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ほぼ恋愛なし系

箱よりタイツの新世界



 現代地球と良く似た異世界の日本。

 その片田舎の小さな集落に、尼那になという名の猫獣人がいた。

 彼女はごく一般的な猫獣人である父と母を親に持ちながら、カナダ起源の猫スフィンクスのごとく、一切の毛という毛を纏うことなく生まれてきた。

 両親にこそ愛されて育ったが、毛並みの美しさが人間でいうところの容姿の美しさと同じ意味を持つ猫獣人界において、彼女は常に蔑みの目を向けられ忌避されていた。

 信心深い年配の者においては、呪い子とまで称され手酷く扱われることすらあった。

 ゆえに、彼女が高校卒業と同時に人間界へと下ったのは、ある意味で当然の成り行きだったと言えるだろう。


 人間界での獣人の扱いと言えば、日本における海外からの来訪者に対する態度と似たようなものだ。

 種族のイメージにもよるが、基本的には遠巻きに好奇の目を向けられるか、珍しくもないとスルーされるかといった具合である。

 尼那も、毛がないという一点で他の者より注目を浴びてこそいるが、特に嘲りを受けるなどといったこともなく、平穏な日々を送っていた。

 一般的な獣人が断られがちな銭湯やその他施設も問題なく使えることを考えれば、むしろ、この環境は快適すぎた。

 さて、ここまでアルバイトと実家からの仕送りで細々と食いつないでいた尼那だったが、いつしか彼女は人間界に骨を埋めたいと考えるようになっていた。

 そのための第一歩として、まず彼女は正社員の立場を目指して、本格的な就職活動に乗り出し始める。

 そして、そんな彼女の判断が、とある数奇な運命と出会う引き金となるのだった。




 尼那が就職活動を始めてから、二ヶ月ほどが経過した頃。

 記念受験にも似た感覚で応募した某大手企業、その一次、二次の審査を突破し、三次の集団面接へと漕ぎ着けていた彼女。

 だったが、そこで如何とも形容しがたい存在に遭遇していた。


「こちらからの説明は以上です。何か質問はございますか」


 そう言われて、尼那を含む就活生たちの視線がチラチラと特定の人物に向けられる。

 目前に鎮座する異質な物体を前に、若き彼らはことごとく意識を持っていかれていた。

 ゴクリ、と唾を飲み込んで、尼那は恐る恐るといった様子で手を上げる。

 間もなく壮年の面接官から促されて、彼女はおもむろに口を開いた。


「総務部長の木場(こば)様におかれましては、にゃぜ全身タイツを着用していらっしゃるにょでしょうか」


 瞬間、隣に並ぶ若者たちから勇者でも見るかのような目が向けられる。

 それは、誰もが抱いていた疑問だった。

 顔すら見えない真っ青な全身タイツに身を包んだ男が、企業側総務部長席にどっかりと腰を下ろしていた。

 ふと視野を広げてみれば、タイツ男を除く面接官たちの顔が分かりやすく強張っている。

 この質問は地雷だったのだろうかと尼那が内心で冷や汗をかいていると、真っ青なタイツの奥からくぐもった声が発せられた。


「ふむ。その質問には、私が直接答えるべきでしょうな。

 改めまして、総務部長の席をいただいている木場と申します。

 すでにほとんどの方は察していらっしゃるかもしれませんが、私は全タイ連……そう、全日本全身タイツ愛好連盟の所属メンバーです」


 もちろん、誰一人察していた人間などいなかった。

 むしろ、これが本当の話なのか、それとも企業側の冗談であるのか、図りかねていたレベルである。

 頼むからドッキリか何かであってくれと、就活生たちは必死で祈っていた。

 だが、現実は常に無常である。

 彼らの願いも虚しく、それを宣言してくれる者はついに現れなかった。


「本来、一般的な企業と同様に我が社でもスーツの着用が義務付けられておりますが、私はそれを覆して余りある業績をたたき出すことで、現在以上の地位につかないことを条件に全身タイツでの出社を認められるに至りました。

 また、全身タイツを着用することで文字通り身が引き締まり、更なる業績を上げることに成功しており、これにより強硬スーツ派の意見を抑え、このように外部の人間の目に触れるような場面でも全身タイツを着用することが可能となり、全タイの素晴らしさを一人でも多くの者に知ってもらいたいという連盟の理念のひとつに貢献したとして、名誉ある……」

