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竜の都で謳う姫 作者:光太朗

第四章 竜の都

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4-1

 この部屋では、イリスは毎日のように夢を見た。
 寝ている間中、歌が耳元を漂っているようだった。
 愛しい、懐かしい、けれど悲しくて痛い、そんな歌だ。
 眠ってしまえば、ああまたこの夢だ、またこの歌だと思うのに、目覚めたときにはそれらすべてを忘れてしまう。
 毎日が、その繰り返し。
 今日も、同じだった。
 違っていたのは、目が覚めて最初に視界に入ってきたのが、ピンク色の天井ではなく、夢の続きかと錯覚するような人物だったということ。
「やあ、おはよう、イリス」
 まるで別世界の輝きに、イリスは言葉を失う。目を何度もまたたかせ、急いで身体を起こした。
「お、おはようございます……」
 ベッドの脇に腰をかけ、イリスを眺めていたのは、アレックス・L・トキオータだ。アレックスが首を傾けて微笑むと、さらさらのブロンドが肩から落ちる。
 寝起きなんです、いままで寝てたんです、そういいたくなるが、そんなことはわかっているだろうし、そもそもいう勇気がない。なんといっても相手は王様だ。それにしても、王様というのは実は暇なのだろうか。毎日一度は部屋を訪れるアレックスに、イリスは思わずにはいられない。
「アレクと呼んでくれと、いったはずだが?」
 イリスがなかなかアレックスの名を呼ばないことに気づいているのだろう、笑顔でそんなことをいう。たしかにそういわれた覚えもあるのだが、イリスにしてみれば呼びにくいことこの上ない。王なのだ。いくらウェルナーやニーノの幼馴染みといっても、同じように呼べるものでもない。かといって、王様と呼ぶのも違うような気がして、その結果、イリスは彼に呼びかけることがない。
 しかし、アレックスはそれ以上イリスを困らせはしなかった。寝起きであることも考慮しているのか、それ以上はイリスを見ることもなく、立ち上がって窓を開ける。
「今日はとても良い天気だ」
 晴れ渡った空を見て、そういった。イリスは嬉しくなって、思わず顔をほころばせる。
「いいですね! あべこべの挨拶より、そっちの方が好きです。今日みたいな日に、いいお天気ですねっていったほうが、ずっと気持ちが良いですもんね」
「君は、それでいい」
 肩書きからくる取っつきにくさはあるものの、アレックスは良い人物であるようだった。少なくともイリスには、そう感じられた。
 ただ、本人にはいいにくいことではあったが、寝ている段階から部屋で待っているのはやめていただきたい。客がいるというのにいつまでも部屋着のままでいたくはなかったが、かといっていまここで身なりを整えられるものでもない。出ていってくださいといえればいいのだろうが、まだそれほど打ち解けていないのもあり、イリスはベッドから出られないままだ。
 どう切り出そうかと逡巡していると、やや乱暴にドアがノックされた。
「イリス、悪いが、開けるぞ」
 ウェルナーだ。イリスが返事をするよりも早く、開けられる。イリスは慌てて立ち上がろうとして、現状を思いだし、さらに慌てて毛布の中に隠れた。顔だけ出してウェルナーを見ようとするが、部屋の中を見ないようにしているのか、こちらから姿は確認できない。
「アレク! いるだろう、すぐに来い。こんな朝早くに部屋に入り込むものじゃない、常識だ」
 声はどうやら怒っている。イリスがアレックスを見上げると、彼は楽しそうに肩を震わせていた。
「いいぞ、ウェル。私は怒られるのは好きだ。ちょっと部屋の前を通りかかったら、ついね。反省している」
「反省しているのなら、すぐに出てこい。イリスも、そういうときは大声を出せ。隣には俺がいる」
「あ、はい! ごめんなさい」
 イリスは思わず謝罪した。実際には難しいような気がしたが、とりあえず肝に銘じる。
「まあ、待ってくれ。せっかくだから趣味の話でもしたかったんだが。イリス、君の趣味はなにかな?」
