第16話 ミサと福永と仲原と
「俺、こいつ連れて帰ります」
仲原は座布団3枚の上に寝かされ、みんなのジャンバーやコートで覆われたミサに目をやりながら、福永にそう言った。
「もうちょっとしたら、起きてくるわよ。それより、主役が抜けたら意味無いし! ミサだったらいいよ。私の部屋にでも泊めるから。だから、飲んで飲んで」
福永はそう言って、仲原を帰すまいと、無理やりコップを握らせ酒を注いだ。
「そうよそうよ、先生、帰っちゃダメだからね」
先程から、仲原の横にへばりついていた亜里沙が、そう続けた。
時折、向うの方から、パンチと山中と加藤の笑い声が聞こえてくる。加藤は酔ったらしく山中とパンチのおばちゃん2人を相手に、くだらない事を言って笑わせていた。
「やだぁ加藤さんったら」
バーンとパンチが加藤の背中を叩いた音が響いた。
「あいたー! 恵さん、おっさん並の力ですね。化粧落としたら、おじさんに変身とかしないですよね」
「わははは。加藤さんたら失礼ねー!」
真っ赤な口が、大きく開いて笑っている。
仲原は向うの方から加藤の声が聞こえてくる度にイライラした。恭子の事はそれ程好きではなかった。たまたま、向うから声をかけ、付き合う事になっただけ。そもそも、何人かと付き合ったが、好きだ、愛してるなどという感情は一切起きなかった。いつも誰かが付き合ってくださいと声をかけ、いろいろと世話を焼いてくれる。しかし、その内に女達は泣いて訴えるのだ。「私のこと好き?」と。そして、何も答えない仲原に背を向け去って行く。この繰り返し。何かが欠落している。仲原は自覚していた。
しかし、さすがに別れた彼女の男と同席するというのは、不愉快極まりない。仲原は、まだ自分にも人間らしい感情があることに驚いた。
「さ、もう一杯」
亜里沙が酒を注ぐ。
仲原は、もうどうにでもなれ、という風にコップに注がれた日本酒を一気飲みした。
「すごぉい。先生」
亜里沙は猫撫で声を出し、甘えるような仕草をした。香水の匂いをプンプンと漂わせて。いつも寄ってくる女達と同じだ。仲原はイライラした。その度に酒を飲みこんで自分を落ち着かせた。
「ね、先生、付き合ってる人とかいるの?」
ほら来た。仲原は思った。女嫌いとか、そういうわけではない。しかし、こういう類の女は信用できない。女を漂わせている雰囲気がたまらなく嫌だ。上品にお酒を運ぶ仕草、上目使いの視線。時々、携帯のメール音が鳴り、中身を確認する仕草。仲原はイライラして眉間に皺を寄せた。
「なんで聞く?」
仲原の冷たい視線は亜里沙へと向けられた。
「な、何でって、変なこと聞きました? そうですよね、彼女いますよね」
亜里沙の目が光った。闘争心に火がついたというべきか。もてる男をとりあう構図。絶対、私の方に分がある、そういう目だった。
仲原はもう、質問の答えには答えなかった。
黙々と酒を進め、無口な仲原と居辛くなったのか、亜里沙は加藤の方へと席を移った。
「あれれー。先生1人?」
あちこちの話に加わり、騒いでいた福永が戻ってきた。端の方で寝かされていたミサを連れて。仲原の横に座らすと、福永は「水持ってくる」とこの場を離れた。
ミサはまだ、ぼーっとしていて、仲原の顔を見つめ返す。髪の毛はぐしゃぐしゃになって、頬には畳のあと。よだれを拭きながら、眠い目をこする。みんなのジャンバーや上着をめちゃくちゃに乗せられたので、のぼせたように頬を赤らめている。
「お前、子供みたいだな」
まだ、ぼーっとしているミサの顔を見つめ返すと、仲原は思わず微笑んだ。眉間の皺が、目尻へ移動した。
仲原は、ふと、妹の影をミサに重ねた。
艶やかな栗毛色の髪。白い肌。真ん丸い目でこちらを見つめ返す表情。決して似てるとは言えないが、雰囲気がよく似ている。何が似ているんだろう。仲原は必要以上にミサの顔を見つめた。
「私、眠ってたんですか?」
ミサが口を開いた。少し酔いは冷めているようだ。寝不足だったのだろう。
「いびきかいてな」
「うそっ。 や、どうしよう」
「うそ」
