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死んでいく人たちへ
作:酒主



第13話 病気になるという事


 その日、戸塚良美とつかよしみはこの4病棟に入院してきた。
 ーー化学療法を受けられる方へーー
 そう書かれたパンフレットを片手に。相変わらず4病棟はバタバタとしていて、廊下を忙しく早足で通り過ぎる看護師達の姿。良美はキョロキョロと病棟の様子を見ていた。
「あの、入院さんです!」
 良美を案内してきてくれた、外来の看護師は、カルテとフィルムをナースステーションに置きに行って「ここでお待ちくださいね」と告げると、さっさと戻って行った。
 良美は荷物の入ったかばんについている、小さなお守りを握り締めた。

「渡辺さん、入院さん来たよ!」
「はーーい」
 ミサがナースステーションを出て、名前を呼ぶと、椅子に座っていた女性が立ち上がって答えた。ミサは正直驚いて、女性の顔を見た。
(確か、今日の入院さんは、乳がんの再発で肺転移の…)
 目の前には、何の変哲もない、患者らしからぬ女性の姿。驚いたのは彼女が若い、ということ。
 ミサは驚きながらも、感情を抑えると、一通り入院の説明を行った。
「受け持ちの渡辺ミサと申します。また、お話を伺いに来ますので、パジャマに着替えてお待ちください」
「はい。よろしくお願いします」
 ミサは部屋を後にすると、急いでカルテを確認しに行った。
 乳がん 再発 肺転移
 やはり、カルテの表紙の診断名にはそう書いてあった。彼女で間違いない。そして、年齢を確認した。
「36歳……」
 
