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竜の都で謳う姫 作者:光太朗

第二章 竜

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2-3

『仕事』というものを羨ましく思っていた。
 ウェルナーは毎日のように仕事に出ている。本人はいわないが、イリスといること自体仕事であるらしい。ニーノもどうやら国の試験を突破するほどの仕事人であるようだし、パメラはレーゼ亭の看板娘で、ランベルトは図書館の館長だ。
 イリスの知る限り、働いていないのはイリスだけだった。
「ふふ、楽しそう。でも遊びじゃないわよ、ちゃんと頑張れる?」
 先を行くパメラが、ちらりと振り返る。イリスは急いで背筋を伸ばした。そんなに浮き足だっているだろうか。気を引き締めなければならない。
「もちろん、頑張ります! あの、でも……どんなお手伝いなんですか? 専門的なことになると、ちょっと」
 ちょっと、だいぶ。自信がないというよりも、どちらかというと役に立たない自信がある。
 イリスがいい淀むと、パメラはおかしそうに肩を揺らした。
「だいじょうぶ、簡単なお手伝いみたいよ。うちには時々楽団が来てくれるんだけど、今日はね、楽器を運び出すのを手伝って欲しいって。力仕事じゃなくて、大切に慎重に扱ってくれる人ってことで、あなたをご指名なの」
「楽器! き、緊張しますね」
 イリスにとって楽器とは本の世界のものだ。それも、たとえば宮廷のパーティーで奏でられるような、ひどく遠い存在。
 大丈夫だろうか。そもそもご指名というのはどういうことだろう。自分以外にどんなメンバーがいるだろうかと、店を見渡す。どうやら女性客はイリスだけだ。繊細な扱いができそうに見えたということだろうか。
 レーゼ亭の奥から階段を上り、二階へと進む。二階は宿として機能しているということは知っていたが、イリスがここへ来るのは初めてだった。
 一階からそれほど離れているわけではないはずなのに、いやにしんとしていて、まったく別の空間のようだ。パメラがドアをノックして、イリスは生唾を飲み込む。
「連れてきたわ。入っても?」
 これ以上息を止められないというぐらいに待っても、返事はない。その代わり、静かにドアが開けられた。
「ありがとうパメラさん、助かります」
 顔を出したのは、大人のように微笑む少年だった。少年といってもイリスと同じぐらいの年齢だろうか。艶やかな赤毛と、ライトブルーの瞳が印象的な少年だ。
 キレイな男の子だ。イリスはそんな感想を持つ。カッコイイ男の人は何人も知っているが、キレイな男の子を見るのは初めてだ。
「ああ、この子です、良かった」
 透き通る青い目が、イリスを捉えて細められた。
「こんにちは、初めまして。キオンです、よろしく」
 手を伸ばすので、イリスも急いで右手を出す。キオンと名乗った少年は、首をかしげるように笑って、優しく手を握った。
「引き受けてくれてありがとう、助かるよ。君の名前は?」
「イ、イリスです」
 声がうわずってしまった。キオンは今度は左手を出して、両手で包むようにイリスの右手を取る。
「イリス。いい名前だね。じゃあパメラさん、ちょっと準備したら下に行きます」
「ええ、よろしくね。待ってるわ」
 パメラはイリスに目配せをすると、微笑んで去っていく。イリスは心の中で深呼吸をした。恐らくは見た目でだろうが、この子なら大丈夫と思ってもらったのだ。失敗はしたくない。
「よろしくお願いします、ええと……キオンさん」
「キオンでいいよ、歳も同じぐらいだろうし。とりあえず、入って」
 にこやかにそういわれ、イリスはさらに緊張した。イリスの周囲にいるのは皆イリスよりも年上で、誰かを呼び捨てにしたことなどないのだ。
 しかしそもそも名を呼ぶ機会などないかもしれない。楽器を運ぶだけのお仕事なのだから。そう思いながら促されるままに部屋に入って、イリスは目を丸くした。部屋を見回す。
「楽器……を、運ぶんですよね?」
 問いかけるが、返事はない。キオンは柔らかい笑みを浮かべ、黙ってイリスを眺めている。
「あの」
「ん?」
 困惑するイリスの表情を楽しむかのように、キオンはさらに笑みを深くした。
「ぼく?」
 どうやら、名前を呼べということらしい。手のひらで自らを指して、促す。イリスは逡巡したが、呼ばない理由もなかった。
「キオン。わたし、楽器を運ぶお仕事だって聞いたんですが」
「ああ、そうだね。でもちょっと、違うかな」
 キオンは小首をかしげた。その首元に、ベルトのようなデザインの首輪が巻き付いていることにイリスは気づく。はめ込まれている黒い宝石は、オプスだろうか。
「違う、というと?」
 問いかけながら、イリスはもう一度部屋を見る。じっくりと見て、探した。この部屋には、イリスが楽団という言葉から連想するものが、何一つなかった。
 まず、楽器がない。そして人も。イリスが寝起きする部屋をもっと簡素にしたような部屋には、キオンだけだった。機材のようなものも一切見当たらない。
「運んでくれるなら、運んでもらってもいいんだけどね。でも、違うんだ。ぼくはただ、君と話してみたかった。どうぞ」
「……?」
 キオンがまずソファに座り、イリスを促す。細長いソファが一つあるだけだ。戸惑いながら、イリスはキオンから距離を取り、ちょうど一人分を開けて端に座った。
「話すのは、いいんですけど。え、どういうことですか?」
 そんなことなら、わざわざ仕事だといって呼び出す必要もなかったのではないか。イリスにはまったく意味がわからなかった。
