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【登場人物】
*シャルギエル=グレアム・ジャンセン(十五歳)……本作の主人公。名家ジャンセン伯爵の超わがままな超上流階級なセレブ美形息子。不良に憧れてスラムの世界に足を踏み入れるが……。

*カノン(十三歳)……スラム街に住む超貧困社会の住人であるストリートチルドレン。スラムの世界を何一つ知らないシャルギエルの面倒を見る事になった少女。

*ロード(十歳)……カノンと一緒に住む捨て子だった男児。義姉のカノンを大事に思っている。同じくストリートチルドレン。
【第一章】 ギャングウォリアー力闘編
act,8:輝かしきもの


「このバカバカバカバカ! バカヤロオオォォォォーーーッッッ!!」
「いていていていてっっ!! おいコラ何だよ一体! いってぇ! いい加減やめねぇか!!」
「ちょっ! カノン姉ちゃんってば! とりあえず落ち着けったら!!」
 ここは超高級財団法人学園都市、ハイスクールの校門前。
 シャルギエルが校門から出て来るや否や、突然小柄な少女が飛び付いて来たかと思うと、物凄い剣幕で拳を彼の上半身目掛けて殴り付けてきたのだ。
 余りの勢いに、まさかそれがカノンだとすぐに気付く事が出来なかった。
「いってぇー……。カノンにロード……。よくここまで……っつーかどうしたんだ一体」
 周りの学校関係者達がその様子に驚きながら、遠巻きに見ては通り過ぎて行く。
 カノンとロードの容姿は、カノンのリサイクルBOX通いの成果が実ってか、とてもみすぼらしい本来のスラムの子供には見えない。最早、中流階級市民ぐらいにすっかり磨き上げられている。シャルギエルが贈った好意の効果も、しっかり届いているようだった。
 今日は金曜日(フライデー)。約一週間ぶりの週末(ウィークエンド)に、シャルギエルもスラムに行く予定でいた。ところが突然この有様だ。
 しかもスラムの住人である二人が、この学園都市まで乗り込んで来るとは予想外だった。この上流階級地区である気高い聖域に等しい場所に、超貧民地区住人が乗り込んで来るなど断じて有り得ない事だったからだ。
 だがカノンにとって、終点“学園都市”まで地下鉄で来ると後は思いの他簡単だった。“ジャンセン”の名を口にすれば知らない者はいないぐらいの、この界隈では超有名権力者だったからだ。
 その子供の友達だと言えば、街の人々は簡単に今の時間なら子供は皆学校だと教えてくれたのだ。この時つくづくカノンは呆れずにはいられなかった。有名な金持ち権力者を探す事が、ラストネームさえ知っていればこんなに楽な事はないと。
 二人はここまで来ればどうにかなると言う安易な気持ちだったが、本当に安易すぎて有名人であるのも少し問題だとさえ思った。
 これがスラムだったら、一人の子供の死体が見つかっても身元不明の無縁仏として、処理されるに過ぎない。悲しむ者が一人でもいればマシな方。下手すれば泣いてくれる者は誰もなく、ひっそりと存在感のないまま、無意味に生まれて死んでゆく。
 しかしこれだけの権力者となると、まるで立場が違うだろう。一度(ひとたび)訃報のニュースが流れれば(たちま)ち全世界に知れ渡り、世界中のほとんどの人間が同情を示し失意感を(あらわ)にし、悲哀の念を向ける事だろう。
 同じ人間であるにも関わらず、ただ住む世界が違うだけでこれ程までに扱いが違うのだ。
 まるで野良犬と愛犬家に飼われるペット犬程の差だ。野良や野犬は狩られ、駆除されるが、ペット犬はこの世の極楽なまでの生活を、それこそその辺の人間よりも贅沢な生涯が約束される。
