第六章<3
入場門前には野球部やサッカー部のような運動部の連中と共に、書道部やミス研などの文化部のやつらが、各々のユニホームや道着を着て集まっていた。なんとも奇天烈な様相である。そんな中俺たちと言えば、普通なジャージ姿であるからして、逆に目立つという逆転現象が起こっていた。変った点といえばハチマキくらいである。
「ふふん。作戦通りね。そもそも走るのに道着だとか、違うスポーツのスパイクだとかが合うわけがないじゃない。どうしてそんなことにも気が付かないのかしらね、あの連中」
「たしかに、これならば我々にも充分勝機がありそうですね。さすがは涼宮さんです」
へんに納得するな古泉。そりゃお前クラブ対抗リレーだからだろうよ。普通は各特長を活かした様相を呈すものなんだから、むしろ俺らの方が大分イレギュラーに違いない。
だがハルヒはそんなことお構いなしだ。腕を振り回したり、屈伸をしたりで、やる気充分な姿勢を全面に打ち出していた。相対して朝比奈さんは緊張がピークのようで、完全に場の空気に呑まれている。ああ長門に関してはいたって普通であり、妙なやる気や倦怠感とは皆無であるから、頼もしい限りだ。古泉は相変わらず優雅な貴族の微笑を浮かべている。なにがそんなに楽しいのかね。
なんてSOS団の様子を遠巻きから観察しているよな体を見繕ってはいるが、俺は俺なりに緊張していたりする。さすがに一ヶ月間という時間をかけてここまで来たんだからな。そりゃ俺だって勝ちたくもなるさ。
団員がそれぞれどんな心持で今いるのかは分からない。だが目指す先は一緒である。これって実は意外と少なかったりする。普段はハルヒを除くメンバーでの意思統一がほとんどだからな。でも今回はハルヒだっていっしょだ。
「みんな円陣を組んで頂戴」
言われるがまま円陣を組む。
「いいこと、この一ヶ月間あたしたちは血の滲むような訓練に耐えてきたわ。これは絶対に生きる。負けるわけが無いの。ところで……みくるちゃん」
「え、は、はいなんでしょう」
突然話を振られた朝比奈さんはだいぶ慄き驚いていた。何を言う気だハルヒ。
「みくるちゃんは勝ちたい?」
円陣内に沈黙が流れる。誰もがこの質問の主旨を推理していたに違いない。分かるわけないがな。それでも朝比奈さんは言った。
「か、かか勝ちたいですっ!」
ハルヒはまるで関が原に赴く徳川のように勝気に笑っていた。見たことは無いけどな。そんな笑みだ。そしてとんでもないことを言いやがった。
「そう。じゃあリレーの順番を一部変更するわ。スタートはみくるちゃんよ。第二走者が有希。第三走者は古泉君が走って。で、次がキョン。アンカーはあたしが責任もって走るわ!」
この瞬間朝比奈さんは……言うまでもないよな。もう少しで泡でも吹き出しそうな顔で口をぽかんとあけており、
「だ、だめです、ムリです、負けちゃいますよぉー」
少し間を置いてから、泣き入るような声で反対声明を打ち出した。ハルヒが聞くわけ無いのは言うまでもない。
「大丈夫よみくるちゃん。あたしは頑張った人にはちゃんと活躍の場を用意するの。で、今回一番がんばってたのはみくるちゃんじゃない。あたしが保証するんだから黙って最後までがんばりなさいっ!」
「でも、でも……」
決定は覆らないことを朝比奈さんも知っているだろうが、それでも喰らいつくのは本当に勝ちたいという思いからなのだろうか。
「いい? みくるちゃん。誰も一番になれとは言ってないのよ? がんばればそれでいいの。後のことなんて他の団員に任せちゃえばいいんだから。みんなで何とでもなるわ。それにアンカーのあたしが絶対に一番になってみせるから、安心して走っちゃいなさい」
ハルヒは他の団員一人ひとりに視線を向ける。古泉は屈託なしに微笑んで答え、長門は珍しく深めに頷いた。
この一ヶ月で一番の驚きである。ハルヒが一番じゃなく、がんばればそれでいいなどと発言するとはな。でもたしかに朝比奈さんはがんばった。そこは一遍も疑いの余地はない。だれにも文句は言わせん。俺はハルヒの視線に対して強く視線を送り返した。
「じゃあスタートよ、ゴールで合いましょう。次ぎ合う時は最高の笑顔に、そして最高の瞬間でね!」
こうして俺たちSOS団はその他の部と共に入場門から各持ち場へと散らばっていった。
