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LinkRing
作:やくも



Episode79:昼が夜に変わる頃


 とりあえず、飛鳥は無事に眠りに付いたようだ。
 ようやく安堵の溜め息を吐き出して、氷室は仮眠室の扉を静かに閉じる。
「さて、と……」
 一息つくと、ちょうど沸かしていたやかんが音を上げた。
 戸棚の中からカップを取り出し、氷室はインスタントコーヒーの粉末の中にお湯を注いでいく。
 コポコポと音を立て、独特の香りが室内に漂い始めた。
 砂糖もミルクも入れず、苦味が十分に残る黒い液体を氷室は一口ほど飲み干した。
「ふぅ……」
 もう一つ、大きな溜め息を吐き出す。
 ソファに腰を下ろし、ぼんやりと天井を見上げる。
「これでようやく折り返し地点ですか。全く、気が遠くなるようにも思えるのに、拍子抜けするほどにあっさりと事が運ばれていますね」
 ずれた眼鏡を押し上げながら、愚痴のように零す。
 恐らく、飛鳥も大和と同様にしばらくの間はああして眠り続けるだろう。
 原因は不明だが、言葉を借りればそれは通過儀礼に過ぎないものらしい。
 が、やはり個人差というものも少なからずあるはずだ。
 大和はおよそ半日ほどで意識を回復したが、だからといって飛鳥もそうだとは限らない。
 少なくとも、今の飛鳥は絶対安静。
 大和に至っても、まだ戦えるほどに体が回復しているとは思えない。
 となると、現状でこちら側の戦力として計算できるのは氷室ただ一人のみだ。
 正直言って、これは相当に不利な状況に追い込まれているといっていい。
 それでも恐らく、一対一という限られた状況ならば、相手を倒すには至らずとも、逃げ切るくらいのことはできるかもしれない。
 だが、間違っても撃退することなどはできないだろう。
 仮に刺し違える覚悟で真っ向からぶつかっても不可能だ。
 唯一勝機があるとすれば、罠の類でも張り巡らせ、綿密に計画を立てた上で行動する必要がある。

 しかし、そんな時間的余裕もあるとは思えない。
 逆に言えばそれは、相手側の奇襲の可能性もほぼ全否定できるというわけではある。
 そもそも奇襲を仕掛けるのならば、今こうして落ち着いてコーヒーなどを飲ませる余裕を相手側が与えるはずがないのだから。
 これは推測に過ぎないが、相手側の面々は恐らく、今は封印の解放にのみ力をつぎ込んでいるのだろう。
 そして向こうの出方を見ているからに、いくつか分かったこともある。
 恐らく相手側は、八つある封印の場所の全部、あるいはほぼ全ての場所を把握していると思われる。
 にもかかわらずこちらに対して大きなリードを保てないでいるのは、封印開放の特殊なしきたりのようなものに阻まれているからだということが考えられる。
 即ち、特定の封印は特定の能力者でなくては開放することができないという、この法則のおかげだ。
 火は火で、水は水で、風は風で。
 いわば神経衰弱のように、組み合わさるパーツ同士が同等の属性で引き合わない限り、封印の開放は成立しないと考えられる。
 こちらの戦力が四に対し、向こう側も同じく四。
 最初に炎と氷が開放され、向こうは大きく二歩リードした。
 本来ならそこで、こちら側に対して奇襲を仕掛ける絶好の機会だったはずだ。
 それをしなかった理由は、恐らく二つ。
 一つは炎と氷の能力者の両名が、通過儀礼のため行動を起こすことが不可能な状態だったということ。
 そうなると、実質向こう側の戦力は残る二つのみ。
 対するこちらは倍の四で迎え撃つことができるので、どう見ても状況は不利に傾いてしまう。
 もう一つは……どちらかというと、氷室はこちらの意味合いが大きいのではないかと考えている。
 それはつまり、全ての封印開放を成し遂げる前に、一人でも能力者を欠かすことができないのではないかということ。
 前述の通り、封印開放にはそれぞれ見合った能力者が必要だ。
 だがここで、例えば氷室が死んでしまったらどうなるだろう?
 水の封印は水の能力者がいなくては開放できない。
 ゆえに、能力者が死んでしまえば開放は不可能である。
 もちろん、『Ring』だけをあらかじめ奪い取り、その上で能力者を消し、新たに能力者を探すことも不可能ではないだろう。
 だが、それではあまりにも不確定要素が大きすぎる。
 再度適合する能力者が、そうそう都合よく現れるとは思えないからだ。
 したがって、能力者は誰一人としてかけることは許されない。
 無論、相手側も同じことだ。

 するとここで、新たに疑問が生まれることになる。
 能力者が欠けることは許されないということは理解できる。
 では、そうする理由は何か?
 決まっている。
 八つの封印が全て開放されることにより、初めてそこに何かの条件が達成されるからだ。
 それが何であるかはまだ分からない。
 が、少なくとも相手側はその何かに固執しているのは間違いない。
 最初、これは戦争だと思っていた。
 だが、その時点で見当はずれだったのかもしれないと、氷室は今に至って考えを改める。
 そもそもこの戦争には、勝者も敗者もないのではないだろうか?
 兎にも角にも八つの封印を開放させることが優先するべき目的であり、戦争の勝者……つまり最後の一人になるまで殺し合い、その勝者には望みを叶える権利が与えられるとか、そういうのは全てただの建前に過ぎないのではないだろうか?
 本当に重要なのは、そのさらに奥。
 仮初の真実の裏にある、誰も気付かない隠蔽された黒い真実があるのではないだろうか?
 そしてそれこそが、相手側の四人を統率しているであろう、まだ見ぬ誰かの真の意図。
 言い換えれば、向こうの四人もそれに気付かされずに操られている可能性がある。
 いや、恐らくある程度までは事実を教えられてはいるのだろう。
 そうでなくては、全ての封印開放まで奇襲を行わないという意見を納得させることが難しいはずだ。
 つまり相手側は、こちらの知らない何かを知っている。
 この部分でも出遅れは隠せない。
 もしもその隠された何か、その真実を暴くことができたのならば、この戦いをそこで静かに終わらせることができるかもしれない。
 もうこれ以上誰も苦しまず、誰も傷付かずに、静かに幕引きを行えるかもしれない。
 だが……。