 シャルギエルは周囲を気にしてカノンとロードの肩をそれぞれ両腕で抱き寄せると、校門から離れる。
「あんだけ目立たないよう用心しろって言ったのに、何呑気(のんき)にRの配下になってんだい!」
 カノンは怒りの表情を向ける。
「阿呆が。誰があいつの下になんかなるかよ。俺はあくまでも“グループの一員として”加わったまでだ」
「でもあんたがそう思っていないように、あいつだってそんな生易しい事は思っちゃいないよ!」
 一方ロードは、周囲の高貴なオーラが向ける眼差しに気負わされてオロオロしている。
 どっちを向いてもスラリと長身の美男美女ばかりで、お洒落なファッションにゴージャスな飾り物を身に付け、この街その物がいい香りに満たされまるで天国のようだ。
 建物一つとっても芸美技術の粋を集結させている。人の歩き方も真っ直ぐしんなりゆったりと、もしくは美しいラインを保ったままキビキビと歩行している様は、いかにも宇宙人に見える。
 ロードにとって生まれて初めて見る眩いまでの極楽浄土のような世界の美しさに、まるで罰を与えられている罪人のように逆に恐れた。ロードの心の方が、ここに住む人間より何倍も純粋無垢で清らかであるのにだ。
 その人の手で築き上げられた、華やかかつ中世と近未来がバランス良く融合された、高級地区たる慣れぬ独特のエリア。美しい物で本来癒されるべき筈が、ロードの潜在意識には醜い自己満足と優越感が織り成す地獄に思えたのだ。
 こういった気取った耽美主義な人間こそが一番、当時幼く空腹で行き場のない小さかったロードを拒絶したのだ。
 あのまるでこの世で何より醜く恐ろしい物を見る、気取った大人達の向ける蔑視の眼差し。あの人情の欠片もない自分善がりな、ちっとも腹の足しにもならない美しさのみを振り撒く人間達は、無情なまでに当時の幼いガラス細工の繊細な心を意図も簡単に打ち砕いたのだ。
 その時受けた感情がいつしかロードにとってトラウマになり、無意識から来る恐怖や不安の源になっていた。とりあえずシャルギエルの件でカリカリしているカノンの腕に縋り付くロード。
「……ロード? どうしたのさ。まさか怯えてるのかい?」
 情緒不安定なロードの様子に気付き、カノンは(ようや)く冷静になる。
 確かに今でこそ姉弟のように仲が良いが、まだカノンのよく知らないロードの内面の暗黒記憶があるのだろうという事に、彼女はハタと勘で気付いた。
「ああもう! 感情任せにこんな所まですっ飛んで来るからだ! 俺だってちゃーんと頭使ってんだよ。とりあえず乗れ!」
 シャルギエルは煩わしそうに言うと、ヒョイと手を挙げた。
 するとどこかで待機していたパールブラックのロールスロイスが、スッと突如現れたかと思うとピタリと彼等の傍らに付いた。ギョッとするカノンとロード。
 すかさず運転手が降りてきてドアを開けるのを、シャルギエルが二人を中へと促がす。
「い、いいの……?」
 さっきまでの勢いはどこへやら、すっかり畏縮しきったカノンは共に不安げなロードと寄り添いあって、彼の顔を窺う。
「いいから乗れって! 大丈夫だから!」
 シャルギエルは二人をやや強引に中に押し込むと、まるで逃げ場を塞ぐかの如く最後に彼がドサッと身を投げ込むように乗り込んできた。そのドアを運転手がそっと閉める。
 そして運転席に戻ってきたドライバーに、シャルギエルは厳しい口調で言い放つ。
「正門ではなく、離れにある俺の私邸に回れ。分かったら防音窓を下ろせ」
「かしこまりました。お坊ちゃま」
 ドライバーは厳粛に答えると、前部座席の真後ろに貼り付けるようにある仕切りの中央でポッカリ開いた空間を、ガラスがスッと上がって遮断した。
