第六章<4
忙しなくもつつがなくクラブ対抗リレーが終了し、体育祭は唯一のブレイクタイムといえる昼休憩を迎えていた。各々が持参の弁当なりを持ち出し、生徒は自由に休憩する中、SOS団はといえばリレー終了と同時にいち早く中庭の草むらを確保すべく移動していた。俺としては実に楽しみな時間である。なんと言っても朝比奈さんのお手製弁当をいただけるのだ。たとえ炭のような出来映えであっても有難く頂戴する心持だ。まあ朝比奈さんに限ってそんなことはあるまい。
早々と中庭に到着してすぐ、どこからか準備したのか古泉の持参していたブルーシートを芝生にひき、そこにみんなで座った。
「とりあえず、おにぎりとおかずを作ってきました。あ、あとサンドイッチもありますよ? ふふ、どっちがいいか迷ったから二つとも作っちゃいました」
なんて言いながら照れた仕草をする朝比奈さんのなんと愛らしいことか。それだけで充分、食が進むってもんだ。元気も出たみたいだしな。
「いいわね! 午後に向けて英気と元気を養えるってもんだわ。キョン、手を合わせるときはみくるちゃんに感謝しなさい」
なぜ俺に言う。そもそも言われるまでもなく、感謝するさ。何てったって見た目もいい。重箱に詰められた玉子焼きや煮物などが実にいいね。
「これは中々の出来映えですね。普段運動をしないと空腹も早まるようです。それを差し引いても食欲をそそるのだから、本当においしく思いますよ」
なんて言って、古泉はおかずの玉子焼きを口に運んでいた。先に食うな。
俺はあわてておにぎりに手を出した。古泉だけなら問題は無いが、意外なほど長門がよく食うからな。現にサンドイッチも二つ目に突入している。
「うまいですよ朝比奈さん」
「うふふ、ありがとうキョン君」
「ちょっと! ペース速すぎよ! あたしの分が無くなるじゃない!」
まるで体育祭の延長のような感じで、SOS団の昼食は始まった。
始まってすぐ、
「そういえば飲み物が欲しいわね。みくるちゃんある?」
朝比奈さんは思い出したように口に手を当て、
「あ、水筒にお茶を入れてたのに忘れちゃいました……」
申し訳なさそうにあたふたした。
怒るかと思ったハルヒは妙に納得している。
「それよ、みくるちゃん。ドジっことはなんたるかを理解しているわ! さすがにあたしが見込んだだけはあるわね」
「え、と……すみません」
ハルヒが俺に視線を向けてきた。なんだいったい。
「キョン、とりあえず喉が渇いたから五人分の飲み物でも買ってきて頂戴!」
なにを言いやがる。俺はゲームに負けた覚えはないぞ。もちろん罰ゲームに進展することだって無いはずだ。断固、抗議する。
「いいからさっさといってきなさいっ!」
ハルヒは完全に勝気な表情で食堂の方を指差していた。まるでどっかのガキ大将だな。
俺は仕方なく立ち上がり、ブルーシート脇に脱いだ靴を履いた。
「あ、キョンあたしはウーロン茶でいいわよ」
水でも飲んでろ。どうせ味わっちゃいないだろうに。
「長門、それと朝比奈さんは何がいいですか」
朝比奈さんは恐縮した面持ちで、
「あ、同じでいいです」
心地よいまでの小さな声で仰った。ハルヒに右倣えをした形だろう。ハルヒよ、これ位の謙遜を見せてみろ。
長門に関しては、ただ俺を見つめ続けることに終始し、
「長門もウーロン茶か?」
とだけ確認を取った。アナログ電波のゴーストのように、辛うじて同意の動作が見て取れる。
「お前は?」
一応聞いてやらんとな。
俺は古泉にただ飲み物の種類を聞こうとした。それだけの筈である。断じて己の立場を省みて視線に乗せたわけではない。わけではないのだが、
「いえ、僕も一緒に行きますよ。お一人では不便でしょう。袋の代わりにはなります」
などといらん気を使ってみせた。
