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LinkRing
作:やくも



Episode13:風の声


 正直、僕は自分の行動のその根拠となる理由がまるで分からないままだった。
 こんな風に現実を飛びぬけた世界の中で戦うことなんて今までにあるはずもなく、それどころか普通の取っ組み合いの喧嘩ですら、僕は全くといっていいほど経験したことがない。
 ましてや今目の前にあるのは、それこそ命がけの戦いといっても過言ではないものだ。
 一歩間違えたり、一瞬の判断の遅れが容赦なく僕の命を削り取る、あるいは奪い去っていく。
 だというのに……。
「チッ、チョコマカと……それも風の恩恵ってやつかよ……」
 苦々しげに言葉を吐き捨てるのは、炎を操る少年の方だった。
 対する僕は、その少年の言葉通り、全ての攻撃をまさに紙一重の間合いでかわし続けていた。
「…………」
 僕は自分で自分の体の動きが信じられなかった。
 背中にはまるで羽根が生えているかのように、体そのものの重さをまるで感じさせない。
 確かに踏みしめているはずの地面もどこか不安定で、わずかばかり体が宙を泳いでいるような錯覚さえ覚えた。
 僕と少年の交戦は、まだ始まって五分と経っていない。
 しかしその時間の中で、僕が少年から受けた傷は一つもない。
 左腕と右足を襲っていた焼けるような痛みさえも、今ではもう何も感じさせはしない。
 僕は幾度目かの赤い短剣を、やはり体のひねりのみで避ける。
 不思議だ。
 体が勝手に動いているみたいで、まるで自分の体じゃないみたいだ。
「クソッタレ。これなら……どうだっ!」
 痺れを切らしたのだろうか、少年は忌々しげに吐き捨てると、両手を交差させるような振りで膨大な数の赤い短剣を飛ばしてきた。
 目測できるだけで、その数は三十。
 それらが正面からだけでなく左右、さらに足元、頭上に至るまでのありとあらゆる方向から追尾機能のあるミサイルのように襲い掛かってくる。
 だから僕には、用意された逃げ道は一つしかない。
 それはつまり、後ろだ。
 だが僕は、あえてその方向へ逃げることをしない。
 僕が取った行動は、自分でもおかしいと思えるくらいに無謀で、それゆえに少年の思考回路さえも一時停止を余儀なくされるものだった。
「なっ……」
 そして案の定、少年は口を開けたまま呆然と立ち尽くしていた。
 無理もない話しだ。
 なぜなら、僕が取った行動は……。

 ――赤い短剣に正面からぶつかるように、前へと走り出していたのだから。

 数多の方向へと分散された攻撃の手は、当然一つの方向に対しての絶対数を少なくせざるを得ない。
 実際、僕の真正面から向かってくる赤い短剣の数は七本か八本という、数えるほどのものでしかなかった。
 そのくらいの数ならば、かすり傷を覚悟すれば避けきれない数ではない。
 僕は地を這うように体勢を低くし、後は体が動くままに前へ前へと押し進んだ。
 左肩、左太もも、右頬に微かな痛みが走る。
 焼けるような熱さを持つそれは、しかし気にもならない。
 今、少年は手元にある全ての短剣を出し切った。
 つまり、体はがら空きだ。
 僕の体と赤い短剣が交差する。
 致命傷はない。
 余裕で切り返せる範囲だ。
 僕は右拳を強く握り締め、遮るものの何もない少年の腹部目掛けて思いっきり拳を叩き込んだ。
 が、しかし。

「え……?」
 勢いよく振りかぶった僕の拳は、しかし手応えを感じ取ることができなかった。
 変わりに伝わってきたのは、猛る炎の熱さだけだった。
「詰めが甘いな」
 囁くような声。
 気が付くと、少年はいつの間にか僕の側面に立ち、見下ろすような視線を向けていた。
 だが、それだけではない。
 空振りの拳の反動で、今度は僕の体ががら空きになる。
 その隙を少年が見逃すはずもなく、勢いよく振り上げられたその右足が、例えようのない音を上げて僕の腹にめり込んだ。
「……げ、ほっ……」
 せき込む間も一瞬だった。
 半分ほど宙を浮いていた僕の体は、少年の蹴りによって容易く宙を舞った。
 恐ろしく長く思えるほどの、しかし刹那的に短い滞空時間が終わり、僕の体は背中から芝生の上へと落下した。
 その衝撃で、肺の中にある空気の塊を全て吐き出してしまった。
「げほっ、げほ……」
 夢中で酸素を取り込むように、僕は呼吸を繰り返す。
 しかし、蹴られた腹部が呼吸のたびに別の悲鳴を上げる。
 手で触れてみるだけで、鈍い痛みが走った。
 幸い骨折はしていないようだが、深手には変わりはない。
 逆流しかけた胃液を無理矢理押し込んで、僕はすぐに上半身だけを起こした。
 すると思ったとおり、僕の倒れていたその一瞬の間に少年はすでにいくつもの赤い短剣を作り出していた。
 もう少し僕が起き上がるのが遅ければ、杭を打ちつけられるかのように赤い短剣が降り注いでいたことだろう。
「……う、ぐ……」
 どうにか起き上がったまではいいが、思った以上に体に力が入らない。
 さっきまでの背中に生えた羽根がウソのようだ。
 今はまるで足枷をはめられているかのように、動きが重い。
 このままでは、追撃となるあの赤い短剣を避けきることなんて到底不可能だ。

