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星々の奏でる音楽と猫

作者:野堀ゆん
 どれほど怖い眺めなのだろうと思っていた。
「わあ」
 エレベーターから飛び出していった妹を追いかけ、展望室に出た僕は、思わず息をのんだ。
 眼下には真っ青な母星がひろがっている。
 宇宙エレベーターの第二展望台には大きな窓がある。そこから母星を見下ろせると聞いてはいた。だけど、高所恐怖症の僕は見物する気などさらさらなかった。実際、第一展望台にエレベーターが止まったときも、僕は見物になど行かなかった。
 窓の外の景色に現実味はなかった。お蔭で恐怖心がわかない。第二展望台の高度があまりに高すぎるのだ。展望室そのものは宙に浮いているはずだが、重力制御がどうとかこうとかで足をつけて歩けるのも、現実味がない一つの要因かもしれない。
 窓には決して近づかない僕とは反対に、妹は展望室の窓にはりつくようにして母星を眺めたり、僕らの町が見える一番いい角度を探して走り回っていた。
 しばらく落ち着きのない妹を眺めていたが、頃合いを見計らって声をかける。
「いい加減にしろ。遊びに来たわけじゃないんだ」

 僕ら兄弟は、宇宙へ移住するために宇宙エレベーターに乗ったわけではない。もちろん観光のためでもない。仕事をするために宇宙エレベーターに乗ったのだ。
 二人組の調律師。それが僕らだ。
 調律師といっても、楽器を調律するわけではない。僕らが調律するのは世界そのものだ。
 二百年ほど前の論文で、世界は物質ではなく波、それも音波によって成り立っていることが証明がされた。音が組み合わさり、流れ、とどまることにより、僕らが物質として認識しているものの輪郭が形作られる。輪郭ができて初めて分子同士が結合し始めるのだという。
 簡単に言えば、音波が型枠のようなものだったということだ。プリン液を作ってそのまま放置すれば固まるが、いわゆるプリンの形にはならない。同じように、何か意味のある形になるためには音の枠が必要だという。
 この研究結果は人類を中世にまで戻しかけた。研究者は人心を惑わすと、処刑されそうになったのだ。
 世界が音で成り立っているということが定説になった後に生まれた僕ですら、この説は正直信じがたいものがある。なにせ、よりにもよって音波だ。光波ではない。当時の人たちはさぞ混乱したことだろう。死刑はさすがにやりすぎだと思うが。
 幸い多くの研究者が再現実験を成功させたため、論文を発表した研究者は命を落とすことなく、寧ろ偉大なる科学者として歴史に名を残すこととなった。
 もちろん、たかだか二百年やそこらで全ての理屈が引っくり返ったわけではない。音波を除いた方が説明しやすいこともたくさんあるという。今でも学者たちは論文で殴りあっているらしいが、僕には関係のない話だ。
 何はともあれ、世紀の大発見により、人類は改めて音波、特に音楽にと向き合うことになった。どんな音波であっても物質を形作る力があったが、ノイズよりも整然と並ぶ音楽の方が効率がよかったのだ。
 新しく発見された分野、流行の分野に、研究者は多く流れた。その結果、研究スピードはただひたすらに上がっていった。そしてついに、世界がいかに安定しているのかも解明された。
 世界は音楽に満ちていた。人類に聞こえる音、聞こえない音、全ての音が混ざりあい、響きあうことで世界の調和は保たれている。音は、単に物質の輪郭を形作っていたのではなく、あるべきものがあるべき場所に落ち着くよう働いていたのだ。
 さまざまな音楽の中でも特に重要なのは、現在「星々の奏でる音楽」と呼ばれる宇宙に満ちる音楽だった。この音楽が乱れれば、世界はあるべきものがあるべき場所に収まらなくなり、調和は大きく崩れ、崩落につながりかねない。
 世界が崩落したらどうなるのか。その結果がビッグバンなのだという。
 この研究結果を受けて、「星々の奏でる音楽」の妨げになりかねないものをみつけ、世界に不協和音をもたらすものか否かを判定すること。不協和音をもたらすと判定した場合、即時排除すること、これらが人類の急務となった。
