第五章<6
教室に帰る算段としては、俺が先に帰って、その後ハルヒが戻るという手はずになった。というかそうした。
「まあ一緒にサボってたなんて印象をもたれてもなんか嫌だしね。それでいいわよ」
などとハルヒは言っていた。俺だってごめんだ。
でも俺は教室には帰っていない。当然だが今現在教室には九時間前の俺が存在しており、今帰ったら非常にまずい事態になるのは確実だからな。
俺は部室を出てすぐ、校舎へ向かう方向とは逆の、初めてこの時間に遡行したとき朝比奈さんと隠れた場所に戻った。直後にハルヒは部室から出て、後者のほうへ向かったのだが、顔が若干緊張していたように見えたのは錯覚かもしれん。
まあその珍しい顔を拝んだ後、俺はすぐに部室の扉を開けた。中には清々しいまでに達成感をあらわにしている朝比奈さんといつもと変らない長門がいた。
「あ、キョン君! ありがとうございました。これで涼宮さんも喜んでくれますよね?」
「まあハルヒが喜ぶかは断言できませんが、さらに体育祭にやる気を出してしまうのはたしかでしょうね」
でもまだ終わりじゃないんですよ、朝比奈さん。
「なあ長門、さっきの提案って生徒別の運動メニューを作るってことなんだろ? 実際可能なのか? 大変なら手伝うが」
「問題無い。情報収集は可能」
そうかい。よく考えれば長門が苦手なことなんて探す方が大変かもな。喋るのが苦手ってのはあるが。でもこれで俺が九時間前に体験していない部分の補完は終わりみたいだな。あとは九時間前に体験したことを再現すればいいだけだ。
「朝比奈さん」
「はいなんでしょう」
「実は俺、九時間前にここで朝比奈さんと話してるんですよ。家に帰れって言われました。そんな事をするよう指示とか受けていたりします?」
朝比奈さんは少し困ったような感じで、
「いえ、遡行する前にも言いましたけど今回は完全にあたし独自の行動ですから、特に支持を受けてないです。でもキョン君、あたしに会ったって本当? もしそうならキョン君の体験通りに行動しないといけないことになります」
神妙さをブレンドしたようにおっしゃった。やはりか。
「じゃあ今から俺が言うとおりに行動してください。それから長門、俺とお前だけ姿を消したりなんか出来ないか?」
「それは可能」
ならば俺と長門はこの部室で姿を消し、朝比奈さんには九時間前の俺を帰宅するよう促してもらえばいいのだ。だが時間がない。もう間も無くハルヒに『お願い』された俺がここを訪れるはずだ。
俺は手早く朝比奈さんに大体の状況を説明し、会話のやり取りについて説明した。内容自体は簡単だったがな。考えてみれば禁則事項ばっかりで、ほとんど情報を得られなかった俺が今ここにいるわけで、つまりは九時間前の俺に質問されたことを素直に答えてくださいと言っただけである。
間も無く俺と長門は姿を消し、朝比奈さんがパイプ椅子に着席して、九時間前の俺が部室の扉を開けた。困惑した俺と、うまく情報を伝えられない朝比奈さんとがやり取りを行い、数々の疑問を感じつつも、九時間前の俺は岐路に着くこととなった。それにしてもまさか朝比奈さんだけが部室にいたと思っていたら、九時間後の俺と長門までいただなんてな。思えば朝比奈さんの目が泳いでいた気もするし、実際よくこちらに視線を送ってくる。だがこんな経験をしちまうと誰もいない空間に不安を覚えるようになりそうで怖い。
朝比奈さんが最後の台詞を言い終わり。扉が閉まってからあたりを見回す。
「長門さん、キョン君、どこにいるんですか? これでよかったんでしょうか」
そういや朝比奈さんにも見えていないんだな。
「長門、もういいぞ」
「不可視フィールドを解除する」
朝比奈さんは突然現れた幽霊でも見たかのように一瞬驚きをみせ、安堵していた。
「これで終わりか」
俺は思わず声に出してそう言った。だってそうだろう。俺が九時間前に体験した事はたった今終わったのだ。これから起こることについてや、行なわれる行動については一切の情報も持ってはいないのだから。
俺と、恐らく朝比奈さんもが感慨に似た感覚に囚われている中、長門だけはまだ終わりではない事を知っているかのように、普段ハルヒが占拠しているパソコンの前に移動した。
「長門、パソコンを使うのか?」
一体何を始める気なのだろう。
「情報収集。個体別練習手順の表を作成する」
意外なことにパソコンを使うのだなと思った。目の前に資料が現れて、それで完成。みたいな感じなのだろうと勝手に思っていたからな。