「え、するんですか、いま?」
 イリスは目を見開いた。まったく動じない、これが王の器というものだろうか。ドアの向こうでウェルナーが苛立っているのが伝わってくる。
「ええと、そうですね……本を読むのは好きです。この部屋にたくさん本を置いてくださって、感謝しています」
「なるほど、そうだったね」
 会話が途切れた。しかし、アレックスは動こうとしない。まさかこのまま会話を続けるつもりだろうか。イリスは彼とドアとを交互に見る。
「私は、絵を描くのが好きなんだ。まったくの趣味で、心得があるわけでもなんでもないが。イリス、よかったら、今度描かせて欲しい。起きている……そうだな、本を読んでいるところでも」
「え、あ、はい……あの」
 わけがわからなかったが、この流れならもう一度、という気になった。イリスは緊張しながら、言葉を選ぶ。
「わたし、やっぱり、キトラに戻りたいです」
 結局は、直球になってしまった。あまりにも文脈を無視した発言だったとすぐに気づくが、後悔はない。
「わたしにとっての故郷は、あの町なんです。戻るわけには、いきませんか」
 アレックスはイリスを見下ろした。目が合うが、イリスは決して逸らさない。数呼吸分の間を空けて、先に瞳を伏せたのはアレックスだ。
「それは……」
「アレク!」
 いい加減にしびれを切らしたらしいウェルナーの声。アレックスはなにかを答えたのか、それとも答えることはなかったのか。どちらにしても、イリスには聞こえなかった。
 そういえば、ウェルナーはどうしてこの部屋にアレックスがいるとわかったのだろうかと、イリスは不思議に思う。わざわざ大声を出さずとも、こうして来てくれているではないか。
 もしかして、心配されているのでは。
 そう考えて、イリスはなんだか嬉しい気持ちになる。しかし、この場合の心配の対象は自分とも限らないと思い直した。自分だとしても、それは世間一般でいう女性というひとくくりである可能性が高い。
「まったく、口うるさい隣人だな」
 そういって笑ったアレックスはひどく楽しそうだったので、イリスもつられて笑った。それではと部屋を出て行くうしろ姿を見送る。ウェルナーは最後まで姿を見せず、イリスひとりを残してドアを閉めた。
 イリスはしばらく余韻を楽しんで、それから大きく伸びをした。そろそろ朝食が運ばれてくる頃合いだろう。この部屋を訪れるのは、ウェルナーとアレックスと、一人のメイドだけだ。
 なにはともあれ、着替えなくてはならなかった。イリスはベッドから出ると、毎朝用意されている桶で顔を洗い、服を選ぶ。城でのイリスの生活はこの部屋の中に限られており、着替えたところで顔を合わせる人間は三人だけなのだが、そのなかにウェルナーがいるのだから、やはりここはオシャレをしなければならなかった。昨日と一昨日の服装を思い出しながら、考える。せっかく良い天気なのだから、空の色がいいだろう。明るくて元気になる、そんな色。
 目を閉じて、空の下、キトラの町を行き来する自分自身を想像しながら、小物を選ぶ。歌を口ずさんで、リズミカルに着替えた。ペンダントはホワイトパールの宝石で、腕には同じ色のブレスレット。髪はまとめず、丁寧に櫛を通す。
 身だしなみを整えた、その瞬間に、風が吹いた。
 開けられた窓から、イリスを呼ぶように。否、たしかに呼ばれたのだとイリスは感じた。
 窓を見る。
 いつからいたのだろう。赤い髪の綺麗な少年が、まるでそれが当たり前であるかのように、窓辺に腰掛けていた。
 ライトブルーの瞳が、イリスを見ている。窓から入ってきたのだろうが、この部屋がとても登れないほど高い位置にあるのはまちがいない。驚きからイリスは声をあげそうになるが、少年の人差し指が口の前にあてられていたので、悲鳴を飲み込んだ。
 とても良い天気だね。
 少年の口が、そう動いたような気がした。イリスはうなずく。とても良い天気だ。あいにくの空などではない。