 ビッグバンから生まれた人類は、新たなビッグバンで死に絶えることを恐れることになったというわけだ。自分自身が、種族全体が滅びるのはなんとしても避けたいと思うのは生き物として当然だろう。
 ただ、一つ問題があった。
 多くの人間は「星々の奏でる音楽」を聞き取ることができなかったのだ。研究によって「星々の奏でる音楽」が発見されたのだから、当たり前といえば当たり前なのだが。
 長い実験と研究の結果、一部の子どもだけが「星々の奏でる音楽」を感じ取ることができることがわかった。同時に、大人になると感じ取れなくなってしまうことも。
 詩的な人間は、人類は神に見捨てられたため、「星々の奏でる音楽」が聞こえなくなってしまったと言い、雑な人間は、「星々の奏でる音楽」はモスキート音みたいなものだと言う。本当のところは神のみぞ知る、だ。残念なことに神は、そんな些末な問いに答えてはくれない。
 宇宙を包み込む「星々の奏でる音楽」は、常に一定の音楽を奏でているわけではない。しばしば調をかえ、テンポをかえる。そのたびに世界は少しずつ変貌している。
 今、世界に満ちる音楽は人類に心地の良いものだ。だが、いつ人類に不利益をもたらすとも限らない。小さなほころびで再びのビッグバンにもつながりかねない。
 人類がこの世界で長く繁栄するため、世界に満ちる音楽を調律する。それが僕ら調律師の仕事だ。

「ほんっと、頭堅いんだから。今回の仕事は所詮……」
 ふてくされる妹の頭を、軽く叩く。
「どこで誰が聞いてるのかわからないだろう」
 走り回る妹の首根っこをつかまえたまま、引きずるようにして歩く。放っておいたら何時間でも駆け回りかねない。
 妹の襟には山ほど白いフリルがついていて、とてもつかみにくい。逃げられないようにつかむが、手のひらの中をフリルがすり抜けていこうとする。
「別に、わかんないでしょ? 猫なんて言葉、誰も知らないわよ。catならともかく」
「いい加減にしろ」
 妹は肩をすくめた。
 僕は妹を引きずりながら、展望台の隅にある喫茶スペースに目をとめた。幸い夜も遅いため、人も少ない。宇宙エレベーターの利用者全員が集まる宿泊用カプセルの周りより、ずっと仕事の話をするのに適しているだろう。
 簡単なゲートの先にある喫茶スペースは地上時間に合わせて薄暗い。窓から宇宙へ空間が直接つながっているようだ。
 僕らはカウンター席の隅に座り、注文をした。店には客がおらず、あっと言う間に注文の品が届いた。
 僕の手元にはホットコーヒーが届いた。妹の手元には宇宙をイメージした真っ青なクリームソーダがある。さくらんぼ柄の水色ひらひらロリータ服に、水色のリボンでツインテールを作っている妹とクリームソーダの色合いはあっているが……僕は妹のこの格好が正直好きではない。正直、ものすごく似合わない。
 店員がいなくなったのを見計らって口を開く。
「今回の仕事について、もう一度確認しておこう」
 今回僕らに割り当てられた仕事は、「猫捜し」だ。
「何日か前に、猫がこの宇宙エレベーターに乗ったことは既に確認済みだ。宇宙空間に完全に出てしまう前に捕らえないといけない」
 猫とは、いわゆるcatではなく、猫のことだ。
「猫って、昔はただのcatだったんでしょ?」
「そうだ。野良のcatだったと、資料に書いてあった」
「どこにでもいる野良のcatが人間並みに高度な知性をもつようになったのよね……」
 妹はどこかうっとりとした表情を浮かべる。
「正に、神に愛されたcatね」
 ……詩的にいうのは大いに結構だが、それだけ相手にするのが面倒だということも自覚してほしい。
「せめて、こちらにも猫がいればよかったんだけどな。思考のトレスがしやすかったかもしれない」
「いくら上層部でも、そうそう猫なんて囲ってないわよ」
「だよな……」
 catの中には、今回僕らが追う猫のように高度な知性をもっているcatがいるとは言われている。ただ、人類がそれを発見することはとても難しい。
