戸を開いて外に出た。
 日差しは強くなかったけどそれなりに暑い気温。海の所為で湿度が高くてジメジメして気持ち悪かった。これだけジメジメしているとカビが心配だ。
 このアンティークみたいなアパートの場合、死活問題じゃないか、カビって。下手をすれば倒壊しそうだ。
 何もしなくても倒壊しそうだけどね。それで一ヶ月もってるんだけどさ。
 最近慣れてきたし、このスリル。人間の慣れって怖い。
 そんなことを悩んでも仕方ないし、アンティークの様になるまではここにこうして立っていたのだから、何らかの対策はしているだろうけど。
 もしかしたら何の対策もしていないから老朽化が早かったのかも知れないけどね。
 いつもの様に玄関先で下らないことに頭を悩ませつつ、呆けていると横から声がかけられた。
「ん?よぉ!ようやく部屋から出てきたのか!あんまり遅ぇーからどうしたのかと思ったら、何で黄昏てんだよ?」
「実を言うと、黄昏てるわけじゃなくて、千里眼で本土の様子を見てたんです」
「そりゃ邪魔して悪かったな」
 どうやら数無さんはノる気はなかったらしい。
 俺は仕事をサボった被雇用者であって、数無さんは俺を雇っている雇用者なのだから当然と言えば当然の態度ではあるんだけどね。ここは、真面目に謝っておくべきだったか。
 安易に行動しては、逆効果になりかねなかった。失敗失敗。失敗した事が失敗し過ぎて失敗した事この上ない失敗具合だ。
 俺は玄関からでたそのままの体勢から廊下の階段側、数無さんと向かい合うようになる方向にに体を動かす。
 向かい合ってないと会話ができないという法や道理があるわけではないけれど、単に顔色から会話の材料を得やすいと言う理由だけで顔を突き合わせた。
 何しろ俺はこれから、数無さんの機嫌をとらなければならないのだ。
 顔を付き合わせたはいいものの、俺は一体この先何をするつもりなんだろうか。何をするつもりだったんだろうか。例え俺に顔色から、会話から全てを読み取る力があったとしても、俺に生まれつき読心術が備わっていたとしても、そこから情報を得て、何かをすることに一体どれくらいの意味があるだろうか。
 自問してみる。
 本土では日常的にしていた単純な事が途端に、分からなくなった。
 心とは俺みたいに揺れやすいものらしい。揺れやすく、分からなくなりやすい。
 分からなくなったところで、会話の成立なんてどうでもいいことなんだけどね。
 心なんて不確かなものを考えても仕方ない気がするけどさ。
 なーんてね、哲学じみたことを考えたり、逆に否定したところで俺の根幹の部分は変わり様はない。要は――
「どうでもいいんだけどね、そんなこと」
「そう拗ねるなよっ!ちょっと冷たくあしらったくらいでさっ!」
 俺が無駄無義無利益無意味無味無臭な事を考えている間に数無さんがいつの間にかすぐ側に来ていた。
 一旦会話を切ったと思っていた俺にはまったく繋がりは分からなかったが、きっと数無さんの誤解によって会話が繋がってしまった。こんな風にズレるのも、心がある故なんだろうか。
 やっぱりこれも、どうで良いことなんだけどね。
「んでさ、ちょっとした疑問が二つあるんだけど、聞いて良いか?」
「……何ですか?」
 俺は向き合わせていた体を数無さんから逸らして、廊下の鉄柵によりかかるようにしてさもやる気無さげに、実際にもやる気なく数無さんの問いに問いを返した。
 あ、そういえば俺って機嫌をとらなきゃならないんだっけ。すっかり忘れてた。今さら態度を改めるのもなんだし、いっそのことこのままこの態度を貫こう。
 俺のプライドは割と高いのだ。
 嘘だけどね。
「さっきの千里眼云々ってさ、勿論冗談なんだろうけど、何かしらきっかけぐらい有るだろ?その冗談を言うきっかけ」
「え?きっかけ……ですか?」
 きっかけがないわけではない。
 ありすぎるくらいにある。咄嗟に口から出た言葉が本心とは限らないけど、誰にだって言葉のきっかけくらいは有しているものだ。
 俺にも例外なくソレは当てはまるらしい。
 俺は顔は鉄柵の向こうに向けたまま、視線だけを数無さんに投げて、問いに対して正直に答えた。
「電話、したんですよね、昨日。特に何か話したかった訳じゃないんですけど、なんとなくしたくなったんで」
「ん〜?それでホームシックか、家出少年?」
 数無さんは俺の頭にむんずと手をのせて、手首だけでクシャクシャ髪を撫でる。
 寝起きで元々グチャグチャだった髪がさらに乱れたぐらいは何とも思わないし、数無さんに頭を撫でられたところで大した感慨やら羞恥やらは感じない。ただ、俺が数無さんに対して思うのは、ヤケに年上風を吹かせたような言い方をするな、くらいのコトだ。
 俺が鉄柵にもたれかかっていなければ、背の高さが災いして(俺からすれば幸いにして)、さぞ年上の威厳も何もない絵面になっていただろうけどさ。
 数無さんには随分前に(とはいっても二週間前)、家出してきた事は伝えていたが、その後の俺を見てホームシックになるような人格に思えたのだろうか?聞くまでもなく、そう思えたに違いない。
 どんなに勉強したところで、所詮は一介のティーンエイジャー。大人から見ればガキが意気がってるようにしか見えないのだろう。もしくは、強がっているとしか。
 俺の事情をほとんど全部と言って良いほど知っている青猫さんも同様なのだろうか?
 どう思われていたからと俺が知ったところで、態度が変わる訳じゃないんだけどさ。
 ちなみに、数無さんには家出したことまでしか、明かしていない。それ以上は教える必要も、教えるべきでもないと思ったから。
 本来なら、家出したことも教える必要なんてないんだけど、頼まれてもないのに教えたのには訳がある。
 相手の想像に任せるのは楽だけれど、想像力豊かな人に任せてしまうとあらぬ方向に行く場合があるとだけ、表現させてもらうことにしよう。
 考えると思い出して嫌しさ。
 俺は頭にのせられた腕を軽く払いつつ、また撫でられるのは面倒なので、もたれかかるのをやめ、若干目線を斜め気味にして数無さんの視線を逸らすように立つ。
「別にホームシックじゃないですけど。ところで二つの疑問のもう一つって何です?」
「あぁ、さっきの疑問はどーでもいいから、適当に答えてもよかったが、次の質問はきっちり答えろよ」
 ほんの少しだけ、数無さんは表情を真剣にして俺に問う。
「お前、今まで何してた?」
「オイラー標数を暗記していました」
「あぁん!?」
「スイマセン、寝テマシタ」
 俺は無言のまま、無言で怒る数無さんに部屋まで三億円強奪事件の犯人よろしく連行されていった。
 三億円強奪事件の犯人なんて見たことないんだけどね。












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