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第四章
 元来体育系の部活動に積極性を見せてはいなかった俺からすると、休日での地獄のようなリレー練習は体に堪えた。それこそ体をムリに動かそうものなら、まるで全身を棘の付いた鞭で打ちつけられているのではないかというほどの痛みが走り、その度、休日明けに言い放たれたハルヒの一言が恨めしい。
「休日はこれでいいとして、しばらくの間は放課後にもミニ特訓を敢行しましょう!」
 これには正直かなり参った。そもそも学校で出来ることなど限られてくるわけで、放課後は各運動部が運動場を占拠しており、必然的に空いている場所は鉄棒やら廊下やらになるだろう。もちろんそんな場所でろくな練習が出来るわけはなく、懸垂やら腹筋までやり鬼ごっこなんかまで行なった。その光景を見た生徒諸君がSOS団に対してどう思ったかなど想像しただけでいまいましい。
 だからという訳ではないが、今現在クラスで行なわれている四時間目の体育の授業内容であるハンドボールに積極的不参加を敢行している俺には少しくらい情状酌量の余地があってもいいだろう。しかも隣にはハルヒが、俺と同じくらいやる気の無い態度で不満を前面に出した表情を展開している。
 ハルヒよ、一体何がそんなに不満なんだ。つまらんのだったらクラスの連中に混じってハンドボールでも思いっきり投げてくればいいだろう。谷口の顔にでもぶつけて来い。ストレス解消にはなるはずさ。
「まったく、なによこの授業内容は。あと二週間で体育祭だってのにどうしてハンドボールなわけ? 誰かの陰謀じゃないのかしら。きっとそうよ! あたし達を勝たせたくない組織かなんかが裏で手を引いてるに違いないわ!」
 それはないだろう。万が一お前が言う組織ってのが一枚噛んでいるというならば、むしろ全力を持ってこのクラスを勝たせにくるに違いない。
「まあいいわよ、こんなクラスに最初から期待なんてしていないもの。やる気の無い連中にはハンドボールで充分ね。体育祭だってSOS団が勝てばいいわ。それよりキョン! 放課後の練習でいい案があるのよ! 当てることができたら団長じきじきに……」
「いや……ちょっと待てハルヒ」
「な、なによ急に……」
 俺は思わずハルヒを睨みつけた。ハルヒはいつものはじけ飛ぶ焼き栗のような笑顔を引き攣らせながら静止している。別にハルヒが体育の授業をサボってSOS団の話に花を咲かせている事を咎める気はさらさら無い。だが今回の体育祭に限り、どうしてもクラスに対するハルヒの諦観した態度が許せなかったのだ。
「お前だってクラスの一員なんだぞ。この授業で体育祭の練習をせずにいるクラスメイトと違うとは言えないだろう。現に体育祭に向けた練習をしてない人間には、ここでサボっている俺たちも含まれるんじゃないのか?」
 ハルヒはお得意のカモノハシみたいな口をして俺を睨んできた。だが若干動揺しているのか、目にはいつものように吊り上った力強い視線が携わっていない。
「あ、あたしはちゃんと体育祭に向けての特訓をしてるじゃない。なんであんな連中と一緒なのよ。少なくともあたしは自主的な活動を行なっているわっ!」
「だがなハルヒ、それはSOS団での話だろう。なんでその自主性をクラスで発揮しない。お前がSOS団のように率先してクラスを引っ張れば、みんなも体育祭に向けた行動を起こすんじゃないか?」
「それは……」
 俺は話しながら少しだけ驚いていた。あの唯我独尊、絶対王政なハルヒがうつむいて指遊びをしながら話を誤魔化そうとしている。どうみても自信が無さそうに。
 そんなハルヒを俺がどんな顔をして見ていたのかは鏡でも見ない限り確認できないが、俺と視線が合ったハルヒは、まるで完熟した柿のような真っ赤な顔で、
「と、とにかく! あ、あたしは努力をしない奴は認めないのっ!」
 などと、決して答えにはなっていない言葉を発して俺の前から走り去っていった。
 今の対応は間違っていたのだろうか。段々遠ざかって小さくなっていくハルヒが、下駄箱のある入り口に消えていくのを見ながら、そんな考えが脳内を支配していた。



