一章:人間失敗 17
俺は髪にくすぐられる頬を未だに気にしつつ、話を続ける。
「いや、さ。こういうの言うのは悪いと思うけどさ、性格上言わないと気になるんで言っとくよ。『左』って名前ってあんまり良い意味じゃないんだぜ?」
「え?」
「『左』って言うのは本来、日本語じゃあんま良い意味じゃないんだって。ほら、左遷って言葉あるだろ。あれって位が高い右大臣が位の低い左大臣に更迭されたのが語源されてるんだよね。つまり、『左』は『右』より低いって言う悪い意味なんだ。ほら、ちょっと昔までは左利きは右利きに矯正されてただろ?それもこの関係。逆に時代劇とか江戸時代の人間の名前に『何とか右衛門』って名前あるだろ?あれは自分の位が高いって言うのを示してんだ。そんなわけで『右』ってつけるならまだしも、『左』って名前は不味いだろ?」
「ちょ、ちょっ、ちょっと待ってよ!初対面の人にいきなりそんなこと言うかな、フツー!?」
生憎、俺には普通と称して良いような人格は備わっていない、とは言わなかった。
彼女、下澄さんはどうやら本気でご立腹の様子。まぁ、突然自分の名前を貶されれば普通の反応なんだろうけどさ。
俺の周りには気にしない、気づかないは当たり前、むしろ喜ぶ奴さえ居たけどね。
とりあえず、この先円滑な人間関係を築きたかったから、フォローを入れることにした。
何を今更、なんて野次が飛んできそうだったけどさ。フォローするくらいだったら、最初からするな、なんて言葉も。
「まぁ、名前にあえて悪い意味の言葉をつけて、そうならないようにと戒めるっていう、粋な命名法もあるんだけどね。例えを出すならラスプーチンとかさ」
そう言って、俺は軽く口元をゆがめる。
「そ、そうなのかな?粋って言われるとなかなか……」
そう言って、彼女は軽くはにかんだ。
まったく単純な奴である。扱いやすい事この上ない。
扱う必要なんてないんだけどね。
「とりあえず、座ったらどうかな?ずっと立ち話もなんでしょ?」
自分のビーチサンダルを背後を通して反対側へと移し、彼女は隣にスペースを作った。
言うまでもなく、ここは防波堤で横に長く伸びている。見えている範囲だけでも四十人は座れる長さを有し、二人で座るにはスペースが十分どころか、無駄なまでにあった。
なのに隣に空間を作るという事は、考えるまでもなく隣に座れといっているんだろう。
俺は考えたけど。
このまま遠慮して立ち去るのも魅力的な提案ではあったが、ここで立ち去ってしまうと次にあったときに気まずくなる可能性があった。崩れたご近所の関係を修復するのは、割と面倒なのだ。
躍起になって当初の目的である島の散策を行う必要も無いし(最初はしてたけど。俺の気は変わりやすいのだ)、どうせ暇なのだから会話に付き合うことにした。
荷解きはまだ終わってないんだけどね。
自分の右側にスペースを作っていた下澄さんから、人一人入って座れるくらいの距離をとって座る。すぐ横にスペースを作ってもらったからといって、初対面の人間と皮膚がくっつきそうな距離に据わるような人は、まず居ないだろう。
炎天下の中、肌を触れ合わせて外で会話するような人間も早々居ないだろうけどさ。
この日差しなら帽子をかぶってきた方が良かったかなとか、自分を押し殺してミマサカマサカと接触して荷解きすべきだったかなとか、こんなに暑いならクーラーでも設置した方が良かったかなとか、そもそもこんな常夏の島を選ばなきゃ良かったなとか、とにかく色々後悔する程度の沈黙が俺と下澄さんの間に流れる。
会話とは状況を変えてしまうと途端に途切れてしまうものなのだ。今みたいにね。
そろそろ前世の後悔でも始めようかという頃に、ようやく下澄さんから話しかけてきた。
「……何か話題ない?」
すぐに立ち去るつもりだった俺に訊かないで欲しい。
そっちが会話を求めてきたのに、という言い訳は通用しない。基本、こういう場合における会話とは、とりとめもないことを話すことだ。話題提供を相手に対して求めるというのは極々自然な成り行き。求められた以上、肯定にしろ否定にしろ何かしら応えなければならないのだ。
人という悲しい動物の性なのだった。いや、人じゃなくてどっちかって言うと日本人なのだろうか?
純正日本人たる俺には、外国人の価値観なんて知り得ようもなかった。外国人の知り合いが居ない事もないんだけどね。
「そういやさ、下澄さんに似た名前で知り合いに『ヒタリ』っていう奴がいるんだよね。太陽が足りてるって書いて『陽足』。別にそいつがどうかした訳じゃないんだけど、なんとなく思い出したよ」
「へー、なんとなく親近感。名前からすると男の子?どんな関係なの、君と?」
こんな風に、ね。
会話なんて相手の人格を考えれば、ある程度簡単に会話を弾ませることは可能なのである。
俺に他人の性格、癖なんかを見抜く力があるかは甚だ疑問ではあるけどさ。
「あぁ、男だよ。どんな仲かって応えるとなると、やっぱ昔のクラスメートが一番シックリくるかな。友達って感じでもなかったしな」
「へー、昔か。って言うと、いつ頃の?小学校?中学校?それにしても『陽足』っていかにも、現代っ子な名前だよねー」
自分の名前を棚に挙げて、あははと下澄さんは笑った。
だから俺も、なるだけ話題が弾むように努力してみようと思う。
「いや、十日前」
「近っ!ついこの前じゃん!」
どうやら下澄さんはボケよりツッコミ派らしかった。
ここはボケに回って、そのコミカルさあふれる性格を遺憾なく発揮させてあげるべきなのだろうか?はたまた、スルーして普通に会話すべきなのだろうか?
そんな下らないことを考えていると、今度は下澄さんから話をふってきた。
「さっきさ、何気なく聞き流しちゃったけど、下澄さんって言わなくても良いよ?同い年位っぽいし、下の名前の方が気が楽かな、私は」
「ふーん、そっか。わかったよ」
「ところで君って幾つなの?」
「ん?年齢?忘れたよ」
「ふーん、忘れたんだ。じゃあ、しかたな――って、年齢忘れるってどんな記憶力!?」
ノリツッコミだった。
スタンダードなノリツッコミ。こうも型通りだとまったくもって笑えなかった。
思いっきりその感情を表情に出してみると、ひどいよ、と泣き声と共に帰ってくる。その泣き声と顔が面白かったのでキシキシと笑うと、相手からもハハハと笑いが帰ってくる。笑いあうのもなんとなく嫌なので、もう一度嫌そ気な表情を作る。
既に会話ではなくないっていた。 |