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LinkRing
作:やくも



Episode52:小さな追跡者



 まだ朝靄の少し残る中、私達はそれぞれに編成した少数の部隊を引き連れて道の上を歩いていた。
 王都を出て歩き始めて、もう間もなく一時間ほどの時間が経とうとしている。
 目的地である狼王の住処まではもう少しといったところだろうか。
「霧が深くなってきているな。隊列を乱さぬように警戒しろ」
 先頭を歩くトールが、後に続く私とアクエリアスの部隊に向けて告げた。
 早朝ということを除いても、この霧の深さは尋常ではない。
 幾重にも重なり合った空気の層は、質感のない壁を突き破るような感覚だった。
 そのくせに、やけに肌にまとわり付いて曖昧な重さを感じさせてくる。
 一言で言えば不気味だった。
 一年の大半を深く濃い霧に包まれ、それゆえに人々はおろか他の動物たちさえも滅多なことでは近づくことさえしない、クリムゾニアの国土に残された現存する数少ない生きた魔境。
 噂ばかりが一人歩きしたものとばかり思っていたが、この様子を目の当たりにしてはそれも認めざるを得ないだろう。
「トール、もうすぐ森の入り口だ。一度部隊の確認をしたほうがいいだろう」
「うむ、そうだな。森の入り口手前にある岩場で再編成を行うとしよう」
「了解です」

 そして私達は霧の中、一休みできそうな岩場で各部隊の隊員の有無を確認し、細心の注意を払って部隊の再編成を行った。
 と、そんなときだった。
「誰だ! そこのいるのは!」
 私の部隊の兵が一人、霧の奥に向けてそう叫んだ。
「どうした? 何があった?」
 すぐさま立ち上がった私に続き、多くの兵が武器を構えて立ち上がる。
 それを私は片手で制止させ、今来た霧の道の向こうへと目を凝らした。
「どうかしたか? エルド?」
 呼ばれた若い騎士は、私の部隊に所属するエルドという青年だ。
「隊長、すぐ近くに誰かいるようです。足音を耳にしました」
「……よし。分かった、下がれ。私が行こう」
「はっ……」
 私は静かに歩みを進め、腰に携えた鞘から剣の柄をわずかに引き上げ、前へ出た。
「そこにいるのは誰だ? 姿を見せろ」
 しかし、霧の向こうから返事はない。
 どれだけ目を凝らしても、霧が深すぎるためにそこには人影すらも確認することはできなかった。
「……隊長、自分の空耳だったのでしょうか……?」
「……いや、違うな。確かにいる」
 私は確かに、その霧の向こうから気配を感じ取った。
 長い間戦いの中で培った経験と勘だ、間違いはない。
 そして感じたその気配には、まるで敵意や悪意というものは感じられなかった。
 むしろ逆で、怯えている小動物のようなそれによく似ているものだった。

 私はそれを確認し、握っていた剣の柄を離した。
 カシャンと、刃が鞘の中に収まる。
「出てきなさい。何も取って食おうというわけじゃなのだ。そちらもこちらに対して、争うつもりはないのだろう?」
 もしもこうして話しかけてる相手が人ではなく動物だったら、そもそも言葉も通じないだろう。
 しかしこの気配は、明らかに人独特のものだ。
 そもそも野生動物の類であれば、最初のエルドの声を聞いた時点で一目散に走り去っているだろう。
 つまりこの相手は人であり、私達に対して敵意はなく、それどころか私達の後を付いてきたようなものなのだ。
「さぁ、出てきなさい。そちらが何もしなければ、こちらも何もしはしない」
 私はできるだけ諭すような言葉を選んで言った。
 するとようやく、その気配がわずかに動いた。
 ジャリと、砂地の地面を踏む音が聞こえる。
 霧の幕をゆっくりと掻き分けながら、徐々にその姿が私達の目の前へとやってきた。

「……な?」
「これは、どういうことだ?」
「おやおや、迷子……にしては、ちょっと違うようですけど」
 私達は三人揃って驚愕の声を上げた。
 声を出さずとも、多くの兵達も霧の中から出てきたその人物……いや、正確に言えばその人物の幼さに驚いていた。
「…………」
 ひょっこりと姿を現したのは、まだ外見からして七、八歳ほどの少女の姿だった。
「子供? どうしてこんなところに?」
「まさか迷子というわけではなかろう? 仮にもここは魔境の入り口だぞ?」
「近くに町や村、集落もありませんし、そうなるとやはりこの子は……」
「……君は、まさか王都からずっと私達の後を付いてきたのか?」
 私が優しく聞くと、その少女は口には出さずに小さく頷いた。
 少女はまだ少し怯えている様子で、しかしなぜかその表情とは裏腹に確固たる意思のようなものが目に見えた。
「……一体どうして、私達の後をつけてきたんだ? ここは危険な場所だ、すぐに帰ったほうがいい」
「おい、誰かあの子を王都まで送り届けてやれ」
 トールが言うと、部隊の兵士の何人かが率先してその役目を引き受けた。
「さぁ、我々と一緒に帰ろう」
「心配は要らない。必ず無事に家まで送り届けるから」
「…………だ、め……」
「……ダメ?」
 か細い声で、しかし確かに少女はそう言った。
「わがままを言うものではない。ここは危険な場所なのだぞ?」
「さぁ、行こう。家に帰るんだ」
「……ダメ! 帰らない! 私は、お花を取りに来たの! それがないと、お母さんが……」
「こら、いい加減にしないか……!」
「待て」
 やや呆れ果てて兵が怒声を出しそうになるのを、私は手で制止させた。
「シルフィア騎士団長……」
「…………」
 少女は大声を出したかと思ったら、またしおしおと声を失ってしまっている。
 だが、どうやら何かわけありのようなのは確かだ。