 その答えが垣間見えたのは、一日で終業のチャイムに次いでうれしい四時間目の終わりで昼休みの開始を告げるチャイムが鳴り、体育の授業が終えた俺たちが靴箱を通過して、着替えのために一年五組の教室へと足を踏み入れた時だった。
 誰もいない教室の中で一人黒板の前に立ちながら、なにやら落書きめいたものを書き記してるハルヒの姿が俺の目に飛び込んでくる。
「おいハルヒ、体育を途中でサボって何をしている」
 ハルヒはクラスの連中が帰ってきた事に気が付いていなかった様子で、俺の第一声を背後から聞いたのによっぽど驚いたのか、こちらを振り返る間も無く、一気に黒板消しでその落書きめいたものを消し去った。まるでドッキリをしかける前に見つかってしまったのを必死で隠しているようである。消えてしまった落書きはどうも文字を書こうとしていたようであった。
 ハルヒは全てを消したあとにこちらへ振り返り、
「な、なにもしてないわよ。暇だったからちょっと黒板で遊んでただけじゃない」
 などと俺に言ったのか、それともクラスの連中に向けて言ったのかわからないような感じでそう言い放ち、ものすごいスピードで教室を出て行った。俺もクラスの連中も全員がその奇怪な行動を凝視しては混乱した。
「涼宮のやつどうかしたのか? また何かやらかそうってんじゃないだろうな。巻き込まれんのはいやだぜ」
「涼宮さんは暇だって言ってたよ。そのまんまの行動だったんじゃないかな」
 などと谷口がぼやき、国木田が応答する。他の連中も若干ざわついたが、このクラスもハルヒの言動には慣れ始めており、すぐに通常の昼休みに移行していった。
 でも俺は違う。ハルヒの行動にはいつだって意味の無い意味ってものが存在している。ハルヒは何かのアクションを起こそうとしていたのだ。そう思えば思うほど俺は不安になり、昼休みに飯をゆっくり食べてなどいられなかった。
 そのせいで俺は昼休み中ずっとハルヒを探し続ける羽目になった。最初は文芸部部室にいるだろうと思ったのだが、実際は影も形もない状態だった。考えられる場所はすべて回ったと思う。コンピ研にも行ったし以前連れて行かれた常時施錠の屋上へ出るドアの前を見にさえいった。中庭、校舎裏、体育館、図書室と学校中を探して回ったが、結局ハルヒを見つけることは出来ず、さらに言えば助けを借りようとしたSOS団の誰にも会うことさえなかった。朝比奈さんは見当たらないし、古泉は教室にいない。長門ならばとも思ったが、まるで俺だけを残してSOS団が消えてしまったみたいである。
 これはハルヒが見つけてほしくないという意思でも働かせているのではないか。そう思うとあまり深く突っ込まない方がいいのかもしれない。俺はそんな結論に至った。そう考えてしまうのも当然だろ?
 最終的にハルヒを目にしたのは五時間目の授業をすっぽかし、六時間目の開始を告げるチャイムが鳴る前の十分休憩に教室へ入ってきた時だった。しかも妙に神妙な顔をしている。
 俺はずっと探して見つからなかった焦燥と安堵を入り交じらせながら、そのまま定位置である俺の後ろの席に座ったハルヒに、あまり深入りしないよう注意して聞いた。
「なあハルヒ、お前が何かしようと思った時があったら俺にも教えてくれ。内容によっては協力だってしないこともない」
 ハルヒがこの言葉にどう反応するか。俺はてっきり、そんなのは当たり前だとか言い出すのかと思っていた。まあ思っていながら話を切り出す俺もどうかしていると思えなくも無いが。 しかし、ハルヒの見せた反応は予想に反して自嘲気味な笑みだった。
「その言葉はありがたく受け取っておくわ。でもあんたの言う通り何かを動かすにはまず自分からってのも一理あるし、その方が何かをやったていう達成感があるものね」
 なんともハルヒらしくないではないか。俺の意見が素通りでハルヒの脳内に届いたのは今までに記憶している事例では皆無だ。関心の感情よりむしろ不安にさえなる。
「そうだ、じゃあ今からちょっと部室にいって有希を手伝ってちょうだい。やっぱり一人だと何かと不便だろうし」
 何のことだ。長門が部室で俺の手伝いを求めるような作業でもしているというのか。というかあいつはやっぱり普段から授業に出ていなかったのか。大いにありえる。
「まてよ。これから部室に行くのか? 授業はどうするんだよ」
 もっともな意見だろう。俺は授業をサボって屋上で昼寝をするような典型的な不良青年とは縁遠い存在なのだ。だがハルヒは、
