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LinkRing
作:やくも



Episode77:ウサギの願い事



「……ん?」
 ふと、視界の端に映ったそれを見て、蓮華はそんな声を漏らす。
 陽の光さえも全くと言っていいほど届かない、ずいぶんと昔に倒壊したまま放置されているビルの地下の空間。
 朝は明けたばかりだというのに、相変わらずこの場所に届く日差しはない。
 そんな、朝か夜かも区別が付かないその場所に、これまた似つかわしくないにもほどがある、黒いウサギのぬいぐりみがポツンと佇んでいた。
「…………」
 当然のように、その黒いウサギはどこを見ているかも分からないような視線でそこに座っていた。
 全身真っ黒なのに、両耳に結わえ付けられたリボンだけが白く、その白とは対照的に目と口は赤い色を帯びていた。
「どうかしたか?」
 と、蓮華はふいにそんな言葉を投げかける。
 他でもない、そのウサギのぬいぐるみに対して、だ。
 もちろん、本来ならそんなことをしたところで返事の一つもかえってくるはずがない。
 返ってくるとすれば、それは腹話術を利用してそう見せているか、もしくは本当に呪われているかだろう。
「……ん? ああ、レンゲか。どうかしたのかい?」
 としかし、まるで当たり前のようにその黒いウサギのぬいぐるみ……クロウサは平然と言葉を発して答える。
 付け加えておくが、今この場には人間は蓮華一人しかいない。
 さらに言えば、蓮華は腹話術などはできない。
 つまりこの一人と一匹の会話は、れっきとした会話として成り立っているものなのだ。
「聞いているのはこちらだ。人形に表情の変化をどうこう言うのもおかしな話だが、何となく雰囲気で私には分かる」
「む、失敬な。確かにオイラはぬいぐるみだけど、それ以上の人間らしさを持ち合わせていると自負しているよ」
「まぁ、それは認めよう。確かに、ここまでお喋りな人形は世界中探したところでお前くらいのものだろうからな」
 小さく笑いながら、蓮華はクロウサか壁に背をもたれかかる岩盤のすぐ隣に腰を下ろした。
「それで、どうかしたか? かりんのことか?」
「……どうかしたかと聞く割には、しっかりと的を射ることを口にするよな、レンゲは……」
「別に、私に限ったことではないさ。お前がそんな風に悩んだ空気を流しているときは、九割九分かりんのことを考えているときだろう」
「うわ、オイラってそんなに分かりやすいのか? これでもポーカーフェイスを気取っているんだけどなぁ」
「……まぁ、あえて追求はしないでおこう」
「あ、バレタ? アハハハ、まぁ聞き流してくれよ」
 そんな風に一人と一匹の会話は続く。
 静けさだけが漂うこの場所には、およそ不釣合いなほどの小さな笑い声だった。

「……それで、実際のところどうなんだ?」
「……うん、まぁ……かりんはさ、何でもないって言うから。じゃあきっと、何でもないんだとは思うけど……」
 ふと、クロウサの視線が動いたような気がした。
 もちろん、ぬいぐるみであるクロウサのその仕草を見極めることなどはできない。
 それでも視線は、確かにその方向に向いていた。
 閉ざされた扉の向こう側。
 そこは、簡単な仮眠室のようなつくりになっている。
 恐らくこの建物がまだ機能していた頃は、警備員などの給湯室のような使われ方をしていた場所だろう。
 中には簡素だが、何人かが寝て起きるだけの生活をするくらいの設備は整っている。
 そして今、その扉の向こう側にある部屋の中で、かりんは静かに眠っている。
「……かりんは、何と言っていた?」
「……何でもないの一点張りだよ。何をいくら聞いても、何でもない何でもない、クロウサには関係のないこと。この繰り返しさ」
「そうか……」
「……かりんはあんなに強情になるってことは、何かあったんだとは思う。けれど、話してくれないならオイラはそれを分かち合うことはできない。それに、あの手の傷。どこで付けてきたのかも気になるし……」
「傷? ケガをしているのか?」
「うん。それも、ごく最近のものだよ。まるで刃物か何かで刺されたような傷だった。こう、手のひらの真ん中を突き刺されたような」
「治療はしたのか?」
「うん、自分でしたみたい。けど、おかしいんだ。かりんの力なら、傷痕の一つも残さずにきれいに癒せるはずなのに、かりんはまだ手に包帯を巻いたままなんだ。つまり、治りが悪いってことなのかもしれない」
「ふむ……」

 一つ頷き、蓮華は一度だけその扉を見る。
 かりんの身の回りに何があったのかは知らない。
 そしてそれは、知る必要のないことなのだとは理解している。
 しかしそれでも、多少は気になってしまう部分がある。
 特にかりんの場合、蓮華達の中でももっとも幼く、およそ戦いなどということに巻き込まれるべきではないような人間だ。
 心も体も未発達で、傷付けあったりとか、殺しあったりとか、奪い合ったりとか、そんな血生臭いことを目の前で知らされるのは一見むごたらしくも思える。
 かといって、蓮華は自分のことをすでに完成した人間だとは思わない。
 いや、そもそも完成した人間など、この世のどこを探したところで決して見つかるわけがないと思っている。
 完成した人間、それは即ち、神だ。
 全知全能にして、命を与え奪うことさえも許されたという神。
 聖書の中を覗けば、そこには確かに神の存在が記されている。
 そしてまず最初に、アダムとイヴという二人の人間を生み出したということも。
 しかしその神話を信じる人間が、どれだけいるだろうか?
 正直、信じている人間は少なくない。
 いや、むしろ多いといっていいだろう。
 なぜかといえば、その説が一番人々の心の中に浸透し、理解を促す効果を持っているからだと蓮華は考える。
 真偽などは半ばどうでもよく、生命の誕生というその未知の領域に関してどれだけ人々を納得、説得させるだけのいわゆる表現力がそこに存在するのか。
 聖書とはつまり、言い換えれば魔術書である。
 内容を読み、その過程で意識を引きずり込み、結果としてその事実を納得させる。

