第五章<2
ところで長門はどのような感じで授業を受けているのであろうか。これは実に興味深い謎である。ハルヒ的思想に完全な共感をするわけでもないが、元来好奇心は強い方であり、地球人とはメモリー容量が全く違うのであろうヒューマノイドインターフェースが、地球の高校一年レベルの授業内容にどういった態度を示すかなんて話は、つい半年前までなら夢物語だったわけで、今はその答えが目の前にあったりするから人生はわからないものだ。
だからではないが、今現在俺は妙にそわそわした感じにさいなまれていた。客観的に見れば今の状況は授業をサボって廊下をうろついている身であり、その感覚は当然なものではあるが、長門に対する好奇心から来るものでも無いように思える。言うなれば感覚的な警戒心が働いているのだ。何かを忘れてはいないかと。
実際その感覚は正しかった。
授業の終了を告げるチャイムが鳴り響いて、色々な教室から生徒たちが振りすぎた炭酸飲料水のように飛び出してきて、それでも長門の教室で行なわれている授業がロスタイムに突入していた時、廊下の人ごみからハルヒがなんとも言い難い表情で歩いてきていた。喜怒哀楽の喜と楽が抜け落ちたような表情だった。
まずい、そう思ったときにはすでにかなり接近を許していた。瞬間的に言い訳についての思案が脳内を支配し始めていたのだが、そこに助け舟が来た。
俺は完全に停止状態だったのだが、突然手首を何者かに掴まれて、体が宙に浮いたのではないかと思えるスピードで引っ張られ、廊下から教室内へと瞬間移動のように移動させられたのだ。
正直かなりびびったね。思わずしりもちをついたが贅沢はいえまい。助け舟の正体は長門だった。
「現在の状況下で異時間同位体であるあなたが涼宮ハルヒと接触した場合、修正困難な事象に発展する可能性がある」
そう無感動なまでの平坦な声で語りかけてくる長門の声に、俺は心底ほっとした。同時に授業が終わってすぐに動き出し、違うクラスの男子を教室に引き入れた長門に対する生徒たちの好奇心の目には晒されたが。
ともあれ、これで長門とも合流できたわけだし、あとはハルヒの後ろをこっそりついていけば、最終的には朝比奈さんとも合流できる。
それでもハルヒの歩くスピードが早すぎて、俺一人だったら長門に助けられてた時点で見失っていたが、そこはさすが長門である。
「涼宮ハルヒの行動を追尾することは可能」
と、実に頼もしい一言を言ってくれる。
俺と長門はハルヒに感ずかれない程度に距離をとりつつ、廊下を歩いた。
「そういえば長門、お前は今の状況を把握できてるのか? 同期って奴でこれから起こることを知っているんだろ?」
「一つの可能性としての未来は認知している。しかしその情報は確定事項とはいえない。だから把握しているとは断言も出来ない」
「それは未来が必ずしも一つではないって事なのか」
「そう」
ありがちな台詞だが、未来は自分たち次第ってわけか。少し怖い気もするね。つまり未来を変えることもまた容易ってことなんだろう。過去から現在までのフィクションの映画や小説もあながち的外れではないってことかもしれん。
「じゃあその一つの可能性である未来では、俺たちは何をするんだ?」
長門にしてはやや長めの沈黙が流れる。
「……わたしの認識しているのは、朝比奈みくるが意識し、行動を起こすことで発生する可能性の未来のみ。だから朝比奈みくるに決定権を与えるのが最もその可能性を実現させる近道。未来でも同じ認識をもっている」
じゃあ俺たちは朝比奈さんの行動を手助けすればいいってわけか。
「そう」
長門とのボールの無いキャッチボール的会話をしながらも、ハルヒを追っていた俺たちは、部室棟に着いた所で尾行をやめた。ここまで来てハルヒが別の所に行くとは思えないし、これから部室以外へ向かうという予想は万馬券を誕生日の語呂合わせで買って当たる程度の確立だ。そうと決まれば話は早い。俺たちは朝比奈さんと合流すべく、待機場所へと向かった。
朝比奈さんはといえば、体を半分だけ廊下に出し、部室を監視できる位置でまじめにハルヒの入室を確認しておられた。あわてている様子で、どうも携帯電話を取り出して何かをしているらしい。
俺と長門はハルヒと会わないよう裏口から入っていたので、ちょうど朝比奈さんの立ち位置の真後ろにいた。その光景がよく見え、朝比奈さんはまじめに取り組んでいるのだろうが、どう見ても子供のスパイごっこであった。