「いいじゃない別に授業なんか出なくたって。あたしはこの時間ここにいなくちゃいけないし、それに今更一回くらい授業をサボったってあんたの人生にはさしたる影響は出ないわよ。なんだったらあたし主催の特別授業を受講させてあげるわ」
 などと実にこいつらしい自己完結的主張を言い、普段よりはワット数が若干足りてない程度の笑顔を見せた。
 まったくもってハルヒはハルヒなのだ。何が原因で神妙さを纏っているのかは知る所ではないが、どんな状態であってもハルヒを中心に俺の生活は動いてるって訳だ。
「……わかった。部室に行って長門を手伝えばいいんだな」
「お願いねっ!」
 『お願い』を聞かないわけにもいくまい。俺は席を立ってザワついた教室を抜け出した。気になる事は沢山あったが、とりあえず協力すると言い出したのは俺なわけで、詳しいことなんかは長門にでも聞けばいいだろう。一体何を企んでいることやら。





 結論から言おう。意味が分からん。ハルヒの行動を理解したことなど皆無ではあるが、今回ばかりはハルヒ的意味の無い意味を見出すことは出来そうもない。
 俺は六時間目の授業が開始したのであろうことを告げるチャイムを耳にしながら、誰もいない静かな部室棟に足を運び、いつもなら朝比奈さんや古泉、長門とハルヒがいる部室の前まで行き、扉を一応ノックしてゆっくり引いた。
 ちょっとしたサプライズである。そこにはいるはずの長門は存在せず、代わりにというと語弊が生じているが、朝比奈さんが一人パイプ椅子に座っていた。その朝比奈さんは俺が部室に入って目が合った瞬間にほっとしたような仕草をしつつ、
「キョン君……よかった、来てくれましたね」
 などといって俺をより混乱させた。神妙なハルヒといい、長門がいるはずの部室に朝比奈さんがいたり、さっきからどうも辻褄が合わない事が多い。
「なぜ朝比奈さんがここに居るんですか? ハルヒからはここには長門が居て、何かの作業を手伝えと言われてきたんですが」
「それは……すみません禁則事項です。でもすぐにお教えできます。それまでもう少し待ってください」
 と、申しわけなさそうにうつむきながら仰った。待ちますとも、朝比奈さんが待てというならば渋谷駅の犬の銅像みたいに待ったってちっとも苦には感じません。ですが禁則事項ですか、その言葉が出てくるということは、なにか未来的な出来事が関係しているわけですかね。
「えーっと、実は涼宮さんから連絡があって、今日はSOS団の活動を休業すると言われたんです。だからキョン君も今日は帰宅しても大丈夫みたいです。あたしはただの連絡係みたいなもので、未来が関係しているわけでもありません。あたし自身の判断です」
 これもまた意味が分からん。未来は関係無しで、朝比奈さんがここに居るのは禁則事項であるとはどういった状況なのだろうか。というか、帰っていいとはまたなんともご無体な感じである。ハルヒは俺に何をさせたいんだ?
「朝比奈さん。いまいち理解が出来ないんですが、何か問題でも起きているんですか? それと帰っていいと言われても学校もあるし、第一ハルヒがなんで俺を部室に来させたのかが理解できないんですが」
 質問を受けた朝比奈さんはどうも迷っている様子だ。やはり何かあるのだろう。
「すみません。やっぱり禁則事項です。でも必ず説明します。今のキョン君には特に問題は降りかかりませんから、安心してご帰宅ください」
 どうも含みのある言葉が多いな。だがどうしても俺に帰ってほしいようだ。ちょっと切ない感じがするのは、別に仲間はずれにされたからとか小学生じみた感傷ではなく、俺の空回り感からくる焦燥や疲れによるものだろう。だったらお言葉に甘えて早めの帰宅と休息をとっても誰一人文句は言うまい。どうせ明日からはまたハルヒの無理難題的な活動を強いられるのだからな。
「分かりました。じゃあ今日はもう帰ります。ところで朝比奈さん、長門はどうしているんですか?」
 朝比奈さんの目がちょっとだけ左右に泳ぐ。
「えっと、長門さんは普通に授業を受けています」
「そうですか、朝比奈さんはどうしますか? 帰るなら待ちますが」
 ちょっとだけ期待はしたが、
「すみません、これからまだ学校でやることがあるんですよ。ですから先に帰ってください」
 うーん残念! 
