第三章
夏休み明けの第一週に行なわれた団長抜きでの対策会議の存在などは、当然ハルヒが知るはずも無く、次の休日にはどこかの大学の陸上部と対戦だとか、目指すのは体育祭ではなくオリンピックであるだとか、まさにハルヒらしい無理難題な話を俺は学校の授業中ひっきりなしに聞かされていたので、この状況については対策に含まれていないのだろうかとつい考えてしまう。俺の成績が落ちた場合の対策はきっと無いのだろう。
だが俺の成績が緩やかな下降線を描いていることに、おれ自身関心が無いことは今に始まったことではないので、この一週間で勉学に目覚めるような改心は特には無く、あったのはせいぜいハルヒの脳内を探ってリレーの練習がどんなだか思案するくらいだった。
そんな感じで俺の一週間はとめどなく過ぎ、今は第二週の休日であり、現在の場所は普段の喫茶店ではなく昼下がりの陸上競技場で、休日のなぞ探しはハルヒ考案の準備運動へと模様替えをしている。格好も全員自前のジャージだしな。
「それにしてもよくこんな施設を借りれたもんだな」
身体を動かしながらつぶやく俺は、寝巻き同然と化したはずだったミドリのジャージ姿で体操している状況を、未だに信じられないでいた。と言うのもここは高校の運動場のような土ばかりの状態ではなく、しっかりとしたトラックがあり、小ぶりながらも観客席まであるそこそこ立派な陸上競技場なのだ。しかも現在SOS団が貸切で使用している様は異様以外の何者でもない。
「僕の叔父の友人が市の職員で、日ごろからあまり使用されないこの競技場の存在を嘆いていた。そこに偶然僕たちが使用したいとの話が来て快諾してくれた。そういう事で納得していただけませんか」
濃紺のジャージに身を包み丁寧な動作で屈伸運動をしている古泉が、俺のつぶやきに対して、まるでムリなクレームを何とか対処した量販店の店員のような苦しい笑顔で、爽やかに言ってのける様を見ると、これ以上追求するのはかわいそうな気にさえなった。
だが対策を考えた張本人なのだから言い訳は出来まい。対策会議で決まった内容は極めて単純だった。
『ハルヒが何かを求める前にそれを用意すること』
『絶対に勝つこと』
これだけだ。内容は実に簡単な感じだが、対象がハルヒだとその問題は近年騒がれている環境問題のように厄介な代物になる。
「こらキョン! ぼーっとしてないで体を動かしなさい。運動前の体操を侮ることは大きな怪我に繋がるのよ。SOS団はそんな怠慢な怪我を許さないんだからね」
問題の中心であるハルヒは実に楽しそうな感じで、まるで遠足に持っていくお菓子を準備している小学生のような笑みを浮かべていた。黄色一色の明るいジャージ姿で胸元にはホイッスルが掛けられている。そしてそいつが馬鹿みたいな大きい音を鳴らす。
「さあ次はジョギングをして身体を温めていきましょう」
やれやれ、そう思ってしまってもいいだろう。俺たちは体操の体系からジョギングの体系へと立ち位置を変更し、ハルヒの合図と共に走り出した。
回りへ目を向けると、長門が珍しくジャージ姿で身体を小さくしながら走っている。ジャージは今時どこで手に入れたんだというくらい古典的なあずき色の仕様だが、普段制服姿ばかりなので実に新鮮な眺めに感じられ、思わず長いこと凝視していたら、長門もこちらに気が付いたのか、俺に視線を送ってきた。俺は対応に困ってただ笑って返すだけだったが、長門は視線を足元へ向けてうつむいた。正確にはうつむいたのではなくただ元の視線に戻しただけなのだが、なんとなくその仕草を見るとむずがゆい感じがしたのは俺の壮大な勘違いのなせる所業だろう。
横では朝比奈さんがピンク色のかわいらしいジャージを揺らしながら、早くも息が上がったのか忙しなく呼吸をしていた。
「朝比奈さん大丈夫ですか? ムリはしない方がいいですよ」
俺は思わずそう気遣った。だが、
「はっ、はっ、あたし今回頑張ろうって、はっ、思うんです」
そう苦しそうにも笑顔で答えてくださった。
「あたしにとっても、学校で始めての大きなイベントなんですよ、はっ」
なるほど、たしかに朝比奈さんにとっては学校のイベントなんて本来無縁のはずだからな、少なからず楽しみなのかもしれない。そう納得した。
しばらく走ったあと、俺たちはハルヒの指示の元、実にありきたりなリレーの練習を行なった。ハルヒのことを考えれば実に意外な感じだ。みんな一列に並び、先頭にハルヒで次が俺、後ろに長門と朝比奈さん、最後尾に古泉という順番で、どこから入手したのかは不明なリレーのバトンを交互に渡していくという、体育祭前にはどのクラスでも行なうような練習だった。その練習をしばらく繰り返し、まあ飽きたと言い換えても差し支えはないだろうが、せっかくの陸上トラックを利用しない手はないと言う事で、実際にリレー形式の練習へ移るのにさしたる時間はかからなかった。
