一章:人間失敗 11
「ま、閑話休題するけどさ」
唐突に、数無さんは自分が作り出した雰囲気を切った。
よくよく考えると、小説家のクセに日本語がおかしい。打ち切るような無駄話は多々あるが戻すような本題はない。そんなことを突っ込んだりするほど細かい人間ではないから、そのまま話を続ける。
考えてる時点で細かい気がするんだけどさ。
「水浸しになったメモはどうした?読めそうになかったからほっといた奴なんだけど」
「勝手ですが、読めそうになかったのでゴミ箱に入れておきました」
「だよなー……」
オーバーリアクションで目に見えてがっくりとうなだれる数無さん。どうやら俺は不味い事をしてしまったらしい。まだ使っていないメモ書きなのだろうか?だとしたら俺の悪戯が原因で水浸しになったメモ内容には一体どれほどの価値を内包していたのだろう?少なくとも俺の一ヶ月の生活費じゃつりあいは取れないだろうね。
とりあえず現状について説明しておこう。
「確かにゴミ箱に入れましたけど、破いて捨てたわけじゃありません。一応読めそうな部分は覚えてますけど」
「マジ!?」
数無さんの反応は早かった。
うなだれていた上半身を起こし、紙を踏みしめて突進するような勢い俺に向かって近づいてきた。いや、実際突進してきた。紙を踏んでいた所為で踏ん張りがきかなったのか、足を取られて頭から突っ込んでくる。
俺は突進してきた数無さんと衝突するわけにもいかず、ほんの少し体をずらし、数無さんを避けた。
その所為といっては、まるで俺が悪いみたいだが、数無さんは自業自得でこけた。こける直前手を突いて頭をかばったから、顔面から突っ込むなんて事にはならなかったけど。
「大丈夫ですか?」
一応ながら声をかけておく。俺が避けたりせずに上手く受け止めればこうならなかったのだから、多少罪悪感はある。が、俺には倒れ掛かってきた成人女性を全身で上手く受け止めるなんてスキルはない。いくら数無さんが軽いという仮定があっても相手は成人した女性。少なくとも40キロはオーバーしているだろう。
こけるという重心を取り損ねた状態を正常にしようと思えば、それなりの筋力とタイミングが必要だ。筋力には自信はあるのだが、こんな事態のタイミングなんて計った事なんて一度も無い。だから避けた。
以上、言い訳終了。
誰かに許しを請うている積もりなんて、更々無いんだけどね。
数無さんはこけた体勢のまま、ぴくりとも動かない。成人にもなって前のめりに転んだというショックに打ちひしがれているのだろうか?
それはそれでドジっ子として、可愛いといってくれるファンの方もいるだろう。俺は違うけどね。
よもや打ち所が悪く、気絶したのか?
いや、そんなフィクション的な展開はいくらなんでもないだろう。
待て、それは俺の都合だ。気絶するのはあくまで相手の運の無さの問題であり、誰にも等しく舞い降りる事故。いやいや、数無さんは手をついて頭をかばったはずだ。そんなはずない。いや、でも……。
本当に数無さんは不味い状態なのではないかとと思い始めた頃、結局自分で立ち上がった。ゆったりと落ち着いた挙動。
この人だとバッと言う擬音語と共に素早く、さっと起きそうなものなのだが。さっきから数無さんの性格と行動のギャップを見せられてばかりだな。
単純に俺の先入観が強すぎるだけなのかもしれないけどさ。
しばらく、数無さんは呆としたまま俺を焦点の合っていない視線で眺め、唐突にぴったりと焦点が合った。まるで立ったまま行っていた睡眠から目を醒ましたかのように。
本当にこの人は大丈夫なのだろうかと、心配になる。
大丈夫じゃない気がする。
気のせいである事を切に願うね。
「あ、え、あ、え、あっと……」
起きる前とはまるで別人。焦点が合い、視線が交差した途端、周りに何か縋れるものはないかと必死に探すようにキョロキョロと忙しく首を動かし、無いとわかると恥じ入るように俯いた。
まるで小動物のようだ。
あの豪放磊落とした性格の数無さんならば照れ隠しに話を逸らすなり、曲げるなり、歪ませるなり、折るなり、何なりして能動的に照れ隠しをするはず。先刻もそうした。
なのに今は俯くだけ。受動的なこと甚だしい。
別に責める様な事ではないのだけど。
「…………今日はもう良いですからさ…………また、明日にでも自己紹介でもしましょうな…………」
決定的に日本語として語尾が狂ったような言葉を言って、俺を部屋から追い出そうとする。物理的にではなく雰囲気的に。
もう貴方とは話したくありませんといわんばかりの無言のプレッシャー。言葉とは裏腹に、意志は強いようだ。
部屋主からそんな迫力で押されたならば、お茶漬けを出された京都の客の如く、早々に退散するしかあるまい。
実際、京都でお茶漬けを出して客を追い払っているようなシーンに遭遇した事は無いから事実かどうかなんて知らないけどね。
「あの、でもさっき濡らしたメモの内容は……?」
「……明日で良いですからさ…………」
欲しがっていたメモの内容でつってみるが、どうあっても俺に帰ってもらいたいらしい。明日になれば忘ているかもしれないと言う心配は無いのだろうか?そんな事はさておき、無理矢理他の人の口調を真似たような喋り方に疑問を残しつつも、俺はその場を去ることにした。
しかし、このまま引き下がるのも喉に小骨が刺さったような嫌な感覚が残るな。部屋を出て、廊下を歩き、玄関を抜けるまでの間、俺は何度か会話を試みる。
「そういえば、さっきはすいませんね」
「……明日で良いですからさ…………」
「そういえば、自己紹介がまだでしたね」
「……明日で良いですからさ…………」
「そういえば、自己紹介されてませんね」
「……明日で良いですからさ…………」
「そういえば、あの、」
「……明日で良いですからさ…………」
「そうい――」
「……明日で良いですからさ…………」
取り付く島も無い模様。
にべもない。
まぁ、後半から遊んでいたのは内緒なんだけどね。
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