「朝比奈さん」
「ひゃいっ!」
背後から突然声をかけられて驚いたのか、朝比奈さんはその場につんのめってしまった。
「キョ、キョ、キョン君! おど、おどろかさないでくださいっ!」
申し訳ない。ですがつくづく予想を裏切らない反応を示してくださいますね、朝比奈さん。
「そ、そうだ。涼宮さんがたった今部室に入りましたよ。でもなんか様子が変でした。何かあったんでしょうか?」
朝比奈さんの表情は心配という色に染まりきっている。ハルヒ、お前は幸せ者だよ。出来れば立場を一時交代してもらいたいぐらいだ。
「とにかく、ハルヒに会って話を聞いてみましょう」
俺たちは、というより俺と朝比奈さんは若干の緊張を感じつつ、部室の扉前まで行き、おもむろに扉を開けた。
そこには一人窓の外を眺めながら立っているハルヒがいた。俺は一瞬だが世界が停止したのかと思った。以前ハルヒがSOS団の目的について高らかに宣言した時も同じような感覚があったが、今回は決して同じではない。それは言葉から伝わった事ではなく不覚にもハルヒの表情で悟ったからこそ停止してしまった。前回は最高の楽しみによる事象で、今は悲しみ? いや落胆だろう。ハルヒは明確に落胆していた。それは外部に対してなのいだろうか。あるいは自分自身に。
なんとも表現しがたい気分になった。ハルヒの落胆っぷりが、伝染力の高いA型インフルエンザのように感染したのかもしれない。普段騒がしいハルヒに振り回されてばかりの俺だが、どうも元気の無いハルヒは見ていられない体質になってしまったらしい。なんだか急に走りたくなったのだ。それだけだと思いたいね実際。
ハルヒはゆっくりと窓の外から俺に顔を向ける。眉をきりりと吊り上る。
「なによ。何か用でもあるの? ないならちょっと一人にしてくれない? 考えたいことが……」
「ハルヒ、これからリレーの練習をしないか? 朝比奈さんと長門もいる。古泉もこれから呼んでこよう」
ハルヒはまるで狐に頬をつねられた人間を体現しているのではないかというほど、あっけに取られていた。実を言うと俺もあっけに取られ、そして呆れたね。なんと無謀な人間だろう俺は。ほぼ確実に落とし穴があるにも関わらず直進するのと同じようなものだ。
「キョン、ちょっとどうしたのよ突然。何かあったわけ? それともなにか目的があるとか? ははあ、分かった。さては昼休みに練習する代わりに放課後の練習を休もうって魂胆ね。ダメよ。SOS団は振り替え休日を認めないんだからっ!」
弾けんばかりの笑顔である。確実に時間は動き出した。
「あれ? でも変か。みくるちゃんに有希もいるし。ひょっとして本気?」
ハルヒは俺を通り越して朝比奈さんと長門に語りかける。
「え? えっとそうですね。練習したいです」
朝比奈さんは何度もすばやくうなずく。
長門は数ミリだけ微動して前髪を縦に揺らす。
「へー、いいじゃない! その心意気はすばらしいわっ! ようやくSOS団としての自覚が目覚めてきたようね。じゃあさっそく練習よ。キョン! さっさと古泉君を呼んできなさいっ!」
なぜに俺だ。なんて思っても口には出せまい。朝比奈さんと長門には悪いことをしたな。完全に俺の独断先行である。その気持ちを視線に乗せて両名に送った。朝比奈さんは困惑ながら笑顔で答え、長門はいつも通りの無感情な視線を返してくれた。
「分かった。じゃあ古泉を呼んでくる」
それだけいって俺は部室を後にした。
にしてもハルヒの奴はなんだってあんな落ち込み具合だったんだ。やはり長門と朝比奈さんが言っていたように、クラスの連中と練習できないのが原因なのかね。ハルヒがSOS団以外にそこまで神経を使うのは初めてに違いない。
そしてハルヒは何だかんだSOS団の部室に居るんだな。一人になるにしたってもっと場所はあるだろうに。これならわざわざ朝比奈さんと別行動を取る、なんて危険を犯す必要はなかったわけだ。
同時に俺は部室塔の廊下を歩きながら古泉の居場所について考える。正直検討もつかない。教室にはいないし、あいつの自由時間なんて知るはずも無いのだ。
これらのハルヒと古泉の居場所による思考が脳内を巡ったとき、俺はまるで金属バットで殴られたかのような衝撃を感じた。実際殴られてなどはいないのだが、それくらいの衝撃がある考えが頭に浮かんだのだ。思わず足を止めてしまうほどの。
俺は何故ハルヒが“やはり”部室にいたのかと安心したんだ?
