一章:人間失敗 09
如月は自分の調べたことをポツポツと、箇条書きにした要項を上司に報告するように口を断続的に開く。
……『本邸』。
……『別邸』。
……『両親』。
……『親族』。
……『僕』。
そして…………『妹』。
はっきり言ってしまえば話半分に聞くつもりで、そこまで食い込んで調べられるとも思っていなかったし、理由もないと高を括っていた。
よもや『本邸』の深層部分と言っても良い、僕の『妹』についてまで暴かれているなんて、『本邸』の情報プロテクト能力が低いと言わざるをえない。
「調べたのは単なる知的欲求からだけど、君って……」
それより先は、言わなかった。
一言も、言わなかった。
調べたことは淡々と述べることが可能だというのに、いざ自分の意見を表現するタイミングになるとぼやかす。それを卑怯とは言わないけど、自分で話作っといて空気悪くするのはどうかと思う。
僕が言うべきことでも、考えるべきことでも無いけどさ。
重い沈黙。
こんな雰囲気は割と好き、でもないか。嫌いではないが、次の会話へ進行しにくくなるし。
一分経っても、二分経っても、五分経っても、誰の声も――とは言っても二人しかいないのだけど、音が響くことはなかった。
このまま十分が過ぎて、二十分が過ぎて、三十分が過ぎて、帰る時間になればいいと内心思っていたが、そんなことはまず無いだろうと腹の中では考えている。別に矛盾しているわけでは無く、並列して思考しているだけの事。
五分間、僕はただ勉強机に付属していた座り心地の悪い背もたれ付き回転椅子に鎮座していたわけではなく、如月に視線を注いで無意味に無意義に無駄に観察をしていた。
注視していれば大抵の人は気づく事だろうが、如月は喋らなかったのではなく、喋れなかった事が汲み取れる。
根拠は単純で、口が小さくもごついていたのみ。度合いが小さかったし、口の中に違和感を感じただけなのかも知れない。
そろそろ沈黙が十分ばかり時間が流れ、いよいよ本格的に気まずい空気になってきた頃、意を決したような雰囲気を纏って嘯きはじめた。
「君の事調べたのってさ、本当に知識欲だけが理由だったの。軽い気持ちでね。でも軽くってもさ、何て言うのかな、大きい本棚に十数冊しか本が入っていないような感じ、こんな感覚は嫌いだな。私にとって、これは言い訳なんだけど」
何となく、僕の中にこの比喩が残った、特に巧みなわけではないのに。きっと、共感するところが僕の中に少なからずあったんだろうと納得しておいた。
「でもね、調べてる内にそんなことなんて、どうでも良くなったの。手段が目的っていうか、手段の途中でいつの間にか目的が変わってたっていうか……」
ギッ、とベッドのスプリングが音をたてる。それと同時に如月は立ち上がり、ベタベタした蛇のような動きで近づいてくる。
目には、何も写っていない、光さえも。黒くて暗い瞳と虹彩の区別がつかない幽冥とした眼が、僕の方を向いている。
如月、お前は一体何を見てるんだ?
僕の心の隙間を覗いているのか?
或いは深層意識でもみているか?
見られて困るほど疚しいことも、裏側もないから構わないけどね。
「きっと私はね」
何処までも独善的に、僕の意見なんて最初から存在しないように言葉を紡ぐ。
ありきたりで使い古された表現だけど、如月の白魚のような細い指か、僕の頬に延びてきた。
そのまま躊躇わずに触れる。触れられる。
吐息がかかるほどに顔も近い。初めての経験に考えが巧くまとまらず、混乱する。混沌する。
いくら勉強したって僕は中学生だ。無理無いだろ?
