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竜の都で謳う姫 作者:光太朗

第二章 竜

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2-2

 あまりにもタイミングが悪かった。ニーノ・アマートは盛大なため息を隠そうともせず、それどころかできるだけ大げさに、音をたてる。ハアァ──。深く長く。なんなら声帯だって震えている。
「……わたしの代わりにため息ついてくれなんて、そんなこと頼んでないですよ」
 そんなこと頼まれてないですよ。返事をしてやるのも億劫だ。ニーノは物理的にイリスに捕まっていた。レーゼ亭での仕事を終え、報酬を受け取ったところで、腕を掴まれてそのままテーブルへ。イリスの味方ということだろう、看板娘のパメラは嬉々としてニーノの腰を椅子に縛り付けた。結果、こうして向かい合ってシチューを食している。
 できるだけ早く切り上げたかったのに、勝手に注文されたのはやたら手の込んだ煮込み料理だった。まず出てくるまでが長い。そして出てきてからも長い。熱々のシチューを喉に流し込むわけにもいかないからだ。
「聞いてるんですか、ニーノさん! 聞いてるだけじゃなくて慰めてくれてもいいんじゃないですか!」
「はいはい。よしよし」
 仕方がないので頭を撫でてやる。イリスは顔を真っ赤にした。
「子ども扱いですか! そういうところウェルさんとそっくりです!」
「え、あいつよしよしとかすんの?」
「してくれませんよそんなこと──!」
 なにをいっても逆鱗に触れるようだ。イリスはわんわん泣きながらシチューを食べている。泣きそうになりながらではなく、本当に泣いていた。彼女のシチューはニーノのものよりもよほど塩気があることだろう。しかし涙を流す女性というものにはいい知れぬ色香が漂うものだが、まるっきり子どもの泣き顔だなと、ニーノは思う。
「仕事なら仕方ねえだろ。おまえといるために、だいぶ仕事減らしてる方だと思うけど。いままでならほとんど毎日、町から出て竜狩りしてたんだからよ」
 イリスといること自体も、どうやら仕事らしいが──という事実は伏せておく。そんなことをうっかり漏らしてしまえばもっと泣くのは間違いない。
「でもどうせ、わたしといてくれてるのだって仕事ですよね。行くとこのないわたしの面倒を見てくれてるってことですよね」
「あ、知ってんの? じゃなくて、えーっと……そうなの?」
「ランさんがいってました。あいつは国のいいなりだからって」
 ランベルト・ヴォルタのしたり顔を想像して、ニーノは気分が悪くなる。あの図書館の守人は、なにかにつけてウェルナーやアレックスを悪くいうのだ。幼少期から二人とつるんでいたニーノに対しても同じだった。
「まあ仕事なんだろうけどよ、そうくさることでもねえだろ。おまえの面倒を見るのは仕事のうちでも、一緒にメシ食うことは別に仕事じゃねえだろうし」
「でしょうね、お仕事だったらいまここにいますもんね! パメラさんおかわり!」
 イリスは音をたててグラスを置いた。中身はただのベリージュースだが、ニーノはアルコールの混入を疑う。彼女はきっと酔っているのだ。しかも絡み酒。
「そういうの、依存っていうのよ、イリスちゃん。もうキトラにも慣れたでしょうし、自分の世界を広げないと」
 パメラ・パトレーゼは、ニーノを縛り上げたときと同じテンションで、テーブルに新たなジュースを運んできた。あの青いエプロンの下にはまだロープが眠っているのだろうか。営業スマイルのパメラに、ニーノは戦慄を覚える。
「そうなんですよね、そうなんですよ。ウェルさんウェルさんばっかりいってるようじゃいけないんです。今日は本もたくさん借りちゃいましたし、わたしちょっと本の虫になって、知的なイリスさんになりますよ」
「そうそう、良い心がけ。ねえ、ニーノくん?」
 パメラはニーノのグラスにもジュースを注ぐ。純朴さを具現化したような三つ編みに青いエプロン、トラブルさえなければおとなしい看板娘だが、パメラの気性の荒さはキトラでは有名だ。態度の悪い客がいれば縛って蹴飛ばして、追い出してしまう。