「それは、無理な相談なのでしょうね、きっと……」
 静かに氷室は呟いた。
 誰に向けての言葉だったのだろう、自分でもよく分からない。
 自分自身に言い聞かせたようでもあるし、隣室で眠る飛鳥にかけた言葉かもしれないし、敵側の四人に送った言葉なのかもしれない。
「最終的に、望みが叶う。あの四人を縛っている原動力はこの言葉なのでしょう。それを打破するだけの論理を、今の私は持ち合わせていない。説得することで幕を引けるなら、どれだけ楽なことか……」
 言いながら、もう一口だけコーヒーを口に含む。
「……何も失わず、何も傷付けずに何かを無に還すことはできない。そう考えることがあるのならば、それはただの傲慢だ、か……」
 いつか、誰かから教わったその言葉がふいに口をついて出た。
「……ん?」
 ふと、氷室は思い返す。
 確か、このあとにもう一言くらい何か続く言葉があったような気がするのだが……。
「……忘れてしまいましたね、ずいぶんと昔のことですから」
 ソファから立ち上がり、窓の外の景色を眺める。
 空は青く、晴れている。
 時計を見れば、まだ正午にもなっていない。
 見下ろす街並みはいつもと変わらぬ平和の色を示している。
 それが逆に、どうしようもなく怖くなるときがある。
 あと、四つ。
 ゼロになるとき、きっと何かが変わって何かが終わる。
 それでも、ゼロに向かうしかない。
 今の自分達には、明日の空模様を思う余裕すら残されていないのだから。



「ふぁぁぁーっ……」
 気の抜けたような大あくびをして、長椅子の上で寝転がっていた竹上は目を覚ました。
「竹上さん、寝不足っすか?」
 そんな起き抜けの竹上に缶コーヒーを差し出したのは、彼の部下でもある万代である。
「ん? ああ、まぁそんなとこだ」
 缶コーヒーを受け取り、竹上は蓋を押し開けてゴクゴクと液体を飲み干していく。
「で、捜査の方はどうなってる?」
「どうもこうもないっすよ。進展どころか、ますます迷宮入りって感じですね」
 竹上の問いかけに、万代は呆れかえるように答える。
「そもそもおかしいですよ。森林公園の大火事から日も経たないうちに、今度は高校の旧校舎が氷漬けですよ? 事件性もへったくれもあったもんじゃないですよ」
「ま、お前の言うことはもっともだな」
 飲み干した空き缶を放り投げる。
 放物線を描き、空き缶はガコンとゴミ箱の中へと着地した。
「上のお偉いさん方も、対応に困ってるみたいです。さすがにこれだけ大騒ぎになると、マスコミ関係もうるさくなってきますから」
「とはいえ、どうしようもないだろうが。俺達警察の仕事は事件の解決だが、原因が不明のうちは事件にすらなりゃしねぇ。動機も犯人像も手がかりもなしに、捜査の進めようがないだろう」
「ですよね……」
 やれやれと立ち上がって、竹上はグッと背を伸ばす。
 長椅子に寝転がっていた時間はそう長くないはずだが、体のあちこちが痛い気がする。
 歳はとりたくないもんだなと、竹上は内心で呟いた。
「で、結局上はどういう結論を出したんだ?」
「しばらくはまた様子見だそうです。でもまぁ、仕方ないっすよこればっかりは」
「馬鹿ヤロウ。仕方ないで済んだら警察はいらねぇんだよ」
「そりゃそうですけど……」

 とはいえ、実際に仕方ないのだから本当に仕方ない。
 短い期間で二つの事件が連続して起こっているから、第三の何かが起きることくらいまでは想定ができる。
 だが、予測ができてもそれを食い止めることができなくては本末転倒だ。
 警察とは決して万能な機関ではない。
 そもそも刑事だって人間なのだ、完璧を求めるほうがどうかしている。
 そんな完璧な人間がいるのなら、そもそも事件は事件として発生する前に片付いてしまうのだから。
「……さすがにこればっかりは、あの名探偵も出る幕じゃねぇわな」
 ポツリと、竹上は呟く。
 ……いや、待て。
 そういえば……。
 思い返し、竹上はしばし思考した。
 あの日、血まみれの氷室達を送り届けたときのこと。
 思えばあれも、何かの事件に巻き込まれているんじゃないだろうか、と。
 長年の刑事の勘が何かを告げていた。
 だが、結局はそれだけだ。
 だがもしも、次に何かが起こるとして、その周囲にまた氷室達が何らかの形で関わっているのだとすれば、それは……。
「……おいおい、やめてくれよそんなことは」
「え? 何ですか、竹上さん?」
「……いや、何でもねぇよ」
 それだけ言って、竹上は署内の静かな廊下を歩き去っていく。
「あ、待ってくださいよ」
 そのあとを万代が追う。
 一日はまだ半分ほども過ぎていない。
 事件にしたって、起こるのは日が落ちて闇が迫る頃と相場は決まっている。
 そう。
 何かが起こるとすれば、これからなのだから。












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