 少年の首に輪っかを見て、その綺麗な顔を見て、イリスは唐突に思い出す。どうして忘れていたのだろう。いや、忘れていたのだろうか。思い出そうとしなかっただけなのかもしれない。いまとなっては、忘れていたことが信じられない。
 キオン?
 口の動きで呼びかけると、キオンは嬉しそうに微笑んだ。イリスに向かって手を伸ばし、おいでと無音で囁く。
 君の行きたいところに連れて行ってあげるよ。
 もし、君が行きたいのならだけど。
 イリスはドアを振り返った。さっきまではあそこに、ウェルナーがいた。いまは隣にいるのだろうか。
 きっと、行ってはいけないのだろう。
 最低でも、声をかけるべきだ。しかし、そんなことをしてしまえば止められてしまうかもしれない。
 少しだけ。
 自らにそう言い聞かせ、イリスは、窓辺に向かう。差し出された手を、握る。
 さあ、飛ぼう。
 キオンの心の声にうなずいて、迷わず、窓から飛び出した。
 落ちていくのではなかった。舞い上がるのでもなかった。まるで日の光が二人を包んでくれているかのように、優しいなにかに守られて、ゆっくりゆっくり、降りていく。
 自分自身が、光を帯びているのがわかった。ほかの窓から、外を見ている人がいた。窓を拭く布を手にしているから、きっと掃除をしているのだろう。目があったように思うが、こちらを見ているようで見ていない。もしかしたら、見えていないのかもしれない。
 地面に伏して、どうやら気を失っているらしい面々に気がつく。ウェルナーのものと似た黒い鎧姿だ。城を警護していたのだろうか。不思議に思うが、危機感は覚えなかった。
 なにもわからないのだ。わからないのに、考えられるわけがなかった。
 自分の存在も、どうすべきかも──いままでどうやって生きてきたのかも。
 確かなものは、キトラでの暮らしだけだったのに。
「飛べるよ、イリス。飛べるって、イメージしてごらん」
 キオンの言葉に、イリスは思い描く。
 飛べる、進める、そのはずだ、このまま。
 不安はなかった。
 だいじょうぶだという、不思議な確信があった。
「うん」
 握る手に力を込めて、背に羽根を生やす感覚で。
 このまま、ここを出ようというのではなかった。ただ、見たかった。
 帰るのならば、ウェルナーが一緒でないと意味がないのだ。イリスの暮らす家は、ウェルナーの家なのだから。けれどこの機会を逃してしまったら、もしかしたらもう、あの町を見ることも叶わないのではないかと思ってしまったから。
 一度降りた地面を蹴って、前方へ上昇していく。目指すは西、キトラの町。
 建物と人の密集する城下を越えて、都を囲む塀と森とを抜けて、さらに西へ。
 人々が笑顔で暮らすキトラの町を、イリスは思い描いていた。
 期待を胸に、空を往く。
 部屋のなかでじっと過ごした数日間は、キトラでの日々をより美しいものにさせていた。美化といってしまえばそれまでだが、本当の価値を知ったのだ。素晴らしい日々だったのだと。
 やがて、たどり着く。空高くから少しずつ、町を見るために、降りていく。
 しかし、そこにあったのは、イリスの記憶にあるそれとは、あまりにもかけ離れていた。
 イリスは息を飲む。
 そのまま、呼吸を失いそうになる。
 そこに、あの町はなかった。
 高さのあるものは、ほとんど残っていなかった。
 なぎ倒された、屋根のない家々。空に向かうことを否定された木々。あまりにも青い空が、現実を見下ろしている。
 なぜこうなったのかを、イリスは知っている。
 すべてではない、しかし確かに、見ていた。
 おそらくはそれらを引き起こした、張本人なのだから。
「やっぱり、忘れさせられていたんだね」
 キオンが、手を繋いでくれている。
 ぬくもりが伝わってきた。同時に、震え、怒り。
「あいつらは、君を、あまりにも軽んじている」


 ──かわいそうなイリス。

 イリスは、母の言葉を思い出していた。

 ──あなたが誰かを愛し、愛され、幸せになることなんてきっとない。
 あなたはただの、道具なのだから。





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