 多くのcatは高度な知性を存分に生かすことより、時折なでられたり可愛がられるという簡単な義務を果たすことで、三食昼寝つきの生活という最高の権利を得る方がよほどよいと判断したらしい。
 高度な知性をもった彼らは、その知性を存分に生かして死ぬまで見事にcatを演じ続ける。だから、僕たち人類が高度な知性をもったcatを発見することはかなり難しい。
「それにしても……猫はずいぶんとロマンチストよね」
 妹はこらえきれないと言うような表情で笑った。
 僕らが追っている猫は、高度な知性を怠惰な生活のためにフル活用するようなことはなかった。それだけならいい。僕ら人類と猫は手に手を取って新たな文化を生み出すことができたかもしれない。
 しかし、そんなことにはならなかった。猫はよりにもよって、神に願ってしまったのだ。「星が欲しい」と。
 神はあっさりその願いを聞き入れた。猫はまんまと星を手に入れたわけだ。
 法的に所有権を得たのならばよかった。星は確かに書類上は猫のものになっただろうが、星そのものは奪われなかった。今みたいに、「星々の奏でる音楽」が不協和音を奏で始めることはなかった。
 今や、宇宙そのもののバランスが崩れかけてしまっている。このままだと世界がどうなるかわからない。人類に都合の悪い世界になるかもしれないし、ビッグバンで何もかもすべてが破壊されてしまうかもしれない。
 catのふりをして宇宙エレベーターに乗った猫をつかまえ、この世界の音楽を乱すものかを判定する任務を負い、調律師の僕らはここにいる。僕らは人類の未来のためにこの任務を必ず果たさなければならない。
「猫に星を与えるだなんて、神は何を考えているんだか」
「わからないから神なんじゃない」
「……それはそうだが」
 一気にしゃべったからのどが渇いた。砂糖もミルクも入っていないコーヒーを口に含むと、既にぬるくなっていた。
「もう、猫はターミナルにいるんだよな」
 カップに残った珈琲を見つめながら呟くと、妹が呆れたようにため息をついた。
「何も急がなくたって。どうやったってターミナル行きの宇宙エレベーターは明日の朝まで動かないわよ」
 宇宙へは、宇宙エレベーターで三日かかる。第一展望台で一泊、第二展望台で一泊。三日目の夜にやっと、宇宙港や街、宿泊施設のあるターミナルへ辿り着く。
 僕たちが第二展望台にいるということは、猫はもう既にターミナルに着いているということだ。
 ターミナルまでは割と簡単に行けるが、その先へ進むにはさまざまなチェックを通らなくてはならない。猫が簡単に宇宙へ密航できるとは思わないけれど……気が急いてしまうのは仕方のないことだろう。
「ただのcatだって宇宙に行くのは大変なのよ。人間だって、何の菌を持ち運ぶかわからないから念入りにチェックされてるのに。捨て猫を拾って宇宙船に乗せるなんてこと、できるわけないじゃない」
 妹が言った。
「宇宙へ簡単に行けるんだったら、その辺に犬だの猫だのうさぎだの、いるわけないでしょ」
 妹の視線の先では、茶虎の野良猫が大あくびをしていた。
 宇宙にペットを連れて行くことは難しい。検査に通れば連れて行けなくもないのだが、予防注射代も、検査代も、それなりにかかる。金持ちしか連れて行けないのが実情だ。
 地上での別れに耐えきれず、宇宙エレベーターにペットを連れて乗ったものの、どうにもならずに展望台やターミナルに捨てる人間が後を絶たない。
 重量の問題もあり、しばしば動物を地上に下ろすために宇宙エレベーターが運行されているが、それだってタダじゃない。宇宙エレベーターの段階で動物を規制をすべきじゃないかと、結構あれこれ話し合われているみたいだ。
 よほどうまいことをしない限り、猫はターミナルで足止めだ。だから焦る必要はないのだが。catではなく猫だということが不安に思えてたまらない。
「心配性だなあ」
「お前が呑気すぎるんだ」
「現実的と言ってほしいな。意味もなく心配をするのは非現実的でかつ、重度の妄想癖よ」