「ここまで来させる状況にした挙句、不安な思いをさせてすまなかったなロード。少しは落ち着いたか?」
 走り出す車内で、シャルギエルはさり気無くロードを気遣う。
「ごめんオイラ……。あんたの身を案じて、カノン姉ちゃんとここまで飛び出して来たまでは良かったけど……。まさかトラウマが目覚めるきっかけの多い街とは思いもしなかったっつーか、忘れてたっつーか……。逆に二人に心配かけちまったな」
 ロードのすっかり意気消沈しきった惰弱な態度に、カノンはシャルギエルが今回取った行動への叱責の念に拘泥し、維持していたせいでロードの変化に気付いてやれなかった自分を反省する。
「勿論カノン。俺の正体を奴らや誰かに言っちゃあいねぇだろうな? ロードもだ」
 言いながらシャルギエルはドアポケットの蓋をパカッと開けて、キャンディーを幾つか鷲掴みすると、半分ずつカノンとロードに与える。
「分かってら! 絶対に言っちゃいないよ!」
 ロードは子供らしく思考を切り替えて、キャンディーに喜びながらはしゃいで答える。
「ええ。あたいもよ。だからこうして三人だけ以外は“グレアム”とあんたを呼ぶ事にしてるもの。で、あたいらのチルドレングループのリーダーになったのかい」
 漸く落ち着いたカノンは静かに訊ねる。
「ああ。そう奴がお前に言ってきたなら間違いないだろうな。で? その今の俺のグループには何人いるんだ?」
 そう言うとシャルギエルは、今度は前部座席の後ろの足元にある、備え付けの黒いBOXの蓋を開けた。すると中には何種類もの飲み物と、仕切られた幾つかの穴の開いたスポンジには、洒落たグラスが収められていた。完備冷蔵庫だ。
「うわぁ!」
 ロードの目が輝く。
「二十数人ぐらいかな。今夜改めて新リーダー紹介に集会を開くよ」
「成る程な。OK。で、何がいい? 何でも好きなもん飲めよ」
 カノンの言葉に軽くシャルギエルは答えると、二人にドリンクを勧める。
「じゃオイラコーク!」
「あたいはメロンソーダを……」
 二人の言葉に応えて二種類のジュース瓶を手にすると、完備冷蔵庫に備えられている栓抜きでポポンと二本ともの栓を抜く。そしてもう片手でグラスに手を伸ばしたのを、カノンが止めた。
「グラスは要らない。そのままでいいよ。あ……。それともこういう場では、グラスを使用しなきゃやっぱ下品に見られる、かな?」
「そうだな。俺はこの際気にしねぇが、この周囲のセレブ共は人の言動評価して優劣を決めたがるのが、ここらの連中の嫌な所だからな。ま、大丈夫さ。気にせず俺の前では普段通りでいい」
 シャルギエルは言うと、ドアに付いているボタンの一つを押した。すると運転席側を遮っている先程閉めた防音窓が、スッと白く曇った。これでドライバー側からこちらの様子が見聞きできなくなってしまった。
 おかげでバックミラーの必要性がなくなってしまったが、そこはあくまで一流ドライバーとしてもサイドミラーで上手く運転するのが必要条件の一つでもある。
 カノンとロードはまるで魔法でも見るかのように感心している。そんな様子にお構い無しのシャルギエルは、二人にそれぞれジュース瓶を手渡した。
 シャルギエルはジンジャーを選んだ。勿論ノンアルコールだ。本来ならグラスを使用するのが子供の頃から教わっている、行儀の一つではあるのだが、ここは敢えてカノン達を見習って彼も瓶のまま口に呷ってみることにした。
 すると、こんなちょっとした何でもない仕草一つでもシャルギエルにとっては、この上なく新鮮に感じた。……これだ。これこそワイルドな仕草の一つだ! 