仲原が笑った。先程のイライラが消えていくのがわかる。妹もそうだった。自分のうそを真顔で信じて、驚く姿。よく、からかったもんだ。
仲原は、コップに入った透明の液体を自分の中に流し込んだ。
「お水、持ってきたよー!」
福永が戻ってきた。コップの中では、カランカランと氷が揺れている。
ミサはよっぽど喉が乾いていたのだろう。ゴクゴクと音をたてて飲んだ。
「ってー! 福永さん。これ、焼酎じゃないですか」
プハッとミサは息を漏らした。
福永はいたずらが成功したので大喜びで、大笑いしている。仲原もつられて、大きな声を出して笑っていた。
何年ぶりに笑っただろう。
仲原は笑っている心地よさを感じていた。少なくとも、妹が死ぬまでは、仲原はどこにでもいる普通の青年だった。笑いもするし、泣きもする。
それが、妹が死んでから、感情の無い、抜け殻みたいになっていた人間になってしまった。
妹の死は、あまりにも壮絶で耐え難いものだった。仲原は今でも思い出す。思い出したくなくても、夢として記憶に蘇ってくる。
「お兄ちゃん、たすけて・・・・・・くやしい、お兄ちゃ・・・・・・」
その声は仲原の心に突き刺さる。突き刺さった刃がグリグリと動き、自分を真っ二つにする。足元には自分が流した大量の血。そして、仲原は気体になり、変わり果てた妹のベッドの周りを浮遊する。しなやかな肢体は、ムクムクと腫れ、醜く2倍に膨らんでいる。艶やかだった髪は抜け落ち、つるっとした頭がそこにあった。そして、顔を恐る恐る覗き込むと、口元からは血が噴出している。その勢いは壁に飛散するほど。そこらじゅうに漂う血の匂いは、悪魔のように仲原にささやきかける。
「お前が悪い、お前が悪い」
そして、ゴボッゴボッという音をたてて、血の塊が口から排出されるのを最後にすべてが闇につつまれる。
そこで、いつも目が覚める。 10年前、目の前で起こった光景が、何度ともなく繰り返される。夢の中で、助けを求められている自分は、何もできず、ただ、ベッドの周りを浮遊するだけ。
夢の中でくらい、妹を助けてあげられないのか、仲原は自分の想像力の無さを嘆いた。
「まーた、先生、自分の世界に入ってるしー!」
福永の声にはっとして、現実の世界に戻る。
「よし、飲むか」
仲原は勢いよくグラスを空けた。
「まぁ、困ったお客さんねー」
はじめにミサ達を案内したでっぷりした女将が困ったそぶりで、腰に手をやった。
3枚並べられた、座布団の上には仲原が寝ていた。その横で、福永とミサが体を揺らして起こそうとするが全く仲原は起きない。
「よーいしょっと」
女将に手伝ってもらい、仲原の上体をあげた。そう太くない体だが、筋肉質なのかやたらと重たい。やっと座らせた仲原の頬を、福永がペンペンと叩くと、ようやく目を開けた。
「みんな帰ったわよ!」
福永が言ったが、仲原は何も言う気力もなく、ただ座ってゆらゆらしているだけ。福永は、しょうがない、という顔をして女将に言った。
「すみませんけど、タクシーまわしてもらえませんか? それと、この人を1階まで下ろしたいので・・・・・・」
「はいはい、ちょっと待っててね、どっこいしょと」
女将は階下に降りていくと、しばらくして、板前さんを連れてあがってきた。
「いち、に、のさん!」
何とか立たせて、右に板さん、左に女将、前に福永、後ろにミサがまわり、やっとこさで仲原を階段からおろした。
「まぁ、久しぶりだよ。こんなお客さん」
女将はぶつぶつ言っていると、タクシーが到着した。さっきの板さんと女将が仲原をタクシーに押し込んだ。当の仲原は夢の中だ。全く起きる気配すらない。福永が窓を開け「ご迷惑をおかけしました」と店の者に詫びると、車は動き出した。
「お客さん、だいぶ酔ってるようですね」
タクシーの運転手も少し呆れたように言った。
福永は助手席に座り、後部座席に仲原とミサが座った。
「ミサ! 仲原先生の家知ってる?」
「えー、知らない」
「あんたら、一緒に来てたじゃん」
「うん。でも知らない」
「あ”〜〜どうしようね。ミサん家に連れてくか」
「え〜〜〜やだぁ」