 そんな肉体派の彼女だが、気に入った相手にはとことん甘い。パメラがイリスを妹のように思い、気にかけていることは見ていればわかった。イリスという少女は良くも悪くも裏表がなく、敵を作らない。
「どうせおまえが読むのはあれだろ、愛だの恋だのの大衆小説だろ。知的になるのは難しいんじゃねえの」
「え、知ってるんですか? これ、感動しますよね!」
 イリスの皿はいつの間にか空になっていた。パメラがそれを持って歩き去ったので、空いた場所に本を積む。いかにも年代物の、変色した本が数冊。ニーノは食べかけの皿を端に寄せ、椅子ごと身を乗り出した。
「こりゃ、年季入ってんな。この装丁は……いつごろだ? 字も古い。手書きじゃねえか。『姫と騎士の恋物語』、『王子伝説』……あー、名前は聞いたことあるわ。つーか、もう古典じゃん。そんでやっぱり恋愛モノな」
「素敵なお話ばっかりですよ。子どものころに読んだんです」
「ほーう。そりゃ渋いガキだな」
 本そのものには興味がないが、時代ごとの変遷にはそれなりに興味があった。ニーノは一冊ずつ横に並べて、傷をつけないようにそっと表紙を開き、中を確認する。
「よく貸してくれたなあ。これ刷り直したら売れねえかな。いまの技術なら量産もイケる」
 積まれた書物は、どれもが職人による写本だ。印刷技術の発達は七十年ほど前。現在でも写本自体は珍しいものではないが、大衆向けの小説がわざわざ手書きで写されることはない。
「また読みたいなっていってたら、捜してくれたんですよ。わたしが読んだら、次、読みます? ランさんにいっておきましょうか」
「個人的にはどーでもいーけど商売になるならなあ。でもそこはあのメガネにいってもしょうがねえよな」
 この場にいること自体に乗り気ではなかったニーノだったが、いつの間にかすっかり盛り上がっていた。本の内容はともかくとして、表紙の材質、デザイン、一ページ毎の文字数と、レーゼ亭に置かれている現代小説と見比べながら話が弾む。この時代のここがニクイね、そうですかそんなもんですかね、和気あいあいとあれこれいい合う。
 不意に、ニーノの視界が遮られた。
「遅くなった」
 イリスとニーノの間に、一冊の本が割り込んでいた。現れたのは息を切らせたウェルナーで、イリスは文字通り飛び上がる。椅子をひっくり返す勢いで立ち上がり、頬を紅潮させた。
「ウェルさん! どうしたんですか!」
「用事が終わったから戻った。悪かったな、ニーノ」
 ウェルナーは本でニーノの身体を後退させるように押しやって、その隣に座る。
 ニーノはすっかり舞い上がったイリスを見上げ、急に馬鹿馬鹿しい気持ちになった。どうせこうなるのならば、愚痴を聞いた時間を返していただきたい。
 悪かったというのはそういう意味なのだろう。別に、と返す。
「どっちにしろ、どっかでメシは食うつもりだったからな。おまえが来たんなら、お役ご免だろ」
「ああ。仕事だったんじゃないのか? ──パメラ!」
「あら。あいにくの空で、ウェルナー」
 パメラは笑顔でやってきて、なんでもないことのようにニーノの縄をほどいた。注文を聞いて、それではごゆっくりと、イリスに意味深な目線をやることも忘れない。
 身なりを整えて、イリスは慌てて座り直していた。お仕事終わったんですねとウェルナーに笑いかけ、それから思い出したようにニーノを見る。
「ニーノさん、お仕事だったんですか! それならそうといってくださいよ!」
「おまえ……オレがそーといったらどー変わったっつーんだよ」
 まったく口を挟む余地を与えなかったくせに。心底呆れてそう返したのだが、ウェルナーからの視線が気になり、それ以上いうのをやめる。いやに真剣な眼差しで、イリスとニーノを観察している。なにかいいたげだ。
「……なに?」
「いや」
 しかし、そんなウェルナーの様子に気づかないのだろう、興奮冷めやらぬイリスは、本をしまいながらニーノの仕事に食いついた。
「だってニーノさん、お店やってますよね? 売りに来てるってことですか?」
 いつもは自分の店で物を売っているニーノが、外へ仕事に出るというのが腑に落ちないのだろう。ニーノはシチューが残っているのを思い出し、皿を引き寄せながら鼻を鳴らす。