 感動しこんな自分に心酔して目を輝かせ、恍惚な表情を浮かべている彼を、二人は呆れながら顔を引きつらせる。そして思った。金持ちというのも、いと情けなく可哀相でもあるのだな、と。
「そう言えば、あのバス用品一式とバーガーやおこづかいまで……。ありがとう」
 カノンは言うと、少し顔を赤らめた。その言葉を聞いて改めて意識してカノンを見直すシャルギエル。
「……うん。やっぱり見栄えが良くなったな。それに……臭くなくなった。とてもレディーらしい良い香りだ」
 そう言って彼は、カノンの髪に鼻を埋めた。更に顔を赤くしたカノンは、思わず彼を突き飛ばした。
「!? 何だよ! 俺何か悪い事言ったか!?」
 彼はいつもの習慣で努力した彼女を、紳士流に当然の行動を取って褒めただけである。少し体勢を崩して、何故自分が突き飛ばされたのかを抗議する。その二人の様子を見て、ロードは嬉しそうにキャッキャと喜びはしゃいだ……。
 気を取り直してシャルギエルは、携帯電話を取り出すと我が家のメイド室内線に繋いだ。
「今からクラスメイトを二人我が私邸に連れて行く。フルーツとケーキ、紅茶とコーヒーとココアを用意しておけ。それから別に、クッキーとキャンディーとプロミスチーズをそれぞれビッグサイズ一袋ずつ用意して、一緒に未開封のまま揃えておけ。今すぐだ。俺達が到着したら誰一人中に入るな。分かったな。以上だ」

 ―― シャルギエル専用私邸。
 ドライバーにまた後で呼ぶからすぐに車が出せるよう準備しておくように言うと、車から降りて二人をプライベートハウスに案内した。 
 大した個人的用がない時以外は余り使用しない私邸で、普段は本邸宅にあるプライベートルームを主にしている。
 それでも寝室、風呂、トイレ、キッチンは当然の事、ダーツとビリヤード、スポーツジム、スクリーンルーム、楽器演奏ルーム、クローゼットルーム、三十畳以上のリビングルーム、プール付きに広いテラス、オートライトセンサーにオートロックシステムの玄関。だが本邸とは渡り通路で繋がっているので、内から入る分ではオートロックは当然不要だ。
 中に入って呆気に取られ、呆然として立ち尽くしているカノンとロードにシャルギエルは気軽に声を掛ける。
「おいどうした二人とも。いつまで玄関に居座ってるんだ。早く部屋の中に入れよ」
「え゛!?」
 彼の言葉に二人同時に目を剥いて、シャルギエルを見る。
「な、何だよその顔……。(こえ)ぇぞ?」 
 何て広くて綺麗な部屋なんだろうと、感心しながら辺りを見上げていた所が実はまだ、ただの玄関だと知った二人は頭が混乱した。
 二十畳近くの広さに美しい彫刻に絵画が飾られ、白亜のギリシャ風柱が部屋との境に立っている。壁際にコンソールとその上に豪華な飾り枠のアンティーク調壁掛けミラーに、同じく壁掛けの豪華な仕上げの幾つにも枝分かれした燭台。そして二人掛けのソファーが一つ。そこが玄関だと言う。部屋だと間違われても仕方がない。
 ドギマギしながらカノンとロードは更に恐る恐る歩を進めて、彼の居るリビングルームに足を踏み入れると、玄関の時以上に更に二人は口をあんぐりとさせた。
 豪華な暖炉にシャンデリア。部屋の隅には長剣の柄の上に両手を重ねて立つ甲冑。大画面の薄型TV。
 城だ。城。ここは紛れも無く王族が住むお城だ。二人はそう思わずにはいられなかった。この調子だと本邸なんかを見せたらもう引っ繰り返る事だろう。
 しかしシャルギエルにしてみれば、こんな邸宅は序の口でしかないらしい。
 ジャンセン本家の邸宅ともなると、本当に歴史から続く列記とした由緒正しきお城なのだから、その豪華さといったら相当な物だ。このシャルギエルの邸宅が豪邸と言うなら、ジャンセン本家に至っては城邸と言った所である。