 そこまで言われる筋合いはない。
 そもそもクリームソーダを僕に奢らせる気満々の人間に、人間性を否定されたくない。
「不貞腐れてないで。明日のエレベーターに乗り損ねたらそれこそお笑い種なんだから。さっさと寝ちゃいましょ」
 妹はストローを口に近づけたが、不意に顔をあげ、こちらを見た。
「ねえ」
「なんだよ」
「もし、猫をみつけて、猫がこの世界の調和を乱す存在だと判定したら……」
 妹が目を伏せたのは一瞬のことだった。
「猫を殺せる?」
 妹は真剣な眼差しでこちらを見つめたが、いかんせん甘ロリにツインテールというふざけた格好ではしまらない。僕は首を横に振った。
「当たり前だろ」
 それが、僕らの仕事なのだから。僕らが迷い、間違えば、世界はどんどん崩れさっていくのだ。
「たとえ、それが神の意志に反しようとも?」
「たとえ、それが神の意志に反しようとも」
 それが僕ら調律師の仕事である。天罰が下る可能性の高い不遜な僕らに、子どもには不相応な特権や報酬が与えられているのはそのためだ
「だよね」
 そういうと、妹は、さっさとクリームソーダを飲み干し、割り当てられたカプセル型の寝室へ向かった。
 残されたのは僕と、空のグラスと、飲みかけのコーヒーと、伝票だけだった。
 ほら、やっぱり、奢らせる気なんじゃないか。

 三日目。僕らはふたたび宇宙エレベーターに乗り込み、ターミナルへ向かう。
 宇宙エレベーターの内部はいくつもの個室になっている。僕らは二人で四人部屋を占領していた。
 真っ白な個室の中にはベッドにもなるベンチ式の椅子や、テーブル、簡単な端末がある。小さな窓もあり、そこから宇宙空間を眺めることができる。僕は敢えて覗いたりはしないが。
 宇宙エレベーターの内部では重力の変化も気圧の変化も感じない。猛烈なスピードで母星と宇宙の間を進んでいるとはとても思えない。ただ、窓の外には点のような星しか見えず、確かに今いる場所はほとんど宇宙なのだということがわかる。
 この高度にありながら、重力と気圧を地上と同じに保っているのはすごい技術のはずだ。これだけすごい技術があるのに、いまだに地上を移動するための航空機には気圧制御の機能が搭載されていない。お蔭で航空機に乗ると、毎回気圧の変化で耳を痛くする。どうして技術はうまく普及しないのだ。
 一人で腹を立てていると、妹がチケットを要求してきた。
「まだ三十分もあるぞ」
 預かっていた宇宙エレベーターのチケットを渡す。いい加減自分で管理してほしい。
「早くターミナルに着かないかな。いい加減眠い」
 あくびを隠しもしない妹は、ターミナルに着く頃には案の定眠っていた。
 仕方がないので手の中のチケットをそっととり、妹を背負って宇宙エレベーターを降りた。荷物はポーターに任せた。
 ホテルのベッドに寝かせると、妹は眠っているのに満足げな顔をした。さすがに二日もカプセル型の寝床だとつらかったのだろう。
 起き出しそうにないのを確認すると、そのまま僕はホテルの部屋を後にした。
 猫は夜行性である。

 ターミナルは地球の軌道上に浮かんだ一つの建造物だ。当初の計画では、地球を一周するほど大きな円を描く予定だったらしい。予算だか、日照権だか、バベルの塔だか、とにかくよくわからない理由で計画は頓挫した。バベルの塔を理由にするなら、宇宙エレベーターの時点で文句を言えばいいものを。
 ホテルの外はひどく明るい。と、いうよりも、ターミナルの内部は二十四時間明るい。さまざまな国から伸びる宇宙エレベーターを使い、さまざまな人間がこのターミナルにやってくるため、どこの国の時間を基準時にするか決めるので散々もめたらしい。結果、時間は利用者が各自管理をすることが原則になっている。
 どうせなら猫と半日体内時間がずれた調律師を「猫捜し」に送り込めばよいものを。「猫と対話をする可能性がある。同じ国の調律師を送り込もう」と、提案したのは誰だ。体内時計が半日ずれていてかつ、二カ国語以上しゃべれる調律師を派遣すればいいってことにどうして気づかなかったんだ!