どうして古泉が教室にはいないと断言できる?
俺は完全に思い出した。なんたって九時間前に俺は経験しているのだ。昼休みハルヒの行動が気になり学校を探し回った経験を。そこにハルヒが部室に居た事実は存在せず、古泉も朝比奈さんも長門も存在していなかったのだ。
これはかなりまずい。一番最初にハルヒがいそうな場所とはどこなのか考えたのは九時間前の俺なのだ。SOS団部室しかないだろう。現に最初に向かったのは部室だった。
俺は慌てて古泉捜索を中断し、全速力で部室へ向かった。完全に九時間前の俺と時間との勝負である。
廊下を走り、階段を駆け上がる。部室の扉の前へ行き、力強く扉を開け、
「ハルヒ、走るぞ!」
俺は叫び、部室に沈黙が流れる。
「は?」
「キョン君?」
「…………」
伝わるわけも無い。言ってはいけない部分が多すぎる。だが朝比奈さんのように禁則事項で済ます訳にはいかなし、長門のように沈黙を貫き通すなど出来ないのだ。
「先にグラウンドの鉄棒前まで行った方がジュースおごりだ」
もはや賭けの領域である。ハルヒの負けず嫌いに賭けるしかない。
俺は振り返りすぐに走り出した。部室を飛び出し、廊下を駆け抜ける。後ろからハルヒが声を上げている。
「ちょっと、フライングじゃない!」
さらに後ろ方からは、
「え? なんですか? 走るの?」
朝比奈さんが困惑の声を上げ、
「…………」
長門が微かに動く気配を出す。
全くもって意味不明なことをしている。SOS団らしいといえばそれまでだが、校内を全力疾走している様はさぞ不思議な光景なのだろう。だがそうも言ってられない。回りに配慮している余裕は無いのだ。九時間前の俺がどこを通ったか思い出しながら、そこを避けつつ鉄棒前に行かねばならないからな。
なるべく人気のない所を通り、裏庭を抜け、グラウンドにあるサッカーゴールの後ろを走り、完全に息を切らしながら鉄棒前に行った。
人は追い込まれると力を発揮するというが、どうにも本当らしい。何とかハルヒに追いつかれること無く、九時間前の俺に見られずにすんだ。ハルヒが少しだけ遅れて到着する。顔は意外なことに怒りではなく笑顔だった。海水に含む鉄分程度の意外という色合いを含ませた笑顔である。
「早いじゃないのキョン。これならクラブ対抗リレーも期待が出来るわね。だけどフライングなんだからこの勝負は無効よ! とりあえず喉が渇いたから三人分のジュースを買ってきてちょうだい!」
なんて爽やかに理不尽な事を言いやがる。朝比奈さんと長門が遠くから走ってくるのが見えた。朝比奈さんはバテバテで、長門は一切呼吸を乱していない。まあそれでもジュースくらいは買ってもいいだろう。巻き込んだのは俺だし、ついでに古泉も探さなきゃならん。それにハルヒはいつものハルヒに戻ったしな。
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