「じゃあ早速走ってみましょう。いいこと、最後まで全力で走らないやつがあたしは一番嫌いなんだからね! 手なんか抜いたら速攻罰ゲーム! 速攻よ!」
とやる気満々の声と顔で宣言しながら、俺たちをスタートの位置に行かせようとした。そこで古泉が質問をする。
「リレーの順番はどうしますか?」
「そうね、さっきバトン渡しの練習をした順番でいきましょう。その方が練習の効果が見て取れるし」
なるほど、アンカーはハルヒで俺は最後から二番目か。古泉と長門で朝比奈さんをサポートさせる気なのかもしれんな。真ん中に長門を配置するあたりに偶然の確立を考えたくなるが、理想的な配置に思える。
それから一応指示通りに俺たちは各配置につき、自分の出番を待った。スタートは古泉で、ハルヒの大きなホイッスルの音と同時に軽快なスピードで走った。意外とも当然のようにも感じられるが、地味に何でもこなすやつだと改めて思う。普段ハルヒの超人的な能力と、長門の人知を超えた力の前で目立たんが、一般的な人間からすれば結構な運動神経だ。
だがこの後で急速にスピードは落ちる。古泉が朝比奈さんにバトンを渡すと朝比奈さんはお世辞にも早いといえないスピードで走った。実に危なっかしい、我が家の妹のような右に左にぶれる走り方で、案の定というか予定調和の世界と言うべきなのか、朝比奈さんは豪快に転んだ。その瞬間バトンは空中を舞ってトラックの外へと飛んで行き、朝比奈さんはその場でうずくまってしまった。
「朝比奈さん!」
俺はあわてて持ち場を離れ、朝比奈さんの所まで走っていこうとした。
だがハルヒは遠くから叫ぶ。
「キョン! 動いたらダメ! みくるちゃん立ちなさい! 本番では誰も助けてはくれないのよ、バトンを探して最後まで走るのっ!」
俺は一瞬迷った。何故迷ったのかはよく分からなかった。普段の俺なら迷うことなく朝比奈さんの下へ向かうだろうが、もしかしたらどこかでハルヒの言い分に一理あると思っているのかもしれない。だが俺は叫ぶ。
「ハルヒこれはあくまで練習だ! 怪我でもしたら今後の練習が出来なくなるだろ!」
それだけ言って、俺は朝比奈さんの下へ駆けつける姿勢に入り、走り出す。そのとき少しだけハルヒの声が聞こえた気がした。
「もう、バカキョン!」
それからハルヒは練習の一時中断を断言し、すぐ戻ると言って一人どこかへ行ってしまった。朝比奈さんは膝を強くぶつけたようではあったが外傷は無い。むしろ内面のほうが傷ついたらしく、完全に落ち込んでしまっていた。
「本当にごめんなさい。あたしなんでこんなダメなんだろう……みなさんの足ばかり引っ張っちゃってますね」
なんて言って攻撃されたアルマジロみたいに丸くなってしまっている。
「朝比奈さん、人には向き不向きがあるんですから、そんなに落ち込まないでください」
こんな時俺は自分のボキャブラリーが不足している事にかなりの憤りを覚える。古泉ならもう少しまともな言葉を使うのかもしれんが、現在古泉はハルヒの行動予測に大忙しのようで、なにやら一人考え込んでいた。もう一人の団員である長門は工事現場のコーンのように立ち尽くしている状態である。それでも朝比奈さんの近くに立って彼女を静かに眺めている様子を見ると、長門なりに気を使っているのかもしれないな。いつかは大丈夫と声を掛けている様子でも見れたらと思ってしまう変な妄想が前頭葉あたりをよぎり、それでも今は俺しか励ますことは出来ないと、将来の長門へ期待しつつも朝比奈さんへともう一度語りかけた。
「次を頑張りましょう朝比奈さん。ハルヒのことだからきっと変なものを用意してきます、こんなことで落ち込んでたらだめですよ」
「そうですね……あたしがんばります!」
朝比奈さんは力を振り絞るように立ち上がって決意づいた。
これで大丈夫だったのかと考えつつも、ハルヒが戻ってくるまでそう時間はかからず、もどってきた様相を目の当たりにして大丈夫ではないかもしれないという考えに至った。
遠くの入場口から小さなハルヒが見える。手には巨大なカゴのようなものを持っている。というか押してきている。その中身が近づいてくるにつれ序々に明らかになり、その物体がバレーボールであることに気が付くのに十秒とかからなかった。