「メンテだよ、メンテ。アフターフォロー。オレは商人じゃなくて、技工師だからな。売って終わりじゃねえの。今日はこれからここに楽団が来るから、音響の確認がオレの仕事。それが終わったところだったんだよ。おまえに売ったのだって、調子悪けりゃいつでも見に行くぜ。有料な」
「楽団? おんきょう?」
 ニーノはシチューを飲み干した。その時点で、これ以上ここにいる理由はなくなった。さっさと帰ろうと腰を浮かし、そのまま動きを止め、結局は座り直す。そろそろ件の楽団が訪れる頃だろう。ついでに音響設備の調子を直に確認しておくのも悪くない。
「ここには不定期に楽団が来る。俺はあまり興味がないが……そうか、今日来るのなら、聴いてもいいな」
「いいですね! ぜひ、聴きたいです!」
 ウェルナーとイリスのやりとりに、ここにいるのは邪魔だろうかとも思う。そういうことならやはり帰ろうかとウェルナーに視線を向けるが、見つめ返される。真剣な無表情に、疑問符が見えた気がした。伝わらない。
「おんきょうっていうのは、なんなんですか?」
「ふつうに楽器鳴らすだけよりも、音を大きく、響かせる仕組みがあった方がいいだろ。その仕組みが、音響。オプスの初歩だな」
 仕方ないので、説明してやることにする。イリスはしきりにうなずいているが、わかっているかどうかは怪しい。見ていておもしろいので、続けた。
「オプスにも色によって、つまり性質によって色々あるけどな。たとえば増幅なら赤、浮遊なら白。扱うには国の試験を受けて技工師としての免許をとる必要がある。オプスは貴重品だからな、そうそう誰にでも扱えるもんじゃない。技工師にも階級があって、オレはもちろん一級だ」
 あえて淀みなく、すらすらと語る。イリスの表情が固まっていた。あいづちも出ない。
「それぐらいにしてやってくれ、ニーノ」
 ウェルナーにたしなめられ、ニーノはますますおもしろくなる。本人は気づいていないだろうが、彼の過保護ぶりは幼馴染みとしては大変興味深いのだ。
「……あ! オプスって! わかりましたよ、これですね? 白!」
 イリスは声をあげると、急いで胸元からミラーを取り出した。パールピンクの小さな鏡に埋め込まれているのは、白い宝石だ。そこに触れると、浮かび上がって展開する。以前、ニーノがイリスに売りつけた鏡だ。
「そう、それだ。意外と賢いじゃん」
「この宝石を、オプスっていうんですね。そういえば、全部ついてますもんね、こういうの」
 イリスは感嘆の声をあげながら、オプスを撫でている。世間知らずという言葉では片づかないほどものを知らないことはわかっていたつもりでも、これではまるで小さな子どもだ。それともどこか遠い国からやってきたのだろうか。そのことについてウェルナーはなにも知らないようだし、アレックスは決して語らない。
「……王族関係の隠し子ってセンはどうよ?」
 顔は前に向けたままで、隣のウェルナーに囁いてみる。
「わからん。としか、いいようがない」
 やはり鏡を眺めながら、ウェルナーは答えた。王族は大げさにしろ、どこかの複雑な事情を抱えた家庭の隠し子で、軟禁状態でここまで育ったのだとすれば、納得できなくもない。書物だけ与えられ、とりあえず読み書きは覚えさせられたということなら、説得力も増そうというものだ。
「この、オプスって、不思議に光るんですね。なんなんですか? 特別な宝石?」
「目だよ。竜の目」
「目!」
 イリスはのけぞった。痛そうな顔をする。なんとなく気持ちはわかったので、ニーノは意地悪く笑う。
「竜を討伐して、目をぐりぐりっとえぐり出して、それを細かく加工して使うわけ」
「うう、目ですか」
「ニーノ」
 ウェルナーが一瞥する。不機嫌そうな声に、ニーノは肩をすくめた。
「はいはい。イリスをいじめるなって?」
「いや」
 ウェルナーは声を潜め、あたりをうかがった。
「竜がいたら、どうする。恨みを買うようなことをわざわざいうこともない」
「竜が? いねえだろ。聞いたことねえよ」
 心配性にもほどがあった。それともこれも過保護の延長だろうか。大昔ならともかく、竜がトキオータに入り込んできたという話など、せいぜい創作の世界でしかお目にかからない。