 あくびをかみ殺しながら街の中を歩く。仕事まであと一週間あれば、体内時間を調整してみせたのに。
 店が建ち並ぶ中心街を通り、まっすぐ宇宙港へ行く。まずはこちらを抑えておかないと安心できない。
 宇宙港は、白い壁がどこまでも続いている。カラフルな中心街に対して、宇宙港はさながら工場か病院といった趣だ。
 あらかじめ、地上から話を通してあった管制官の主任と検査官の主任は、口をそろえて「猫などおりませんでした」と言った。
 子ども相手に敬語をつかわなくてはならないことを不満に思っていたかもしれないが、それはそれ、仕事は仕事だ。彼らが心の奥で何を思っていようと、仕事は手を抜かない、はずだ。特に調律師がらみの仕事は自分の命に直結するのだから、手を抜いて得はないはずだ。
 二人に礼と簡単な諸注意を伝え、今度は聞き込みに回る。宇宙船の船長、宇宙バスの運転手、しまいには売店の売り子や搭乗前の客まできいてまわったが、結果は芳しくなかった。
 結果が芳しくなかったから、ではないが段々目が回ってきた。普段から徹夜には慣れているのだが、宇宙エレベーターという慣れない環境のせいで、思ったより疲れていたらしい。頭がまわらなくなってきた。
 それでも、しばらく無理をして動き回った。だが自然と落ちてくるまぶたがどうにもならなくなっていまい、ホテルに帰って眠った。

 目が覚めると朝だった。時計を見て唖然とする。五時間も眠っていた。
 妹は既に起きていた。仕事のときはやめろと言っているのに、相変わらずの甘ロリ服だ。今日はピンクが基調の苺柄ワンピースを着ている。やっぱり似合わない。目覚めていちばんに見るようなものではない。
「お早いお目覚めで」
「八時じゃないか……まったくお早くなんかない」
「でも、眠ったのは三時じゃない」
 気付いてたのか。物音で起こしたんだったら悪いな、と思ったが、こちらを責めてくる様子もない。これは……。
「サボったな」
「だって、あんな時間から仕事なんて嫌だもの」
 あっさり認める。生き易そうな妹め。
「とにかく早く着替えて頂戴」
 言われるがまま、ボトムスとトップスを変える。黒い短パンに白いシャツ。上着は着ない。サスペンダーとネクタイをすればいつもの仕事服だ。今日は人が多いところを歩く。念のため黒いハンチング帽をかぶった。
「相変わらず、地味ねえ」
「動きやすい方がいいだろ」
「ロマンがないわ」
「職業倫理があると言え」
 不毛な会話をしながら、通信道具や、猫を捕らえたり場合によっては始末するための道具の入った黒いリュックサックを背負う。既に扉の前で待機している妹が言った。
「行くわよ」
 頷く。今日は大変な一日になるはずだ。覚悟をしておかなくてはいけない。
 緊張に顔が引き締まったが、妹はあっけらかんとした笑顔を浮かべ、天井を指さした。
「朝食ビュッフェへ!」
 ……実に生き易そうな妹め。

「よおし! 猫ちゃん探すわよー!」
 結局ホテルを出たのは更に一時間後だった。
「三十分でよくあんだけ食べれるもんだ」
「腹が減ってはwarはできぬってね」
「戦、だろ」
「ヤパニのTaTaMiに使う?」
「それは井草」
 妹は朝からやけにテンションが高い。心なしか、真っ赤な靴を履いた足でスキップしているように見える。
「それに、戦とwarでは意味合いが異なるだろう」
「大体同じ意味だからいいじゃない」
 妹は確かに僕の血のつながった妹なのだが、どうしてこうも性格が違うのか。父と母も同じように育てたつもりなのにと首をかしげている。
 でも、だからこそ、僕らは血縁関係にありながら、調律師としてコンビを組まされている。
 調律師は異なる価値観を持ち合わせている二人がコンビを組み、協議をする。世界にとってより正しい判断となるよう、独断で決めてはならない、というわけだ。