「みんなお待たせ! 丁度いい練習道具があったわ。このバレーボールで練習しましょっ!」
なんて笑顔で語りかけつつ回りを見渡してやがる。俺はなぜか視線があった古泉の顔を見たが、古泉も困惑した様子で、いつもの蝋人形のような笑顔から若干本音が見え隠れしていた。それもそうだろう。どう考えてもリレーの練習でバレーボールは必要じゃないだろう。
一体どういうつもりだハルヒ、バレーボール部が妨害工作でもしてくるのを想定しての練習なのか。
「これは根性を鍛える練習よ。全力を出すにも必ず根性が必要なの。だからこれからあたしが打つスパイクを拾い続けてもらうわよ。そうね……一人百回は拾ってもらわないとダメね」
ハルヒは満面の笑みを浮かべている。きっと何かを発明したり発見した人物はこんな笑顔を見せるに違いない。発見の内容に大きな違いはあるが。
それでも俺たちの団長様は絶対であり、仕方なくバレーのフォーメーションのような陣形を取って、ハルヒの打ち込む殺人スパイクに飛び込む事となった。でも実際かなり大変なのだこれが。なにせハルヒである。その球のスピードときたら、全日本の監督が惚れ込むのではないかと思えるほどすばらしいものだった。今の俺たちにとっては間違いなくすばらしくは無いが。
予想通りというか一番最初にこの地獄から抜け出したのは長門で、これも見事なレシーブの連続だった。古泉もなんだかんだと回数を重ねていくにつれて対応してゆき、結局俺と朝比奈さんだけが取り残される形となり、ここが今現在貸し切り状態であることを感謝しつつ、陸上競技場でバレーボールという異様な光景を想像しては頭を振って集中力を研ぎ澄ますことに終始した。それだけしてようやく倒れこむように最後の一回を手に当てたのは、日の落ちるのが早くなってきている九月としても大分時が経った頃である。
最後に残った朝比奈さんは一向に終わりを見せる気配が感じられず、疲れからか序盤よりもずっと反応が鈍っていた。
「どうしたのみくるちゃん、全然動けてないじゃない! ここからが正念場よ! 絶対にここで頑張れば報われるの、動き続けなさい!」
「は、はいっ! いっや! っひゃ! きゃ! いったた!」
それでも変な奇声を上げながら、朝比奈さんは喰らいつくようにボールへと飛び、体にぶつけるだけの努力を見せていた。だが無情にもボールは顔面にヒットし、
「あひゃ!」
朝比奈さんはそのまま倒れこんでしまった。
これはまずい。そう思った俺は無意識のうちに朝比奈さんの所まで駆け寄っていた。
「大丈夫ですか! おいハルヒ、もういいじゃないか。朝比奈さんも頑張ったし今日はこれで充分だろう」
さすがのハルヒもそこまで無謀じゃないだろう。そう思ったが、歩み寄ってきたハルヒは俺に一切視線をくれることなく、朝比奈さんに言った。
「みくるちゃん、もういいって思ってる? ここで諦める? あたしは諦めない。だからみくるちゃんも諦めないで、あたしとがんばりましょう!」
「待てよハルヒ、朝比奈さんは……」
「キョンあんたは黙ってなさい。これはみくるちゃんの問題よ」
俺はこれ以上ハルヒに話しかけることが出来なかった。というのも純粋に真剣だったのだ、目が。
そして呼応するように朝比奈さんも真剣な眼差しで、
「あ……あたしがんばりますっ!」
力強く答えた。
ハルヒはといえば、その回答を待っていたとばかりに体を翻し、颯爽と元の位置に戻っていく。その顔にはこれから子供を谷底に落とすライオンのよう勇ましい笑みがうかんでいた。
どうしたんだろうかこの状況は、まるでハルヒが何か力でも使ったのかと思いたくなるような展開である。バレーボールを使ったリレーの練習という奇怪な行動が、立派にも一人の人間を鍛え上げているではないか。俺はこの思いを視線に乗せ長門を見て、古泉に顔を向けた。
古泉も妙に真剣な眼差しで、このままにしておきましょうと言う様にうなずく。長門の磨き上げたサファイアのような瞳から発せられる透過性の視線も、俺には静観しようという意思が感じ取れた。
気が付けば俺でさえもリレーのことを忘れていた。これはハルヒの特殊な力ではなく、真剣さがもたらしたものなのかは俺には分からない。だがいつの間にか太陽は陰り、闇が辺りを支配し始め、それでもひたすら声を出して動き続ける朝比奈さんとハルヒがいた。
+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。
この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。