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竜の都で謳う姫 作者:光太朗

第二章 竜

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2-1

 トキオータの冬は、通り過ぎようとしていた。
 とりわけ、キトラの冬は短い。雪が積もることは希で、寒さが深まるよりも前に雨期が訪れる。雨期といっても何日も雨が続くということもなく、降ったり止んだりを繰り返し、その度に徐々に気温を上げ、やがて春となる。
「良い天気!」 
 家を飛び出したイリスは、高い空を見上げた。木々の向こうに見える青が、イリスは好きだった。家を囲む森たちは、イリスを見下ろしてはいない。いつだって空に向かっているようで、その景色にイリスはいつもわくわくした。ただの森だ、ただの空だとウェルナーはいうが、この世界に「ただの」ものなど存在するだろうか。
「ウェルさん! 早く行きましょう!」
 走り出してしまいたくなる衝動を抑え、振り返って声を張り上げる。イリスをじらすためでもないだろうが、まるでわざとそうしているかのように、ウェルナーはゆっくりと家から出てきた。いつもの鎧姿ではなく、細身のパンツに黒いシャツという姿だが、大剣だけは背負っていた。左手に、黒と白の外套をひっかけている。
「上着を持てといわなかったか」
 白い方は、イリスのものだ。イリスはあっと口を押さえる。用意だけして、持ってくるのを忘れていた。
「だって、こんなに暖かいじゃないですか。お昼はきっと、暑いぐらいです」
「夜には冷える。暗くなるまでに帰れるのなら、必要ないが」
 ウェルナーは二種類の鍵を厳重に閉めると、イリスに外套を渡した。
「そんなつもりはないだろう」
「……ないですよ、あるわけないです。ウェルさんとデートですよ!」
「図書館に行くだけだ」
 表情を一切変えず、さっさと歩き始める。馬車を呼ぶことも可能だが、町までの数十分、イリスは徒歩を主張した。町に行くために、急ぐ必要などないはずだった。毎日少しずつ表情を変える森を、ウェルナーと並んで歩く。この上ない喜びだ。
 昨日は咲いていなかった花。昨日と同じかもしれない鳥。発見は尽きない。
「楽しいですねえ、ウェルさん」
 イリスはほとんど小走りに、ウェルナーの隣に収まる。しまりのない顔をして、ウェルナーを見上げた。ウェルナーの漆黒の目がイリスを見て、微笑み、相づちを打つことがないのはわかっているが、それでいい。
「そうか」
 返事は同意ですらない。それがウェルナーという人間だ。
「今日のプラン、わかってますか? まずは図書館、それからレーゼ亭でお昼ご飯。そのあとは買い出しですね。なに食べましょうか」
「そのときの気分だな」
 もっともな返事に、イリスは感心する。
「そうですよね、そりゃそうです。でも、いまの気分で決めておくのも楽しいですよ、きっと。気分が変わるか変わらないか、それも含めて楽しめます」
「変わったら、無駄になる」
「いわば推理です。未来を推理するんです」
 無駄なことなどあるはずがなかった。イリスはレーゼ亭のメニューを思い出しながら、想像する。キノコのリゾットや野菜のパスタ、とろとろになるまで煮込まれたモモ肉もいい。いわゆる看板メニューというものはなく、オススメは日替わりなのだとレーゼ亭の一人娘はいっていた。
「せっかくウェルさんと外で食べるんですから、いつも家では食べないようなものがいいですよね。お外ならではって、なんだと思います?」
「それは、手の込んだものだろうな」
「煮込み料理ですかねえ。いいですよねえ、これでもかって煮込んであるんですよね。いっしょに煮込まれて溶けてみたいですよね」
「頼まれても煮込まれたくはないな」
「頼んで煮込まれたいですよ」
 他愛のない会話は途切れることがなかった。律儀に返事をするあたり、きっと会話自体が嫌なわけではないのだ。イリスはそう解釈していた。ウェルナーは優しい。あまりそれを、表に出さないだけで。
 煮込まれたいかどうかの話題から二転三転、なぜ空の色は変わるのかという議論が白熱してきたころ、二人は図書館にたどり着いた。最初に連れてきてもらって以来、ウェルナーと訪れるのは二度目だ。
 イリスは立ち止まり、巨大な円柱型の建物を見上げる。
「ケーキみたいですよね。お誕生日の」
 第一印象そのままに、イリスはこの場所をこっそりケーキ図書館と呼んでいる。歴史を感じさせる石造りの建物は、その重厚さと相反した丸味を帯びたデザインで、狙ったわけではないのだろうがいやにかわいらしい。取り囲む柱はまるで蝋燭のようで、イリスは息を吹きかけたくなるほどだ。
「残念だが」
 ウェルナーは咳払いをした。
「ガキのころから俺も、同じことを思ってる」
「やっぱり!」