 シャルギエル一家はあくまでも、父親が本家にいる主を兄に持つ弟という分家なだけである。それでもそんな豪華な生活を生まれた頃からしている彼だからこそ、初めて見たスラムの家が家畜小屋に見えてしまったのも、仕方ないのかも知れない。
「全くやれやれだぜ。まさかこうも早い内からお前らを、ここに招待する日が来ようとはな。そもそも先走りしすぎなんだよ。まぁ、俺の事を心配してくれての事だろうがな。先程のサプライズなお出迎えをしてくれて分かっただろうが、俺もウルトラハイスクールレベルのスチューデントをやってんだよ。あんな無学の暴力馬鹿男に裏を掻かれる程、いくらこんだけの箱に入っているボンボンでもそう馬鹿じゃねぇってぇの!」
 リビングのソファーに身を投げてシャルギエルは言った。
 ……――(しばら)くの間。
「?」
 返って来ない言葉に、シャルギエルはふと二人の方を見た。
 ……――すると、見事なアホ面を(さら)け出したまま、カノンとロードは硬直していた。
「……」
 一瞬理解に苦しんだ彼だったが、二人が本来いる環境を思い出しこの自分達が今いる場所とを比較してから、何故二人がこの状況に陥ってるのかを漸く理解すると可笑しくて堪らなくなった。
 弾むような忍び笑いに、漸くピクリと我に返る二人。そして不思議そうにシャルギエルの方を、同時に見やる。
「……ックックック……! クックックックック……!」
 顔を伏せて腹を抱えた状態で、しきりに肩を揺らしている。そして少し落ち着いたのか、漸く顔を上げて二人の顔を見たシャルギエルは、再びもう耐えられんと言わんばかりに涙目で吹き出した。
「ブーーーックックックックック!! アーーッハッハッハッハ!! ヒー! ヒー! やめてくれ! 俺を笑い死にさせる気か! ヒャーーッハッハッハッハ!!!」
 シャルギエルは身をよじって笑い転げながら、手元のクッションをしきりに叩き回す。
 やっと自分達が、間抜けに見られ笑われているのだと理解出来たらしいロードも、客観的に想像したのか一緒になって笑い始めて恥ずかしげにシャルギエルへ飛び付き、更に二人で笑い合う。
 カノンはと言うと、カーッと顔を真っ赤にして怒鳴った。
「ちょっと! 何がそんなに可笑しいのよ! 馬鹿にして!!」
 カノンの罵声に驚いて笑うのをピタリと止めて、慌ててきちんと座り直すシャルギエルとロード。だが、暫くの間を置いて、再び吹き出し笑い始める二人。
 その様子にカッとなったカノンだったが、次第に何だかこんな事でむきになる自分が馬鹿馬鹿しくなってきて、ついには彼女も一緒になって笑い出してしまった。
 ひとしきり三人一緒に大笑いしながらはしゃぎあった後、漸く落ち着いた。そしてロードは、目前のテーブルに並ぶデザートに飛び付く。
「ホントにまるで天国みたいだねぇ。さすが天使様は住む世界が違うよ」
 カノンはテラスに出て美しい庭園を眺め、秋の自然の美を愛でながら、手に持ったシャンパングラスに入れてあるベリー類を摘まみながらうっとりしている。
「だーから、俺は天使じゃねーっての!」
 シャルギエルは洋梨を(かじ)りながら、カノンの背後にリビングから声を掛ける。
 庭には秋の花々や紅葉に彩られ、中央に人工の泉が完備されており、その泉には大きな翼を背にしたしなやかなラインの天使の彫刻が飾られ、泉の中には色とりどりのガラス石が散りばめられている。
 天使の彫刻はテラスへと真っ直ぐに向いており、その瞳にはアイスブルーの石がはめ込まれ、胸の中央にも同じ色の大きな石がはめ込まれている。その石の瞳が輝きを放ってカノンの心を虜にする。
