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LinkRing
作:やくも



Episode9:予感



「……時間です。一度休憩にしましょうか」
 氷室のその声で、僕はようやくホッと胸を撫で下ろした。
 が、その直後。
「大和! 避けて避けて!」
 とかなんとか、そんな慌てた様子の飛鳥の叫びが僕の耳に届いた。
「え?」
 思わずその声のした方向を振り返る僕。
 しかしこのとき、僕は飛鳥の叫んでいた避けてという言葉をすっかり把握していなかった。
 その結果……。
「……う、うわぁっ!」
 僕は本当にギリギリのところで体をひねり、奇跡的のその一撃を回避することができた。
 ドゴンと、直後の僕の背中で壁が崩れる音がした。
 僕がその方向を見ると、背後の壁の一部が鉄球のハンマーでもぶつかったかのように変形していた。
 もちろんそこに鉄球などはなく、代わりに突き刺さった雷の矢はほどなくして溶けるように消え去っていく。
「ゴメンゴメン、大丈夫?」
 そう言いながら駆け寄ってくる飛鳥。
「……いや、まぁ、無事ではあるけど……」
 何度思い返しても僕はゾッとする。
 けれど、そんなことよりも今はこの疲れ切ってしまった体を速く休ませたいことで頭が一杯だった。
 この不思議な地下室のような場所にやってきてから早二時間。
 その間、僕はぶっ続けで飛鳥とトレーニングを繰り返していた。
 トレーニングと言っても、それはむしろ一方的な暴力と言ったほうがはるかに分かりやすいかもしれない。
 ようするに僕は、飛鳥の放ついくつもの雷撃の矢をひたすらに避け続けていただけなのだ。
 もちろん、戦うことはおろか喧嘩に関してもほとんど素人同然の僕がいきなりうまくやれるはずもなく、この二時間のという時間の前半は、僕はことあるごとに強い静電気を浴びせられては痛い思いをしてきたわけで……。

「ま、最初にしては上出来ですよ。私はてっきり、途中でダウンするかとばかり思ってましたから」
 それはそれで氷室なりの褒め言葉なんだろうけど、僕は全く嬉しくない。
 そもそも、ダウンした数なんてそれこそ数え切れないくらいだ。
 僕がそれでも立ち上がったのは、ダウンしてようとしてなかろうと、飛鳥がところ構わずにバリバリと雷撃を飛ばしてくるので、それを必至になって動かない体なりに逃げ回っていただけなのだ。
 そんなわけで、今の僕の服装はずいぶんとみすぼらしいものになってしまっている。
 衣服のあちこちは雷撃のせいで黒コゲになっているし、地面を転がっていたこともあって薄汚れている。
 まぁ、それでも命に別状がないことを喜ぶべきなんだろうけど、それは飛鳥の力加減もあったわけで。
「……ねぇ、氷室。このあとも、一日中こんなことが続くの?」
 僕はうなだれるように聞いてみた。
「大和がそう望むのなら、私も混ざりましょうか? ですが、私はあいにくと手加減というものが苦手ですから……」
「……分かった。今のはなかったことにして……」
 どこか楽しそうに眼鏡を押し上げる氷室は、小悪魔的な笑みを浮かべていた。
 ハァと溜め息を一つついて、僕はだらしなく地面の上に腰を下ろした。
「そう悲観しないでください。正直、大和は私が思っていたよりもずっと『Ring』の力を使いこなしていましたよ。今はまだ、自覚が持てていないだけかもしれませんけどね」
「……そう、かなぁ……」
 そうは言われても、やはり実感が沸かない。
 この二時間で僕がしていたことといえば、それこそ避けるか逃げるかのどちらかでしかなかったのだから。
「それでいいのよ。まずは身を守ることが最優先。死んじゃったら、それこそ元も子もないでしょ?」
「まぁ、それはそうだけど……」
 隣に腰掛け、飛鳥は言う。
「それに、大和は本当に何も感じなかった?」
「え? どういうこと?」
「んーと、大体一時間半くらい経ってからなんだけどね。私は、少しずつだけど雷撃の速度を上げていったんだよ」
「え、本当に?」
「うん。だって、そのくらいの速さでも大和なら避けれそうだったもの。けど、大和にはそれが全部同じ速度に見えてたんでしょ?」
「……うん。変わったようには見えなかった」
「それってつまり、体や目が早さに慣れていってるってことじゃない。私が速くした雷撃も、大和の目には同じ速さに映ってたってわけ」
「ああ、なるほど……」
 と、僕は納得したが、それでも実感はイマイチだ。