「さすが古泉君ね。礼節が身についてるわ。キョンも学びなさいよ」
お前が言うな。
そんなわけで俺と古泉が、静粛ながらも忙しない三人娘を置いて、さして感動の無い普段よく手にする飲料を入手しに行くこととなったわけだが、俺にはわかっていた。古泉は気が利く奴ではあるが、この様にあえて二人になる状況を演出する場合、必ず何かがあるのである。気を使ってみせたというのはそういう事だ。
「またなんか問題でも起きたんだろ? やっぱり……ハルヒか」
古泉は一瞬真剣な表情になり、すぐ崩した。
「おや? さすがに付き合いが長いと察して頂けるものなのですね。うれしい限りです。ですが心配には及びませんよ。涼宮さんに関係はありますが、問題ではありません」
じゃあ何なんだよいったい。下手なクイズ形式にしてみろ、正解時には多大な褒章を要求するぞ。
「実は一つ提案、といいますか、挑戦してみたいことがあります。あなたはこの体育祭で余計なことはすべきでないといいました。それを実行したいんですよ」
少々意表を突かれた。
「まあ……いいんじゃないか?」
「そうですか。安心しました。これで心置きなく“敵”としてあなた方に挑めると言うものです」
話が見えてこんが、状況が一変したことはわかる。
「なんのつもりだ古泉」
古泉は恐ろしいくらい演技くさい、まるで特撮物の悪役みたいな笑みを浮かべ、
「これから涼宮さんに戦いを挑みます。お気づきですか? 現在あなた方のクラスは総合で一位にいますが、二位は僕ら九組なんです。つまりは午後の競技で充分逆転が可能と言うことですよ」
正直信じられない。古泉がなぜそのようなリスクを犯そうとするのか。普段のこいつならばリスクは回避すべき最大の懸案事項なのだ。
「ハルヒが暴れるかもしれんぞ」
すこし脅しもこめて言ってみた。これまたうそ臭い感じで驚きを見せる。
「あなたがそう思うのですか? だとしたらそれはすぐに偽りだと見破れます。最終的にはあなたが涼宮さんを信じると僕は思っていますよ」
まあ思うのは勝手だよな。でもそれを確定事項のように語るな。
「逆説的な考え方ですよ。裏切ることで、逆に信頼もしているということです。正確にはもっと別の考えもあったりするのですが、それはおいおい話します」
どうやら気持ちは決まっているらしい。これ以上は話しても無駄のようだ。俺と古泉は無言で自販機まで行き、ハルヒの元へ折り返した。古泉はなにやら楽しそうだが、今後のハルヒを考えたらまた違う疲れが出たね実際。
その後、古泉はハルヒにさりげなくも挑戦的に所属している九組が勝つと宣言してみせ、ハルヒは簡単に乗った。
「へーいいじゃない。まあ勝つのは絶対にあたしだし、全然問題ないわ。そうねただ争うのもつまらないし、もし負けたらどちらかが言うことを一つ聞くってのはどうかしら」
などと息巻いていた。表情は引きつっていたから意外だったんだろうな。一番噛み付かなそうな奴が噛み付いたんだから。それに、
「古泉君、反旗を翻したからには、SOS団副団長は一時凍結よ」
なんていってきたからいよいよ話は大事になった気もする。その場にいた朝比奈さんはひどく困惑して無駄な仲裁に入り、長門は俺が買ってきたウーロン茶を美味しそうに坦々と飲んでいた。
そこで話は午後に戻る。何故ハルヒがクラスに対して更なる熱意とやる気を見せているのかが理解いただけたであろうか。まったく困ったものである。一時はクラブ対抗リレーで過去最高に近く一致団結していたというのに、SOS団という非公式の団内で勃発した偽装内紛のせいで、クラス間の対抗戦にまでなってしまった。かく言う俺も事情は知っているが、ここまで来て総合二位などという、最も残念で歓喜の少ない順位に甘んじたくないと考えるクラスの一人に成り下がっている。こら谷口、しっかり走れ!