「竜なんて、町に入ってくるんですか? え、でもそんなのすぐわかりますよね?」
「それが怖いのよ、イリスちゃん。竜はね、人間に化けられるの。ドロンとね。見た目じゃ区別がつかないって話よ」
 新しい水差しを手に、パメラがやってくる。ウェルナーの前にグラスを置いた。
「でも大丈夫、竜は人間と違って嘘がつけないから、すぐわかるわ。それより、ちょっとお仕事してみない? 長期的にじゃなくて、ちょっといま、お手伝いを探してるんだけど」
「え!」
 イリスは立ち上がった。テーブルで膝をぶつけ、うずくまる。それから急いで、ウェルナーの顔色をうかがった。
「やりたい! です! けど! い、いいんでしょうか?」
 ニーノがウェルナーを見る。ウェルナーはいつもの無表情で、うなずいた。
「いいんじゃないか。頼む、パメラ」
「はい、頼まれましたー。じゃ、おいで、イリスちゃん」
「はい!」
 イリスは周りの空気ごと浮かれた様子で、ふわふわとついて行った。楽しみでしようがないのが伝わってくる。パメラと、うしろをついて行くイリスが店の奥に見えなくなってから、ニーノは席を立った。ウェルナーの向かい側に移動する。わざわざ男二人で並んで座る趣味はない。
「急な仕事だったんだろ。なにかあったのか」
 できるだけ軽い調子で、問いかける。ウェルナーは静かに否定した。
「いや、なにもない。だが、あるかもしれない」
 謎かけのような返答だった。らしくない。ウェルナーの場合は、それは謎かけではなく、言葉通りの意味なのだろう。
「不安なことでも?」
 促すと、曖昧に首を振る。
「見張りの隊と連絡を取ってみたんだが。ここ数日、トキオータ周辺で竜が目撃されていない」
「そんなもん、増えたり減ったりだろ」
「いや」
 ウェルナーは苦い顔をしていた。グラスに口をつける。水の塊が喉を通過するのが、ニーノからよく見えた。
「思い立って、当時の文献を調べてみたんだ。状況が似ているといえなくもない」
「状況?」
 聞き返すが、ウェルナーは答えない。それ以上は答える気がないようだった。やがて、ウェルナーの元にこれでもかと煮込まれたシチューがやってくる。
「……おまえ大変だな。あれの警護と竜の討伐と、あとはなにを抱えてんだよ」
 胃は充分満たされているはずなのに、見ていると物足りなくなってくるものだ。ニーノはメニュー表に手を伸ばして、デザートの欄を見る。
「竜の討伐は、いまはしていない。警護だけだ」
「マジか。そんな重要案件なの、あれ」
 それについても、やはりウェルナーは答えなかった。その代わりのように、一度持ったスプーンを置き、正面からニーノを見つめる。
「なんだよ」
「ニーノ。おまえ」
 珍しく、いい淀んでいた。一度だけ視線を逸らして、すぐに戻す。
「イリスと、結婚する気はあるか?」
 ニーノは黙った。
 眉間に、深く深く、皺を刻んだ。
 意味がわからない。
「……なにいってんの、おまえ」
「いや。彼女に、そういう相手はいるだろうか?」
 ますます意味がわからなかった。それとも真性の阿呆なのだろうか。どう返すのが的確なのかわからず、ニーノは結局繰り返す。
「なにいってんの、おまえ」
 根本からその真意を聞きたかった。彼はいまどういう状況にいるのだろう。本当にお父さんになってしまったのだろうか。娘の今後を憂えているということだろうか。
 あまりにも真剣な表情なので、ニーノはため息を吐き出す。答えないわけにはいかないらしい。
「知らねえよ。知らねえけど、あの年頃は放っとけばどうとでもなるんじゃねえの。どっかの馬の骨と突然熱愛とかな。なくはないかもな」
 投げやりな返事だった。一般論ではあるが、本心ではない。イリスに限っては、そんなことはきっとないだろう。
「そうか。いまのは、忘れてくれ」
 ウェルナーの返事も投げやりに聞こえた。その後は、何事もなかったようにシチューを食べ始める。
 忘れられるはずもなかったが、この場ではとりあえず置いておいて、ニーノはベリーパフェとコーヒーを注文した。




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