 細かいところまで正確でないと気が済まない割に勤務時間を守らない僕と、おおざっぱでなんとなく通じればオッケーな割に勤務時間はきっちり守る妹。言われてみればいいコンビなのかもしれないが、あまり認めたくない。
「取り敢えず、昨日の夜、宇宙港の方には猫に注意するよう命令を出しておいたから、ひとまずは安心だけど」
「もう宇宙エレベーターで地上に降りてたりしてね」
「は?」
「ターミナルまで来るのが目的なら、用事が済んで帰ったかもしれないじゃない」
 素っ頓狂なことを言う。
「わざわざ苦労してここまで来たのに、すぐ帰るわけないだろう」
「あら、猫の目的を知らないのに、どうしてそう言い切れるの?」
 妹の言葉に思わずつまる。
「わかったよ。先にそっちを確認しよう」
「リョーカイ」
 しかし、宇宙エレベーターのあたりに猫は現れなかったという。
「ほら、やっぱり来てないじゃないか」
「可能性が一つつぶせたと言ってほしいわね」
 何も気にしていない様子で、妹はさっさと歩いていく。
「ねえ、次は展望室に行ってみましょうよ。この辺りで一番近いのは第七展望室ね」
「どうせまた、母星が見たいだけだろう。それより仕事するぞ。もっとちゃんと分析して……」
「あら、展望室はまだ一カ所もチェックしてないじゃない。分析のためにはちゃんと情報をそろえなくっちゃいけないんじゃない?」
 ……それはそうだが。
 妹はピンクのフリルと、ピンクのリボンで結わいたツインテールを揺らして歩き始めた。こちらを振り返りもしない。
 ため息をついて追いかける。どうせ今度だって無駄足になるのだと思うと足取りは自然と重くなる。
 さまざまな店が軒を連ねる広場を抜けた先に、第七展望室はある。宇宙に面している部分は全て窓となっており、宇宙空間を眺めることができる。
 ただ第七展望室は外宇宙に向かって作られているため、母星は見えない。星はたくさん見えるが、派手さに欠ける。そのためか、観光客の姿はなかった。
 展望室の中に妹の靴音が響いたとき、何かがもぞもぞと動いた。窓際に、一匹のcatがいた。
 通常、猫とcatを見分けることはまず不可能だ。だが、僕たちは調律師だ。普通の人ができないこともできる。
 僕はそっと、catの音に耳を澄ます。catを形作る音と、猫を形作る音は微かにだが、異なる。それを聞き分けなければならない。調律氏の腕の見せ所だ。
 catから聞こえてきた音は、デーとエーの中間の音。16ヘルツほどエーに近い。ここまではcatと猫は同じだ。集中し、音に紛れるノイズとしか言いようのない音を聞く。ここからが本番だ。
 聞き間違いにすら思える、この音は……。
「……猫だ」
 何度も資料で見た、シルバーグレーの毛並み。間違いなく猫だった。
 猫は展望室に入ってきた僕らのことなど気にもとめず、宇宙空間を見つめていた。
「あっちの方角は、猫が手に入れた星の方角ね」
 確かに、猫が見ている方角は星のある方角に間違いない。
「まさか、星を見ているかと思って、この展望室に来たのか?」
「当たり前でしょ」
 呆れたように言われてしまった。
 僕は、あくまで自然に猫に近づいた。猫に目線を合わせるようにしゃがみこむと、猫はこちらに顔を向けた。
「こんにちは、調律師です。お話をうかがえますか」
 猫に向かって話しかける姿は、何も知らない人が見たらきっと間抜けに思えることだろう。
「なんだい」
 少しハスキーな、少年のような声が聞こえた。猫の声だ。
 妙に穏やかな猫の対応に拍子抜けする。ターミナルの中を追いかけっこ、くらいは覚悟していたのだが。
「資料に書いてあったけど……本当にしゃべることができるのね。声帯、どうなってるのかしら」
 妹はすぐ変なことに感心する。猫はcatではないというのに。
「私たちは、あなたを探していました。あの星のことです。おわかりのことと思いますが、あなたが神に祈ってあの星を手に入れたために、この世界は変容しつつあります」
 一つ息を吸うと、猫がこちらに顔を向けた。明るい緑の瞳が僕をまっすぐ見た。
