彼女は今までその感情によって、不幸になった人間達をたくさん見てきた。
なんて馬鹿なんだろう。他人のために自分の身を投げ出して。なんて思っていた。
だから自分は絶対にその感情、恋愛感情をもたないと心に誓っていた。
それなのに今、彼女の心には一人の男性がいる。
やっかいな相手を好きになってしまった。彼女と同じ、妖怪ならともかく、人間の男に惚れてしまったのだ。
完全に一目惚れだった。
こんな雪山には似合わない、小麦色の肌。
それによってより強調される、白い歯。
見るものを幸せにする、あの笑顔。
そんな彼を最初に見た時、顔が耳まで赤くなるのが自分でも分かった。
だけど、自分は妖怪で、彼は人間。
決して姿を見せる事は出来ない。彼は驚いて逃げたしてしまうから。だから会えない。会えなければ話すことも出来ない。
私に出来る事は、この雪山から無事に彼が下山できるのを祈ることだけ。
彼に何があっても、私はただ見守ることしか出来ない。
彼が小屋に入ったまま、もう二日が経った。
あの小屋は下山ルートの途中にある、一時休憩用の物のはずだ。
だから二日も入ったまま出てこない、というのはおかしい。
彼の身に何かがあったのかしら・・・。
少し見に行ってみよう、姿を消して行けば大丈夫のはずだ。
こっそり、小屋へ入るとそこにはテーブルが一つとその周りに何個かの椅子、そして奥には小さめのベッドがあった。
彼女の目はそれらの家具だけではなく、ベッドの上に横たわる人間の姿も同時にとらえた。
それは間違い無く彼だった。
彼の息は荒く、この寒さだというのに、その顔は汗ばんでいた。
一目見て、高熱だと彼女は分かった。
どうしよう・・・。
こんな小屋に薬なんて無いし、人を呼ぶ事なんて私には出来ない。
だからといってこんな雪山の小屋に放っておいたら彼は死んでしまう。
彼女に残された方法は一つしかなかった。
自分の体で熱を吸い取る事。
そうして、彼の熱が下がれば助かるかもしれない。
・・・・私は消えて無くなってしまうが。
彼女は震える手を彼の額に近づけようとしたが、決心がつかなかった。
私は妖怪で、この人は人間。決して結ばれる事の無い関係。
どうせ実らない恋ならば、他の人間の女に取られて、幸せそうなカップルを見る事になるのなら、
いっそここで彼を殺して、思い出だけの存在にしてしまおうか・・・。
彼女の手は、額ではなく首へと近づきつつあった。
彼女の手が彼の首を掴んだとき、
彼女の耳に声が聞こえた。
「・・・あれ、君は誰だい?」
しまった!彼が目覚めてしまった。ただおろおろしながら言葉に詰まっていると、
「そんな格好で寒いだろう?僕は向こうの椅子に座っているからこの布団の中に入りなよ。」
優しい声だった。そして、辛そうだけど美しい笑顔。改めて、自分はこの人に恋をしているのだと気づいた。
ああ、私にこの人を殺すことは出来ない。たとえ叶わなくても、私の物になら無くてもやっぱり彼の事が好きだから・・・。
彼の額へと近づく彼女の手は、もう震えていなかった。
窓から差し込む光で、ある登山者は目覚めた。
すがすがしい気分だ、すっかり熱も下がったらしい。
ベッドから降りようとした時、床が濡れていることに気がついた。
おかしいな、しっかり雪は落としたはずなのに・・・。
たぶん熱でふらふらの状態で気づかないところに雪がついていたのだろう。
この雪山では珍しい、青空の下、登山者は山を下り始めた。
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