第五章
結局俺が公園に着いた時、長門は既に当然の如くその場に存在しており、俺はと言えば体温の上昇による発汗と疲労で、秋の肌寒さなど夏の羽虫のようにどこかへ行ってしまったのではないかと思えてしまうような状況であり、一言で言えば暑かった。
きっと長門のことだ。俺が自宅を出た頃にはすでに公園にいたのだろう。そのことについて別段驚きはしない。相変わらずの制服姿であり、俺の配慮など杞憂以外の何者でもなかった。問題はそこではないのだ。
大事なのはジャンパーは一枚しかなく、俺に不要のものであり、どちらかと言えば自転車での移動を敢行した者よりは、若干の肌寒さある公園で待つ者の方が需要がありそうだという現実なのである。
それにいったい何の問題があるかと言うとだな、俺が公園についてまず最初に驚いたことなのだが、実は公園にいたのは長門だけでは無かった。以前過去に遡行した際に俺が目覚めたベンチの横に長門が立っており、そのベンチにはなぜか朝比奈さんが座っていたのだ。しかも制服姿で。
俺はジャンパーを脱いで、
「これはいったいどういった状況なんだ?」
当然一番に頭に浮かんだ質問をした。
「えっと、あたしが説明します。実はほんの数時間前にかなり小規模の時空震が観測されました。その原因がどうも涼宮さんにあるみたいで、だから長門さんに協力を頼んだんです。キョン君にはすぐに教えようとしたんですけど、色々禁則があって無理だったの。ごめんなさい」
と、言うとまたハルヒが世界の改変を行なおうとでもしているって事か。あの灰色空間で神人どもに襲われるのはごめんだぞ。
「じゃあその原因ってのは、やっぱり体育祭関連なんですか」
「ええ、でもあたし達は今回の時空震について特に問題視していません。この時間平面上に若干の影響はあるかもしれませんが、未来では許容範囲内なんです。長門さんもこのことについては同意見みたいです」
朝比奈さんは不安そうにも見える眼差しで、長門の一等星のような瞳を見つめる。俺もそれに釣られて長門に視線を送り、
「そうなのか?」
「そう」
一応の確認を取る。
つまり影響が出るのはハルヒの周りのみって訳か。大いに謎が残るね。未来は関与しないって事なのだろう。それだとこの場自体が意味の無いものにならないだろうか。
「朝比奈さん、聞いてもいいですか。なぜ問題無いなら朝比奈さんがここにいるんですか」
「そうですね。キョン君を呼んだのはそのことについて協力してもらいたかったからなんです。勝手な事なんですけど、その……あたしと九時間前の学校に遡行してほしくって……」
遡行。つまりは三年前の七夕の夜と同じ事をするという事か。
それから朝比奈さんは勿体ぶったような、ただ言い出しにくいだけのような、そんな感じで話し出した。
「じつは今回あたしが上に時間遡行を提案したんです。普通は許可をもらえないことの方が圧倒的に多いんですけど、今回はなぜか許可が下りました。だからキョン君にはぜひ手伝ってほしいんです」
朝比奈さんにここまで懇願されて否定の二文字を頭に浮かべることなど、俺に出来るはずはなく、それこそ是が非でもやらせて頂きたいと言って過言にはならないと宣言しても良い。だが疑問をそのまま疑問として心の奥にしまい込むほど、現在の俺は好奇心の枯れきった状態ではないのだ。
「それはつまり朝比奈さん自ら考えて行動を起こしたって事なんですか。未来の指示とかではなく」
「え、ええ……そうです」
「理由を聞いてもいいですか」
「あたし、今回は頑張りたいんです。今まであたしって何をやってもダメで、皆さんにも迷惑ばかりかけてますよね? いいんです。わかってますから。でも先週の練習で涼宮さんに言われて気が付いたんです。あたしが諦めてばかりだったから、いけないんだって」
朝比奈さんはまるで初めての告白のようなか細い声であり、そんな朝比奈さんを俺が見つめていたら、朝比奈さんは何を思ったか、
「あっ、でもでもあたし本位だけの考えでもないんです。あたしに頑張ることを教えてくれた涼宮さんに恩返しがしたいんです」
などと言い訳なのかごまかしなのか、実によく分からないことを仰った。
ハルヒへの恩返し。あのリレー練習がこんなことになろうとは。ハルヒは予想していたのだろうか。でも体育祭の事で、かつ九時間前の学校で恩返しとはいったい何をすることが該当するのだろう。
「ハルヒは九時間前に一体何をしようとしていたんですか朝比奈さん。長門は知っているのか?」
俺は朝比奈さんと長門へ同時に問いかけた。すると答えてくれたのは長門で、
「涼宮ハルヒは現状における各個体との連携強化と、その固体自体の能力向上を図ろうとした」
などという、辞書片手にも理解しがたい説明をしてくれた。
長門、今の説明から俺が何とか理解できたのは、ハルヒが何かをしようとしたという事くらいで、それは説明前も分かっていたこと事だぞ。
だが長門は説明は終わりとばかりに、俺へと視線を向けてくれていた。それを見ていた朝比奈さんが補足を入れてくれる。
「えっと……涼宮さんはクラスの皆さんにもリレーの練習をしてほしかったみたいなんです。でもうまくいかなかったみたいで……それであたしに出来ることならって思ったんです。だから……キョン君! これかれ涼宮さんのお手伝いを一緒にしてくれませんか?」
いやはや、朝比奈さんの真面目な視線と来たら。理由も理解できたし、手伝わないわけにもいくまい。それは朝比奈さんの頼みでもあるし、ハルヒがやりたいことは、今までの奇想天外な内容に比べてなんと普通なことか。しかもそんな普通なことを出来ないでいる所は実にハルヒらしいと思えなくも無い。
「わかりました。俺でよければいくらでも力をかします」
「よかった! 手伝ってくれるんですね! それじゃあ早速で悪いんだけど、目をつぶってください。九時間前に遡行しますから」
俺は言われたままに瞼を閉じ、そのまま時の螺旋へ……行く前にふとまた疑問が脳裏をよぎった。
「そういえば長門はどうするんだ。お前も来るんだろ?」
ほんの少しのようで、長かったような沈黙が流れた後、長門は答えた。
「わたしは平面時間の移動を必要としない」
てことは長門は今回の件に関与しないのか。じゃあなんで関わってんだ?
