山田と木谷先輩
「いやー、人が恋に落ちる瞬間、見ちゃったなあ」
倉吉は満足そうに呟く。ぼくはといえばどうにも懐疑的だ。
否、確かに、山田のあの様子を見て、ぼくも少女マンガの場面を想像した。けれどもそれが、どうにもぼくの知っている山田の様子と合わない気がして、首を捻っているのだ。
多分、同好会に入ること自体は、山田の目的の一つなんだろう。一体、山田が何をしようとしているのかはぼくには分からないが、何かがしたくてこの学校に通い、ぼくと接触しているのだろう。多分。ぼくの知る山田は結構合理的な奴だった。もちろん、ぼくの知らない数百年の間に変わってしまったのかもしれないし、……あまり信じられないが、恋が奴を変えたのかもしれない。
「そうなのかなあ」
「いや、あれはそうだろ。顔赤くしてぽかーんって見てたぜ」
「うーん」
そうなんだよなあ。
「まあ見てろって。あいつが毎日同好会に通い出したら確定さ」
移動教室で三人一緒に教室に向かっていると(そういうふうに人と一緒に動く、なんてことをぼくはこれまでしたことがなかったが、三馬鹿の一人になってしまったせいでいつも一緒になっている)、山田が突然頭を下げた。
「おはようございます」
進行方向にいた女子生徒がびっくりしたように会釈を返す。
「お、おはよう!」
びっくりしたーと友人と笑いながら通り過ぎていった女子生徒は、三年生のようだ。倉吉が山田を振り向いた。
「なに、今の?」
「部活の先輩」
倉吉の言う通り、山田は毎日同好会に通っているらしい。倉吉はほれ見ろと得意顔だが、一体山田がどういう顔をして同好会に出ているのかが、気になる。さっきの先輩の様子を見る限り、同好会は、突然入部した男子生徒に戸惑っているんじゃないだろうか。
「そういえば木谷さんは、毎日同好会に出ていて大丈夫なのか」
「先輩と呼べ」
「木谷先輩」
木谷先輩は既に大学への推薦入学が決まっているらしい。だから毎日部活動にも出られるのだとか。
「他に、いろいろ準備とかあるんじゃないのか」
「それは知らない。毎日真面目に部活動をしていらっしゃる」
山田は同好会の話を積極的にしようとはしない。一度気にすると、とても気になる。どうしても見たい。山田がいるあの社会科資料室の様子を見たい。ぼくは山田に尋ねた。
「山田。今日、同好会覗きに行ってもいいか」
目を丸くして、山田は答える。
「別にいいけど。お前、入りたいの」
「いや、全然」
歴史とか、苦手なんだよね、暗記系は。でも数学とか、論理的に考えるのも苦手だ。何が得意って、……なんだろう……。家庭科かな……。
「まあ、いいけど」
山田が頷くと、倉吉がうらやましそうに言う。
「いいなあ。俺も行こうかなあ」
「お前は部活だろ」
「そうだけど。あとでどんなだったか教えろよ」
「お前たち、なんでそんなに気にしてるの」
山田がさすがに不思議そうな顔で言った。
さすがに道を覚えたらしい山田とともに、社会科資料室に向かう。今日は月曜日で、木谷さん以外の部員もいるはずだ。
「こんにちは」
山田は戸を開け、挨拶をした。
「こんにちはー、山田くん」
「こんちはー」
数人の部員が、山田に挨拶を返した。ぼくには何も言ってこない。ぼくがそう望んだからだ。
山田がぼくを見た。いや、だって、部活に入るわけじゃないのに、その場にいるのって気まずいだろう。ぼくのことを気にしないでくれたほうがいいじゃないか。
「木谷先輩」
木谷先輩はびくりと身体を揺らし、山田を見上げる。
「山田くん」
「僕、昨日のこと考えたんですけど」
「う、うん……」
木谷先輩、山田のこと苦手なんじゃないか。もう山田が入部して一週間以上経つはずだけど、まだその目は見知らぬものをみるようだ。山田はそんな様子には構わず早速木谷先輩のところへ行き、その正面に座った。ぼくは入り口に立ったまま、室内の様子を眺める。
三人の女子生徒が一かたまりになり、ノートを囲んで何やら書いていた。一人は何か文字を、もう一人はマンガの絵を、最後の一人は絵を覗き込んで、三人で話している。
その隣に違う女子生徒が、文庫本を一心に読んでいた。
そしてそのさらに隣に、木谷先輩と山田が座っている。彼らもノートを覗き込んで、何やら話している。郷土の何かが云々、と話しているようだ。話し始めると山田の存在も気にならないのか、木谷先輩は真面目な表情でノートを見ている。
ぼくも何か力になれればいいけど。あいにく、このあたりの生まれじゃないから、よくは知らない。さらに言うと、昔は猫として生きてきたから、人間の文化にも詳しくない。
この同好会に入らなくて良かったかも。自分の無知を知らされるだけみたいだ。でも、木谷先輩はじめ他の部員はもちろん昔のことなんて見知っていないわけだから、すごいよな。ここまで解き明かす歴史家も、それを紐解く小さな研究者も。
「お前、この頃のこと、わかる?」
いきなりぼくを見て話しかけられたので、ぼくは近寄って山田が指差すノートを見た。
室町時代か……。
正直、自分が生きてきた時代が何時代かなんてよく分からないんだよな。
ああ、でも、篠ともう会ってるのかな。確か篠が、鎌倉に政府が移ったと言っていた。あれは、鎌倉時代のことだろう。
「わかんないけど……ああ、そういえば、その頃かな、鰹の削り節が出てきたんだ。おいしかった」
「ああそう」
案の定と言うか、やはり役には立てなかったらしい。というか、山田が話しかけるから、木谷先輩がぼくを変な目で見ているじゃないか。
「あ、気にしないでください」
別に、わざわざ言う必要もないけど、なんとなく気持ちで。それを聞いた木谷先輩はふいと視線を逸らし、再び山田と話し出した。
山田は、ときどきノートから目を上げ、木谷先輩の顔を見ている。その表情はどこか切ないものにも見えたし、熱烈な信奉者がするもののようにも見えた。彼女はきっとその視線には気がついているが、あえて触れないようにしているんだろう。変なのに懐かれたとでも思っているのかもしれない。
一通り観察すると暇になってしまって、ぼくは教室を出た。
山田は真面目に部活動をしているらしい。まあ、昔から真面目な奴ではあった。でも、そもそもの動機がよくわからないし、木谷先輩へのあの変な反応も然り。
いや、別に、いいんだけどさ。山田がどんな思惑を持っていたって。ただ倉吉が気にしているから。……なんで、倉吉はあんなに山田に懐いたんだ? あのへんも今いちよくわかんないよな。