「焦らなくとも大丈夫です、大和。私が見ていた限りでも、少しずつではありますがあなたは風の力を吸収している。現に、今だってね」
「今?」
 僕はただ、休憩しているだけなのだが。
「痛みや疲労はどうです? まだ溜まるように残っていますか?」
「そんなの、残ってるに決まって……」
 言いながら、僕は体を動かして気付いた。
「……あれ?」
 手も足も、それどころか体中の至るところからはすでに痛みらしいものが引き始めていた。
 失った体力だけはまだ回復はしていないが、それ以外のかすり傷や疲労の具合はずいぶんと和らいでいるような気がする。
「分かりましたか? 風の力は、あなたの肉体そのものの治癒力も高めてくれます。今ぐらいの運動で失った疲労や傷程度なら、それこそ瞬く間に回復してしまいますよ」
 僕は立ち上がり、その場で軽く体全体を動かしてみる。
 驚いた、痛みがもうほとんどなくなっている。
「これが、風の力……」
 呟いて、ふと僕は昨晩のことを思い出した。
 あの全身に走っていた筋肉痛さえもが、一瞬で完治してしまったこと。
 今思えば、あれもこの自己治癒力の活性化がそうさせたものだったのだろう。
「力の使い方に慣れてくれば、ある程度の傷を癒す力も身に付くでしょう。それは自分に限らず、他者にも使えるようになるはずです」
 身体能力の向上に加え、治癒の力。
 こうして聞いていると、僕の風の力というものは直接戦闘向きというよりは補助に向いているようなものなのかもしれない。
 それに、僕本人も腕力に特に自信があるわけじゃない。
 体力は人並みかそれ以上にはあると思うけど、殴り合いになったとしたら自信はない。
 でもそうだとすると、僕は一人で生き残るということは難しいのではないだろうか?
 そう考えて、あることに思い至る。

「ねぇ、飛鳥は弓矢を武器にしてるよね?」
「ん? ああ、一応ね。でもあれは、奥の手みたいなものだから。基本は素手だよ」
「でも、雷の矢があるでしょ? あれも立派な武器になると思うんだ」
「まぁ、そうだね」
「けど、僕にはそういうのがないし、どうすればいいかな? やっぱり、実際に武器を持つしかないのかな……」
「いえ、大和。能力者同士の戦闘において、目に見える武器などそれこそ意味を成しません。武器を持つということは、その時点で己の腕力の低さを誇示していることに等しい。そうすれば相手も、武器破壊を狙ってくるでしょう。そしてもし武器を破壊されれば、本当に勝機はなくなってしまいます」
 確かに、それは氷室の言うとおりだった。
 そして僕はやはり、どう考えても腕力に関しては自信がない。
 となるとやはり、武器に依存した強さを求めてしまうことになると思うんだけど……。
「まぁ、そこはものは考えようです。飛鳥だって、そのために雷の矢という遠距離系統の攻撃手段を用いてるんですよ。飛び道具であれば、一つを破壊されてもそこでおしまいということにはなりません。加えて、避け切るだけでもそれなりの体力を消耗させることができる」
「氷室にも、そういうのがあるの?」
「まぁ、相手のタイプによって多少の変動はしますがね。こういうのは、戦いの中で嫌でも身に付きますよ。その上でイメージを重ねて、徐々に具現化していけばいいんです。飛鳥の弓矢も、あれ自体は弓も矢も雷のエネルギーの集合体ですからね」
「ま、とにかく焦るなってことだよ。焦って中途半端な結果になったりしたら、それだけで命取りになりかねないんだから」
「そっか……そうだよな」
「……さて、そろそろ休憩も終わりにしましょうか。大和、どうします? もう少し続けましょうか?」
「あ、うん。それはいいんだけど……」
 言いながら、僕は腹部に手を当てる。
「具合でも悪いですか? 無理はさせませんけど……」
「……いや、そうじゃなくて……逆」
 僕は十二時に二人と合流し、それから二時間ほどトレーニングをしている。
 付け加えるなら、僕が起きたのは十一時過ぎだ。
 さらに付け加えるなら、僕は今日、食事らしい食事を一度も済ませていない。
 つまり、ようするに……。
「……ゴメン、お腹減った」
 ということだった。