「あなたは何故、あの星を手に入れようとしたのですか」
 猫がため息をついた……ように見えた。僕はcatの身体にため息をつく機能があるかは知らないが、確かにため息をついたように見えたのだ。まあ、catの身体で言葉を話すのだからなんでもありだろう。
「君たちは調律師なんだろう」
 突然変わった話題に一瞬ついていけず、黙る。
「調律師なんだろう」
 猫はゆっくりと、繰り返した。僕と妹はお互いの目を見た後、頷いた。
「ならば『星々の奏でる音楽』も多少なりとも感じ取れるんじゃないのかい」
「ええ。cat……失礼、猫は聞こえるんですよね」
 僕の質問に、猫は深く頷いた。そして、「聞いてはいたが、本当に人間には聞こえないんだな」と呟いた。
「人間たちはそこらじゅうで音楽を流しているが、我々には必要がない。音楽をかけなくても世界は音楽に満ちているのだからね」
 そういえば、人間が音楽に固執するのは聞くことのできない『星々の奏でる音楽』を無意識に求めているからだという説があったような……いや、今は関係ない。
「君はあの星……あの子の歌を聞いたことはあるかい」
「いえ……でも」
 猫が盗んだ星は、とても、とても小さな星だ。『星々の奏でる音楽』の存在やハーモニーを感じ取る人間でも、感じ取ることすら難しい微かな音しか発していない。
 それでも、とてもよく『星々の奏でる音楽』を感じることのできる調律師のレポートによれば。
「悲しい歌だと聞いています」
 猫は再び深々と頷くと、首を窓に向け、宇宙を、星を、眺めた。
「ここからでも聞こえるの?」
 いつの間にか僕の脇でしゃがみこんでいた妹が、猫の背をなでながら猫とともに宇宙を眺めた。
 僕も二人と同じ方向を見やる。窓越しにもささやくように響く、『星々の奏でる音楽』。ここでは母星の音と、一番近くの恒星の音が、強く僕らをふるわせる。
「この世界ではあらゆるものが歌っている」
 猫は、もう僕らに話してはいないようだった。
「星も、君も、僕も、みんな、みんな歌っているんだ。いろんな歌が合わさって、調和のとれた音楽が生まれる」
 白、青、赤、いろいろな色の星が瞬く。宇宙には空気がないというのに、おかしな話だ。
 猫の星は六等星以下だから、僕らは肉眼で見ることができない。猫にはこの宇宙がどのように見えているのだろう。
「あの子のパートは、とても、とても悲しい旋律なんだ。みんなそれぞれすてきな音楽を奏でているのに、あの子だけ、ずっと、ずっと、悲しい歌を歌っているんだ」
 猫は、微かに歌のようなものを歌った。多分、猫の星の歌を、僕らが聞こえる音に翻訳してくれたのだろう。荒野に響くロマの音楽のような、行き着く場のない者の音楽。
「どうして、あの子だけずっと、悲しい歌を歌っていなくちゃいけないんだ」
 猫の目が一瞬長い毛の中に消えた。目を伏せた、と言った方がいいのだろうか。
 耳が右に、左に、音をつかもうとしているように動く。尾が動きを止めた。
「ああ、あの子が僕に歌いかけてくれる。なんて軽やかで、優しくて、楽しい歌なんだろう」
 僕らには猫の聞く星の歌は聞こえないけれど、微かに猫の毛が揺れているように見えるのは多分気のせいではないのだ。
「評決!」
 妹が唐突に立ち上がり、指で天井を指した。スカートの白いレースが揺れる。
 猫が目を見開き、こちらに顔と耳を向けた。
 妹は僕と猫などおかまいなしに、にかっと笑った。
「問題なし!」
「は?」
 妹は猫に微笑みかけ、
「あなたの気持ち、わかるわ。だから、問題なし!」
 と、言った。共感という名の妄想を理由に世界の運命を決定するとは、我が妹ながらなかなか剛胆である。
「で、早く決定しなさいよ」
「は?」
「二人が許可を出さないと正式な許可にならないんだから」
 訂正。剛胆ではない。むちゃくちゃだ。同一の価値観で決定をしたらペアの意味がない。そもそも、自分一人の判断を評決と言うな。