「何か手伝うことはあるか?」
答えは分かっていたが一応聞いてみた。長門はディスプレイから視線を外し、俺に向ける。
「大丈夫。問題は無い」
だろうな。第一俺に手伝うほどの情報収集能力は無い。だが長門は俺を見つめたまま作業を停止していた。長門にこうも長く見つめられても落ち着かない。
「長門?」
長門はしばらく間を置いてから言った。
「あなたにはまだやるべき事がある」
やるべき事がある。その言葉は妙に神妙で、まるでこれからが本番だと言わんばかりの感じであった。果たして何のことを言っているのかと、俺は脳内をもう一度精査してみたが、まったく分からん。
「俺がやるべきこととは?」
俺の勘違いなのか長門の本心なのかは理解の及ぶところではないが、どうにも長門は不満なように見えてならなかった。こうなると俺は焦る。真剣にわからんのだ。
長門はあきれたように、いや普通に坦々とした口調で言う。
「……あなたは教室に行って彼女を助けるべき」
何をだ。なんて言えそうな感じではない。長門は答えを言ったという感じである。実際はまだ良くわからない状況は続いており、俺としてはどうしようもないとしか表現できないのだった。そこに朝比奈さんがなるほどと取れる感じに目を大きくしてみせ、少し悲しそうな感じに眉を下げた。
「そうですね。涼宮さんきっと不安だと思います。一人で普段ならやらない事をしようとしている訳だし、こんなときは自分のことを一番理解してくれている人が近くにいると心強いです」
朝比奈さんは、悲しそうな瞳を俺に向け、外す。でもその意見で何となく言いたいことが理解できたような気がした。
それにしても女性同士の連帯感は一体何なのだろうね。長門の微妙に説明不足な話をすぐに理解したり、ハルヒの思いとか願いだとかを簡単に汲んだりする。朝比奈さんの悩みなんかがすぐ解決に向かったりする。それは男には全く無い資質で、宇宙人とか未来人の壁なんて海中でオブラートを壁に使用する並みに脆くて無意味でしかないのだろうな。実際、男の俺はやるべきことが分かっても、何を助ければいいのかさっぱり分からない。それでも俺は、
「分かった。六時間目が終わり次第、教室に戻ってハルヒと合流すればいいだろ?」
こんなことを言ってみたりするしかなかった。古泉でもいれば気兼ねなく聞けるし、多少の煩わしさはあっても答えを教えてくれるだろう。でもここで同じようなことを聞こうとすれば、宇宙人と未来人から怒涛の攻撃をくらうに違いない。現代科学の全てを終結させて抗論しようとも一瞬で灰燼に帰すだろう。聞けるわけがない。
だから俺は六時間目が終わるまでの間、ずっと考え込んでいたのである。どうすれば一番良いのかと。
その間、長門はパソコンを凄まじいスピードで稼動させ続け、朝比奈さんはなぜかリレーに使うバトンやハチマキの手入れなんかをしていた。
色々考えてみた。ただお願いするだけで本当にいいのか、ハルヒの横に立って状況を見守るべきなのか、ハルヒに変って俺が前面に出るのか、どれも違うように思えて仕方がなかった。
考え事をしていると時間は早く過ぎるもので、気が付くと間も無く六時間目が終わりを告げる前になっていた。長門がそれに合わせたかのようなタイミングで、
「資料の作成が終了した」
と言ってパソコンの前から立ち上がり俺の前に来る。
「使って」
連動するように朝比奈さんも俺の前に来てリレー道具一式を入れた袋を手渡す。
「頑張ってください。あたしたちが手伝えるのはここまでだから……」
なんだか出兵する気分にさせられる状況である。
「じゃあ、ちょっくら行って来ます」
俺は強がることしか出来ず。後ろ髪を引っ張られるような状態で部室を後にする事となった。部室塔を出て、階段を上がり、教室の前まで来る。同時に六時間目の終了を告げるチャイムが廊下に鳴り響き、授業を受け持った教師が教室を最初に出てくる。何か嫌な視線で見られたような気もしたが、どうでもよかった。俺は入れ替わりで教室内に入った。
いつもの席を見る。迷うわけはない。一向に変化の見られない窓側の後ろ、二番目が空席になっており、その後ろで座っている奴を見た。向こうも気が付き、俺は軽く頷いて合図した。やるしかないよな、ハルヒ。
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