 氷室が経営者でもあるこの『各務探偵事務所』。
 実際にその名の通りの仕事をしているのかそうでないのかは僕には分からないが、仮に本当だとしても客足はあまり多くなさそうだ。
 ともあれ、今はそんなことは気にしないでおくとする。
 僕達三人は最寄のファミレスへと足を運び、そこで遅い昼食を食べることになった。
 後から聞いてみたら、氷室も飛鳥もまだ昼食を食べていないとのこと。
 そんなことだったら、トレーニングよりも先にまず腹ごしらえをするべきだったんではないだろうかと、僕は思わずにはいられない。
 それぞれに注文を終え、ウェイターが下がっていく。
 時間が時間とはいえ、休日ということもあって店内はにわかに混み合っていた。
 それでも待たされるほどのものではなく、僕達三人はほどなくして窓際奥の席へと案内された。
 あとは頼んだ料理が運ばれてくるのを待つばかりなのだが、どうも僕は落ち着かない。
「どうしましたか、大和? 妙にそわそわしているようですが?」
 その様子に気付いてか、真向かいで腕組みをしていた氷室が口を開く。
「いや、どうってわけじゃないんだけど……何か、妙に落ち着かなくって……」
「まさかとは思うけど、外食くらいで緊張とかしてないよね? 極度の上がり症とか?」
 グラスの水を一口含み、隣に座る飛鳥が言う。
「いや……そういうんじゃないんだけど」
 緊張というものとは、似てるけどまた少し違っているような気がする。
 そもそも僕は上がり症ではない。
「あ、分かった。大和って、空腹になると性格が変わるとかいうオプションでもついてるんじゃない?」
「……何その、どこぞの多重人格人間みたいな設定。僕にはそんなのはないよ」
「おや、ないんですか? それは残念」
「…………」
 冗談めかしているのだろうけど、氷室が言うと冗談に聞こえないので怖い。
「ま、冗談はさておいて。もしかしたら、能力の使用にまだ体が追いついておらず、そのための後遺症のようなものなのかもしれませんね。気にするほどのものではないと思いますが」
「二人も、そういうことがあったの?」
「いえ、私は特に何も」
「私は、そうだなー。丸一日体中が痺れてたことはあったかも」
「……それって、さらりと言ってのけることなのかな……」

 と、僕らはそんな会話を繰り返しながら運ばれてくる料理を待っていた。
 店内は僕達が入店してからも客足は途絶えず、入れ替わりに新しい客がやってきているようだ。
 僕はぼんやりと、窓ガラス越しに映る街並みに目を向けた。
 夕暮れにはまだ少し早い時間、道端を行き交う人々はどこかしら早足に見えて、見えない何かに追われているかのようだった。
 大半の場合、それは時間という名の拘束なのだろうけど。
 そんな景色の中を、一つの例外がサイレンという音を響かせながら走り抜けていった。
 響き渡る鐘の音。
 赤いランプに赤い車体。
 緊急時を思わせる消防車両は、真昼の街中にわずかな混沌の音色を響かせて去っていった。
 どこかで火事でも起きたのだろうかと、僕はすでに視界の先で小さくなりつつある消防車両を追いかけながら、そんなことを考えていた。
 すると、消防車両の去った先の空に、灰色の煙がわずかに立ち昇る景色が見えた。
 さらによく見ると、その煙が立ち昇る周囲の空だけが、一足速く夕暮れによく似た朱色の空模様になっている。
 やはり火事のようだ。
 今目の前を通り過ぎた消防車両も、恐らくはその消火活動か何かに駆り出されたのだろう。
「やだなぁ、また火事?」
 隣に座っていた飛鳥がわずかに身を乗り出して、僕と同じ視線の先を眺めていた。
「みたいだね。そんなに遠くってわけでもないみたいだけど」
「多いですね、最近。大抵はボヤ程度で事なきを得ているようですが、今回はどうなることやら。時期的にも冬の手前で、空気も乾燥していますから、珍しい光景というわけでもありませんが」
 眼鏡を押し上げながら、氷室もそう口にする。
 気が付けば僕達は、揃いも揃って窓の向こうの朱色に染まる空だけを食い入るように眺めていた。
 すると、ちょうどウェイターが注文の料理のいくつかを運んできた。
 テーブルに置かれた料理を各々に引き寄せ、僕達の遅い昼食はようやく始まった。

