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死んでいく人たちへ
作:酒主



第10話 片想い


「うわ〜いい天気ぃ」
 薄水色の空。冬独特の澄んだ空気。ミサは早起きをしてべランダで洗濯物を干していた。
朝の出勤に向かうのだろう。忙しく歩く人や車の列を見ながら、自分だけ休みのような感じがして、得した気分になっていた。
 ぴーーーーー!
「あ、やかん、やかん」
 忘れっぽいミサの為に母親が用意したものだった。あまりにも、強烈な音に毎回驚かされている。コンロの火を消して戻ってくると、サンダルの片方が無いのに気がついた。
「あれ〜? どこ行ったんだろう〜」
 慌ててサンダルを脱いだので、サンダルはベランダの柵の隙間から落ちた様だ。
(私って、やっぱドジだなぁ)
 ミサは慌ててパジャマを着替えて、下に降りサンダルを探した。ベランダの下は、こじんまりとしているが、裏庭になっている。芝生の庭はミサのお気に入りだった。
「あったー!」
 ミサは子供っぽく喜び、サンダルを拾った。ふと、周りの景色に気がつく。1階の住人が植えたスイセンが横一列に可愛く咲いている様子を見て、ミサは思わずしゃがみ込んでスイセンに顔を近づけた。
「可愛い。アヒルみたい」
 そっとスイセンに触れると、にこっと笑った。もうすぐ22歳になろうというのに、頬をピンクに染めて笑うミサは、まるで少女のようだ。白く透き通るような肌が、彼女を若くみせているのかもしれない。
 ミサはサンダルを片手にアパートの正面にある階段へ回った。正面は駐車場になっていて道に面している。この道は、病院関係者が抜け道としてよく使っている。
 プッ
 車のクラクションが鳴った!
「由比だぁ」
 運転席の同級生をみつけるとミサは嬉しそうに手を振った。運転席の友達もそっと手をふり返す。出勤途中だろう。車を止めることなく去っていった。
 車が去ると、前の方から足早にやってくる通行人の姿があった。
 目が合った。
(うわっ トイレの貫一さん!)
 ミサはとっさに逃げようとしたが、あまりに目が合いすぎてどうしようかと慌てていた。
 そして、トイレの貫一さんこと仲原は、速足で歩きながら声をかけた。
「おはよう!」
「お、おは?」
(あーー! 通り過ぎちゃってるし……)
 ミサは驚きながら、とっとと歩いて去る背中を見送った。寝癖のついた髪。
 怖そうだけど、悪い人じゃないかも。ミサはそう思った。

 お昼を過ぎ、ミサはデパートで待ち合わせをしていた。1年先輩の山口とバレンタインデーのチョコレートを買う為である。案の定、特設されたチョコレート売り場では、平日だというのに、たくさんの人で賑わっていた。
 ミサは早めに来て待っていたが、さほど待つことなく山口が現れた。
「私も早めに来たつもりなんだけど、もう待ってたんだ」
「そんなに待ってないですよ」
「そう? それなら良かった」
 2人は、とりあえず端から順番に見ていくことにした。
「これ、いいんじゃない?」
 全部見ないうちに、山口はかごにチョコレートをドンドン入れていく。
「あの、山口さん!」
「何?」
「それ、あんぱんまんのチョコの方」
「あ、そうか。包んであるからわからなかったぁ。500円の詰め合わせは…こっちか…」
「向うにもいろんな種類があるみたいですよ」
 ミサは、適当にチョコレートをカゴに入れていく山口を、制するように言った。
「いいの、いいの。悩んでるだけ損だって。好きな人ならともかく、ドクターなんて、どーでもいいんだから」
「どーでもって……」
 いつも、買い物に行っても迷って迷って、結局買わないミサは、山口の思いっきりの良さに驚いていた。あっという間に人数分のチョコレートを選び終え、山口がレジに並びに行った。
 山口がレジで並んでいる間、ミサはショーケースの中のチョコレート達を眺めていた。
「ねぇねぇ、これ可愛くない? どう思う」
「いいじゃん。」
「あんたもこれにしなよ!」
「やーだ、彼氏甘いの苦手だから……」
 高校生くらいの女の子達が会話している。
 ミサも彼女たちにつられて、ショーケースを覗き込む。
(可愛いーー)
 ピンクのハートの箱に、星の形やハートの形のチョコレートが品良く詰められている。
チョコレートとチョコレートの隙間には、小さい造花が埋められていて、ミサは見入っていた。
(加藤さんのだけ、これにしちゃおうかな?)
 ミサは一瞬そう思ったが、タクシーでの出来事を思い出して、暗い顔になった。