「……なんてヤツだよ、ホントに。実戦の中で成長するタイプもいるとは聞いてたが、ちょっと桁違いの速さなんじゃねぇのか? まさか、風使いだから成長も速いだなんて、そんな屁理屈こねられたらこっちはたまんねぇぞ……」
 相変わらず少年は憎々しげに言葉と吐き捨てている。
 しかし聞きようによっては、それは間違いなく少年の中で誤算が生じているということに他ならない。
 その誤算というのが恐らく、僕の成長速度、ということなのだろうか。
 正直、実感はない。
 僕はただ体の動くままに体を動かしただけであって、現に今の僕には目の前の少年を攻撃する手段なんて何一つないのだ。
 そう、僕にはまだ、戦闘において決定的な欠落がある。
 それは、武器となる攻撃の力だ。
 それがないままでは、いくら風の力の影響で敏捷性が向上しても、逃げの一手しか生まれてこない。
 それでは戦いに勝つことなど、到底不可能だ。
 だけど僕は、まだそれを知らない。
 自分が何を武器にするかなんて、何も考えていなかったんだ。
 しかしそうも言ってはいられない。
 このままでは僕は、確実にこの少年に敗北してしまう。
 命を失うかそうでないかは分からないけど、負ければ僕は『Ring』を奪われる。
 そうなれば、飛鳥だって同じ目に遭ってしまう。
 それだけはできない。
 僕は決めたんだ。
 戦争の利益を求めるためじゃなく、この戦争を終わらせるために戦うと。
 しかしそのためには、やはり戦うための力は不可欠だ。
 それをここで失うわけにはいかない。
 だから、そのためには僕は、どうしても負けるわけにはいかない。

「ぐ……うあ……」
 足元がふらつく。
 痛みもそうだけど、ダメージは思ったより足にきている。
 この足では、さっきまでみたいに満足にあの赤い短剣を避け切ることはまず無理だ。
 ならば、どうする?
 避けることができないなら、防御するしかないのか?
 いや、仮に防御したところでどうなるというのだろう。
 元は炎とはいえ、それはれっきとした殺傷力を持ったナイフだ。
 刺されば、それこそかすり傷程度で済むはずがない。
 むしろ当たり所によっては、それだけで絶命することだってありえる話だ。
 回避もできず、防御もできない。
 だとすると、僕に残された手段は……。
 僕はわずかに視線を外す。
 その先に、飛鳥の姿が見えた。
 言葉には出さないが、その表情は絶望的なものだった。
 もう後がないと、その目が言っている。
 だけど、それでも、僕は……。
「もういいだろ? アンタはよくやった。俺だって好き好んで殺しなんてしたいわけじゃない、だから、最後に聞く。おとなしく『Ring』を渡せ。そうすれば、命までは取らない」
 少年の言葉は本音だろう。
 そのに敵意はあるが、悪意は感じられなかった。

 だけど僕は、それに応じるわけにはいかない。
「……まだ、負けたわけじゃない……」
 痛みを堪えて、腹の底から声を出した。
 するとその言葉に、少年は一瞬だけどこか悲しそうな表情を見せた。
 が、それもすぐに上塗りされる。
「……そうか。だったらこっちも、手加減はしない。戦争は常に勝者と敗者でしか分かれない。そして敗者を待つのは、例外なく死だ」
 言って、ゆっくりと手をかざす。
 いくつもの赤い短剣がそれを合図に、より激しく燃え盛る一つの短剣に姿を変える。
「……悪く思うなよ。使いたくねぇ言葉だけど、これも運命ってやつだと思ってくれ」
 その一つになった赤い短剣は、もはや刃物としての機能を失っている。
 これは炎の形をした短剣ではない。
 紛れもなく、それは炎そのものだ。
「……できるならアンタとは、もうちょっと違う形で会いたかったな。そうしたら、笑って話せてたかもしれない……」
 炎をその手に。
 形のないはずの柄を握り、狙いを定める。
「じゃあな。これで本当に終わりだ」
 そして少年は告げる。
 名も無き焔の刃の名を。

 「――カタストロフ・ダガー」

 そして、名付けられた焔は放たれた。
 見る見るうちにその切っ先が視界を覆い尽くし、全てを飲み込む赤の恐怖が迫る。
 ……ダメなのか?
 もう、僕は何もできないのか?
 まだ、何もしていないのに?
 ここで終わる?
 ……嫌だ。
 そんなのは、嫌だ。
 戦うと決めた。
 無意味な戦争を、犠牲なく終わらせて見せると決めた。
 だから、こんなところで……。
「……負けられ、ない。力を……力を貸してくれ……!」
 そして僕は思い出す。
 あの日、ふいに浮かんだ名も無き風のその名を。