 ちなみに僕が注文したのはパンとスープとサラダのセットで、スープはおかわり自由な定番のコースだ。
 飛鳥はカルボナーラのパスタを、氷室は温野菜のスープとリゾットを食べている。
 食事中だけあって、僕達も食べることに集中して会話は少なかった。
 それよりも何よりも、二人は何かこう……食という一つの概念に対して根本的に貪欲なような気がした。
 もう少しゆっくり食べても時間的に問題はないはずなのに、二人に食べっぷりはどこか必至だった。
 そこまで空腹だったのなら、なおのこと食事を優先すべきだったのではないだろうか……。
「食べた食べたー」
「飛鳥、口の端にソースが付いたままです」
 二人のそんな会話が聞こえたとき、僕はまだ食事の半分ほどしか終えていなかった。
 付け加えておくが、これは決して僕の食べる速度が遅いからではない。
 この二人が異常なほどに早いだけの話だ。
「さてと。ではデザートの注文を……」
 言うなり、飛鳥はメニューを開いてデザートを選び始める。
「言っておきますが、自腹ですからね」
 氷室が釘を刺す。
「えー、ケチくさいこと言わないでよ。大人なんだし、懐のデッカイところ見せてよ」
「何言ってるんです。それよりも飛鳥、あなたは少し食べすぎですよ。それとも何ですか? 今あなたの中では体脂肪を増やすことがブームにでもなっているんですかね?」
「う……」
 言葉に詰まったようで、飛鳥は一瞬押し黙った。
 やはり女の子というだけあって、人一倍そういうことに関しては気になるものなのだろうか。
 だが、僕がこうして見た限りでは、飛鳥の体型は標準か、むしろずいぶんと痩せているようにも見えるけれど……。
「ああ、大和。それは見せかけですよ。着痩せするタイプなら、それだけで体型はいくらでもごまかせます。体脂肪というのはあまり表面上の変化には見えないものなんですよ」
「な、何その私が太ってることを前提としたような会話は! 氷室、アンタはデリカシーが足りなすぎ!」
「私だってそのくらいは持ち合わせていますよ。ただ、使う相手は選んでいるだけです」
「がー、ああ言えばこう言う!」
「お互い様です」
 テーブルを挟み、飛鳥と氷室はいかにもスケールの小さな争いを繰り広げていた。
 だから僕は、そのことを気にせずただ黙々と食事を続けているべきだった。
 たまたま飛鳥の方に視線を向けたら、飛鳥にはそれが体型を見られているように感じたらしく、それで僕は……。
「ま、まさか大和まで? ああ、これだから男ってやつはもう……」
「……僕、まだ何も言ってない……」
「まだ? まだってことは、何か言いたいことがあるってこと? え? どうなの?」
 しまった。
 これじゃ丸っきり墓穴じゃないか。
「……氷室、どうすれば」
「放っておきましょう。これでカロリーが消費されていれば、飛鳥としては一石二鳥でしょうし」
 いや、それはあくまで氷室はそれでいいかもしれないけど。
 その……僕はこのあとも、飛鳥とトレーニングするんじゃなかったっけ?
「…………」
 そう思い、僕はゾクリと寒気を感じた。
 手加減してくれる……よね、飛鳥……。

 その後僕が食事を終え、もう少しだけ雑談をしてから僕達は席を立った。
 結局この場は氷室の奢りということになり、今になってデザートを注文しなかったことを飛鳥はずいぶんと嘆いていた。
 そして会計を済ませるためにレジに向かう途中、それは起きた。
「……飛鳥、ちょっと代わりに会計を済ませておいてください」
 そう言うなり、氷室は財布を飛鳥に預けて一目散に店の外へと駆け出していった。
 まるで食い逃げを思わせるほどの速さだったが、店員は連れの僕達が残っていることを見て一安心したようだ。
「ちょ、ちょっと氷室……」
 とっくに見えなくなったその背中に呼びかけたところで、今度は飛鳥が口調を変えた。
「大和、会計お願いね!」
「え? ちょっと……って、わぁっ!」
 氷室に続き、今度は飛鳥までもが店の外へと飛び出していった。
 一体どうしたんだろうか?
 疑問に思いながらも、僕は預かった氷室の財布から三人分の会計を済ませ、それから店の外へと出た。
 すると、氷室と飛鳥の二人は路上で背中合わせに立ちながらジッと人波の中に目を凝らしていた。
 まるで、雑踏の中から何かを探し出すかのように。
「二人とも、どうしたのさ」
 駆け寄って、僕はひとまず氷室に財布とレシートを手渡す。
「……いえ、すいません。気のせいだったようです」
 そう言って、氷室は僕から財布とレシートを受け取る。
「飛鳥、そっちは?」
「ううん、いないみたい。やっぱり、見間違えだったかな……」
「……そうだといいんですけどね。そうでないと、またずいぶんと厄介なことになります」
 二人の会話は真剣なものだったが、その意味は僕には全く分からなかった。
「何があったの?」
 僕は聞いてみる。
 二人はようやく目に見えない警戒心を解いたように、ゆっくりと僕に向き直る。
「いえ、本当にただの勘違いですから。取り乱してすいませんでした」
「ゴメンね大和。勘違いだったみたい」
「いや、別に謝らなくてもいいよ……」
 このときの僕は、何となく嫌な予感がしていた。
 それは、食事をする前に感じていたあの妙な落ち着きのなさに直接関わっているようで。
 けれど僕は、それをただの気のせいだと思い込んでいた。
 ふと、どこかの空を見上げる。
 一足速いその夕焼けは、火事の名残だろうか。
 火のないところに煙は立たない。
 それはつまり、煙が立つところには火があるということ。
 そんな簡単なことを、僕はまだ理解できていなかった。












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