 僕は目を閉じて、微かな「星々が奏でる音楽」を全身で感じようとした。
 主旋律を歌う星、副旋律を歌う星、ベースラインを歌う星……。猫が星を手に入れる前とは異なる、不協和音ともいえる音のうねりのことが、僕はさほど嫌いではなかった。
 世界は音でできている。世界の音楽は、永遠に奏でられていく。
 今は不協和音に思えるかもしれないけれど、明るい音が一つ増えれば、その音に合わせて他の音も明るくなるかもしれない。そうすれば新たな調和が生まれる。「星々を奏でる音楽」が明るくなれば、世界そのものも明るくなるんだろう。今の僕らには想像もつかないくらい楽しいことが起きるかもしれない。
 僕は心配性だけれど、暗いのと明るいの、どちらがいいかと訊かれれば、やっぱり明るい方がいい。
 僕は猫の喉元に手を伸ばし、ゆっくりなでた。猫は普通のcatと同じように、気持ちよさげに目を細めた。
「お前の短い寿命のうちは絶対に、あの星……あの子に楽しい歌を歌わせてやるんだぞ」
 神は、猫に星を与えても問題は起きないと判断された。
 ならば、今の常識からはとても考えられない馬鹿馬鹿しいことがあろうとも、多少は神が責任をもって修正してくれるのだろう。世界は人類が思う以上に柔軟で強い。簡単に崩落などしないのだろう。
 ま、そんなことを言ったら、妹に感化されすぎだとペアを解消されるだろうから、言わないけれど。

「今回の仕事は割と楽だったわねえ」
 母星よりあの星に近いターミナルに残るという猫と別れ、僕らは再び宇宙エレベーターに乗り込んだ。次の仕事が待っている。一刻も早く戻って報告書をまとめたい。
 宇宙エレベーターの個室で、僕は端末に報告内容を思いつくままメモをしていた。脳味噌の電波を直接読み込んでくれるのでメモはしやすいが、その分いらない情報も入力されることがあるから、集中しなくてはいけないのだが……。妹に話しかけられ、僕は端末をオフにした。今考えていることまで記録されてはいたたまれない。
「特に今回、お前は眠るか食べるか、だったしな」
「あら、私のおかげで猫をみつけられたんじゃない」
「たまたまだろ」
「それにしても……」
 妹は両手を口に当てて、上目遣いでにやにや笑う。袖口のレースで、妹の口から下がすっぽりかくれた。
「あの子、だって」
「悪いか」
「やっさしー」
「うるさい」
 僕をからかう妹の表情は、子どものものというよりは大人のものに近い。
 大人のような表情を浮かべる妹に、こんな子どもっぽいひらひらした服は似合わない。
 僕らはもう十代の後半にさしかかっている。いつ調律師としての能力を失うかわからない。明日かもしれないし、明後日かもしれない。兄弟であっても個人差があるので、ひょっとしたら妹の方が先に能力を失うかもしれない。
 妹は、今の自分に似合う服を着たら調律師の引退が近いと認めるようで、嫌なのかもしれない。僕らはあまりに大人に近づきすぎている。
 僕は妹から目をそらし、天井を見上げた。切れ目のない、真っ白な天井を。
 不意に、空から落ちてくるかのように、音が聞こえた。聞き取りづらいがこれは……アーの音?
 妹はにやにや笑いをやめ、目を見開いた。
「聞こえた?」
「聞こえた」
 僕らの確認はそれだけで十分だった。あれは。
「星の歌だ」
 人に、『星々の奏でる音楽』は聞こえないはずだ。少なくともこんなに明確には。なのに、小さくても明確に聞こえた、アーの音はあっと言う間に消えて、すぐに聞こえなくなった。
「僕ら人間は、神に見捨てられたから、音楽は聞こえないんじゃないのか……」
「違うわよ」
 僕の独り言を耳聰く聞いた妹は、はっきりと言った。
「これから私たちは、神に認められるのよ」
 妹の微笑む横顔を見ながら僕は、
「そうかもな」
と、答えた。 

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