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LinkRing
作:やくも



Episode12:戦況悪化


 今にして思えば、予感というものに頼るのはずいぶんと久しぶりかもしれない。
 車を運転しながら、氷室はふとそんなことを考えていた。
 休日の夕方、人通りも多く道路は混雑していてなかなか前へ進むことができない。
 クラクションを連打したくなるような焦りをどうにか抑えつけて、氷室はフロントガラスの向こうに映る、少し赤く染まり始めた空を眺めていた。
 目の前にある信号は未だに赤。
 いつもならばこんなに焦りは苛立ちを覚えることもないはずなのに、今はこの一分一秒がじれったくて仕方がない。
「……まったく、この忙しいときに限って……!」
 苦々しげに吐き捨てて、腕時計の文字盤を覗いた。
 先ほどの火事の現場を出てすでに十五分ほどが経過しようとしている。
 車に乗り込む直前に飛鳥にも電話をかけてみたが、どういうわけか繋がらなかった。
 圏外にいるのか、それとも電源を切っていたのか。
 どちらにしても、そのときに連絡が付かなかったことは氷室にとって大きな遅れの一つに違いない。
「……よくない展開ですね。まさかあのときに仕留め損なっていたとは、思いもしませんでしたよ……」
 信号はまだ青に変わらない。
 焦りや苛立ちがさらに拍車をかけるように襲い掛かる。
「しかし、一体どうやって? 飛鳥のあの一撃をまともに受けて、無事でいられるとは到底考えにくい……いや、まさか……」
 そう呟いたところで、ようたく信号が青に変わった。
 ゆっくりと車の流れが動き出し、十字路を境に右折や左折する車の間を通り抜け、氷室は車を真っ直ぐに走らせた。
 氷室がその気配を感じ取ったのは、車を走らせ始めて十分ほど経った頃だった。
 その気配というのは、言うなれば『Ring』を持つもの同士が互いを感知できる見えない信号のようなものだ。
 能力者が能力を使うということは、それはつまり『Ring』の力を解放しているということである。
 それはつまり、戦いが始まることの知らせに他ならない。
 そして今回、氷室がその気配を感じ取った場所は火事現場から全く正反対の方向だった。
 ちょうどその方角には、この街で一番大きな公園である森林公園が位置している。
 炎使いと森林。
 考える限りでは最悪の部類に入る組み合わせだ。
 炎使いともなれば、あのくらいの広さの規模を誇る公園だろうと、焼け野原にするのは決して難しいことではない。
 そうなれば最後、飛鳥も大和もただでは済まない。
 最悪の場合、二人は死体すら残らずに灰になってしまうことだろう。
 氷室は制限速度を完全に無視し、アクセルを踏み込んだ。
「間に合ってくださいよ、二人とも……!」
 車体が加速する。
 現在位置から森林公園まで、どんなに急いでもあと五分はかかる距離だ。