「花を取りに来た、そう言ったね?」
 答えず、少女は頷いた。
「どういうことだい? それに、お母さんがというのは?」
「…………病気、なの……」
 そして少女は、ようやく口を開いた。
「私のお母さん、病気なの。色んなお薬を使っても、全然治らないの。だから私、狼の森に咲く、どんな病気も治すことができるお花を取って、お母さんを助けるの」
「……花。それはもしかして、オリビアの花のことですか?」
「オリビアの花? そういえば昨日の会議の中でも、そんな話を聞いた覚えがあるな」
「ええ。オリビアの花は、別名世界樹の種とも呼ばれています。煎じて飲むことによって、どんな難病や大怪我もたちまち回復するという、まさしく万能な薬として史上に名が残されています」
「しかしそれは、噂だけではなかったのではないか? 現に市場では、そんなものは出回っていないではないか」
「無理もないでしょう。文献などの中にも、正確な生息地は何一つ記されていないのです。天候、気候、温度、湿度、他にも様々な条件があり、それらが偶然重なってできた場所にのみ、花は咲くと言われています」
「確かそれが、狼王の住処にあるという噂があったのだな?」
「ええ。真偽は分かりませんが、狼王の住処ほどの魔境ならばあっても不思議ではないかもしれません。もとより人の手が届かないところに、そういった伝説上のものは生息するものですから」
 なるほど、アクエリアスの言い分には納得できるものがる。
 確かに真偽のほどは不明だが、可能性は決してゼロではなさそうだ。
「とはいえ、子供一人でやってくる場所でもなかろう。やはり王都へ戻した方が懸命ではないのか?」
 トールの言い分はもっともだ。
 私も一人の騎士として、民をわざわざ危険の中に飛び込ませるのを黙って見ているわけにはいかない。
「…………」
 トールの言葉に、少女は静かに頭をうなだれた。
 恐らく、自分でも無茶をしでかしていることは少なからず自覚があるのだろう。
 ましてやこんな早朝の時間、我々に気付かれぬようにこっそりと後を付いてくるほどだ。
 逆に言えば、それだけ真剣ということでもある。
 さてさて、困ったものだが……。

 わずかに私は考え込み、そしてトールとアクエリアスに振り返った。
「トール、アクエリアス、頼みがある」
「……やはり、そうなるのだな」
「言わずもがな、ですね」
 言う前から、二人はすでに溜め息をついたり呆れた顔をしたりしていた。
「……すまない。感謝する」
 ようするに、だ。
「あなた、名前は?」
「……え?」
 ふいにかけられた言葉に、少女はぼんやりとしていた。
「名前だよ。あなたの名前」
「あ……アリス……」
「アリス、か。確か、どこかの国のおとぎ話でそんな姫の名前があったな」
「おやおや。それでは、丁重におもてなしをしないといけませんね」
「ふむ。異国の姫の名に一時の忠誠を誓うのも、まぁ悪くはなかろう」
 そう言って、二人は小さく笑った。
 そして私はもう一度アリスと名乗った少女に向き直り、その頭を軽く撫でながら言う。

 「――私達と一緒にきなさい。大丈夫。あなたのことは私が必ず守ってみせる。この剣にかけて」

 その言葉に、少女は最初ポカンと口を開けたままでいた。
 だが、ようやくその言葉の意味が理解できたのだろう。
「ありがとう、お姉ちゃん!」
 そう言うなり、私の胸に勢いよく飛び込んで満面の笑顔を見せた。
 いや、それよりも何よりも私が気になっているのは……。
 ゆっくりと後ろを振り返る。
 案の定、私よりも二人の方が驚いた顔をしていた。
「……聞いたか? アクエリアス?」
「……お姉ちゃん、ですか。いえ、別に珍しくも何ともない言葉なのですが……」
 二人の視線が私を見る。
「……な、何が言いたい?」
「いえ、別に……」
「ふむ、言いえて妙とはこのことか……」
 などと、各自勝手に納得している様子だった。
 ああ、もう。
 好きにしてくれ。
 何だかんだで、一番恥ずかしいのは面と向かって呼ばれた私自身なのだから……。
 深い霧の中、それとはまた違ったおかしな空気が流れていた。
 幼すぎる姫を加え、そして我々は森の中へと進むことになる。












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