 穏やかな表情の中に気の強い眼差しを刻む天使の彫刻。優しさの中に垣間見える時折不敵な微笑み。男とも女とも取れない美しい容姿。
 <雪の天使シャルギエル>――きっと、それをイメージした物だろう。雪降る中で見るこの彫刻は、さぞかし更なる美しさを発揮しそうだ。
「天使よ。そうでなくてどうして、あれだけ素敵な造形品を築く事が出来るってのさ」
 カノンは彫刻を指差しながら彼を振り返ると、フワリと微笑んだ。思わず高鳴るシャルギエルの鼓動。
 ベリーの入ったシャンパングラスを手にテラスに立ち、秋の庭と彫刻の泉をバックに微笑むカノンが今まで見た中で更に美しく映えていた。まるで一つの絵画のようだ。この一瞬を絵に残したい衝動に駆られそうになる。
 そんな彼の気持ちを他所に、ロードが横で喚いた。
「うわー! すっげぇ! 何あれ天使の像か!? 庭一つ取ってもかっこいいんだなー!!」
 すっかり我に返らされたシャルギエルは、少しロードの言動にしらけながら言った。
「……ははん……そうか。その像って、俺の名をモチーフにしてたのか。今頃気付いたぜ。普通にただの天使の像だと思ってた。成る程な」
 カノンに指摘されてこんな身近に自分の名の由来になった物があったとは、灯台下暗し(と言うよりカノンに教えられるまで、自分の名前の意味も分からなかったのだが)状態に改めて感心する。
 生まれた時からずっとそこに当たり前のようにあったので、今となってはもう余りその像をそれ程意識する事もなくなっていたが。
「ごめんよシャルギエル。初めの内は、何も知らないボンボン野郎だからこっちが守ってやんなきゃって思って、慌ててここまで駆けつけたけど……とんだ取り越し苦労だったね」
 カノンは杞憂からくる早とちりに反省する。
 確かに彼は彼でスラムの現実はまだ詳しくないが、それは無知なだけで馬鹿だからではない。カノンらがこういったセレブな世界に無知なのと同じだ。しかもスラム生活である自分は読み書きは唯一身に付けていても、ほぼ他の事柄には無学でしかない。
 しかし学校に通う彼は知識が豊富だ。自分の知らない技術や学識、体術や能力を隠し持っていると期待してやってもいいぐらいだ。寧ろ彼が今回自分のチルドレングループのリーダーになった事実に、希望や可能性を予測してもいいかも知れない。
 そうと決まれば彼がリーダーになったからには、このセレブ要素を曝け出し危険率を上げる訳にはいかない。スラムに潜り込むからには、それなりの外見とオーラが物を言う。ここまで考えたカノンは、はっとして顔を上げた。
「いつまでものんびりしちゃいられないわ! シャルギエル、あんた服は?」
「服? 服なら山のように……」
「服のジャンルよ。そんなビジュアルとかリッチさとか剥き出しのファッションはイージーターゲットになるから駄目だからね! 貧乏服(シャビールック)とまでは言わないけど、ストリート系とかカジュアル系とか……ダメージ加工されてるジーンズとかは尚いいね。そういったどこか崩した感じのファッション、持ってる?」
 カノンの言葉にシャルギエルは暫く考え込んでから、カノンとロードをクローゼットルームに放り込んだ。
「……どう?」
「――駄目だ……。どれも質が良すぎる……」
「チープシックな服はないの?」
 呆れて顔を覆うカノンとロードに、あっけらかんとシャルギエルは言った。
「これなんか一番安物だぜ? 2000ドル」
(たけ)ぇーよ!!」
 カノンとロードは、すかさず彼の金銭感覚を突っ込んだ。

 こうして、ロールスロイスで一般住宅地にある繁華街に降ろしてもらって車を帰すと、三人はシャルギエルがスラムに溶け込めそうな服選びに出向いた。