「へぇ……ただの連れだと思ったら、そっちのアンタも能力者だったってワケか」
 炎の中、赤い短剣を操る少年はわずかに驚いたような口調でそう言った。
「つっても、まだ発展途上もいいとこじゃねーか。自分の力を、まるっきりコントロールできてねーでいやがる。そんなんじゃ、ただのお荷物にしかならないぜ。逆に不利なんじゃねーの? 雷使い」
 少年の視線の先には、身構える体勢の飛鳥と大和が立っている。
 二人ともケガらしいケガはしていないが、逃げ場のない炎の中ではどう見ても状況が苦しいことは確実だ。
「……大和、できるだけ私から離れないで。離れればアイツは、絶対に無抵抗のあなたを狙うに決まってる」
「だ、だけど、それじゃ飛鳥が……」
「……大丈夫、何とかする。少なくとも、大和だけは守るから」
「そ、それじゃ……」
 意味がないだろうと、僕は言葉を続けることができなかった。
 悔しいけど、目の前の少年の言うとおりだ。
 僕はまだ能力者としては卵同然で、力の使い方はおろか理解さえも中途半端なままだ。
 そんな僕が、こと実戦にか関して飛鳥の助力になることは極めて難しい。
 むしろ逆に、足手まといになるのが目に見えている。
 まさか……まさか、能力のいろはを覚え始めたその日にこんな状況に遭遇することになるなんて……。
「ま、どうでもいいか。まとめて倒せばそれでいいわけだしな。的が一つでも二つでも大して変わらねーし、むしろ当たる確率が増えたワケだしな」
 薄く笑い、少年は再びその掌から炎を生み出した。
 猛る炎は見る見るうちに赤い短剣へと姿を変え、まるで射出されるのを待っている銃弾のように切っ先を僕達に向けている。
「どこまで避けきれるか、見物だな。風使いなんだろ? 逃げるのは得意分野じゃねーのか?」
 次々に生み出されていく赤い短剣。
 その数はゆうに二十を超えた。
 無理だ、あの数を全て避けることなんて、絶対にできっこない。
 素人目で見た僕でもそう分かるくらいに、それは絶望的なほどの数の暴力だった。

「……大和、少しだけ後ろに下がって」
 囁くように、飛鳥は言った。
「え? う、うん……」
 飛鳥が何を考えているかは分からないが、僕はとりあえず言われるがままに指示に従った。
 直後に、飛鳥の両手に今まで以上の膨大な量の雷のエネルギーが集束した。
 バチバチと稲光を発しながら、青白い閃光が迸るように視界を照らす。
「……っ!」
 飛鳥のその様子に、少年もわずかに身を引いた。
 あの夜、その必殺の一撃を目の当たりにしているからだろう。
 今の飛鳥は、まさにあのときのそれだ。
「避けられないなら、まとめて消し去るまでよ」
 言い放ち、両手を構える。

 「――紫電の光よ、我が元に集え。音速の名の下に、眼前の敵を消し去れ。我、射手座の名の下にこの矢を放たん…………」

 あの夜と同じ、詠うように紡がれる言葉。
 それは契約の言葉であり、同時に飛鳥の今持てる最大の力を集めた一撃の名前だ。
「今度はアンタが避ける番だ。避けれるものなら、避けてみろ!」
「チッ、やらせるか……よっ!」
 一瞬早く、少年は命令をするように両手を払った。
 するとそれを合図に、二十を超える赤の短剣が一斉に飛鳥目掛けて襲い掛かった。
 正面からだけではなく、左右と上方向も含めたまさしく全方位からの襲撃。
 理屈だけで考えれば、文字通り逃げ場はない。
 だが、しかし。
「遅いっての!」
 この雷の槍の速さに、理屈などはもはや通じない。

 「――サジタリウス・グングニル!」

 必殺の威力を誇る、紫電の槍の名が紡がれる。
 青白く光る巨大な槍は、向かってくる赤い短剣全てを呑み込んでなお、その勢いは止まらない。
 雷の槍の軌道は一直線。
 従って、左右のどちらかに回避すれば容易に直撃は免れることができる。
 しかしそれは、この一撃が回避可能な速度で飛来する場合の話であって……。