 良美は狭い病室で、荷物の整理をしながら、いろいろと想いを巡らせていた。
 4年前に乳がんの手術をし、化学療法を行って、治ったようにみえていた。もうすぐ、5年目のお祝いをしなきゃ、というところで、ガンはみつかった。かかさず診察を受けたのに、今度は肺にも転移しているという。定期的に検査も受けていたのに、なんで? どうして? 頭の中は黒いモヤモヤとした怒りでいっぱいになった。
 乳がんが初めてわかった時は、夫と当時12歳だった娘と、一晩中泣いた。7歳だった息子には告げず、何も知らず甘えてくる息子の顔を見るたびに、泣きそうになっていた良美だった。
 その後、手術をして、化学療法、検査、通院。長くこの生活が続いた。3年くらいたった時に息子に告げた。
「お母さん、ガンだったの」
「お姉ちゃんから聞いて知ってた」
 その時の息子の顔は忘れないだろう。自分が思っていたよりも、強く、成長した息子を頼もしいとも思った。
 でも、今度はダメだ。がんばれない。体が思うようにならない。神様は残酷だ。他のお母さんたちは、皆、楽しそうに子供達とプールへ行ったり、おしゃれを楽しんだりしてるのに。私なんて、お風呂に入る事1つをとっても、家族が寝た頃に、周りを気にしながら入るというのに。何で私だけ、何で私だけなの……。今までは、治ると信じて頑張ってこれた。少し、不自由なことがあっても、生きているだけで幸せなんだと思い、自分に言い聞かせてきた。もうやだ。もう我慢できない。良美はそう思う様になっていた。
 そして、昨日のことだ。
 良美は夕方から、入院の荷物の用意をしていた。16歳の娘と11歳の息子は学校だ。1人、黙々と準備を進めた。パジャマに、歯ブラシ、バスタオルに…ふと、良美の手が止まった。
 お守り…
 初めて、手術をする前に夫に渡されたお守り。4年前のもの。1年経ったら「お焚き上げ(おたきあげ)」といって神社に返すのが普通なのだが、手術も成功し、このお守り無しではいられなくなった。もう生きているのも嫌になる、と思いつつも、お守りに執着している自分を愚かだと思った。あの時、返さなかったから、バチが当たったのかな? なんて、自分を責めてみる。
「ただいまー。今日のごはん何?」
 良美は、元気よく帰ってきた息子の声で、ふと我に返った。
「うん、野菜の炒め物と…」
「なーんだ、つまんないの」
「そんな事、言わないの!」
 そうか、しばらく入院だから、ハンバーグでも作っておくべきだったかな?なんて反省していると、高1の娘も帰ってくる。
「ねぇ、お母さん、今日雨降ってるから、塾に送ってって!」
「あー、はいはい。わかった」
 私がいなくなったら、この子達どうするんだろ? と、心配をしながらも、この子達だったら何とか生きていけそうだわ、と勝手に思ってみる。
 息子は相変わらず、ゲームに夢中になっている。そして、娘は2階にある部屋から降りてこない。まぁ、いつもの事だ。
「もう、ごはんよ! 塾遅れるから、降りてきなさい。こら、あっくんもゲームはやめて、もうすぐお父さん帰ってくるから片付けて!」
 夕方からの時間はあっという間に過ぎる。7時を過ぎ、夫が帰ってくる。
「ただいま」
「今日は早いんだね」
「あぁ」
 良美にはわかっていた。いつも9時過ぎまで帰って来ない夫だが、夫なりに早く帰ってきたこと。何にも言わないが、気を使っているということがヒシヒシと伝わる。私さえ、病気にならなければ、こんなに夫に気を使わせることも無いのに。
「あれ? 沙希は? 塾…」
 夫は時計を見るとそう言った。
「さっきも呼んだんだけど……」
 良美は、そう言ってもう一度2階にいる娘に声をかけた。返事はなく、良美はだんだんイライラしていた。
 私は、明日入院するっていうのに。どれだけ不安かわからない。今日はゆっくり食卓を囲んで、穏やかに過ごしたい。それなのに、こんな特別な日だっていうのに……。
 良美の不安は家族に対する怒りに変わっていった。その時だった。
「お〜〜! やったー」
 ゲームに勝利したのか、息子のガッツポーズが見えた。
「だから、ゲームやめなさいって言ったでしょ!」
 良美は、息子のゲーム機をとりあげると、床にたたきつけた。もう、自分で何をしているのかわからなかった。
「ひどいよ、お母さん……」
 ダメだ、こんな事したいんじゃない。明日は入院だから、みんなで、食卓を囲んで…
 良美がそう思ったとき、今まで2階にいた娘が、やっと、降りてきた。
「もう、時間だから送ってって」
 何かが、良美の中で砕けた。入院前だというのに、相変わらず、ごはんの準備、塾の送り迎え、それに、何だろう。何だろう、このモヤモヤは。腹が立つ。理解できない怒りでいっぱいになった。
「もう、あんた達がこんなんだから、お母さん、病気になっちゃったのよー!」
 涙があふれ、子供や夫の姿は水の中になった。
「そんな事、言うもんじゃない」
 夫の声を背中で受けながら、良美は2階にある自分のベッドにもぐりこんだ。
 こんな事言いたいんじゃない。違う。今まで一緒に乗り越えてきた家族に、どうしてこんなヒドイ事言えたんだろう。まして、子供に……。今日は特別な日だと思っていたのは、私のエゴではないのか。子供は普段どおりの生活を続けていただけなのに。もうやだ。母親失格だ。
 リビングでは子供達が困った顔をして、佇んでいた。
 
 今朝はシュンとしていた子供達。やはり何も言わない夫。良美は、昨日のことを謝れないでいた。空気を察したのか、子供達はやけに手伝いをし始め、いつもやったことも無いのに、茶碗を洗ったりしている。
 心の中で言った。
(お母さん、病気になっちゃってごめんね)
 
 良美は昨日の出来事を思い出すと、かばんについている古びたお守りを握り締めた。
 

 


自分が病気になったら、どうなんだろう?という視点で書いてみました。作品全体でいえる事ですが、特定の患者さんをモデルにしている訳ではありません。
この作品はフィクションです。






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