ぶっちゃけ相当緊張したね。こんなにマジで走るのは始めてかもしれん。そのせいか、絶えず各団員の方へ視線を向けてしまっていた。長門も古泉も至って平常心をキープしているように見えたね。ハルヒは笑みを浮かべて仁王立ちだ。でも朝比奈さんはさすがに顔が青い。待機もスタートだからいきなりスタートラインに横一列である。俺だってあの立場なら顔の一つでも青くするさ。それでも朝比奈さんには頑張ってほしいと思った。
全ての走者の準備が終わり、いよいよスタートの火蓋が切られようとしている。スターターが台の上に立ち、ピストルを天高く突き上げる。第一走者は腰を低く構え、そして、太陽が丁度空のど真ん中まで来たのを知らせるかのように、緊張した頬を打つような音がグラウンド内に響き渡った。
同時に、走者たちが飛び出してゆく。やはり体育系の連中は速く、背中にエースナンバーをつけた奴や、場違いにキャップを被った奴が頭一つぬきんでていた。まあスタートは足の速い奴が走るのは当然ではあるがな。
それでも俺は驚いた。正直その人以外にはあまり視線を向けてさえいなかったが、朝比奈さんはちゃんと走っていたのだ。もちろん遅いことに変わりは無いが、この一ヶ月間見ていた身としては大きな変化である。早い奴はどんどん先へ進んでいくし、やっぱりビリではあった。でもダントツじゃない。これなら何せアンカーはあのハルヒだし、いけると言う考えが脳内を走りさえした。
だが、やはりと言うにはあまりに可哀想で、あまりに悔しい現実が起こってしまった。朝比奈さんはグラウンドの砂に足を取られたのかバランスを崩し、前のめりに地面へ転がり跳んでしまったのだ。
普段なら。普段の俺ならば確実に朝比奈さんの下へ駆け寄り手を差し伸べたことだろう。リレー? 勝利? どうでもいいねそんな事。だが今回ばかりは違った。何としても勝ちたいという思いがあるし、なにより朝比奈さんに勝たせてあげたかった。それには俺がじゃじゃ馬に出て行って、失格になるわけにはいかないのだ。バトンをもらってからしか走ることが出来ないのである。自然と声が出た。
「朝比奈さん、がんばるんだっ!」
「みくるちゃん、立って走るのっ!」
同時にハルヒがバカみたいな大声で叫んでいた。古泉には笑顔が一切無く、長門は強く朝比奈さんを見守っている。
ところがどうだろう。朝比奈さんには一切声が届いていない様子である。でも痛くて悶絶しているとか、泣き声で聞こえていないとかじゃない。
朝比奈さんは転んだと同時に、すぐに起き上がり、まるでバレーボールを必死にレシーブしにいく選手のように、落ちて転がるバトンを拾い、そして走っていた。
次々と第一走者が第二走者へバトンを渡していく中、最後の最後で長門が一人待っている。朝比奈さんは何事も無かったように最後まで走りきり、長門へバトンを渡した。何か長門が朝比奈さんに言ったように見えたが、いかんせん遠く、声までは聞こえない。見えるだけである。朝比奈さんは走り終わると同時に、その場へ崩れ落ちて顔を両手で覆ってしまった。
思えば最初、ハルヒがクラブ対抗リレーに参加すると言ったとき、俺は非日常的な力は使いたくないと思った。これは嘘じゃあない。実際競技の真っ只中でもそう思う。でも人間ってのは思っている事と行動は違うことが多い。ハルヒを見て学んだことでもあるな。だから俺は叫んだ。
「長門! がんばってくれ!」
聞こえないわけが無い。なんたって長門だ。最初は本当にロボットみたいな奴だったが、少しずつ感情みたいなものが感じられる気がしたし、実際今、長門は答えてくれた。
俺へ一瞬だけ視線をくれ、前を向いたかと思うと、凄まじい勢いで加速した。ダントツの最後尾だった長門は、次々と前を走る選手を追い抜いていく。後続の文化部の一団を颯爽とかわし、一位争いに熾烈な運動部の連中の一団まで追いついた。その瞬間だけ見れば、まるで宇宙空間をワープした船のようであった。
あとで長門にあやまらないといけないな。わざわざ体育祭で力を抑えて走ってくれていたのに、今回は、というか今回も助けてもらってばかりだ。
長門は見事に一位争いの中で古泉へとバトンを渡した。古泉は笑顔で答えている。
いよいよリレーも終盤である。あとはいかに俺と古泉が引き離されることなくハルヒにバトンを繋ぐかだけだ。でもこれが難しい。確かに古泉は足だって中々のものだが、周りはいつも走って鍛えている運動部の連中なのだ。離されないのがやっとである。抜きつ抜かれつを繰り返し、古泉は必死に走ってくる。ここまで必死な古泉を見るのは正直始めてかもな。