 ただ下で食事をしていただけだ。話がしたいのならばそう声をかけてもらえれば、問題なく話もできただろう。それとも、あの場ではいけなかったのだろうか。仕事はどうなってしまったのだろう。
「もしかして、嘘ですか? 楽団とか、楽器とか」
 ぱっと顔を上げ、その可能性に思い当たる。キオンはおかしそうに笑った。
「嘘じゃないさ。口実だよ。ぼくは実際に笛を吹く。君には笛を運んでもらおうかな」
 まるで謎かけのようないい方をする。気持ちの、本当のところがわからない表情だ。普段は気にしたこともない、建前や本音というものが、イリスの頭をよぎる。この人は、違うかもしれない。自分がいままでに接してきたひとたちと、なにかが。
「ほかの人たちは、いないんですか?」
「いないよ」
 同じ方向を向いて座っているはずなのに、キオンは肘掛けに手をついて、イリスを見ていた。目を逸らす気配がない。居心地が悪くて、イリスは逃げ出したくなる。しかし一度座ってしまえば、立って駆け出すのもまた、勇気がいるのだ。
「見ての通り、ぼくは一人だ。君を入れて、二人。楽団って数じゃないかもしれない」
「ごめんなさい、本当にわからないです」
 あれこれ考えるのは苦手だった。苦手だということを自覚もしていた。イリスは正直に、降参する。
「どうしてその数に、わたしも入れるんですか」
 楽器を運ぶだけなら、数には入らないはずだ。キオンのいうことは遠回りで、イリスの考えが追いつかない。
「それも、君に任せるよ。悪意はないんだ、危害を加えないと誓う。君の意志を無視することも、しない。ぼくはね」
「……あなたはなにがしたいんですか?」
 話したかったのだとして、それはなぜ。イリスには動機など予想もつかない。楽団の数に入れられる理由も、見当もつかない。
「いったよ、君と話してみたかった」
 キオンはそっとイリスに近づいた。イリスはとっさに立ち上がろうとするが、まるで見えない針に貫かれたように、身体が動かない。こちらを見据えたままで、キオンの綺麗な顔が、イリスのすぐ目の前に迫る。
 なにか、痛いことをされるような気がして、目を力一杯閉じた。
 しかし、衝撃はなかった。ひどく優しく、頭に手が乗せられる。
 慈しむようにゆっくりと、キオンはイリスの頭を撫でた。
「一目、見たかった。こうやって、会ってみたかった。それから、話してみたかった。イリス。君は、ぼくらの特別だから」
 その手と声に、ひとかけらの悪意もなかった。イリスはそっと目を開ける。
 キオンは目を細くして、イリスを見つめていた。どこか泣きそうな、けれど嬉しそうな、複雑な表情だ。自分と同じぐらいの、女の子みたいにキレイな男の子だと思ったのに、すぐ近くに来た彼は、大きく、あたたかく、間違いなく自分とは違う生き物だ。
 それでも、同じものを感じた。イリスに危害を加えないだろうということが、理解できた。
 この人は、優しい。
「君を、見ていたよ。笑っていたね、イリス。いろんな表情をしていたね。君が幸せそうで、本当に良かった」
 一体何者なのだろう。イリスにとってどういう存在なのだろう。もしかしたら、イリスの知らないことを知っているのかもしれない。
 キオンが何者なのかを知ることは、自分が何者なのかを知ることに、繋がるのかもしれない。
「……キオン?」
 赤味を帯びた髪が、イリスの頬に触れる。懐かしい香りがした。口にした名の響きすら、初めてではないような気がしてくる。それは錯覚だろう。わかっているのに、感覚が、あまりにも優しく緩やかに、緊張を失っていった。
「さあ、そろそろ始まるね」
 彼の言葉は呪文のようだった。しかし、イリスは理性を保っていた。目に見えないなにかに突き動かされるような感覚ではない。大丈夫だ。なにも怖いことはない。意識以上の安堵が、理屈ではなく、イリスの胸に広がっている。
「下へ行こう。笛を、運んでくれる?」
「うん」
 夢心地で、イリスはうなずいた。キオンが懐から取り出した、銀色の古びた笛を受け取る。不思議と手に馴染むそれを、傷つけてしまわないように、大切に両手に乗せる。キオンの隣に並んで、部屋を出た。
 階段を下りて、歩く。料理を運び出すカウンターから右手側、いつもはテーブルが並ぶ場所に、スペースが用意されていた。楽団といっても、最初から少人数であることが想定されていたのか、キオンだけだと承知の上だったのか、決して大きなスペースではない。
 壁を背にして置かれた椅子に、キオンが座る。イリスは笛を差し出した。
 パメラが拍手をしている。ウェルナーとニーノは、少し離れたテーブルから、こちらを見ている。
 キオンは、笛を横に構えた。
 唇にあて、息を、吹き込む。
 空気が、震えた。



 イリスの意識は、宙に浮かんでいた。
 そこにいるはずなのに、その場にいなかった。
 見えているのに、なにも見えなかった。
 音は耳ではなく、脳に入った。
 そこから真っ直ぐに、下に降りる。首を通り抜け、胸をさらって、胃でぐるりと回転し、心臓ではじける。
 手と足の指先を、弾くように刺激した。
 あらゆる感動は、音の塊となって、イリスの喉から飛び出した。
 笛の音と、重なる。
 自らの声が、自分を、キオンを、店の中をキトラの町をトキオータの国を、すべてを、包む。
 ウェルナーが立ち上がり、なにかを叫ぶのが見えた。
 けれど、見えなかった。
 イリスの名を呼ぶ声が、聞こえた。
 けれど、聞こえなかった。










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