「木場部長。申し訳ありませんが、面接時間にも限りがありますので」


 そこで、木場の隣に座る人事部長が分かりやすく不快そうな顔で、しかし、努めて事務的な声で言った。

 おそらく、本当に時間が迫っていてもいなくても、ただ彼にこれ以上話を続けさせたくなかったのであろうことが伺える表情だった。

 対して、木場は小さく頷き、軽く流すように謝罪の言葉を述べる。


「あぁ、失礼。

 では、山村尼那さん、以上で質問の回答とさせていただいて宜しいでしょうか」

「っあ、はい。ありがとうございました」


 青色の顔を向けられ問われて、反射的に口を開く尼那。

 説明された内容はあまりに荒唐無稽で、はっきり言って理解が追いついてはいなかったが、それ以上もう何も尋ねる気にはならず、彼女はただ黙って頭を下げた。

 その様子は、ただただシュールだった。

 現時点で就活生のほとんどが、「あ、ここ無いな」と思ってしまったのも仕方のないことだっただろう。




 不可解な面接から数週間後、尼那の手元に例の企業から明らかに不採用と分かる封筒が届いた。

 と、同時に忘れたくても忘れられない青いタイツ男木場からの個人的な手紙が届いた。

 これは明らかに職権乱用だと思ったが、さすがに会社や男を訴えるほどのことではないと判断して、尼那はため息ひとつで不満を飲み込む。


 爪でサッと封を切れば、企業からの物はやはり不採用通知だった。

 そして、問題のタイツ男からの手紙である。

 尼那は、主に精神面に活を入れて、意外と美しい手書きの文字に目を通していった。


 要約すれば、それは全タイ連加盟への誘いだった。

 毛のない猫獣人という特殊な存在に、全身タイツの新たな可能性を見た、だとかワケの分からないことが書いてあった。

 今まで全身タイツといえば人間のものという無意識の固定概念があったが、あの面接の場で尼那を見て、自らの視野の狭さに気付かされたとか何とか。

 ただ、「毛皮のない君に全身を包まれるあの母の胎内をたゆたうような暖かさを、安心感を知ってもらいたい」という一文には少し惹かれる尼那がいた。

 包まれる安心感、それは毛皮のない彼女にとって、果てしなく未知の感覚だ。

 更に、全タイ連に入った暁には、獣人用タイツの開発アドバイザーと、それが完成した際の広告塔としての役割を担って貰いたいとも書いてあった。

 正社員待遇で正式に雇用契約を交わすつもりらしい。

 具体的な条件を見れば、基本給も休暇日数も福利厚生も、その他様々な提示内容も全て、今まで見てきたどの会社よりも充実していた。


 読み終わった手紙を両手で握り締めたまま、尼那は揺れた。

 物理的にも精神的にもユラユラと揺れた。

 プライドと実利を天秤にかけて、揺れに揺れた。



 そして、ついに彼女はひとつの結論を出す。




「やはり、顔にょ正面が開いているタイプに、耳と尾を出す用にょ穴を開ける感じが良いんじゃにゃいでしょうか。

 獣人は人間と違って眼球も少し瞼から出っ張っていますし、湿り気にょ必要にゃ鼻先が押さえられるにょもいけません。

 それに、口で体温調節をしている者も多くいますし、ヒゲだって重要にゃ感覚器官ですから使えにゃくにゃるのは困ります。

 耳は形状から言っても純粋に潰されれば痛いでしょうし、尾も敏感です。 

 新参者が生意気を言うようで申し訳ありませんが、着て、それで動くことも満足に出来にゃくにゃってしまうようであれば、それは全身タイツとしては死んでいるも同然ではにゃいでしょうか」

「……いや、その通りだ。貴重な意見をありがとう、尼那さん」

「しかし、ただ既製品に穴を開ければ良いというものではないな」

「えぇ、獣人と人間とでは、まず体型に大きく差がありますからね」

「無理なく着用できるようにするには、まずは彼らの体型データを集める必要が……」

「これが完成すれば、全身タイツ界に新たな歴史を刻むことになるのでしょうな」

「はは、気が早いですよ。全ては完成させてからです」

「確かに。しかし、それを我々が成すのかと思うと、やはり力が入るというものです」


 会議室に朗らかな笑いが響く。

 若者も老人も、その場にいる者はみな思い思いの全身タイツに身を包み、その上から白衣を着用するという異様な姿を呈していた。

 実にカラフルで目に痛い情景である。

 そんな中、未だ全タイの魅力を理解しきれない尼那は、これは仕事だと何度も己自身に言い聞かせ続けて、何とか冷静であるように努めている。

 会議中、彼女の唇の端が常に引きつっていたことに、全タイ連のメンバーの誰一人として気が付く者はいなかった。




 その後。

 全タイ連の研究者たちは数年の時を経て、ついに獣人用の全身タイツを完成させる。

 尼那も、いつの間にやらすっかり彼らに毒され、身も心も全日本全身タイツ愛好連盟のメンバーとなってしまっていた。

 全身を緩やかに締め付けるタイツの感覚は、猫獣人である彼女を虜にして放さなかった。

 広告用として、プロトタイプの全タイを着用し撮影された彼女のポスターや画像は、広く世界に配信され良くも悪くも大きな話題となり、尼那は一躍時の人となった。



 とあるマニア雑誌内で、彼女は語る。

 毛がない事実は長きに渡り酷く私を苦しめたが、全身タイツという存在が人生を百八十度変えてくれたのだ、と。

 過去、自分をこんな姿に産んだ両親を恨んだこともあったけれど、そのおかげで全身タイツという奇跡に出会うことが出来て、今はただひたすら感謝している、と。

 黄色い全身タイツに身を包んだ写真の中の尼那は、とても誇らしげな表情を浮かべていた。



 数年後、意気揚々と帰郷を果たした彼女に、情報に疎い集落の住民たちは、なぜか少しだけ優しくなったのだという。

 尼那を出迎えた両親に、想定していたものと全く別の意味で泣かれてしまったのは、言うまでもない事実である。







猫獣人:なにぬねの→にゃににゅにぇにょ

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― 新着の感想 ―
[一言] うん、いろいろ泣けるね…。 両親、がんば。
[良い点] タイトル下のあらすじで噴いてしまった私がいます。 カラフルな全身タイツには全く萌えませんでしたが、全タイ連盟は激しく気になりました……とは言え、加入する気は毛頭ございませんが。 ですが、…
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