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LinkRing
作:やくも



Episode74:覚えてますか?



 気が付くとそこにはまた、見慣れた天井があった。
「…………」
 首から上だけで周囲を見回す。
 ほどなくして、ここが間違いなく僕の部屋であり、僕はベッドの上に寝かされていることを理解した。
 ふと、額の上に何かが置かれていることに気付く。
 手で取ってみると、わずかに体温を含んで暖かくなっている濡れタオルだった。
 ベッドの脇の棚の上には、替えの水を汲んだ洗面器が置かれている。
 言うまでもなく、風邪を引いたときにはどこかしらで見かけるような光景である。
「……っ」
 僕は寝たままの体を起こす。
 が、途端に猛烈な疲れが全身を駆け巡った。
 頭を初め、全身が鉄の塊にでもなってしまったかのように重苦しい。
 加えて、視界がどこか虚ろで体全体が熱っぽさを帯びているようだ。
 どうやらこれは、正真正銘の風邪の症状そのもののようだ。
「ん……」
 と、そのとき僕ではない誰か別の声が聞こえた。
 それも、よく聞き覚えのある声だ。
 そして今更ながらに部屋の隅っこに目を向けてみると、そこには壁を背にして膝を崩し、寝るにはずいぶんと辛そうな体勢のまま、しかしスゥスゥと小さな寝息を立てている唯の姿があった。
 一応体に厚手の毛布をくるんではいるが、あんな恰好では風邪を引いてしまうのではないだろうか?
 などと、実際に風邪を引いている容態の僕が思ったところで説得力も何もないだろう。
 唯はまだ眠っているようで、その手には白いタオルがしっかりと握られていた。
 もしかしてと僕が思っているところで、ガチャリとドアノブが回る音がし、母さんが部屋に入ってきた。
「あら、起きてたの?」
「あ、うん。ちょうど今起きたとこ……」
「そ。まぁ、思ったよりは顔色も悪くないし、もう心配なさそうね」
 言いながら、母さんは洗濯物を洋服ダンスの中へと手早くしまいこんでいく。
「あら、唯ちゃんったら、結局あのまま寝ちゃったの? ちゃんとお布団も用意してあったのに」
 壁を背にして寝息を立てる唯を見て、母さんは半ば呆れながら、しかしなぜか小さく笑いながらそんなことを呟いた。

「それで、具合はどう? どこか痛むところは? 食欲はある?」
「特に痛むところはないけど、食欲はまだあんまり。体中がだるくて仕方がない感じ……」
「何言ってるの、当たり前でしょうが。あんな土砂降りの雨の中で、傘も差さずに何十分も突っ立って、挙句に気を失って地面の上で寝転がってれば、風邪引いて当然よ」
 呆れたものねと付け加え、母さんは唯の毛布の上にもう一枚のタオルケットをかぶせた。
 そして僕は、今の母さんの言葉の中に、言いようのない違和感を感じていた。
 そしてハッとなり、慌てて自分の腹部に手を当てる。
「……え?」
 気付く。
 そこには、傷らしいものは何一つなく、さらには微々たる痛みさえも感じることはなかった。
「そんな、どうして……」
 呟き、まともに働かない頭を駆使して必死に記憶を遡る。
 昨夜の、冷たい雨の中で起きた出来事を思い返す。
 写真のように映像を一つ一つ切り抜いて、真実を繋いでいく。
 そして、思い出す。
 意識が途絶える最後の瞬間、垣間見た強烈で鮮明なイメージを。
 それは、銀のナイフにまとわりつく真っ赤な血の色。
 さらに思い出すのは、耳障りな音と感触。
 ズブリと、筋肉の幕を突き破り、血管を引きちぎりながら体内へと進入する刃。
 湧き水のように赤い血が流れ出す。
 僕はその感覚を、実際に味わった……はずだ。
 少なくとも僕は、そう思っていた。
 かりんは銀のナイフを握り、僕にもたれかかるように体を倒し、そのままその勢いを利用して……。

「……っ!」
 思い出し、ふいに頭痛が始まった。
 思い出したくないイメージに限って、嫌というほどに脳裏にまとわりつく。
 いや、思い出したくないというよりは、信じたくないと言い換えた方がいいだろう。
 正直今だって、僕は昨夜の出来事が悪い夢か何かであったのではないかと思ってしまう。
 実際に、刺されたはずの傷痕はどこにもなく、僕はこうして無事なのだから。
 そうだ、きっと夢に違いない。
 なかなか寝付けないでいたけど、きっといつの間にか僕は寝入ってしまっていて、その日の疲れから悪い夢を見せられていたんだ。
 そう、信じてしまいたい。
 ……だが。
 その想いとは裏腹に、記憶の中にある映像は焼け付くほどに鮮明だ。
 この記憶が夢であるはずがない。
 反面、夢であってほしいという思いが強くなる。
 相容れない思考がぶつかり合って、頭痛は激しさを増していった。
「ちょっと、大丈夫なの大和?」
 母さんが異変に気付き、僕の傍へとやってくる。
「……うん、平気。ちょっと、頭が痛くなっただけだから……」
「そう? ならいいけど……仕方ないから、病院はまた後日にしたほうがいいかしら。しばらくは寝かせて様子を見ないとね。ただの風邪だとは思うけど……」
 言って、母さんは僕の手からタオルを受け取り、棚の上の洗面器を抱えた。
「本当は何か食べたほうがいいんだけど、まだ無理でしょ? もうしばらくは大人しく寝ておくこと。何かあったら呼びなさいな」
「うん、そうするよ……」
 頭痛は徐々に治まりつつある。
 が、決してなくなることはない。
 チクチクと針で刺されるような不快な痛みが、頭の芯でくすぶっている感じだ。

