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竜の都で謳う姫 作者:光太朗

第三章 姫

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3-3

 ウェルナーは足早に城の廊下を進んだ。怒りに任せた足音が響くが、控えようというつもりにはなれなかった。すれ違うだれかが頭を下げても、また自らが頭を垂れるべき相手とすれ違っても、一切に頓着せず、足を止めずに歩く。真っ直ぐ前だけを見据えた瞳は険しい眉の下で鋭さを増し、誰がどう見ても虫の居所が悪いその様子に、わざわざ呼び止めようという猛者はいない。
 城を出て、外壁を越える。正面に見えるのは、空だ。雲一つない空というのも、実際には珍しい。そこに竜の姿がないことを無意識のうちに確認し、石段を下る。人の手で作られた林を抜け、さらに外側の門を通り抜けると、トキオータの城下、オータリアが広がっていた。
「よう、あいにくの空で」
 町へ入ってすぐの路地で、猫っ毛の技工師に声をかけられる。偶然通りかかったはずがない。ウェルナーを待っていたのだろう。
「うるさい」
 一言だけを、ウェルナーは返した。そのまま通り過ぎる。
「待て待て待て、ウェル。うるさいはねーだろ、そろそろだと思ってわざわざ待ってたんだぞ」
「だからだ。使うのは非常時だけじゃなかったのか」
「いまが非常時じゃなくていつが非常時だよ。レーゼ亭での失敗を繰り返すつもりか?」
 正論だった。ウェルナーは足を止め、ニーノに向き直る。
「ずっと、聴いていたのか」
「これもオレの仕事だからな」
 ニーノは手にしていた小さなキューブをウェルナーに投げ渡した。手のひらサイズの銀色のキューブだ。飾り気はないが、内部には緑と銀のオプスが埋め込まれていることを、ウェルナーは知っている。
「予備を作った。そっちはおまえが持ってろ。その方がいい」
「俺は聴かない」
「聴け」
 強い調子で、ニーノはいった。有無を言わせない物言いはこの幼馴染みには珍しい。少し考えたのち、ウェルナーはキューブを受け取るが、ニーノを睨みつけることは忘れない。
「持っておく。だが、いいか、俺は聴かない。そう決めている」
「よってたかって記録を取って、全部読んでりゃ変わらねーよ。今度は城で監禁かよ。オレは納得できないね」
「納得!」
 ウェルナーはキューブを握りしめた。壊れるだろとニーノが慌てるが、お構いなしに力を込める。
 片っ端から物を壊したいぐらいだった。苛立ちがつのる。行き場がないのではない、明らかに自らに対してのそれだ。
「してるわけがないだろう! イリスと話した。聞いていたのなら知っているな、ニーノ。まるでなにも覚えていない。そんなことがあると思うか? 説明を求められても、俺にはなにもわからない!」
「オレも同じだよ。アレクはだんまりだしな」
 ニーノはあえて感情を抑えているようだった。落ち着けというかのようにウェルナーを手で制し、親指で道の向こうを示す。
「オレの方も、こっちに引っ越しだ。過去の記録はそこにある。どうせ飛び出してきただけだろ、ちょっと寄ってけ」
「それほど短絡思考だと思うのか」
「思うっつの。いや違うな、知ってんだよ」
 ウェルナーは黙った。城を出てから色々考えようとしていたという事実は、口に出さない方が良さそうだ。一応はあれこれあてがあったのだが、その中のひとつにはニーノの名が挙がる。そしてそれこそ、今更いえたことではない。
「わかった」
 オータリアでのニーノの店は知っていた。ニーノの代での拠点はあくまでキトラだが、代々王室御用達の技工師を務めるアマート家は、国内の七つの町すべてに店を持っている。オータリアの店は現在倉庫になっており、主にアレックスを相手に取り引きをするときにしか使われていないはずだ。
