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死んでいく人たちへ
作:酒主



第22話 小園事件


「あんなに逆らって大丈夫かなー?」
 ふと、福永が口にした言葉は、ミサの心中を表すものだった。
「蛇のような性格だからねぇ、高津は」
 噂好きの山中がそう言うと、ナース達は皆、一斉に頷いた。
「そうそう、昔、小園先生っていたじゃない? 研修医ではなかったけど」
「あ〜〜! いたいた」
 古くから4病棟にいるナース達の間では既知の話で、皆、納得の表情を浮かべていたが、ミサは話の内容がわからず、眉間に皺を寄せ、食い入るように山中のほうを凝視した。
「小園事件!」
「あったねー」
 首をかしげるミサに、福永はコソコソとミサに耳打ちをした。
「小園先生ってね、元祖、仲原……」
 その先は噂好きの山中が、懇々と語った。途中、2回程ナースコールが鳴り、他のナースが対応してくれたが、いつも一番先に動くはずのミサは、そのまま席についいたまま話に聞き入った。



 小園は小児科の医師で、医師になりたてであった。彼の受け持つ10歳になる白血病の患者が、化学療法(抗ガン剤)の治療だけでは良くならず、悩んだ彼は、当時、骨髄移植を精力的に行っていた高津の元へ紹介したのだ。
 高津は当時38歳。その頃の彼は、今ほど高慢な感じではなかったが、やはり、病状よりもデータを重視した面があったと、長年4病棟にいるパンチが付け足した。
 移植後、順調にみえた10歳の少女であったが、移植後の免疫反応に苦しめられ、11歳の誕生日を目前にして亡くなったのだ。
 少女の治療法をめぐっては、何度も小園と高津と口論する姿がみられ、少女が亡くなった後、小園は辞職した。
 彼の辞職にあたっては、当時、高津が人事権を持つ大学の教授達に上伸したのがきっかけだった、という噂が病院中に広がったのだった。
「改めて怖いねー。高津って。小園先生って一生懸命でいい先生だったんよ……患者さんからも随分慕われてたしね」
「い、今どうしてるんですか? 小園先生は」
 ミサは思わず口をはさんだ。
 しばらく、皆、音が無くなったように静まり返った。言ってはいけない台詞だったようだ。
「亡くなったの」
「うつ病でね」
「あそこから」
 ナース達は口々に事の顛末について話した。そして、山中はやや大げさに屋上を指さした。
「柵がついたのも、あの時以来なのよ……」
 ナースステーション内は重苦しい空気に包まれ、話を聞いていた者たちはため息を漏らした。
「さっ! 検温、検温」
 福永の号令で皆、我に返り、ナース達はまた忙しく働きはじめた。
 昼からの時間はあっという間に過ぎる。本当に「あっ」という間だ。昼の検温をし、注射、明日の検査の用意、説明、バタバタバタバタとナース達の足音が廊下中に響きわたる。
 忙しいおかげで、何もかも忘れて没頭していたミサだったが、仕事が一段落し記録にかかると、先ほど山中が言っていた話が頭をよぎった。
(貫一くん……大丈夫だろうか…)
 時計は定時の5時を過ぎ、6時にさしかかっている。仕事を終えたナースは1人帰り、2人帰り、ミサはいつものように残っていた。
「あのね、時間内に終らすのも実力のうち。優先順位を決めて、ぱっぱと仕事をこなす。これが大事! 残ってれば残ってるだけ仕事がやってくるんだから、もう少し要領よくしないと、自分が大変になっちゃうからね」
 珍しく福永がミサに忠告をした。
「でも、福永さん。角野さんったら、全くナースコールや電話をとってくれないし、いつも私ばっかり対応してて、手が空いたから、いざ、患者さんの所へ行こうとすると用事を頼んできて。それでね」
 ミサも珍しく福永に食ってかかった。
「しっ! 壁に山中あり、障子にパンチ
 福永は冗談っぽく、目を見開いて、そう言った。
 あはははは
 2人の笑い声がナースステーション内に響く。ミサの顔にもようやく笑顔が戻った。
(やっぱり、福永さんって素敵)
「また、気分転換にどっか行こ! 私帰るからね、ミサも断るところは断りなさいよ」
 福永はじゃあね、と手を振って帰っていった。
 ミサはやっと、最後の一冊に記録しはじめた所だった。
 後ろから足音がして、誰か横に座った。カルテをかかえ、必死に記録していたミサは横の存在には全く気がつかなかった。
「おい!」
「はっ」
 一心不乱に記録していたところに、いきなり声をかけられたのでミサは驚いて椅子から立ち上がった。
 くくくくくっ
 仲原の押し殺したような笑いが聞こえた。
「あ! もう、驚かせないでください」
 ミサは頬を膨らませて、怒った表情を見せた。もちろん怒ってなんかいない。反対に横に仲原がいることがとても嬉しい。
 ナースステーション内を準夜のナースが忙しそうに動きまわる。カルテの傍で座って記録しているミサを邪魔だと言わんばかりに押しのけ、カルテを確認したり、注射箋を確認したりしている。
「渡辺さん、ちょっと向うで書いてくれる? 指示確認したりするのに、そこに居られたら邪魔なんですけど」
 準夜のナースは大抵機嫌が悪い。彼女も普段は割りと気さくであるが、出勤直後のバタバタで少しイライラしている様子だった。ミサもそれくらいは心得ているので「すいません」と素直に頭を下げ、席を立った。
「約束、覚えてる?」
 席を立ったミサに仲原が話しかけた。夕食の件だ。ミサは分かっていたが、傍にいた準夜のナースが不思議そうに2人のやりとりを聞いていたので、ミサは覚られるんじゃないだろうかとドキドキし返答に困った。
 様子を察した仲原は、白衣のポケットからペンを取り出し、メモに走り書きをしてミサの前に置いた。
ー20時 電信柱ー 
 という文字のあとに、下手くそなスマイルマークが不気味に笑っていた。ミサはナースステーションの奥の方にある机に移動すると、黙々と記録をはじめた。
 

 

 







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