 ――音速をはるかに凌駕するその速さの前では、もはや回避という概念すら存在しない。

 ゆえに、放てば必中。
 ゆえに、必殺。
 瞬きする間もない刹那の中で、赤い短剣を飲み込んだ雷の槍が少年目掛けて突き進む。
 回避は不可能。
 防御などもってのほか。
 この槍を防ぎきれる盾など、まず存在しない。
 そして雷の槍は、あっけなく少年の体を呑み込んで森の奥へと消え去った。
「……やった?」
 呟くように飛鳥が言う。
 目の前にあるのは、一直線に続く槍の軌道の地面。
 一面に芝生が敷き詰められている場所に、一本だけ直線のような地肌が色を覗かせている。
 その先に、あの少年の姿はない。
 見れば、先ほどまで周囲を取り囲んでいた炎の壁も跡形もなく消え去っていた。
 その炎が周囲の木々に移った形跡も見られず、火事という大惨事には至らずにすんだようだ。
 僕は飛鳥の背後でホッと胸を撫で下ろした。
 一方飛鳥は、今の一撃で相当量の体力を消耗してしまったのだろうか、地面に膝を付いたまま肩で息をしている。
「あ、飛鳥! 大丈夫?」
 呼びかけ、僕は慌てて駆け寄った。
「う、うん。どうにかね……ちょっと、力を使い過ぎちゃったみたいだけど、それだけだから……」
 そう言って飛鳥は僕に振り返る。
 額に浮かんだ汗の球が、飛鳥の疲労の色の濃さを物語っていた。
 とりあえず僕は肩を貸そうと、さらに数歩ほど飛鳥に歩み寄って……。
「……え……」
 その先に、あるはずのない映像を見た。
「飛鳥、危ない!」
 僕は叫び、駆け出した。
 その言葉に、飛鳥が自分の背中を振り返る。
 そこに。

 ――いくつもの赤い短剣が迫っていた。

「ぐっ!」
 僕は全力で走った。
 しかしこんなときに限って、先ほどのような足の速さは現れない。
 無我夢中で走り、飛鳥の体を抱え込むようにして芝生の上になだれ込んだ。
 頭上で空気を切り裂く音がする。
 そしてその赤い短剣のいくつかは、容赦なく僕の体を切り裂いていった。
「……っ!」
 寝転がったままの状態で、僕は痛みを堪えながらどうにか顔を上げる。
 その視界の先に、少年は立っていた。
 まるで何事もなかったかのように、小さな笑みを浮かべた表情でそこに立っていた。
「よく避けたな。とはいえ、さすがに完全回避ってわけでもなさそうだ」
 僕は左腕と右足の二ヶ所を、あの赤い短剣によって傷つけられていた。
 直撃はどうにか避けられたので、傷そのものは掠った程度だ。
 だがしかし、何だこの痛みは。
 いや、痛みのほかにもう一つ別の痛覚が働いている。
 これは……。
「……熱っ……!」
 僕の傷口は、火傷を負ったときのように熱を持っていた。
 その熱さが普通じゃない。
 まるで傷口から炎が燃え上がっているかのようだった。
「分かったか? 俺のナイフは、もともと切ったり刻んだりするための代物じゃないんだよ。そもそもこのナイフは、俺の炎に形を与えただけのもんだ。最初からただの炎のままなんだよ」

 そう言うと、少年は赤い短剣をいとも簡単にその手で握りつぶして見せた。
 すると赤い短剣は、まるでその形が最初から仮初のものであったかのように形を崩していく。
 そしてまたただの炎に戻ると、少年の手の中で勢いよく燃え始めた。
「……っ!」
「ま、よく避けたと思うぜ? あんだけ投げて、かすり傷二つか。アンタが風の力を扱える理由も、なんとなく分かる気がするよ」
「……なん、で……」
 呻くような声で、飛鳥が口を開いた。
「……どう、して……絶対に命中したはずだ。なのに、どうして……」
「ああ、そうだな。確かにその通りだ。お前の攻撃は命中……いや、必中だったさ。そして、確かに命中した」
「……だったら……」
「おいおい、こんだけ言ってまだ分かんねーのか? ようするにだ、お前の攻撃は命中した。にもかかわらず、俺はこうしてピンピンしてる。だったら、もう答えなんて一つしかねーだろーが」
 もったいぶるような口調の後、少年はまた少しだけ楽しそうに笑って言った。