百メートル走ではやや我が五組が優位に競技を運んだ。俺としてもハルヒの叱咤のみを背中に受け、思いっきり後押しされながらなんとか一番最初にゴールテープを切ることが出来た。最後の締めはハルヒが走ることになっており、勝てばギリギリ最終競技であるクラス対抗リレーで、逆転が可能だと言うところまで扱ぎ付けることが出来る。ハルヒが負けるわけがない。そうは分かっていても自然と声を張り上げたが。
ハルヒがスタートと同時に一気に加速して百メートルを走りきる。正直みんな声を出すのに精一杯で競技を見ていないのではないかと思えるほどだ。それでもハルヒがゴールした後は、今まで以上の怒号のような轟音が鳴り響いた。しばし逆転への可能性が出た余韻に皆が浸った。
そしていよいよ最後の競技を伝えるアナウンスが放送され、全学年のクラスを代表する五人が続々とゲート前に集合していた。
五組でも競技者が皆に肩を叩かれ、激励をされる。なぜか俺もそこの中にいるから驚くばかりだ。この場に来てようやく学期あけのホームルームに、ハルヒが俺を巻き込みやがった事を嘆いたね。まさかただのリレーにここまで重圧が掛かろうとは思っても見なかった。その重圧の中でも、特にハルヒには声が掛かった。
「おまえSOS団ばっかじゃなくクラスでも力を出せよな!」
「涼宮さんなら勝てるよ、がんばって!」
などという、普段なら絶対かけられない問いかけに、しどろもどろでハルヒは答えていた。もっといつもどおりに強気な姿勢を出せばいいものをと思い、そのことについて言ってやろうとも思ったが、まあいいだろう。今回の件で少しだが、何かが劇的に変わったのかもしれないな。そう思いながら俺はハルヒと共にゲート前に向かった。
グラウンド外はボルテージが最高潮にあがり、そこへ各競技者がいっせいに飛び出す。
ふと隣にいるハルヒを見ると、これまた意外なほど緊張したような、ようするに機嫌が悪そうな表情をしていた。普段感じたことのない感情を理解できていないようなふうである。あの天下無双、絶対勝利なハルヒがだ。俺は思わず苦笑いを浮かべて、思っていた事を口滑らしてしまった。
「ハルヒ、どうせいつも通り勝ちに行くんだろ?」
一瞬しまったと思った。なんせ普段とは感情の波が違うので、どういう反応が返ってくるのか検討もつかないからな。だが、
「……当然よ!」
普段SOS団で見せる笑みを見みせる。涼宮ハルヒは涼宮ハルヒだった。
移動をして気づいたが、俺は最終走者から二番目で、アンカーはハルヒである。奇しくもSOS団での順番と一緒であり、違うのがバトンをもらった奴が走ってくるのではなく、隣にいるって事だ。
「実はあなたと真剣勝負をしてみたいと思っていたんですよ。これも反旗を翻してみようと思った要因の一つです。それに、この状況はとても不思議です。そうは思いませんか」
俺は古泉の方を向かない。もう間も無くスタートを示す合図が鳴り響くと思った矢先、体育祭を締めくくる最後の競技がスタートした。第一走者から決して五組は早くなく、トップは九組だった。だが第二走者にバトンが渡る際、一気にその距離が縮まる。バトンの受け渡しが他を圧倒してスムーズだった。完全に練習の成果だと思う。
隣で古泉が話を続ける。
「僕はSOS団の選手として走った際は、真剣に勝とうと思って走りました。もちろん涼宮さんが望んだことですし、当然の事です。ですが僕自身が勝ちたかったんですよ。涼宮さんの願いだからではなく、SOS団として」
俺は走者を眼で追いながら、声援にも耳を傾けていた。贔屓目に見てもうちのクラスが一番声を張り上げて応援している。まあ優勝が掛かっているってのはあるが、それでも九組にはすでに勝っていると思えた。ほぼ横一列に第二走者が第三走者へとバトンを渡したようだ。俺はいよいよだと思い、バトンを受け取る体勢となった。
古泉はと言えば、最後まで話し倒すつもりのようだ。
「このリレーは今の僕の状況を表しているようにも思えるんですよ。争っているのがもしSOS団だとしたら、僕は果たして全力で走るのだろうかと考えてしまいます」
少しだけ古泉の顔を見たが、なにやら決まりの悪い顔で静かに微笑んでいた。もう間も無く第三走者が来る。一番は九組なので古泉が一番内側に立つ、俺は二番目だ。バトンをもらう為に少し走り出し、流れの中で手に取る。そこからは前しか見えない、クラブ対抗リレーと一緒だ。走りながら声援が良く聞こえる。SOS団とは人数も盛り上がりも違うから比較にはならんが、やはり大きく聞こえる。俺は負けたくない一心で走り、ハルヒが徐々に大きく見え始め、渡すときに何か声をかけるべきかとも思ったが、やっぱりやめた。今更俺がどうこう言ったって仕方がないし。第一ハルヒだって分かっているさ。だから俺は隣でひざに手を当て息をしている奴に話しかけた。
「お前の言っていることは一々よくわからん。取り合えず走ればいいだろ。結果なんか分かりきっている事だ」