「加藤さん、彼女とか…いるんですか?」
「うん、いるよ」

「買ってきたよー!」
 物思いにふけっていたミサは、山口の大きな声にびっくりして振り返った。
 山口の両手には、大量のチョコレート。
「渡辺さん。悪いんだけど、私これから用事があるから。これ持ってってくれない?」
(えーー。今日、電車なんだけど……)
 しかし断れるはずもなく、ミサは大量のチョコレートを渡され、忙しそうに去って行く山口をうらめしそうに見つめた。お茶くらい飲むつもりで来ていたミサは、少しがっかりした様子で、駅に向かった。
 いかにもバレンタインという紙袋を持ったミサを、通りすがりの人が見ていく。
(やだなぁ。恥ずかしい…)
 うつむき加減で歩いていると、後ろから呼びとめられた。
「渡辺さん!」
「加藤さん? え? お仕事は?」
「そこのビルにある内藤医院に行ってたもんで」
 加藤は追っかけてきたらしく、はぁはぁと息を切らしていた。スーツ姿の加藤は、相変わらず決まっていて、香水の香りだろうか。大人の香りがした。
 ミサがしばらく言葉を捜していると、加藤はミサが持っている、いかにもバレンタイン袋を見て笑った。
「はは。今年は、渡辺さんが当番か」
「は、はい」
「大変だね」
「い、いえ」
 あまり話したことが無いので、まともに視線も合わせられずドキドキしていた。
「くるま、乗ってく?」
 不意に加藤はポケットから鍵を出してミサに言った。
「いえ」
「今から病院に戻るんだけど、ついでだから」
「いいんですか?」
 遠慮がちにミサは言うと、加藤はうなずいた。「持つよ」ミサが持っている荷物を持って歩く加藤。ミサは、後ろから遠慮がちについて行った。
(どうしよう、何しゃべっていいのかわからない…)
 丸山製薬……
 車は一目でわかった。緑色のラインに白い文字で大きくかかれた、丸山製薬という文字。加藤は運転席に乗り込むと、助手席を片付けはじめ「どうぞ」と言った。
 ミサは助手席に縮こまりながら座る。逃げ出したい程の緊張感だ。
「寒くない?」
「あの、大丈夫です」
 加藤の何気ない気遣い。自然な会話。何もかもがスマートで大人を感じさせた。ミサには会話を楽しむ余裕もなく、ただただ病院に着くのを待っていた。
 信号で止まり、無言の時間が流れた。いきなり、加藤がミサに聞いた。
「そう言えば、僕の分もあるの?」
 加藤はチョコレートの袋を指さして、ミサの顔を覗きこんだ。
「あ、はい…あります」
 声はとても小さかった。
「4病棟の人達はいつもくれるから。本当、ありがたいよね。いろいろ病院まわってるけど、4病棟が一番馴染むかな…」
(やっぱり、あの可愛いチョコにしとけば良かった……) 
 ミサが後悔していると加藤は続けた。
「渡辺さんは、誰かにあげるの?」
「えっと、弟と…お父さん…」
「家族想いなんだね」
「い、いえ、そんなんじゃ…あげる人がいないんです」
 ミサがムキになって答えると、加藤は笑った。
「あげる人がいないかぁ。こんなに可愛い子を放っておくなんて」
 ミサは耳まで赤くなって、呼吸もできなくなるかと思った瞬間、車は止まった。
 病院に着いた。
「ありがとうございました」
 ミサはバカ丁寧にお辞儀をすると、加藤の車を見送った。そして、まだ、ドキドキしている自分に言い聞かせるように呟いた。
「加藤さんには、彼女がいる…彼女が…」

 
 



 



 







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