 イリスは手を叩いた。イリスといえど、膨大な書物の収められている神聖な建物を、ケーキ呼ばわりするのは多少勇気のいるところだ。ほかならぬウェルナーが同じ感想を抱いているというのは嬉しい発見だった。
 となると、偶然ではないのではないか。イリスはうずうずしながら、ウェルナーを見上げる。
「ケーキを模して作ったのでしょうか、もしかして」
「それはさすがに、ないだろうが」
 ウェルナーが階段を上っていく。イリスも慌てて追いかけて、開け放たれている扉をくぐった。
「どちらにしろ、館長の前ではいわないほうがいいだろうな」
「やあ、よく来たね! あいにくの空で、イリス君!」
 入るなり、片眼鏡の男性が声を張り上げた。
 ランベルト・ヴォルタ、図書館の館長だ。ひょろりとした長身に白髪、いわゆる中年の範疇に入るはずだが、童顔の原因であろう丸い目が爛々と輝いている。常に白衣を着込む彼は、書物をこよなく愛する知識人として図書館に君臨していた。
「わあ、こんにちは、ランさん! なんですか、それ!」
「あいにくの空で、館長」
 ランベルトは両手で十冊ほどの本を抱えていた。イリスは嬉々として駆け寄り、ウェルナーは定型文の挨拶を返す。
「君が話していた書物さ、イリス君。年代物だから苦労したが、やっと引っ張り出せたよ。借りていくかい?」
「ほんとですか! 借ります、借ります!」
「何冊でも、持てるだけ持って行くといい。なんなら、そこの──」
 ランベルトは目を意地悪く細めた。身体全体でイリスを歓迎しているが、その一方でウェルナーを良く思っていないことは明白だ。
「筋肉しか取り柄のない筋肉君に持たせるといいだろう。繊細な扱いができるのなら、だが?」
 イリスはすぐに理解した。ウェルナーがイリスと共に図書館に来たがらない理由。明確に行きたくないといわれたことはないが、イリスが毎日のように訪れているのに、日々のほとんどを共に過ごしているウェルナーが二度目だというのは、つまりそういうことなのだ。
 あまりの幼稚さに呆れ、すぐに文句が出てこない。筋肉君などと、子どもの悪口だ。ウェルナーは表情を変えず、ランベルトの抱えていた書物を丸ごと受け取る。
「ところで、この図書館はケーキをモチーフに?」
 片手で軽々と持ち、さらりといった。
「──! し、失礼な! トキオータの誇る王立図書館を侮辱するのか!」
「いや、失礼、その方が子女も興味を持ちやすいだろうという配慮かと。大変素晴らしい外観だ」
「…………っ」
 ランベルトは顔を真っ赤にしていた。怒りが声にならないようだ。さっきと話が違うと思いながらも、イリスは黙っておく。ケーキのようだと思っていたのはイリスも同じであったし、なにより、子どものように仕返しをしているウェルナーが新鮮だ。
 こういうところを見ると、ニーノと幼馴染みだという事実に納得する。実際は負けず嫌いなのだろう。そうは見えないだけで。
「館長、今日は俺も本を借りたいんだが」
 皮肉を皮肉と思えない調子で口にした、そのままの声で、ウェルナーはいった。ランベルトは咳払いをし、勝手にしろと吐き捨てる。そのまま、カウンターの奥に引っ込んでしまった。
「……どうしてそんなに嫌われてるんです?」
 小声で、イリスは聞いてみる。実際、不思議でしようがない。
 ウェルナーはキトラ出身の王室警護隊のメンバー、次期隊長と噂されているほどで、町の中では英雄のような扱いすら受けている。幼いころから知っている住民が多いからだろう、羨望の類よりは暖かみのあるものが多く、少なくとも嫌われているところは見たことがない。
「俺が竜を狩るからだろうな」
 しかし、ウェルナーには意外なことではないようだった。
 だろうといういいかただったが、確信を持っていることがわかった。
 イリスは、そうなんですかと答える。なんとはなしに、踏み込みづらい雰囲気。
 でもここは、竜の都なんですよね──疑問が湧く。
 竜に守られた、竜の都なのだと聞いた。
 その一方で、竜は狩るべき存在なのだという。
 矛盾してはいないだろうか? それとなく話しかけようにもウェルナーはすでに本の棚に熱中していた。なにかを探しているようだ。
 あとで聞けば良いことだ。イリスはそう思い、それ以上は考えるのをやめた。
 なんといっても、図書館の次は二人で昼食なのだ。向かい合って座って、口にするたくさんの話題の中に、織り交ぜればいいだけだ。
 さて、ではなにを食べようか──イリスの脳内はたちまちわくわくに支配される。
 楽しみのゲージが極限まで上がってしまい、つまりその分だけ、達成されなかったときの落胆は大きかった。
 このあと急な仕事ができたといって、ウェルナーはイリスの前から姿を消してしまったのだ。



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