「わたしは同期することによって異時間同位体となるあなたと行動を起こすことが可能」
なるほど、便利な話である。
「それじゃあもういいですか?」
「お願いします」
俺はもう一度瞼を閉じ、その瞬間意識が暗転したのを確認した。
意識がしっかりして、最初の疑問はここがどこであるのかであり、答えとしては実に簡単な問題であった。こじんまりとした空間には本がぎっしり詰まった本棚や、古めかしいボードゲームの数々、給湯セットにパソコン。間違いようも無く、ここはSOS団の部室であった。隣には朝比奈さんが立っており、なにやら腕時計らしきものをしきりに確認している。
「ここは九時間前なんですか?」
「ええ。時間で言うと十一時半で、キョン君と涼宮さんは四時間目の授業を受けているはずです。もうまもなく小規模の時空震が起こります……来ましたっ!」
俺には時空震を感じることは出来なかった。思い出してみると、今はたしか体育の授業を受けていたはずだ。ハルヒは授業中にそんな事を起こしていたんだな。今思えば授業をボイコットしていた原因も今の俺がしようとしている行動と関連があるのか?
そんな事を考えていたら俺は何をするのか一切知らない事に、今更ながら気が付いた。
「そういえば朝比奈さん。俺たちは具体的に何をすればいいんですか?」
「実はあたしも具体的にどう行動するかは分かっていないんです。本当なら指示が色々とあって、それを基準に行動するんだけど、今回はあたしの考えた通りに行動するようにとしか言われていないの……だからどうすればいいのか」
朝比奈さんはなにやら必死に今後について模索している様子である。
何のヒントもなしか。俺が知っている今日のハルヒの行動は何だったかな。昼休みはずっと雲隠れ状態だったし、五時間目の授業に関しては受けてさえいない。そして休み時間に長門を手伝うよう言ってたっけな。そういえば一体何を長門にさせていたんだハルヒは。後で長門に聞けば分かるかも知れんな。でも今日の違和感はこんだけだっただろうか。たしかまだあったような……そうだ! ハルヒはたしか、
「朝比奈さん、分かりましたよ! ハルヒはこれから授業を抜け出してどっかに行きます」
たしか校舎に入っていったのだ。そして恐らくハルヒが向かう場所は、ここに違いない。
「ここを出ましょう。急がないとハルヒが来るかもしれない。俺はハルヒを見送って授業に出ていたから、ここに俺が居たら面倒な事になります」
朝比奈さんの手をとって素早く部室を飛び出した俺は、校舎側から入って上がる階段とは反対側の突き当りまで行き、
「キョ、キョン君どうしたの? 説明してください」
朝比奈さんの声でようやく足を止めた。ここなら万が一ハルヒが来ても、俺たちの存在には気付くまい。
「実はハルヒは四時間目の授業を抜け出してどっかに行ってるんです。たぶんここに来ると思いますよ。きっと時空震ってのは、ハルヒが何かを思いついたかなんかしたんじゃないですか。そう考えれば辻褄が合います」
「じゃあ、あたしたちはどうすればいいんだろう。涼宮さんと接触しない事には、手助けも何も出来ないのに」
たしかに朝比奈さんの言うとおりだ。俺たちはハルヒと接触をする必要があるんだ。しかも今の時間にいる俺や朝比奈さんとすり替わって接しなければならない縛り付で。
「とにかく、今のところハルヒに近づくのは危険です。昼休みに入るのを待って、それから長門と合流しましょう。長門が何か知っているかもしれません」
「でも、涼宮さんがどこにいるのか常に把握してないといけないですよね? そうしないと接触する機会さえあたしたちは失う事になりませんか?」
たしかに。やっぱり朝比奈さんは未来人なのだ。色々不器用な所もあったりするが、時間に関して事が起こるとしっかりしている。
「じゃあ俺が長門を連れてきます。それまで朝比奈さんはハルヒがどこに行くか見張っててください」
「わかりました。では長門さんに宜しくお伝えください」
そうと分かれば話は早い。それじゃあ頼みますよ朝比奈さん。くれぐれも気を付けてください。間違ってもハルヒにつかまる事がないようせつに願っていますよ。昼休みにならないと俺はハルヒに接触できないので、救出は不可能です。
俺は朝比奈さんと別行動を取るべく、ハルヒが来ると思われる入り口と反対の扉へと足を運ぶ。四時間目の終了までそんなに時間は無い。長門のクラスの前で待っていればいい。そう思って長門が現在授業を受けているであろう教室へと向かった。
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