言葉が知的じゃないな。断片的すぎる。
如月は、尚も僕に近づいてくる。
「君のことが――」
近づいて、鼻先が触れる。
「――好きなんだよ」
ポツリと告げた。
一体何をどうすれば十全だ?考えろ。
僕の中にある思考という思考が混乱して把握できない。あまりにも飛躍しすぎている。わからないわからないわからないわからないわからないわからないわからない。
埋めつくされて、塗り潰される。
両頬にすべすべしてが添えられ、如月はそっと目を閉じる。僕は閉じない。
未だに、この後に及んでも尚、理性が現実を否定する。一体僕に何を望むって言うんだよ。なぁ、答えてくれよ、答えろよ、如月。
如月は顔を一度引いて、深呼吸をするように行きを胸に溜め込んでいる。実際に見れないのであくまで推測の域を出ないが。
若干、顔が赤らんでいる気がする如月の顔。
何をどう間違えた。
荒唐無稽すぎるぜ、如月文子。
とっとと目を醒ませ。
そこで、俺の思考は一旦途切れた。ほんの一瞬だけど。
ガンッという、擬音語がしっくり来る。
目を醒ますのがよもや僕の方になるとは予想外の出来事だった。
何にせよ、頭突きは不味いだろ、如月文子。
思いっきりやりやがった。手加減なんて一分も挟まず、自分の方が痛いんじゃないかと心配になるくらいの威力のこもった頭突き。
絶対如月は熟練者だなとか、人は見掛けによらないなとか、痛みよりも先にそんなことを考えていた僕。なのだけれど、如月は僕を見て何処と無く、改めて説明しろと言われれば無茶なくらい薄弱な嬉しさをかもしだしていた。気がする。
今日はよく如月が感情を見せる日だ。
「これね、さっき読んでた小説の中身の実演」
と頭突きの反動で離れた距離のまま、ポツリと僕に呟いた。
僕はまだ読んでない所だ。へー、あの小説って恋愛小説だったんだな、と無体なことを考えてはいたが、口には出さない。
さっきの混乱の余韻で顔には出てたみたいだけれど。
よくよく思い返してみれば、如月が僕に感情らしい感情を見せたのは初めてではないが、僕が如月に人らしい人らしさを表したのは始めてではないだろうか。
別に意図していた訳じゃないけど、結果的に随分と長い間、無感動に接してきたのか。それが随分と些細なことで崩れたな。
もしかして、それが嬉しいのか、如月?
…………それは自意識過剰と言うものか。
如月は今、どうしているかと言えば、嬉しい表情を崩し、シニカルに微笑んでいる。何というか、完敗だな。
今度から少し敬ってやっても良いかもしれない。そう、僕は考えていた。
どうでも良いんだけどね。
* * *
くそ、早くも望郷に浸ってしまったじゃないか、一大決心をして家を飛び出してきたというのに。しかも思い出したのは一番思い出したくない、恥ずかしい出来事。
と言いつつも俺は、あの後いきなり敬語で話し始めて怒ってると勘違いされた、その誤解を解いたら解いたで逆に距離が開いたみたいと皮肉られた、やっぱり君もオトコノコなんだねとシニカルな薄笑いと共にぼやかれた、などと懐かしむように、慈しむように文子さんとの出来事を省みる。
それにしても、数無さんの『原稿』から連想したのだが、あの時文子さんが演じた基となる本の作者、あれ以来、無駄な反骨精神が芽生えて読んでいないな。今更ながら読んでみると面白いかもしれない。
何せ、『社会的ベストセラー』、『書籍世界に一斉風靡を巻き起こした作品』、と馬鹿馬鹿しいまでの過大評価をうけ、書いた作者に至っては『多重人格な小説家』とよく分からない名前まで冠していたな。
うろ覚えだが、由来は書く小説ごとに他人が書いたかのように癖も分野も何もかもが違いすぎているからだとか。それを理由にテレビでもよく叩かれていたっけ。
文子さんの所為にするつもりはないんだけど、読んでみたかったな。まぁ、二年分ぐらいなら追いかけて、読み返してみるのも良いかもしれない。
そういやあれって新刊じゃないから、実質もっと差があるのか。残念。古いならもう手に入らないかもしれない。
もしも読み返すなら、作者の名前は誰だったかが問題だ。俺はかなり記憶力の低い方だ。文子さんのインパクトが強すぎ、きっと脳内から抹消されてしまったのだ。
えっと……つい最近何処かで聞いた気がする。よくある名前じゃない。あれ?ホントに思い出せないんだけど。九割近く出ている気はするのだが。
本当に、僕の記憶力は相当ヤバイかもしれない。
……。
……。
…………。
「おーい、麦茶だけどいいよな?」
トレーにキンキンに冷えているであろう結露付きのコップを二つのせて、部屋の主が戻って来た。
良いタイミングだから聞いてみよう。いくら離島住まいだからって、知らないことはないだろう。有名だしね。
数無さん、と俺は問おうとして、
「あぁっ!」
「うおわって!?」
と、盛大に声をあげた。
わざとだけど。
よもや数無さんが、ここまで大仰にリアクションをとってくれるとは思いもしなかった。
その大音声の直撃を受けた数無さんは転倒。要因の一つに紙の上に立っていて、不安定というのもあるが、大部分は俺の所為。
不幸な事はさらに続き、数無さんは麦茶を持っていた。麦茶を持っていた事自体は不幸ではないのだが、この状況なら不運。重力に従い麦茶は一番近い数無さん自身に降りかかる。
「っ――」
盛大に尻餅をついてしまった所為か、痛そうに腰をさすっている。
しかしながら俺はもうそんなことは眼中に入っていなかった。目の前にいる彼女、数奇な偶然にも彼女が『多重人格な小説化』こと数無こころであることを必死に否定しようと知恵をめぐらしていたから。
否定する理由なんて毫末ほども無いんだけどね。
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