 訪れたことはないものの、知識として場所を押さえていた。ウェルナーはニーノについていくのではなく、あくまで自分で方向を決める。怒りのオーラは立ち上らせたままだ。
「お立ち寄りいただけるようで光栄ですよ。ったく面倒臭えなあ」
 文句をいいながらも、ニーノはウェルナーの隣に並んだ。ウェルナーはほんの一瞬ニーノを見て、彼の言葉を反芻する。
 知っているのだと、彼はそういった。不思議なことなどなにもない。物心ついたころから、毎日のように共に過ごしてきたのだ。ウェルナーと、ニーノと、そしてアレックス。
 知っている。何を考えているかなど、すぐにわかった。わかるはずだった。いままでは。
 少なくとも、そこに悪意があるかもしれないなどと、疑うことはなかったのに。
 華やかな表通りは避け、細い路地を進む。「あいにくの空」である今日は、左右の家屋の窓から窓へ縄がかけられ、それぞれ洗われた衣類が吊されていた。ここは、まだ平和だ。その事実に、ウェルナーは安堵と苛立ちを同時に覚える。
「店自体は閉めてるからな。裏からよろしく」
 路地と表通りの中間ほど、それほど人通りの多くない場所にある店の門を開け、二人は裏口に回り込んだ。急ごしらえで掃除をした形跡はあるものの、堂々と残っている蜘蛛の巣をくぐり、ウェルナーは裏口の前に立つ。ニーノが鍵を差し、ドアを開けた。
 店のなかは薄暗く、隠しきれないかび臭さが漂っていた。窓はすべて閉められており、商品も並んでいない。長らく使われていないことは一目瞭然だ。
「いわゆる居住空間は上だけどよ、まあここでいいだろ。座れよ」
 壁に掛かっているランタンに、ニーノが火を灯す。火が乗り移るかのように赤いオプスが光を発し、部屋全体が照らされた。
 座れといわれても、どこに座れば良いのか。ウェルナーが店を見回していると、ニーノは雑然と置かれている四角いなにか──恐らくはオプスを使用した機器なのだろうが──を手で示した。少なくとも椅子には見えない。逡巡するが、目で促され、ウェルナーはとりあえず腰を下ろす。座り心地はとても悪い。
「まずは、聴け。オレはもう聴いた。あの赤毛のガキと、イリスのやりとりだ。名前だけでも知っときたいだろ」
 ウェルナーは目を細めた。怒りが静かに空気を冷やしていく。
「レーゼ亭での、あれの前、だな?」
「パメラと姿を消してからだな。音は綺麗に拾えてる。あの野郎、歯の浮くセリフをぺらぺらと並べてイリスを口説いてやがる。笑えるっての、必聴だ」
 聞き捨てならないことをいいながら、ニーノは壁側の棚を開ける。並ぶ小さなキューブのうち、ひとつを手に取った。ウェルナーに渡したものと良く似たそれを、捻るようにして二つに割り、緑色のオプスを露出させる。すると、オプスから音が流れ出した。
 パメラと、イリスの会話。楽団の部屋を訪れたらしいところから、イリスと、キオンと名乗った少年のやりとりまで、すべて。
 ウェルナーは黙って聞いていた。二人が階下に降りてきたのだろう、喧噪が増し、演奏が始まろうというところで、ニーノはキューブを反対に捻る。
 音が途切れた。その後のことは、ウェルナー自身が目にしていた。聞く必要はない。
「どうよ」
 ウェルナーは答えずに手を伸ばし、ニーノからオプスを受け取った。もう一度、注意深く耳を傾ける。
「……イリスは、警戒しているな」
 途中まで聞いて、そう感想を漏らした。
 ニーノのいうように、キオンという少年がイリスを口説いているとも思えなかったが、なんらかの執着があるのはまちがいないようだった。しかしそれは一方的なもので、イリス自身は戸惑っている。
「そう、それだ。途中までは警戒してんのに、途中でいきなり態度が変わる。推測だが、イリスは心を操作された可能性がある。キオンってやつの首に、輪っかがついてたのを覚えてるか」
 ウェルナーは記憶を探った。確かに、首輪をしていた。奇妙な出で立ちだと思った覚えがある。