 こうして彼の服装はジーンズにグレーの長袖Tシャツ、紺色のパーカーにスニーカーといったスタイルにまで外見が生涯初めて貧相化された。頭は長い黒髪をアップに纏めてニット帽を被って髪型も隠した。
 シャルギエルは50ドル一枚出してお釣りが戻ってくる程の安服を、買ったのも着たのも初めてで別の意味で感心した。
 カノンはついでとばかりにリサイクルBOXに付き合ってもらい、カノンとロードはそれぞれ自分の服三着を選び取った。それを見ていたシャルギエルは、それまで着ていた自分の高級服を持ち歩くのが面倒という理由で、BOXに放り込もうとした。
 上下占めて一万ドル前後もの代物である。それを素早くそういう事ならとカノンが取り上げて、近場のリサイクルショップに飛ぶ込むとすかさず換金して戻って来た。こういった高額商品ならBOXよりも売った方がずっと得なのである。現にカノンは生まれて初めて、シャルギエルの高級服を換金して手にした数百ドルという高額金に、ロードと共に興奮していた。
 それを見ていたシャルギエルは、カノンの生きる為の底力と(したた)かさを痛感させられた。
 そんなカノンの、十三歳ながらにしてのど根性に少し感化されたのか、彼も頑張る彼女の力に少しでもなろうと、当意即妙に努めてみた。そして見よう見まねに、リサイクルBOXをまさぐってカノンとロードの分を選んでいると、ロードが傍にしゃがみ込んで来てコソコソと口添えしてきた。
「オイラは今度冬に備えて厚手の上着一枚でいいから、残り二着は姉ちゃんのを上下選んでやってくれよ。ちなみにオイラと姉ちゃんの服のサイズはね……」
 フムフムと肯きながらシャルギエルはロードが気に入った物と、カノンに似合いそうな可愛らしく品位のある上下を選び抜いてやった。スラム程でなくとも、一般庶民のエコ精神に初めて触れた彼は、新たに稀有(けう)な気持ちを覚えるのだった。
 しかしこれこそが、スラム程極端ではない一般庶民(中流階級含め)の常識的な普通の社会的ルールとマナーなのだ。この丁度良さこそが、人間社会の理想形態とも言えるのである。
 シャルギエルはスラムに合わせるつもりで、持って来たクッキーとキャンディーとチーズの袋をレジ袋に入れて持ち運んでいた。勿論カノンとロードのアドバイスである。こうしてシャルギエルはどう見てもとてもセレブ少年には見えなくなった。
 リサイクルBOXから入手した服(しかも今回はロードとシャルギエル二人からの協力もあり)をロードと一緒に袋に詰め込み抱え持ち、ホクホク顔のカノンはひとまずこれらの荷物をスラムの我が家に持ち帰るべく、シャルギエルと共に地下鉄に乗り込むのであった……。
 シャルギエルとロードは共に男として同じ気持ちを抱いていた。“女の恐るべし底力、恥知らずなど根性”と。別の角度から女の強さを知った二人であった。それに目覚めさせたのが、シャルギエル本人である事も露知らずに。
 ちなみにシャルギエルが持って来たレジ袋に入った食べ物は、グループの子供達へのリーダーとしての挨拶を込めた差し入れであった。
 この彼の好意に、カノンもロードも大賛成してくれた。今までにないこの新リーダーのやり方は、間違いなくプラスの方向で子供達を導く革命者になりそうな予感も芽生えていたからこそだった。
 今でこそ荒み切っている、不幸の街スラム。
 そこに生きる哀れな子供達にこの人は間違いなく光を与えてくれる、希望の救世主になるかも知れないと期待を抱かずにはいられない、カノンとロードの心境だった。

 
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