「あとで、何か飲み物をもってくるわ。それと、そこに体温計あるから、あとで熱を測っておきなさい」
「ん、分かった」
 母さんは洗面器を抱え、そのまま部屋を跡にしようとドアノブに手をかけたところで、思い出したように振り返った。
「ああ、それと」
「ん、何?」
 僕が聞き返すと、母さんは視線だけで目配せした。
 そこには、まだ小さな寝息を立てて眠ったままの唯がいる。
「あんたが起きてるうちに起きたら、ちゃんとお礼言っておきなさいよ? 徹夜で看病してくれてたみたいよ?」
 と、なぜか微笑ましそうな、それでいてからかうような笑みを浮かべ、母さんはそそくさと部屋を出て行った。
 何となくその笑みの意味合いを理解した僕は、溜め息を一つ吐き出す。
 それにしたって、母さんだってもうほとんど確信犯のようなものだろう。
 年頃の男女……いくら幼馴染とはいえ、何も唯を僕の部屋で寝かすことはないだろうに……。
「…………」
 そう考えると、途端に僕は恥ずかしくなってきた。
 気のせいか、体温が上がっているような気もする。
 ……いや、違う違う。
 これはきっと……そう、風邪のせいだ。
 そうさ、風邪のせいだ、そうに決まっている。
 と、いくらそう自分に言い聞かせようとしたところで、なかなか体と心は納得してくれないようで。
「……恨むよ、母さん……」
 結局僕は泣き言のようにそう呟いて、再びベッドに体を預けるのだった。



「…………」
「…………」
 気まずい空気が流れている。
 事の発端は、僕がトイレに立って部屋に戻った際、うっかり扉の前でつまずきかけ、その音で唯が目を覚ましてしまったことだ。
 しばしの間目元を軽くこすりながら、唯は周囲を見回していた。
 が、さすがに気付いたようで、扉の前で方膝をついている僕を見るなりばっちり目が覚めたようで……。

「……熱、まだ高いの?」
「……ん、もうだいぶ下がった」
「食欲は?」
「あるともないともいえないけど、自分から進んで食べようって気分じゃないかな」
「……そっか」
「……うん」
「…………」
「…………」
 こんな感じで、お互いに二言三言言葉を交わしては沈黙というパターンが続いている。
 僕の場合は単純に気恥ずかしさを感じているからなのだが、恐らく唯は違うのだろう。
 あのあと母さんから聞いた話だと、どうやら雨の中で倒れた僕を真っ先に見つけてくれたのは、母さんではなく唯だったらしい。
 昨夜、母さんが入浴を終えて雑誌に目を通していたときに、いきなり玄関の扉が開け放たれたらしい。
 最初母さんは、それが空き巣か何かと勘違いしたようだが、すぐに落ち着いて考え直した。
 こんなあからさまに派手な登場をする空き巣がどこにいるのかと言われれば、それも当然だろう。
 そして直後に、唯が母さんを呼ぶ声が聞こえたのだという。
 そして玄関まで出向いてみれば、そこには全身ずぶ濡れになった唯が、さらにずぶ濡れになった僕の体を背負っていたという。
 もちろん、僕にそのときの記憶はない。
 そのあとは何だかんだと騒ぐよりも早く、母さんが色々と対処をしてくれたようだ。

「……あのさ、唯」
「……ん、何?」
「その、母さんから聞いたんだけど……唯が、僕を運んでくれたんでしょ?」
「……まぁ、一応は、ね……」
「そっか……その、ありがと」
「あ、あらたまって何よ。いいよ、別にそんなの……」
「それでも、さ。やっぱ、ありがと」
「……うん」
「…………」
「…………」
 そしてまた沈黙。
 わずかに空気が重い。
 けれど、息苦しさは感じない。
「……ねぇ、大和?」
「何?」
「あのさ、覚えてるかな? まだ私達が、小学校に入る少し前くらいのこと……」
 言われて、僕は過去を振り返る。
 時間にして、およそ十年ほど前。
「……うん、覚えてる。多分、あのときのことでしょ?」
 答えずに、唯は小さく首を縦に振った。
 同時に僕は、少し不思議に思った。
 唯が言うあのときのこととは、僕にとってはともかく、唯にとっては決して言い思い出とは言えないものだったからだ。
 もちろん、僕にとってもいいものかと聞かれれば、素直にうなずくことはできないかもしれない。
 けど、僕はそのときのとこをちゃんと覚えている。
 そしてこれからも、きっと忘れることはないだろと思っている。
 そう、あれは今から十年とちょっと昔の話。
 昔話にしては近くもなく、かといって遠くもない、そんなあの頃。
 そして、それは。
 まだ幼かった僕達にとって、初めて遭遇した大きな事件だったのかもしれない……。












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