「珍しいもんがくっついてたから、オレはよく覚えてる。あの首輪には、黒いオプスらしいもんがあった。似てるだけでオプスじゃない可能性ももちろんあるけどな。黒ってのはものすごい希少で、『操作』を司る。倫理的にまずいってことで、この国では基本的には使用が禁止されてる。というかそもそも、数がない。そういうオプスだ」
「操作」
 ウェルナーは思わずその言葉を繰り返した。操作。心の操作。たしかに、そうだとすれば納得がいった。途中までは警戒していたイリスが、その後は人が変わったように従順になっていた。階下に降りてきた時点で、まるでここではないどこかを見ているようだった。あそこにはもう、彼女自身の心はなかったのかもしれない。
「だから、なにがあったかも、忘れている可能性があるわけか」
「それなんだけどよ」
 ニーノは言葉を切った。身をかがめて、声を低くする。
「城のやつらは……というよりアレクは、黒いオプスを使うことができる。何代か前、うちで黒いオプスを加工して、城に献上したって記録がある。ほかにも入手ルートがあるのかもしれねえけど。少なくとも、一つは城にあるはずだ」
「つまり、アレクが?」
「または、あいつのまわりの誰かが、だ」
 ウェルナーは深く息をついた。その可能性を否定できるだけのものを、ウェルナーは持っていなかった。それはニーノも同じだろう。
「あくまで、仮定だが……たとえば、アレクやほかの誰かが、イリスの心を操作してるとしよう。ニーノ、おまえはどう考える。イリスは、竜の、なんだ?」
「おまえだって連想しただろ、ウェル。キトラのあれは、普通じゃねえよ」
 ニーノは明確な答えを避けた。しかしウェルナーは、深く追求しようとはしなかった。
 いわんとするところが、充分にわかったからだ。
 竜の都、トキオータ王国。
 竜王との盟約により、竜に襲われることのない都となり、平和を築いたのが八十年前。
 盟約の内容は、この国では小さな子どもでも知っていた。
 まるでおとぎ話、しかし事実とされているそれは、人の王と竜の姫の物語。
「竜王が、死んだ」
 ウェルナーはつぶやいていた。
 以前、アレックスはそういっていた。竜王が死んだのだ。それはつまり、平和が終わるかも知れないという危惧──そのものの意味だと、ウェルナーは理解していた。そこにイリスが関わるのかどうかはわからなかったが、アレックスの真剣な様子を思えば、やるべきことに思えた。彼自身も無関係ではなく、彼女を守らなければならないという使命感のようなものがあったのも事実だ。
 なぜ彼女を守る必要があるのかと、常に考えていた。
 レーゼ亭の事件があるまでは、一度も、彼女が襲われるようなことはなかった。
 そもそも、誰から守っているのか。
 なにから守っているのか。
 一体、彼女は、何者なのか。
「つまり、イリスは……」
 あの場面を見たものならば、誰もが思わずにはいられない。
 押し寄せる竜。
 歌う少女。
「……竜の血を、引いている?」



 昔々、人間の王子と、竜の姫がおりました。
 二人は深く愛し合い、結婚を誓いました。
 竜は、人を襲うのです。
 人は、竜を狩るのです。
 相容れぬ異種族の結婚など、娘が不幸になるだけと、竜の王は強く反対しました。
 それでも姫は、涙を流しながら、懇願しました。

 お願いします、お父様。
 私はこのお方を愛しているのです。
 愛しているのです。

 竜の王は姫の涙に心を打たれ、結婚を許しました。
 愛する娘の幸せを願い、竜の姫が嫁いだ国は、決して襲わないことを約束しました。

 人間の王子様と竜のお姫様は、人々の祝福のなか結婚し、いつまでも幸せに、暮らしました。






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