「やだって言ってもさぁ、うちん家は婆さんがいるから、男連れで帰るわけにいかないしさ」
「え〜〜でも」
「運転手さん! やっぱ、行き先変えて」
「は?」
「あの、病院の裏の……」
運転手は不機嫌そうにし、どこかの駐車場で方向転換すると、来た道を戻った。3分も経たないうちにミサの家に着いた。
「めちゃくちゃ近所ですね」
運転手は軽く皮肉を言ったが、福永は気にする様子も見せず「ちょっと、運転手さん手伝って!」と促した。「ついてないなぁ」と運転手はいい、2階にあるミサの部屋まで、仲原を運ぶはめになった。
外はしーんとしていて、雪がちらついている。夕方はこまかい粒だった雪が、今はふわふわと綿の塊になって落ちてくる。道路も薄く雪で覆われている。滑らないように注意しながら、3人は仲原を支えた。
「昔は、こんなお客さん、よくいましたけどね。今はあまり見ないね」
運転手がぼそっと呟くと、福永も賛同した。
「そう、昔はさぁ、上司が飲みに行くって言ったら、必ずついていくのが常識だったやない?そんで、しこたま飲まされて、ぶっ倒れて。バブルのせいもあったんやろな」
「そうそう。バブルん時は良かったなー。お客さんも万札を格好よく出して、お釣りいらんわ! って。あの頃は良かったなぁ」
最初文句を言っていた運転手も、知り合いのおじちゃんみたく話に加わっている。誰とでも普通に会話できる福永の特技だ。
そうこうしている内に、ミサの部屋に着いた。
「運転手さんありがとな。今度は長距離お願いするからー!」
「うまい事いうな」
手を振る福永に照れながら、運転手は肩をすぼめた。
部屋の中では、ミサと福永が動かない仲原に悪戦苦闘していた。半ば、ひきずるようにして運んだので、仲原のズボンは雪と埃でどろどろになっていた。小綺麗に片付けられた部屋にどろどろのズボン。ミサはため息をついた。
「福永さん! 見てこのずぼん」
「うわっ。汚なぁー」
「先生! 起きてください。起きないと、布団貸してあげませんよ」
ミサは仲原の頭をペチペチと叩いた。
福永も面白がって、仲原の耳元で「起きてくださーい」と大声をはりあげている。
「ん……」
仲原の目がかすかに開いたように見えたが、やはりすぐ眠っていってしまう」
そのうちに、イライラした福永は「ちょっと、ミサ、手伝って!」と仲原のズボンを下げ始めた。
「な、何するんですか!」
ミサが目を丸くして驚いていると、福永はケラケラ笑って「何するって? 何かすると思った? 手伝わないんだったらいいよ。どろどろのズボンのまま布団に入れちゃうからねぇ」と脅かした。
ナース2人はお手のもんだ。仲原のズボンをするすると脱がし、ミサの母親のお泊り布団を敷くと、そこへ寝かした。途中、福永が「覗いちゃおうか?」とトランクスの端を持ったもんだから、ミサは赤面した。ほんとに、福永はいたずら好きだ。
「なーんだ、見たかったのに」と福永は冗談っぽくいい、シャワー借りるねと風呂場の方へ行った。
ピチャピチャピチャ
福永が浴びているシャワーの音を聞きながら、隣の部屋にいる仲原の姿に目をやった。ごそごそと動いている。さっき、福永が大声で叫んだもんだから、起きてきたんだろうか?お願い、目を覚まさないで、今は!
しかし、ミサの願いもむなしく、ごそごそは段々激しくなり、とうとう、仲原はガバッと起きてしまった。
布団の上に不思議そうに座る仲原。今の状況を懸命に分析している様だ。首をかしげて頭を掻いて。怖いもの見たさか、仲原の行動を観察していると、目があった。
「おい!」
完全に目が据わっている。
「あー、いい風呂だった。ミサ、服かして」
「福永さん、こっち来ちゃだ、め……」
「おっ」
タオルも巻かず全裸の福永登場。仲原は慌てて布団の中に潜り込んだ。布団の中で、いつまでもケラケラ笑っている福永と、驚いたようなミサの声を聞いていた。ふかふかの日光の香りのする布団、笑い声、いつもの埃っぽく湿った布団と比較しながら、仲原はまた眠りについた。
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