 俺は朝比奈さんに軽く挨拶をして部室を後にした。



 それから俺はさっさと学校を出て、一人ハイキングコースのような坂道を下り、いつもより早めの帰路についた。この間誰にも咎められることはなかったし、町を巡回している警官に職質されることもなかった事を思うと、どうも早めに学校を出て町を出歩く高校生ってのは珍しい事ではないらしい事がよくわかる。唯一俺の行動に反応を示したのは妹くらいであり、
「あれぇー、キョン君なんでこんなに早く帰ってきたの? ねぇどうしてー?」
 などと何も考えていないだけの疑問を口にしたぐらいだった。
 それからしばらくの間俺は部屋でただゴロゴロと猫のように怠惰な時間をすごし、気が付くとだらしなく制服のまま、遅めの昼寝へと突入していた。
 何の夢を見ていたかは定かではないが、どうやら結構時間が経ったらしく、部屋の明かりをつけないでも明るかった時間はとうに過ぎ去り、部屋の中は真っ暗だった。その中で目が覚めた原因は突然の携帯電話の着信音であり、暗がりの中を這いずりながら携帯電話を手探りで探して掴み、ディスプレイを覗いたら時間は九時で、相手は古泉であった。
『どうも、出るのに随分と時間がかかりましたね。お疲れですか?』
『お前は俺が疲れてるかどうかを確認するためにわざわざ電話を掛けてきたのか? いいから要件を言え』
 古泉の気が抜けた含み笑いが電話越しから聞こえる。
『いえ、そんなつもりはありませんよ。僕としては確認の電話をしてもかまいませんけどね。おっとすみません用件でしたね。実は今回の件であなたがどうお考えかを聞きたくて電話したんですよ』
『……今回の件とは?』
『涼宮さんに対するアフターケアについてです』
 こいつは一体何を言っているんだ。ついに超能力を超えて幻覚でも見るようになったか。
『体育祭について聞いてるのか? だったら決めただろ。あいつが何か言い出す前に手を打つってな。そのことについて疑問でも出来たのか?』
『なるほどあなたからすると今回の独断での行動も事前対策であるという訳ですか。僕はてっきりあなたの涼宮さんに対する配慮かと思いましたが』
 ますます話が見えん。俺がいつハルヒに配慮ある行動をしたというのだ。そんなことをした覚えは皆無だが。
『古泉、お前の言っていることは何一つ理解が出来ん。分かるように説明しろ』
 電話越しの古泉が何か考えているかのような沈黙が流れ、
『……あなたは今日起こっていた事を忘れでもしたかのような発言をしています。まあ僕がおかしな事を無自覚に喋っているという可能性もありますが』
 と、言ってきた。おかしいのは間違いなくお前だろう古泉。さすがに今日のことを忘れてしまうようであったら、いまから精神科の門を叩かねばなるまい。だが俺は覚えているぞ。
『今日は特に何も無かっただろう。俺としては六時間目をサボって帰宅したことが問題といえば問題ではあるが。だからといってお前がいちいち危惧するようなことでもあるまい』
 またも沈黙が流れる。しかも今度は長い。こいつは一体何を考え込んでいるんだ。切っていいか?
『……なるほど、ようやく理解しました。どうやら僕もあなたも蚊帳の外だったようですね。申し訳ありませんでした。お詫びします。あなたは記憶を失っていたりなどはしていません。僕が保証します。どちらかというと先ほど言ったように、僕が無自覚におかしな事を喋っているというのが正解に近かったようです』
 勝手に自己解決するな。説明をしろ。
『いったい何が正解だと言うんだ。そもそも正解を導き出す前に俺は問題すら知らないんだぞ。それはあんまりだろうよ』
『たしかに。ですが僕の口からはその問題を言わない方がよさそうです。あなたとしても長電話で問題定義など聞きたくは無いでしょう。すぐに分かります。これも保証しますよ。では失礼します。また後で』
 含みのある言い方だな。勝手に喋って勝手に理解して勝手に切りやがった。これは明日とっちめてやらねばならんな。ブラックジャックをハイレートでしてやろう。拒否権はない。
 俺は携帯電話を枕に向かって放り投げ、部屋の明かりをつけようとした。だがそこでまた携帯電話のディスプレイが光り、けたたましい着信音を鳴らす。今度は長門とデジタル標記されている。なんなんだいったい。
『……公園に来てほしい』
『公園って、今からか?』
『……そう』
 まったくどうなっているんだ。どうも超常現象とは違う意味で理解できん事が起こっているようだ。
『それは俺が行かないと駄目なことなのか』
『…………』
 やや沈黙があって長門は言う。
『……あなたが来なければ困る』
 ちょと意外だった。長門ほど困るなんて単語が似合わない奴も世界には居まい。だが長門を困らせるなんていうことを俺には出来ないね。なんたって色々貸しがある。と言うより、もはや貸しなどでは言い表せないくらい助けてもらっているからな。それに比べたら九時に自転車を走らせるくらい、わけもない事である。
『わかった、今から公園に行くから待っていろ。時間が掛かるからすぐに公園に行ってなくてもいいからな。風引くぞ』
 俺は電話を切ってすぐに制服の上からジャンパーをはおり、自転車のキーを握って玄関を飛び出した。自転車のペダルを力いっぱい踏込んでスピードをグングン上げていくと、さすがに残暑がある秋でも肌寒さがあった。だがおそらく長門はもう公園にいるのだろう。そう考えてさらに自転車のスピードを上げた。


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