俺は緊張しながら後ろに右手を差し出して準備した。徐々に一団が近づいてきて、ほぼ横一線でバトンタッチとなった。俺は走りながら古泉からバトンを受け取った。後ろを振り向く余裕は無い。
「あとは頼みましたよ」
と、声だけが聞こえたので、
「なんとかな」
とだけ伝えた。
俺がどんな走りをしたかなんて、つまらない事この上ないだろうし、第一ほとんど覚えていない。それくらい必死に走った。誰かに抜かれたような気もしたし、逆に誰かを抜いた気もする。誰だって経験あるだろう。走ってるときは夢中なのさ。かろうじて覚えているのは徐々にハルヒの力強い笑みが近づいてきて、バトンを渡して、言ったことと聞いたことくらいである。
「勝てよ!」
「当然!」
ハルヒは疾走した。
一位争いの運動部など物ともしないスピードでグングン加速していき、最終コーナーに差し掛かる前にはおおよそ決着がついただろうなと、誰しもが確認できる距離は開いていた。
それでもハルヒは一切スピードを落とすことなく全力で走り抜けた。そういえばハルヒが言ってたことを思い出した。
『いいこと、最後まで全力で走らないやつがあたしは一番嫌いなんだからね! 手なんか抜いたら速攻罰ゲーム! 速攻よ!』
まあ今回罰ゲームは誰にもなさそうだ。
最終的に、約十三馬身差でゴールテープを切ったのだが、俺はてっきり高らかに両腕でも掲げて勝利宣言でもするのかと思っていた。だがハルヒはスピードこそ落としたものの、ゴールテープを切ってすぐターンし、俺のところまで来て、
「キョン、行くわよ」
それだけ告げてきた。だが理解はできた。がんばればそれでいいって言ってたもんな。俺はハルヒに連なって朝比奈さんのいる第二走者の出走地点まで向かった。
先に着いていた古泉が朝比奈さんの肩を抱え、なんとか立たせている。隣では長門が朝比奈さんを見つめていた。
「ご、ごめ、ひっ、ごめんな……さい。あ、たしじゃ、やっぱりだめで、しった」
朝比奈さんは完全に泣き崩れていた。正直何と声をかけていいのかが分からない。だが大丈夫だろう。
ハルヒは朝比奈さんの正面に回り、
「こら、みくるちゃん。次ぎ合うときは最高の笑顔でって言ったじゃない。せっかく最高の勝利を手にしたんだから、泣くところじゃないでしょ」
怒ったような顔で言った。目は怒っちゃいないがな。普段からそうしてくれ。
「で、でもあたしは、や、っやっぱり足を引っ張っちゃって……」
「みくるちゃん、足を引っ張るってのはね、誰かに迷惑をかけた時に使う言葉よ」
ハルヒが俺や古泉、長門を見回す。
「そうですね、僕が記憶喪失にでもなっていないのであれば、誰かに迷惑をかけられたという記憶はありません」
古泉が屈託なく言う。
「まあそういう事だな。普通に走っただけだ。違うか? 長門」
長門は俺を見て、そして朝比奈さんに視線を送る。
「違わない。駄目と思われる事は一つもなかった」
ハルヒはそれらの答えに満足したのか、両腕を腰にやり、
「ほら、あたしの言った通りじゃない。だめだった事なんて一つとしてないわ! みくるちゃん。あなたが頑張ったから勝ち得た勝利よ! 笑いなさい! 民衆をあざ笑うかのように笑いなさい! 笑え!」
朝比奈さんは一瞬びくっと反応し、そして笑った。目を涙で一杯にしながらの、今までに見たことも無い、惚れ惚れするような笑みだった。
ハルヒはこれに満足したのか、はたまた納得したのか、何度も頷き、そして腰に当てていた右腕を高らかに天へと突き上げる。人差し指だけを突き出す形で。まるで革命を成し遂げた英雄のようだ。お前はナポレオンか。
「我々、SOS団の完全勝利よっ!」
鼓膜が破けるかと思うくらいの大声量で言い切った。合わせたかのようにグラウンドを囲む生徒たちから割れんばかりの拍手が起こった。まあ大波乱ではあるし、まさか数ある運動部を出し抜いて、正体不明な謎の団体が優勝するとは誰も思うまい。思っていたのはただ一人だけだ。その当事者は最高の勝利を得て、朝比奈さんに負けんばかりの、最高の笑顔を浮かべていた。
やれやれ。
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