 「――つまり、お前の攻撃が当たったのは俺じゃなく、別のものだったって話だ」

「……別の、って、まさか……」
「ま、こんだけヒントをやったんだから、そりゃ気付くよな。ああ、そういうことだよ。お前が打ち抜いたのは、俺じゃなく、俺の……」
 言いながら、少年は炎を操って何かを作り出す。
 それらは互いに混ざるように集まり、少しずつ一つの形を作っていく。
 やがてそれは、人の形をしたものへと変わっていった。
 そして、さらに……。
「な……」
 僕は思わず声を上げた。
 出来上がった炎の塊のそれは、どこからどう見ても少年の姿をした炎の人間だった。
「そう。俺の姿をした炎だったってワケだ。付け加えると、あの夜のときも同じ手で逃げさせてもらったぜ。敵の手の内を知るのは戦闘において重要なことだからな。ま、こうして俺も今手の内をいくつかさらけ出してるんだ。これであいこだろ」
 少年が自分の姿をした炎を撫でると、それは瞬く間に形を崩して元の炎へと成り下がった。
 そしてそれらは再び、僕達に狙いを定めたいくつもの赤い短剣となって切っ先を向け始めた。
「さてと。どうやらここまでみたいだな。雷使いはもう戦う力は残ってねーだろーし、風使いのアンタじゃ俺の相手にはならない。死にたくなかったら、さっさとお前らの『Ring』をよこしな」
 ……え?
 その言葉に、僕は疑問を抱いた。
 てっきりこのまま情け容赦なく殺されるのだとばかり思っていた僕は、思わず耳を疑った。
 『Ring』を渡しさえすれば、命は助けるということだろうか?
 いや、そうとは限らない。
 飛鳥が言っていたじゃないか。
 一度『Ring』を失ったとしても、能力者である以上は再契約の可能性があるんだと。
 そんな危険な芽を、摘んでおかないはずがない。
 ……だけど、このまま『Ring』を渡すことを拒んだら、僕はもちろん飛鳥も確実に殺されてしまう。
 僕を守るために力を使ってしまったがゆえに、こんなことになってしまった。
 その盾となってくれた飛鳥をみすみす見殺しにすることは、僕にはできない。
「……大和、ダメ。渡したらダメだよ……」
「分かってるけど……このままじゃ、どの道僕達は殺されちゃうんだ」
「……どの道、コイツが私達を生かしておく保障なんて、どこにもない……それに、私はまだ、戦え……」
 そう言って立ち上がろうとする飛鳥だったが、体がついていかない。
 僕が体を支えなくては、飛鳥はまともに立ち上がることさえできないほど消耗している。
 ダメだ、飛鳥をこれ以上戦わせるわけにはいかない。
 だから、今は……。

「……飛鳥は、休んでて」
「大和……? どうする気なの……って、まさか……」
「……うん。何もできないかもしれないけど、僕も一応能力者として選ばれたから。自分だけ戦わずに逃げるなんて、できない」
「む、無理だよ。だって大和は、まだ力の使い方を何一つ覚えてないじゃない……」
「それでも、逃げる理由にはならないよ。やれるだけのことはやってみる」
「……ダメ、そんなの許さない。みすみす死ににいくようなものじゃない。そんなのは、仲間として見過ごすわけにはいかない……」
「まだ、死ぬって決まったわけじゃない。言っただろ? やれるだけのことはやるって」
「大和……」
 僕は立ち上がり、少年に向き直る。
「……へぇ。アンタ、見かけによらず大したもんだな」
「見かけって、外見だったら僕も君も同い年くらいだろ?」
「ハハハ、そりゃそうだ。いや、アンタいいよ。俺、アンタみたいなタイプは好きだぜ」
「……あんまり嬉しくない」
「そう言うなって。心構えに共感したのはマジだぜ? だが、それと手加減どうこうとは話が別だな。やるからには俺も本気で行く。覚悟はできてんだろーな?」
「……あいにくだけど、死ぬ覚悟ならできてないよ。僕にあるのは、逃げない覚悟だけだ」
「……上等。行くぜ!」
 こうして、僕の勝ち目のない最初の戦いは始まった。
 だけど、どうしてなんだろう?
 このとき、僕は不思議と……。

 負けることなんて、これっぽっちも考えてなかったんだ。












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