 「――力を貸してくれ……シルフィア!」

 直後に、僕の指の中の指輪が眩しいほどに発光した。
 そしてそれと同時に、少年の手から放たれた名付けられし焔は爆発した。
 ドォンと、まさに爆弾が爆発したかのような轟音。
 周囲は瞬く間に灰色の煙に覆われ、誰の姿も見えなくなってしまう。
「大和っ!」
 そんな中で、飛鳥のそんな叫ぶ声を僕は聞いた気がした。
 だけど、体が思うように動かない。
 目の前には灰色の煙の壁。
 その向こう側に、少年の立つ影が確かに見えた。
 ……え?
 何で、だ?
 どうして、僕は……。

 ――それらの声や映像を、見聞きすることができるんだ?

「……あ……」
 そうして僕は、目を開けた。
 ……生きている。
 僕は先ほどまでと同じようにふらつく足でどうにか地面を踏みしめて、今にも崩れ落ちそうな体で立っていた。
 しかし、どこかその感覚が違う。
 まるで再び、背中に羽根が生えているような……。
 そう思った瞬間、僕の目の前で風が生まれた。
 小さな台風のようなそれは、一面に広がった灰色の煙を一瞬で晴らしてしまう。
 そして晴れた視界の向こうに、やはり少年は立っていた。
 ただし、その目を驚愕の色に染め替えて。
「……何だ? 何をしたんだ、一体……」
 微かに震える少年の声。
 その目と向き合っているのは、やはり僕の姿だった。
「答えろ! 今何をした!」
 震える声は怒鳴り声へと変わった。
 僕はその言葉に答える術を持たず、どこか手持ち無沙汰に自分の両手を広げた。
 そしてそこから、僕の風が生まれた。
 ヒュウヒュウと優しい音を立てながら、生まれたばかりの風が僕の体を包み込む。
 その風はどこか暖かく、まるで抱かれているような心地よさだった。
 そして、腹部の痛みが引いていく。
 それは癒しの風だった。
「これが、僕の……」
 初めて実感した、力というものの存在。
 目に見えるのは春風のような優しさなのに、それがこんなにも心強い。

 『――契約者よ、お初にお目にかかります。我が名はシルフィア。貴方の持つリングに宿る、風の精霊』

「こ、声が……? ど、どこから……」
『私は常に、貴方と共にあります。永き間封印されていた私の力は、契約者の言葉によってようやく解放されました。貴方の意思の強さ、我が力を託すに相応しいものと判断し、力の一部を解放しましょう』
 僕は指の中の『Ring』に目を落とした。
 声の主の姿は見えないが、その声は確かにそこから聞こえてきていた。
『さぁ。我が力、見事使いこなして見せなさい』
 その声と共に、僕の手の中の風がその姿を変えた。
 優しい春風は、一瞬のうちに触れるものを切り刻むであろう風の刃に姿を変えていた。
「こ、これが……風の力……」
 僕は自分の手の中で吹きすさぶそれを、完全には制御できなかった。
 まるで風本来が自由であるように、身勝手に動き出すかのようだった。
『恐れてはなりません。風は貴方の体の一部だと思いなさい。同調するのです。貴方は風、そして風は貴方そのものであると』
「……僕は、風の一部……」
 イメージを膨らませる。
 それはまるで、何もない空の上に体を浮かべるかのように。
 体を包む風。
 最初はバラバラだけど、しだいに波長を整えていく。
 流れが一つになり、思うがままに操れる。
 目を閉じ、開ける。
 そして僕の手の中に生まれた風は、見えない渦を巻く刃だった。
『放ちなさい。今の貴方なら、その風を操れるはず。名も無き我が風の一部、その名は……』
「やらせるかよっ!」
 途端に、今まで傍観していた少年が叫んだ。
 放たれるは赤い短剣。
 それを迎え撃つように、僕は名も無き風に新たな名を与える。

 「――飛べ。エアリアル・ブレード!」

 炎の短剣と風の刃が、それぞれに放たれる。
 ぶつかり合い、そのまま相殺を果たすかと思われたその瞬間のことだった。
「なっ……」
 最初に声をあげたのは少年だった。
 間違いなく正面からぶつかり合ったはずの炎と風。
 しかし、炎は風の前に跡形も無くかき消され、風は一方的に突き進む。
「そんな、どういう……」
 戸惑う少年をよそに、僕にはその原理が理解できていた。
 僕の放った風は、いわばカマイタチと呼ばれる真空の刃だ。
 さて、ここでちょっとしたクイズをしよう。
 炎が燃えるためには、空気中に何が必要か?
 答えは酸素だ。
 では、もう一問。

 ――真空状態で、酸素は存在するか、否か?

 もちろん、答えは……。

 ――ノー、に決まっている。












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