俺も古泉もハルヒを見ていた。あっという間に均衡していた争いに決着をつけ、それでもバカみたいに加速して一人先走っているかのような圧倒的差を見せ付けていた。ゴールテープを切ったと同時に本日最大の歓声が響き、鳴り止むには時間が掛かりそうな按配である。ハルヒはといえば、どうしていいのわからんのだろう。バトンを持った片手を高らかに上げ、仏頂面をしている。
「ほら見ろ。こんなもんだ。まあどっちにしてもたいした事は無いさ、SOS団にいる限りは罰ゲームくらいで事はすむんじゃないか?」
今度は本当に決まりが悪そうにではなく、決まり悪く古泉は微笑んでいた。
「出来れば軽い罰ゲームでお願いしたいものです」
体育祭の競技はこれで全てが終了した。
生徒たちはグラウンドにクラス別で並び、総合順位の発表を待つ態勢になる。早朝では眠気による倦怠感に包まれた開会式であるが、閉会式も運動後の状況であり、疲労感に包まれたものになる。まあ全国共通の状態といえなくも無いだろう。
校長の重要であり、どうでもいい話を早々に切り上げ、発表が始まる。三位のクラスから始まって、代表者が小さなトロフィーをもらう。同時に拍手と歓声が少し上がる。二位は九組であった。リレーに負けたのだから結果は分かっている。代表者が表彰台に上がって大きめのトロフィーを貰う。同時に大きな歓声と大きな拍手が送られた。
そして総合優勝クラスの発表である。何年度の何回目とかいう、どうでもいい情報が述べられ、一年五組の名前が挙がった。本来はここで学級委員長が前に出るのだが、今回に限ってはそんなことは誰も求めてはいないし、出来まい。誰もがハルヒのほうを見ていた。ハルヒなぜあたしがと言いたそうな顔をしていたが、しぶしぶ前へと足を運んだ。表彰台に立ち、無駄に派手で大きいトロフィーと、随分年季の入った優勝旗を校長からもらう。拍手や歓声は起きず、静寂があたりを包んだ。
ハルヒは面倒くさい感じありありで優勝旗を掲げ、そして不器用に笑った。
五組を中心に最大音量の爆音で歓声が上がり、夏の花火のような音に聞こえる、大きな拍手で祝福されていた。
俺はと言えば、終わったという疲労感と、やりきったという達成感を強く感じていた。出来れば普段見せている、太陽フレアのようにエネルギーを放出していそうな笑顔を見せて欲しかったが、まあいつかはそうなるだろうと思い、今はこれでいいだろうと感じていた。
それから無事体育祭の閉会式も終了し、生徒たちは各教室へと足を運び、短いホームルームをして帰路についた。五組では盛大に今回の快挙を祝い、騒いでいた。一番喜んでいたのが岡部教諭だったのは少しも意外ではない。あの適当なホームルームがこの様な時間に繋がるとは思ってもみなかったに違いない。俺も思っていない。これから祝勝会だと息巻いていたが、体育祭で疲労困憊の生徒がついていくわけがなかった。幸い部活動も今日は休みだし、みんな家に帰ることだろう。
もちろんSOS団は年中無休で活動中であり、体育祭後も例外ではないらしい。祝勝会はSOS団で行なわれた。場所は相変わらず部室であり、朝比奈さんも長門も古泉も一緒である。ハルヒは知らんだろうが、ここまでの苦労は誰が還元してくれるのだろうかと思いつつ、結果としてまあいいかとも思えた。
ああ関係が少なからずあるので言っておくと、祝勝会に必要な食料及び飲料は全て古泉の提供となった。準備に俺まで借り出されたのは納得できん事の一つだ。
「いいじゃない。楽しいことは準備から楽しむものよ!」
まさにハルヒである。
結局俺と古泉が、わざわざクソ長い坂道を下ってRPGのお使いイベントみたいなことを実行した。
道中、無言で歩くのも変だと言う配慮なのか、古泉が変な質問をしてきた。
「僕や朝比奈さん、長門さんにとって、涼宮さんは違った存在であるというのが現在の状況です。正確には僕、という個人ではなく我々と表現したいですが。あなたにとっての涼宮さんとはどんな存在なのですか?」
俺は歩きながら考えた。例えるならマイナスイオンみたいなものか、と。マイナスってのはネガティブなイメージがあるだろう。でもマイナスイオンは名前ほど悪いものじゃない。プラスイオンは体に多いと良くないらしいから、適度にマイナスイオンが必要なんだというのを聞いたことがある。適材適所ってことさ。多すぎても有り難味はないが、少しならあってもいいって事だ。だが、
「さあな。俺にはわからん」
あえて俺はこう答えた。
「そうですか」
古泉は理解していると言ったようなニュアンスで相槌をうつ。
太陽もだいぶ陰り、ふと夏であればまだまだ明るかったはずだという思いに駆られる。坂道から上がってくる逆風は程よく肌寒く、夏が終わりを向かえ、秋が追走するように到来したのを実感するのには、十分だった。
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