 例えば、ここに一人の魔術師がいたとしよう。
 その人物は生まれながらにして、とても才能に恵まれていた。
 だがいくら才能があったところで、魔術という術を実際に行うには、その原理を知らなくては話にならない。
 ならばどうするか?
 簡単だ。
 魔術の説明書とも言うべき、魔術書を読み、理解し、その上で魔術を習得すればいいのだ。
 そうして魔術書を読み、読むことで原理を理解し、理解することによって初めて魔術は使用可能となる。
 しかし。
 本当にそれだけが、万人に共通する真実と言い切ることができるのだろうか?
 どれだけ優れた才能を持って生まれても、人間誰でも得手不得手というものがある。
 性に合わないとか、好みじゃないとか、本能的に嫌悪感を覚えるとか。
 誰だって一度は経験したことがあるはずだ。
 そうなると、それはもはや不完全であるとしかいえなくなってしまうのではないだろうか?
 才能があり、それを開花させるための分野もある。
 しかし、そのレールに乗れない人間だって大勢いる。
 話がそれてしまったが、早い話がかりんもそのレールから外れた人間の一人ということだ。
 それも、あまりに幼くして脱線してしまっている。
 その間違いを正してくれる人もいなく。
 あとはもう、流されるがまま。
 その身に降りかかった運命さえも、本能的にかりんは受け入れてしまった。
 結果、能力者として覚醒することになる。
 かりんはまだ知らない。
 抗うことを知らないのだ。
 意思はあるだろう。
 しかし、根底的な部分があまりにも弱々しい。
 ほんのちょっとしたことで心は大きく揺れ、感情は行き場を失って崩れ去る。
 その結果が、今のかりんなのだろう。
 表情の変化すらほとんど見分けることができず、まるでかりんそのものが人形のようになってしまっている。

「何かあったのなら、オイラに話してくれればいいのに……」
 どこか悲しそうに、クロウサは呟く。
 常日頃からかりんと一緒に過ごしてきて、知らないことなど何もないと豪語できるだけに、クロウサは少し悲しい。
「仕方あるまい。言わないということは、つまり言えない、言いたくない理由があるということだ。心配も度が過ぎれば、と言うしな」
「……まぁ、そうなんだけどさ」
 不本意ながらも、クロウサは蓮華の言葉に納得する。
 これがもしも、クロウサもちゃんとした一人の人間だったのなら。
 いつも一緒にいてあげることができる、そんな存在だったのなら。

 「――そうすれば、かりんも話してくれたのかな……」

 ポツリ、呟く。
「ん? 何か言ったか?」
「……いや、何でもないよ」
 ……あれ?
 そういえば……。
 ふと、クロウサは思い出す。
 アイツが言ってたっけ。
 この戦争が終わるときになれば、かりん達の望みも全て叶うだろうって。
 それって、オイラにも何かを望む権利があるってことなのかな?
 む、でもオイラ、別にかりんみたいに能力者ってわけでもないし、戦えるわけでもないからなぁ……。
 ……うーん。
 ま、いっか。
 オイラなんかが望むことなんて、あってないようなものだしな。
 それよりも、かりんの望みを叶えてあげたいもんな。
 もっとも、かりんの望みはもうオイラにはなんとなく分かっているんだけどさ。
 ……でも、もしそれがオイラの思っているものと同じだとしたら、それは……。
 ……いや、よそう、こんなことを考えるのは。
 かりんが選んだ道なんだ、それでいいじゃないか。

 そうさ。
 オイラはクロウサ。
 黒いウサギだから、クロウサ。
 かりんにもらった名前だ。
 正直、最初は何だそれって思う名前だった。
 ネーミングセンスはゼロだなって思った。
 けど今は、そう呼ばれることがどこか嬉しいんだ。
 名前があるってことは、そこに存在があるってこと。
 それはきっと、とても嬉しいことなんだ。
 ……オイラはただのぬいぐるみだけど。
 それでもかりんと一緒にいられるのなら、何だっていいんだ。
 もしもかりんが望むなら、オイラは喜んで剣にも盾にもなろう。
 そして、そうだな……。
 もしも……本当に、もしもだけど。
 オイラの望みも、叶うんだとしたら。
 オイラは、何を願おう……?
 そんなの、決まってるじゃないか。

 ――オイラは、人間になりたい。

 そう。
 かりんにこの名をもらったときから、そう決めていた。
 叶わない願いだと分かっていたけれど。
 諦めたことはなかったよ。
「……ずっと」
 クロウサはもう一度呟く。
 誰にも聞こえないように、心に響かせるように。

 「――ずっとずっと、君の傍にいるよ……かりん」












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